美味しすぎて嘆く。
「えい、えい!」
俺は岩陰から半身だけを出して、離れた場所にいたモンスターへ赤い魔ダーツを投げた。
ヒュッ、と鋭く空気を切る音がして、赤いダーツは水辺でうろうろしていたケイブシュリンプの甲殻に刺さった。ダメージ表示は、もちろん1。もうこの数字とは親友みたいなものだ。だが、重要なのはそこじゃない。
(えび、カニ、蟹、えび、海鮮……!)
内心ではそれどころではない。
ケイブシュリンプの小さな黒い目が、ぎょろりとこちらを向く。甲殻の隙間から泡みたいな息を吐き、ハサミをかちかち鳴らした。硬質な音が岩壁に反射して、嘆きの石窟の中に乾いたリズムを作る。
「はい、こっち」
続けて、緑の毒ダーツを投げる。
ヒュッ。
今度は少し上、岩場に張り付いていたロックリザードの腹側へ刺さった。これもダメージ1。毒のエフェクトがじわりと広がり、灰色の体表が薄く緑を帯びる。
さらに、天井近くをふわふわ漂っていたルミナスジェリーへも一本。
ヒュッ。ぷすっ、というより、ぬるっとした面にダーツのグラが吸い込まれていく。
「よし、三匹」
そう思った瞬間、奥の水たまりからスピアフィッシュが跳ねた。
銀色の身体が、苔の淡い光を反射してきらりと光る。小さな角をこちらへ向けて、水しぶきを上げながら滑るように迫ってくる。
さらに、その横の岩陰からジャイアントクラブの子分みたいな小型のクラブが二体、がしゃがしゃと脚を鳴らして出てきた。
「……あ、リンクした」
思わず笑う。
このダンジョンのモンスターは、どうやら仲良しらしい。いや、本当に仲良しなのかは知らない。種族も全然違う。海老っぽいやつ、トカゲっぽいやつ、クラゲっぽいやつ、魚っぽいやつ、蟹っぽいやつ。それぞれ別々に暮らしていそうな顔をしているくせに、一匹にちょっかいを出すと、当たりどころが悪いと近くのやつらまでまとめて反応してくる。
凶暴性がましている、とミーナの言葉を思い出す。
普通のパーティにとっては、この上なく厄介だろう。
釣りミス一回で乱戦。前衛が囲まれて、後衛の射線が塞がれて、回復が追いつかなくなって、はい全滅。そんな未来が見える。
だが、俺にとっては――
「非常にありがたいわね!」
最高である。
集まってくれるなら、集める手間が減る。ヘイトを取れば勝手に追いかけてくる。あとはミーナの待つ場所へ連れて帰るだけ。
俺は踵を返し、湿った岩床を蹴った。
嘆きの石窟の地面は、ゴブリンの洞窟よりも滑りやすい。ところどころに水が流れていて、苔が薄く生えている。以前の俺なら、胸の重心に振り回され、足を取られて盛大に転んでいただろう。
だが今は違う。
体術初級――体捌き。
これが、思った以上に効いている。
足を置く場所が分かる。滑る前に、重心を逃がせる。腰のひねりと尻尾のバランスで、身体が自然と立て直される。背中でチェーンが揺れ、シスター服の裾が水気を含んだ空気を切る。ばるんばるんぶるんばるん。そこは相変わらずではあるが。
「ふふん、見なさいこの安定感!」
誰に言っているのか分からないが、後ろのモンスターたちは怒り狂って追いかけてきているので、たぶん聞いていない。ケイブシュリンプが地面を跳ね、ロックリザードが壁から飛び移り、スピアフィッシュが水たまりを渡るように滑り、ルミナスジェリーがふわふわ漂いながら触手を伸ばしてくる。小型クラブたちはがしゃがしゃと脚を鳴らし、岩を越えて迫ってくる。
見事な異種混合部隊だ。
そして見た目からして、だいぶ美味しそうな部隊でもある。
いや、戦闘中に食材目線で見るのはよくない。よくないが、火を通せば海鮮。火を通せば正義。ミーナ様の炎魔法は世界を救う。
「ミーナ!」
広めの空洞に戻りながら、俺は叫んだ。
前方には、すでに杖を構えて待つミーナがいる。赤い髪が洞窟の薄青い光の中で揺れ、杖の先端に嵌め込まれた石が、内側から熱を持つように輝いていた。
「おねがい!」
「はい!」
ミーナの声は、もう迷っていなかった。
彼女は短く息を吸い、杖を前へ突き出す。
「ファイアーウォール!」
詠唱と同時に、俺の進行方向を塞ぐように炎の壁が立ち上がった。
ごう、と空気が鳴る。
湿った洞窟の空気が一瞬で熱を帯び、水辺の匂いが熱で押し流される。赤と橙の炎が岩壁を照らし、苔の青白い光と混ざって、空洞全体が不思議な色に染まった。炎の中で、空気がゆらゆら歪んでいる。
俺はそのまま、迷わず炎に突っ込んだ。
熱が肌に触れる。だが、前よりも安定していた。
体捌きのおかげか、炎の圧を受けても姿勢が崩れない。足を置く位置、呼吸の間、熱を逃がすような身体の角度。それらが自然と噛み合う。ダメージは入るが、ごくわずか。むしろ、今はそれすら確認作業みたいなものだ。
「うーん、新スキルの使い道がフレンドリーファイア緩和って、ちょっと面白いわね!」
炎の中でそう言ったら、向こう側のミーナが「面白がらないでください!」と悲鳴に近い声を上げた。
まったく、真面目な子である。俺が炎を抜けると、背後のモンスターたちは次々と火の壁へ突っ込んだ。
ケイブシュリンプの甲殻が赤く染まり、ぱちぱちと焼ける音がする。小型クラブの脚が火に包まれ、ハサミがかちんかちんと激しく鳴る。ロックリザードは硬い鱗でしばらく耐えようとしたが、毒が回っていたのか、壁にぶつかるようにふらついた。ルミナスジェリーの触手には炎が絡み、青白い光が赤く染まっていく。
「よし、入った!」
ミーナの声が弾む。
俺は振り返りながら、尻尾が反応するのを感じた。
ぴくぴく。
今から忙しいぞ、尻尾。
炎の向こうで、最初に弱ったのはスピアフィッシュだった。水辺から飛び出してきたせいか、火に包まれて一気にHPが削れている。体液の気配に、尻尾が勝手にそちらへ伸びようとする。
「体液吸収!」
先端のハートが裂け、燃えかけたスピアフィッシュへ食らいつく。
どくん。じゅる、ぞる……ごく。
「こ、これは……っ!」
ピーンと思考が加速する。海鮮だ。焼き魚だ。
ほんのり塩気のようなものまで感じる。焦げ目の香ばしさ、白身魚っぽい淡白な甘み、火を通したことで出る旨味。喉に直接流れ込む仕様は相変わらずだが、これまでの不快な体験とは比べ物にならない。
《AGI+0.1 HP+0.2》
続けて、ロックリザード。
「体液吸収!」
がぶり。
ごきゅ。
「……うまっ」
鶏肉だ。これ、鶏肉だ。ロックリザードのロックの部分がからあげの衣にしか見えない。
普通にというか、かなり美味い。
《VIT+0.1 HP+0.2》
さらに、ケイブシュリンプ。
「体液吸収!」
尻尾が食らいつく。
その瞬間、香ばしい海老の風味が脳天を突き抜けた。
ぷりっとした身の甘さを液体化したような、不思議な味。火を通した甲殻の匂いが鼻へ抜けるような錯覚すらある。
《体液吸収:クリティカル》
《AGI+0.2 HP+0.4》
「クリティカル吸収うまっ!」
思わず叫んだ。
「味の話ですか!? ステータスの話ですか!?」
「両方よ!」
ミーナのツッコミが飛ぶが、俺は忙しい。
残ったルミナスジェリーが炎を抜け、ふわふわとこちらへ近づいてくる。触手が伸びる。いくら俺が耐久お化けでも、全部を吸えるわけではない。尻尾はひっきりなしに口を開けているが、処理速度には限界がある。
「ミーナ、範囲!」
「フレイムバーン!」
ミーナの杖先から広がった炎が、空洞の一角を包む。
残ったモンスターのストーンバットも、巻き込まれて燃え落ちた。焦げた匂いが広がる。何匹かは俺の尻尾が届く前に燃え尽きて、粒子になって消えた。
もったいない。
もったいないが、構わない。
全部を吸おうとすると、今度はこちらのテンポが崩れる。吸えるものを吸い、倒すものは倒す。それが今の最適解だ。
それにしても、忙しい。ダーツを投げる。端的に視界が忙しすぎてただただ楽しい。
走り、炎に入り、吸い、味わう。吸収ログを見ながら、残った敵にダーツを投げて炎の中へ誘導する。
脳が複数の処理を同時に走らせている。営業時代のマルチタスク能力が、まさかファンタジー洞窟で海鮮吸収に活きるとは思わなかった。
そしてログを見ているが、頑なにSTRは上がらない。
VIT、HP。たまにAGI。
でもSTRは出ない。なんならDEXさえ。
「本当に意地でも筋力くれないのね!」
炎の向こうで消えていくモンスターたちに向かって叫ぶ。
ミーナが苦笑する。
「リエラさん、筋力で戦うタイプに見えませんし……」
「見た目じゃないのよ! 近接ロマンは本人の希望なの!」
そうは言っても、この海鮮ダイニング状態で文句ばかりも言っていられない。
うまい。本当にうまい。
さながら海鮮のダイニングだ。焼き魚、蟹、海老、謎のゼリー、たまに岩トカゲ。全部がミーナの炎魔法で程よく火入れされ、俺の尻尾によって喉へ直送される。
「ミーナ様……ヤバすぎー……」
「その呼び方、まだ続いてたんですか!?」
「あなたは炎の女神よ」
「急に宗教みたいになりました!」
いや、本当にありがたいのだ。
彼女がいなければ、俺はこれを生でいっていたかもしれない。
生の蟹。生の海老。生の謎クラゲ。生トカゲ。
いや無理。想像するだけで無理。
ミーナの存在は、もはや火力という枠を超えている。冒険の質、いや生活の質を上げている。
たった一日でも文明を知ってしまった今の俺に、ミーナ無しの生活に戻ることは難しい。
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