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エクストラスキル《捕食》

「ーーっ!?」


 杖の男の詠唱が明確に中断された。

 俺が手を払った瞬間に出た、麻痺ダーツの2射に状態異常強化が乗り。動けなくなる。


 杖の男を目に見えない何かが、ぴたりと相手の身体を縛る。筋肉が強制的に固められる感覚。男の指が、不自然な角度で止まる。杖を握る手が震えたまま、動かない。


(よし、入った)


 胸の奥で、ひとつ安堵が弾ける。

 これが決まれば――流れ作業。

 次の瞬間、俺はすでに地面を蹴っていた。


 体勢を低く、重心を落とす。両手を抱擁のように優しく揺らしながら、前へ滑り込む。視界が男たちに一気に近づく。剣使いの男の腰、腕、足の位置がはっきり見える。どこを”取れ”ばいいか、身体が理解している。


(体捌き、ほんと優秀すぎるだろこれ)


 内心で軽く感動しながら、俺はその腕に絡みついた。

 ぐるり、と。まるで水のように、弛みながら。

 一連の動きはスライムボディの影響だ。接触した瞬間、相手の皮膚と俺の肌の間で、摩擦が消える。ぬるりとした感触。いや、表現がアレだけど、本当にそんな感じなのだ。ローションマッサージとか、きっとこんな感じなんだろうなされたことないけど――いや今それ考えるな俺。


 腕を取る。関節に体重を乗せる。捻る。


 ――ゴギャッッ!!


 乾いた、嫌な音。関節どころか骨が、悲鳴を上げる音。

 剣使いの男の顔が、一瞬で歪んだ。


「……っっ!?」


 声にならない声。

 HPゲージが、一気に削れる。


(うわ、やっぱりこれエグいな)


 だが止まらない。そのまま剣男を蹴ると反動で流れるように、次は槍使いの腕へ滑り込む。

 絡みつく。捻る。


 ――ゴギャッッ!!


 同じ音。同じ崩れ方。

 こちらの動作としては、三動作。


 ダーツ、腕、腕。それだけ。

 だが、スライムボディのすべらかさで、その一連の動きは――ほとんど一瞬だった。


 3人の視界では、たぶん消えたように見えたかもしれない。


 同時に、3方向から声が上がる。


「ーーぐっ!?」「がぁっ!?」「くそっ……!」


 混乱。痛み。理解が追いつかない顔。俺はその隙を逃さない。

 さらに槍使いの足へ、にゅるんと絡む。


 引き倒し、膝を極める。


 ――ゴギャッ!!


 足が折れる音。体重を乗せる。ぐいっと押し込む。

 槍使いの身体が悲鳴を上げるのを確認すると


 そのまま、今度は槍使いを蹴って、体を滑らせて剣使いの足元へと絡みつく。

 同じように。同じ手順で。


 ――グギギ、ゴギャッ!!


(うわ、なんか俺、すごいモンスターみたいなことしてない?)


 頭の片隅でそんなことを思う。

 でも、手は止まらない。だって、止めたらやられる。何をしてくるかわからない、防御無視だとか、状態異常だとか、やたら連携に自信がありそうだし、装備の効果だって下手したら厄介この上ないかもしれない。すべて仮定、だから何もさせない。


 剣使い、槍使い、前衛のHPゲージが、見る見るうちに削れていく。真っ赤、とまではいかないが、かなり危険域に近い。いくらポーションがあっても、今すぐ立ち上がれる状態じゃない。


 その上で、俺は槍使い、剣使いにダーツを投げる。

 ヒュンッ、ヒュンッ。2射ずつ。髪を直すような仕草で自然に、優美に。


 毒と麻痺。状態異常を重ねる。

 スリップダメージで赤に近づける。

 逃げ道を塞ぐ。


「く、そ……っ!」


 槍使いが歯を食いしばる。

 剣使いはすでに地面に崩れ落ちている。


 そして――杖使い。


 麻痺したまま、立ち尽くしている。

 詠唱は途中で止まり、目だけがこちらを見ている。恐怖と焦りと、信じられないという色が混ざった目。


(レベル70、ね)


 俺は心の中で呟く。


(油断してくれてたおかげで、助かったよ)


 正面からやっていたら、こうはいかなかっただろう。

 でも、これは戦いだ。油断した方が負ける、それだけだ。俺はゆっくりと、杖使いに近づいた。

 足音を、あえて響かせる。


 コツ、コツ、と石床に靴が当たる音。


 男の喉が、ひくりと動く。

 逃げられない。動けない。

 その事実が、彼の顔に浮かんでいた。


 俺は、その首に腕を回した。


 クマの腕より遥かに細い首。さて、ここにサブミッションを入れたらどうなるのか。

 普通にHPは減るのか、ある程度のダメージでゲーム的に保護されるのか。


 --ただ、やってみればいい。


 耳元で、軽く息を吐く。


「リエラ様の胸で眠れるなんて、幸運ね」


 自分で言っておいて、ちょっと何言ってんだ俺って思う。

 でも、口が勝手にそういう台詞を選んでしまうのだ。ロールプレイ、恐るべし。

 そのまま、力を込める。


 締める。関節を極める。


 ――グゴギャッッ!!


 鈍い音とともに、杖使いのHPが一気に真っ赤に染まる。

 呼吸が止まるような音。視界がぐらりと揺れ、”血”をふきながら崩れ落ちる杖の男。


 その瞬間――


 ピクピクピクッッ!!


 尻尾が、激しく跳ねた。

 背中の後ろで、まるで生き物のように踊る。


(来た)


 分かる。これは、吸える。吸える状態だ。

 瀕死。体液が溢れる瞬間。


 俺の中で、スイッチが入る。


 ーーどうする? どうなる、プレイヤーだぞ?


 喉の奥が、じわりと熱くなる。

 舌の奥に、妙な期待感が広がる。


(いや、味は期待したくないんだけどな!?)


 心の中で全力でツッコミを入れる。

 だって、スライムは洗剤味だったし、ゴブリンは……まあアレだったし、海鮮は当たりだったけど、対人ってどうなるんだよ。倫理的にも味覚的にも未知数すぎる。


 でも、尻尾は止まらない。

 むしろ、今すぐ行けと言わんばかりに暴れている。


 なら――やるしかない。

 俺は、無慈悲に声を上げた。


「体液吸収♪」


 尻尾の先端が、ぱくりと開く。

 空気が、ぐにゃりと歪むような感覚があり、その瞬間杖使いの口元を覆った。


 次の瞬間――吸収が始まる。


 尻尾により、持ち上げられ宙吊りになる。

 杖使いの身体が、みるみる力を失っていった。


 さっきまで魔法を撃とうとしていた手は、もう杖を握ることもできず、指先から順に色を失っていく。HPバーは真っ赤に染まり、麻痺のせいで逃げることも、叫ぶこともできない。ただ目だけが大きく開かれていて、そこに浮かんでいる感情だけは、嫌になるくらいはっきりと分かった。


 ごく、ごきゅっ、ぐぴっーー喉に流し込まれるのは味、とも違った。恐怖。理解不能。そして、後悔。


 ……ああ、そういう”味”もするんだ。


 俺は、その顔を見ながら、尻尾が対象に食らいついている感覚を背中越しに感じていた。

 いつもの吸収とは違う。


 スライムのときの洗剤みたいな味も、ゴブリンの鉄っぽさも、海鮮の旨味も、ジビエの野性味もない。いや、味がないわけじゃない。喉を通っている感覚もある。だが、それを味覚として理解するより先に、もっと直接的なものが身体の奥へ流れ込んでくる。


 経験値。そうとしか言いようがなかった。


 数値になっていないはずの何かが、喉から胸へ、胸から腹へ、腹から手足の先まで、熱い光みたいに広がっていく。身体の内側が満たされる。空っぽだった器に、濃く甘い液体が注がれていくような感覚。頭の奥がじんじんする。視界の端が明るくなる。記憶とは違う、彼の冒険の感情の味。


「……あ、はぁ……っ」


 声が震え、吐息が漏れる


「なに……これ……」


 心臓が跳ねる。

 いや、これは心臓じゃない。ゲームの身体だ。なのに、鼓動みたいなものがある。胸の奥で、どくん、どくんと何かが脈を打っている。


 「ふ、うふふふ、なにこれ、なにこれ……!?」


 気持ちがいい。まずい。これは、まずい。


 美味しいとか、不味いとか、そういう話じゃない。身体が喜んでいる。脳が報酬を浴びている。いままで積み上げてきた吸収の中で、一番強烈だった。まるで、レベルという概念そのものを飲んでいるみたいだった。


 絵面は最悪だ。分かっている。


 俺だって、自分を外から見たら引くと思う。悪魔シスターの姿をした美少女が、麻痺で動けない相手から経験値を吸い上げて笑っている。完全にイベントボス側の演出だ。勇者パーティに討伐されるタイプのやつだ。


 でも。

 笑わずには、いられなかった。


「あは……」


 喉の奥から、勝手に声が漏れる。


「あははははははは!」


 笑い声が、重罪決闘場の黒い石壁に反響した。

 観客席からは、何の声も上がらなかった。


 さっきまでざわついていたはずの観客たちが、完全に沈黙している。いや、厳密には息を呑む音や、誰かが椅子を引くような小さな音は聞こえる。でも、歓声も罵声もない。


 ただ、静まり返っていた。

 レベル70超えのプレイヤーが、何もできず、床を這いつくばり、されるがままになっている。


 その光景が、観客たちの喉を塞いでいる。

 俺は笑いながら、吸収の終わりを感じた。


 杖使いの姿が光の粒子へ崩れる。

 そして、ログが流れた。


 《対象のプレイヤーから経験値を吸収》

 《レベルアップします》


 《Lv23 → Lv31》


「……っ」


 熱が跳ねた。

 身体が軽くなる。いや、重くなる。いや、どちらでもある。力が増えたというより、身体の解像度が上がったような感覚。指先、足先、尻尾の先まで、世界との接続が強くなる。


 その瞬間。

 脳裏に、あの無機質な声が響いた。


 《エクストラスキルの解放条件を満たしました》


 笑いが止まった。

 いや、正確には、笑みが張りついたまま固まった。


 《エクストラスキル『体液吸収』が進化します》


 《誘惑を獲得》

 《捕食を獲得》


「……捕食?」


 ぽつりと呟く。なんだそれ。

 明らかにやばい。


 名前がもうアウトだ。誘惑はまだ分かる。いや分かりたくはないけど、サキュバスっぽい流れなんだなーって言うのは分かる。だが捕食はだめだろ。言葉の強度が違う。急に野生が出てきた。


 俺は、ほとんど反射的にスキルツリーを開いていた。

 新しく開放された枝が、黒と紫の光で浮かび上がっている。


 誘惑。

 捕食。


 その先はまだ霞んでいて見えない。

 急激にレベルアップし、獲得したスキルポイントはここで使えと言わんばかりに輝いていた。

 断じて違う。だけど――


「……振るしか、ないわね」


 捕食へ、ポイントを注ぎ込む。


 1、2、3。


「重っ……!」


 思わず声が出た。必要ポイントが重い。


 ゴリゴリ削られる。普通のスキルとは比べ物にならないくらい重い。だが、それでもこれは確実にレベル10を取るべきだ。ろくに説明も読まない、読む時間もない、けどーー


 4、5、6。

 胸の奥に、妙な熱が溜まっていく。

 7、8。

 尻尾が、背中側で震える。

 9。


 観客席がざわめき始める。俺が戦闘中にスキル振りをしていることまでは見えていないだろう。でも、何かが変わったことだけは分かるのかもしれない。


 10。


 《捕食 Lv10》


 瞬間、尻尾が変わった。

 ぐばぁぁ、と。

 そんな音が似合う勢いで、先端のハートが開いた。


 今までの四つに裂ける形とは違う。もっと大きく、もっと獣じみていて、そしてなぜか俺の身体の一部として違和感なく存在している。黒と紫の光がその縁を走り、内側には淡く赤い紋様が浮かんでいた。


 槍使いの男が、地面に転がったまま、目を見開いた。


 両腕も両脚も動かない。麻痺と関節ダメージで、身動きが取れない。声を出そうとしているが、喉が震えるだけで音にならない。


 剣使いの男も同じだった。

 顔面蒼白。

 さっきまで俺を値踏みしていた顔とは、別人みたいに引きつっている。


 俺は、その表情を見た。見えてしまった。そして、思った。


 ――あ、これ楽しい。


 最悪だ。

 自覚はある。でも、楽しい。


 さっきまで散々、こちらをNPCだの、連れ回すだの、回収するだの言っていた連中が、いまは俺を見るだけで恐怖している。声も出せない。逃げられない。レベル差も、人数差も、最初の余裕も、全部ひっくり返った。


「ねえ、ごめんなさい、あなたたちのこと誤解してた」


 俺は槍使いの前にしゃがみ込んだ。


「本当の楽しみ方、教えてくれるってあってたね……」


 槍使いの目が、左右に激しく揺れる。

 俺はにっこり笑った。


「私、今、とっても楽しいわ♪」


 尻尾が伸びる。

 その先で、捕食が発動する。


 ここから先の光景は――正直、あまり語りたくない。

 というより、語らない方がいい。


 重罪決闘場のシステムがどう処理したのか、俺自身にもはっきりとは分からない。視界には黒と紫のエフェクトが走り、対象の身体は光の粒子へ分解されるように消えていった。直接的な痛々しさは、システム側で抑えられていたのだと思う。


 ただ、音はあった。ぐしゃ、だの、ごきゅ、だの、ごりっごり、など骨や血、肉が食われる物騒な音。

 息を呑む音。

 観客席から漏れる悲鳴未満の声。

 そして、経験値が流れ込んでくる感覚。


 《捕食により対象から経験値を獲得しました》

 《レベルアップします》

 《Lv31 → Lv42》


「……は」


 喉から、笑いが漏れた。


「はは……」


 剣使いの男が、震えていた。

 麻痺で声は出せない。だが、目が叫んでいる。


 ーーやめろ。


 そう言っているのが分かった。

 俺はしばらく、その顔を見ていた。


 せっかくだし誘惑にもポイントを振ってみよう。


 《誘惑・テンプテーションを獲得しました》


 ここは重罪決闘場だ。

 デスペナルティ最大。

 所持金ドロップ。

 装備ドロップ。


 全部、同意のうえで向こうが乗った。向こうが嘲笑った。


 俺とミーナを“回収できるもの”として扱った。

 だから、俺の全てでおもてなししよう。


「《テンプテーション》」


 足元から紫なのかピンクなのか、煙のようなものがあふれ出す、俺は小さく呟いた。


「どうしたの? 盛り上がってないみたいだけど」


 観客席に向かって言う、ピンクの煙が観客性の誰かの前にたどり着くと猛烈な拍手が起こる。

「リエラ様最高!!!」スキルの効果かどうかはよくわからない、けれどもその狂気的な様子は次々と伝播する。あちこちから「リエラちゃん!」「リエラ様ーー!!」「うおおぉお~~!」と熱狂的な声が聞こえてくる。


 剣使いの男からも涙が出ていた、さっきまで恐怖に引きつっていたのに、なんだかうれしそうだ。

 自ら身体を差し出すように、すがるように地面を這って俺の足元までくる。


「そう、じゃあ遠慮なく」


 ごり、ぐしゃ、ぐしゃ、赤いポリゴンの粒子を飛ばしながら、最後の最後まで剣使いの男は笑っていた。


 《捕食により対象から経験値を獲得しました》

 《レベルアップします》


 《Lv42 → Lv48》


 現実のログは、まったく平和ではなかった。


「……あは」


 口元が震える。笑うしかない。


 だって、レベル23だったのだ。


 それが、31になり、42になり、48になった。


「……あはは、きゃはははは!」


 笑いが漏れる。

 今度は、さっきより大きく笑った。紫に包まれた観客席から盛大な拍手が起こる。

 重罪決闘場の中央で、俺はひとり立っていた。


 目の前に敵はいない。


 残っているのは、ドロップした装備品と、所持金の山。片手剣、槍、杖、防具の一部、袋にまとめられた金貨。三人の姿はもうない。


 観客席からはリエラコールが鳴りやまなかった。


 俺はゆっくりと振り返る。

 観客席にいるプレイヤーたちが、一斉に肩を震わせた。誰もがリエラを見ている、拍手、拍手、スタンディングオベーション。俺は笑ったまま、両手を広げた。


「ほら」


 声が、決闘場によく響いた。


「あなたたちも笑いなさいよ!」


 観客席が、拍手と笑い声に包まれた。

 声がかれるまで、無理やり絞り出したような笑いが広がる。


 《決闘終了》

 《勝者:リエラ》

 《ドロップ品が確定しました》

 《10秒後にギルドへ転送されます》


 ログが流れる。

 俺は足元の装備と金貨を見る。

 重罪決闘場の黒い床に、戦利品だけがやけに現実味を持って残っていた。


 あれだけ騒いでいた三人の痕跡が、これだけ。

 ゲームだ。これはゲームだ。


 そう言い聞かせる。


 けれど、身体の奥にはまだ多幸感が残っていた。経験値を吸収した熱。レベルアップの光。捕食の感触。尻尾は満足げに、背後でゆらゆら揺れている。


「……やばいわね」


 俺は小さく呟いた。これは、本当にやばい。

 楽しい。そして、危ない。

 自分でも分かるくらい、危ない。


 でも今は、笑いが止まらなかった。

 視界が白く染まり始める。

 転送の光だ。俺は最後に、観客席に向かって丁寧にお辞儀をすると、にっこりと笑った。


「ごきげんよう」


 その言葉を残して、重罪決闘場は白い光に呑まれた。

本日更新分以上です。だんだんストックがなくなってきたので頑張ります。

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