TS金髪美少女になった俺だが、スキル適正なしでVRMMO世界の中で初手詰みする。
光がほどけるように消え、代わりに温度と匂いが流れ込んできた。
まず鼻に届いたのは、乾いた木の香りだった。
削りたての板の匂いと、長く使い込まれた床の油の匂いが混ざり合って、どこか懐かしい、田舎の倉庫を思わせる空気が肺に満ちる。
次いで耳に届くのは、遠くで鳴る鈴のような音と、誰かが歩くたびに軋む木材の低いきしみ。足裏には、わずかにざらついた板の感触があり、体重をかけると柔らかく沈み、遅れて返ってくる反発が膝に伝わる。
――ああ、来たな。
視界が完全に開けたとき、俺は“始まりの町”の中心に立っていた。
町、といっても想像していた賑やかなそれとは違う。建物は少ない。いや、正確には三つしかない。
木造の簡素な建物が、三角形を描くように配置されているだけで、広場と呼べる空間の中央には、石で組まれた低い台座がぽつんと置かれている。そこに刻まれた魔法陣が、淡い光を放っているのが分かる。あれが旅のポータルか。
初心者ギルド、道具屋、ポータル。
それだけ。
チュートリアルの町、という説明を思い出しながら、ゆっくりと周囲を見渡す。
人は――少ない。
サービス開始から一年。初心者が溢れかえっている、なんてことは当然ない。ぽつぽつとプレイヤーらしき影が見えるが、どれも似たような装備だ。麻のシャツに簡素なズボンかミニスカート。腰に短剣か杖を差している。まさに“初期装備”。
そして、その中で――
「……あ、やっぱり見られてるな」
視線が、刺さる。
じろじろ、というより、ちらちら、といった感じだが、それでも数が多い。明らかに意識されている。目が合うと、すっと逸らされるが、その前にしっかりと“観察”されているのが分かる。
理由は分かりきっている。
「……そりゃまあ、な」
視線を落とす。
そこには、ゲーム内でもしっかりと再現された“暴力的な存在感”がある。布地越しでも分かる立体感が、呼吸に合わせてわずかに上下するたび、視界の端で主張してくる。
しかもさっきのキャラクリでさらに盛った。
この、ツインテールだ。
プラチナブロンドの髪が左右で跳ねている。どう考えても目立つ。むしろ目立たない要素が一つもない。
「……どうだ、美少女だろ」
自分で言っておいて、ちょっとだけ虚しくなる。いや、でも事実だ。客観的に見ても、どう見ても“主人公側のビジュアル”してる。元モブの俺がこんなスペック持ってていいのか。
などと内心でボヤきながらも、立ち止まっている理由はない。
ここでやることは決まっている。
――初期スキルの獲得。
――ギルド登録。
それだけだ。
寄り道する場所もない。というか、寄り道しようにも施設がない。
俺は軽く息を吸い込み、初心者ギルドの建物へと足を向けた。
扉を押し開けると、木の軋む音とともに、少しだけ温度の違う空気が流れ出してくる。外よりもわずかに暖かい。中には暖炉でもあるのだろうか、焦げた薪の匂いが混じっている。
中は思ったより広かった。
壁には木製の武器がずらりと並び、奥にはカウンターがある。カウンターの向こうには、いかにも“受付嬢”といった雰囲気のNPCが立っているが、その視線は一瞬こちらに向いたあと、ほんのわずかに目を見開いてから、すぐに業務用の微笑みに戻った。
……今、びっくりした?
まあいい。
「えっと、登録に来ました」
ギルド嬢は今度ははっきりと俺の胸を見ている。というより胸と会話しているような雰囲気だ。
エタファンのNPCはどこか人っぽいという噂は本当のようだ。妙に感心してしまう。と、同時に一気にこの世界に愛着が湧いてきた、めっちゃ見られてるけど。
「では、何かスキルを取得していただきます。何度でも挑戦してスキルを獲得してくださいね」
にこやかにギルド嬢はスッと壁際を手で指し示す。
俺はそのまま、壁際に並んでいる訓練スペースへと足を向けた。
近接戦闘チュートリアル、か。どれどれいっちょ、かっこいいところ見せてやりますかね。
そこに立つと、足元に淡い光の円が浮かび上がる。
《近接戦闘チュートリアルを開始します》
システムボイスが響く。
同時に、目の前に木製の剣が出現した。手に取ると、ずしりとした重みが腕にかかる。現実のそれより軽い気もするが、それでも十分な重量だ。
「……よし」
軽く構える。
と、その瞬間。
ぐらり、とバランスが崩れた。
「……あ?」
視界がわずかに揺れる。前に出した足に体重を乗せた瞬間、重心が想定よりも前に流れる。胸元が、引っ張る。いや、マジで引っ張る。
「ちょ……ッ! 待っっっ、これ!!」
慌てて体勢を立て直そうとするが、今度は逆に後ろに重心が流れる。剣の重みも加わって、身体がちぐはぐに動く。
その隙を逃さず、目の前に現れた訓練用木人形と表示されたカカシが、ゆっくりと近づいてきた。
「うわ、来る来る来る!」
慌てて剣を振る。
しかし軌道がズレる。重心が安定しないせいで、腕の動きがブレる。剣先が空を切り、そのまま勢い余って身体が前に流れ――
ドン、と鈍い衝撃が腹に入った。
「ぐえっ……!」
木人形の拳が、しっかりとめり込んだ感触がある。痛みは抑えられているが、衝撃はちゃんとある。肺の中の空気が押し出される感覚が、妙にリアルだ。
視界が白く弾ける。
《再挑戦してください》
無慈悲な声。
「いや、今のはちょっと待って」
言い訳を口に出すが、システムは聞いてくれない。
もう一度、構える。
今度は慎重に。足の位置、腰の向き、腕の角度――
ぐらり。
「だからこれなんだよ!」
胸元が揺れるたびに、重心がブレる。想像以上に影響がデカい。というか、邪魔だ。完全に邪魔だ。
剣、ダメ。
槍、ダメ。
棍棒、もっとダメ。
体術に至っては、踏み込みの瞬間にバランスが崩れて、そのまま転びかける始末だ。
《再挑戦してください》
《再挑戦してください》
《再挑戦してください》
「うるせえ!」
思わず叫ぶが、当然止まらない。
汗はかかないはずなのに、じわりと背中が湿るような錯覚がある。呼吸もわずかに荒くなる。身体の制御が、思った以上に難しい。
「はぁ、はぁ、近接は許してやる……次は、魔法だ」
近接がダメなら遠距離だ。
そう思って、魔法チュートリアルに移動する。
杖を握り、詠唱を開始する。
足元に小さな魔物が出現する。訓練用スライムだ。ぷるぷると揺れるそれを見下ろしながら、狙いを定める。
が――
「……見えねえ」
視界の下半分が、塞がれている。
そう、スライム、じゃない、胸だ。
「いやお前、そこに居座るな!」
思わずツッコミを入れるが、動くわけがない。自分の身体だ。
訓練用スライムが跳ねる。
慌てて後ずさるが、足元の感覚が遅れる。詠唱が乱れる。
ドン、と小さな衝撃。
視界が弾ける。
《再挑戦してください》
「……はいはい」
もう笑うしかない。
後衛支援に切り替えてみる。
擬似パーティのNPCが現れ、回復や強化をタイミングよくかけるミニゲームが始まる。
これならいける、と一瞬思った。
だが――
「え、ちょ、待って多い多い!」
画面に次々とアイコンが出現する。誰に何をかけるか、瞬時に判断しなければならない。
指を動かす。
しかし視線がブレる。主に胸元の存在感で、微妙に視界の中心がズレる。意識がそっちに引っ張られる。
タイミングが遅れる。時間切れ……。
《再挑戦してください》
「……うん、エタファンむずくね?」
乾いた笑いが出た。
何度やっても、同じだった。
成功する未来が、見えない。
チュートリアルの空間を抜け、俺はギルドのカウンターに向かった。
受付のNPCが、変わらぬ笑顔でこちら(胸)を見る。
「スキルの習得が確認できませんので、登録はできません」
淡々とした宣告。
「……あれ?」
首をかしげる。眉間を抑える。
いや、あれ?
これってもしかして――
「初手詰み?」
ぽつりと呟いたその瞬間。
背後から、乾いた笑い声が聞こえた。
「ほっほ、お困りのようじゃの」
ゆっくりと振り返る。
そこに立っていたのは、白い髭を蓄えた老人だった。背は低く、杖をついているが、その目だけは妙に鋭い光を宿している。
その視線が、まっすぐに俺を捉えた瞬間――なぜか、背筋にぞくりとした感覚が走った。
本日、明日と書き溜めた分の投稿をします。一応第一部完了まであります、長いですがお付き合いください。




