7.神官長の警告
フィリスは、医務室にいた。
ぼんやりと横になっていても、じくじくと傷が痛む。血の気が足りないのか、鈍い頭痛に襲われる。じっとしているのに、視界がグラグラするような気がした。
傷口は一応くっついている、らしかった。少なくとも出血は止まって、落ち着いている。神殿の医務官は、首を傾げながら診察し、最低限の消毒と傷口の保護をしてくれた。フィリスは、神官長が助けてくれたことをぼんやり思い出しながら、黙っていた。
まずは安静にするように、といわれてからフィリスはうとうとを繰り返している。痛みのせいでうまく眠れないのだ。仕方なく、少しずつ体の調子を確かめるように手足を動かしてみたり、仕切り布の向こうで人々の動く気配を追ってみたりしている。傷は確か、太ももの刺し傷と、肩口から鎖骨にかけての切り傷だった。手指はきちんと動く。力は入らず、ズキズキと痛むが、動きに支障は無さそうだ。痺れもない。とにかく痛むが……さらには少し熱っぽい気がするが……まぁ多分大丈夫……うーん、大丈夫かな。不安だ。フィリスはしだいに元気が無くなってきた。
その時、仕切り布の外で小さなざわめきが聞こえた。
真っ白な布を払うようにして入ってきたのは、神官長だった。パッと喜色を浮かべたフィリスが起きあがろうとするのを、手で制される。
「あ、もしかして治癒の続きですか?」
「違う」
「ええ……?」
がっかりするフィリスに向かってアレスティオンは怖い顔になった。
「永遠に死ねない体になってもいいならやるが?」
「ええっ?!」
脅しの内容が怖すぎる。フィリスは少し引いた。
「でも、聖女様といえば治癒の力が……」
「聖女ではない。何度も言わせるな……聖女とは違う。違うんだ」
眉をひそめ、アレスティオンはしばし思案した後、意を決したように口を開いた。
「神は……慈悲深いお方だ。奇跡を希えば、いつでも溢れんばかりの力を与えてくださる」
言葉とは裏腹に、神官長の表情は苦悩に満ちていた。
「そうして、傷を治したい、だけでなく、跡が残らないように、もう二度と傷つかないように、決して死なないように、という奥底の願いまで残らず掬い取ってしまわれる」
「……」
奇跡、の途方もなさを今更のように感じて、フィリスは圧倒された。
「今の私は必要十分な『奇跡』を扱えない」
沈んだ声で告げる神官長をぼんやり見ていると、アレスティオンはフィリスの額に手を乗せた。ひんやりした手のひらが気持ちいいなぁと思う。なんだか頭がぼーっとする。やはり大丈夫じゃないかもしれない。傷だけでなく体全体が熱を持ち始めてる。熱くて、重い。
「……」
アレスティオンは無言で額を撫で、髪を払った。
「……そんな傷くらい自力で治せ、騎士だろう」
それもそうだな、とフィリスは思った。こく、と頷くと、また手のひらが額に触れた。ああ、冷たくて気持ち良い。フィリスは、うとうとと眠気が忍び寄ってくるのに身を任せた。
フィリスは二日ほどで起き上がれるようになった。傷そのものはある程度塞がっていたこともあって、血の気が戻れば体調もすぐに良くなった。いくらか違和感はあるが、立って歩く程度なら支障はない。もうしばらく経てば、騎士の勤めに復帰できるだろう。
執務室で、神官長は相変わらず眉間に皺をよせ、書簡と格闘していた。
「奴らの出所はわかった」
挨拶もそこそこに、アレスティオンは言った。
「あの二人は爵位こそないが、地方貴族の出だ。嫡子でないので身を立てるために取引したのだろう」
この二日の間に調査したのだろう、身上書や報告書でごった返す中、アレスティオンはコツコツと机を指で叩く。
「糸を引いているのが伯爵閣下か、子爵閣下なのかはわからんが……いや、あるいはそちらの仕業に見せかけた侯爵筋からの手引きという線も……待てよ、そもそも巡礼の件でなく脅し、警告という線も捨てがたい……うん、候補者が多すぎるな」
はあ、と息をついてアレスティオンは手にした書簡を放り投げた。
「不可抗力とはいえ、神殿内で神殿騎士が二人も死亡したのはまずい。まずいが……逆に言えば、神殿に歯向かったらどうなるかという見せしめにもなるな。くくく、さて、どう料理してくれようか……」
邪悪な顔で悪い画策をしている神官長は、すっかりいつも通りに見えた。フィリスに咎が向かないようにしてくれているのだ、とすぐにわかった。なにより、この人は、自分のために奇跡の力を使ってくれた。フィリスは、いつまでもこちらを見ないアレスティオンに向かって、礼を言った。
「……神官長、ありがとうございます、命を助けてくださって」
アレスティオンはちらっと視線だけを上げて、すぐにそっぽを向いた。
「……数少ない味方をみすみす死なせるほど、私も馬鹿じゃないからな」
「はい」
味方。そう言われただけで、フィリスは胸の内が軽くなるような気がした。その言葉だけで十分だった。
「……おい、もうあんなことはするな」
神官長が、ついでのように声をかけてくる。フィリスは首を傾げた。
「あんなこと……とは?」
アレスティオンが苦々しい表情を浮かべ、視線をそらす。
「だから……神殿を血で汚すような真似をだな……」
「ああ、そうでした。本当に申し訳ありません。必死で、他に手段を考えられませんでした」
「……違う、そうじゃない」
額を抑えながら首を振り、アレスティオンはフィリスを見た。
「自分の身を投げ出すような真似をするな」
フィリスは神妙な顔になり、静かに首を振った。
「あれが護衛騎士としての務めですから」
そうして、屈託なく笑って見せた。
「それに、ずっと聖女を守る騎士になりたかったんです、だから本望です」
心底嬉しそうにフィリスは言った。ところが、神官長は乱暴に舌打ちした。ひどく怒っているように見えた。つい『聖女』と言ってしまったのが良くなかったのだろう……フィリスは失言を後悔した。
神官長が険しい顔のまま、フィリスを手招く。叱責の予感に肩を落としながら、フィリスは近寄った。手の届く距離まで来た時、机越しに立ち上がった神官長が、ガッとフィリスの顎を掴み、引き寄せる。
「……!」
怒りを湛えたような表情の中、どこか憂いすら浮かべた瞳が恐ろしいほどに美しく煌めいて見えるのは、なぜだろう。間近でこの目に覗き込まれると、フィリスはいつも圧倒され、呑まれそうになるのだ。
「フィリス」
名前を呼ばれ、ごくりと唾を飲む。
「……もしまた死にかけたら、今度こそ本当に不死の化け物にしてやるからな」
「……」
「覚悟しろ」
「……ふぁい……」
低く告げるアレスティオンの迫力に押されつつ、フィリスはとりあえず返事をした。不死の化け物、は流石のフィリスもごめんだ。顎を……頬までもしっかり掴まれているせいで、間抜けな声になってしまった。
その返事を鼻で笑い、アレスティオンは手を離した。眉間にはまだ皺が寄っていたが、いくらか和らいだようにも見えた。




