3.5話② 野田清人 本当に消したかったもの
野田清人は、昔から“いない奴”だった。
教室の隅にいても誰も気づかない。グループ分けでは最後まで余り、昼休みも一人で本を読むか、机に伏せて時間が過ぎるのを待っていた。
話すのが苦手だった。
いや、本当は怖かった。
何を言っても変な空気になる気がしたし、笑われる気がした。だから最初から喋らない。喋らなければ傷つかない。そうやって逃げ続けるうちに、いつの間にか本当に誰とも話せなくなっていた。
教室の笑い声が嫌いだった。
楽しそうな奴らが嫌いだった。
廊下で騒ぐ連中も、恋愛話をしている奴らも、部活で汗を流している奴らも、全部嫌いだった。
なんであいつらは、そんな普通に生きられるんだ。
なんで自分だけ、こんな息苦しいんだ。
心の中で、何度も思った。
(全員、消えればいいのに)
最初はただの逃げ場だった。
嫌な奴が消えればいい。
学校が消えればいい。
世界が消えればいい。
そんな妄想をしている間だけは、少しだけ楽になれた。
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大学に入っても、何も変わらなかった。
友達はいない。
恋人もいない。
気づけば、一人で講義を受け、一人で帰るだけの日々になっていた。
だが、清人はどこかで思っていた。
社会に出れば変われるかもしれない。
就職すれば、自分も“普通”になれるかもしれないと。
だから就活だけは頑張ろうと思った。
スーツを買った。
面接の練習もした。
笑顔の作り方まで動画で調べた。
だが現実は、甘くなかった。
「では、結果は後日ご連絡します」
その言葉を聞くたび、清人には分かってしまう。
落ちた。
またダメだった。
面接官の愛想笑い。空っぽの自己PR。噛んだ言葉。引きつった笑顔。
全部、自分でも分かっていた。
向いていない。
社会に。
人と関わることに。
生きることに。
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部屋の中には、不採用通知だけが増えていった。
机の上には飲みかけのペットボトルと、開きっぱなしの就活本。カーテンは閉め切られ、昼なのか夜なのかも分からない。
スマホが鳴る。
母親からだった。
『就活どう?』
その文字を見ただけで、胸が苦しくなる。
返信はしなかった。
何も言えなかった。
言葉にした瞬間、本当に“終わる”気がした。
「……クソ」
小さく呟く。
SNSを開けば、同級生たちの内定報告が並んでいる。
『第一志望受かりました!』
『春から社会人!』
『みんなありがとう!』
画面を閉じる。
胃が痛い。
呼吸が浅くなる。
「なんなんだよ……」
掠れた声が漏れる。
「なんでみんな普通にできるんだよ……」
世界が、自分だけを拒絶しているようだった。
誰も自分を必要としていない。
誰も自分を見ていない。
自分だけが、この世界から浮いている。
だったら。
いっそ全部消えてしまえばいい。
自分も。
世界も。
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駅のホームには、人が溢れていた。
スーツ姿の会社員。学生。笑いながら歩くカップル。誰もが普通に生きている。
清人は、その光景をぼんやりと見つめていた。
耳障りなアナウンス。
騒がしい足音。
全部が不快だった。
(消えろ)
心の中で呟く。
(消えろ、消えろ、消えろ)
電車が近づいてくる。
風が吹く。
誰かが横を通り過ぎる。
その瞬間、清人は一歩踏み出した。
最後まで、周囲のことは考えなかった。
ただ。
この世界から消えたかっただけだった。




