VSゴブリンシャーマン
ボンッ!
空洞全体を叩くような、すごい音がした。
赤黒い火球は、避ける間もなく俺の真正面で爆ぜた。視界が炎でいっぱいになる。熱が顔に押し寄せ、肌の表面をなぞるように走り、シスター服の金色のクロスチャームが一瞬だけぎらりと光る。爆風でツインテールが後ろへ跳ね、スカートの裾と腰のチェーンが派手に揺れた。
「リエラさん!」
ミーナの悲鳴が、炎の向こうから聞こえた。
だが――俺はもう知っていた。俺は煙だけ手で払うとミーナを制止する。
火の中を歩いた時点で、ある程度は分かっていた。
ファイアーボールが消えたあと、視界の端に表示されたダメージの数字は、たったの3だった。
「……うん」
俺は腕を下ろす。
少しだけ熱かった。確かに熱かった。皮膚を炙られるような感覚はあったし、肺に入る空気が一瞬焦げくさかったように感じた。でも、それだけだ。痛いというより、熱い。恐怖というより、新鮮。
つまり、シンプルにVITを超えた分の熱ダメージが3入った、というだけの話なのだろう。
ミーナのファイアーウォールの方が断続ダメージだった分数倍熱い。
いや、味方の魔法の方が熱いってどういうことだよ。火力担当として頼もしいけど、比較対象がおかしい。
「だ、大丈夫ですか!?」
ミーナが慌てて近づこうとする。
俺は振り返らず、
「平気よ」
声は思ったより落ち着いていた。
ただ、胸の奥では少しだけ心臓が高鳴っている。
明確な敵意を持って放たれた魔法攻撃を食らったのは、これが初めてだった。棍棒や爪は何度も受けた。毒針も受けた。でも、魔法は違う。放たれる直前の空気の変化、肌に触れる熱、視界を埋める炎。それら全部が、攻撃としての意志を持って迫ってくる。
怖くない、と言えば嘘になる。
でも、怖さより先に――面白かった。
「……さて」
俺は一歩、前へ出る。
ホブゴブリン二体はもういない。残っているのは、奥に立つゴブリンシャーマンだけだ。麻痺が解け、焦ったように杖を構え直している。ぎょろついた目が俺を捉え、その奥に明確な狼狽が浮かんでいた。
さっきまで前衛に守られていた後衛が、急にひとりになった顔だ。
分かる。分かるぞ。
俺も営業時代、同行してくれる上司が突然「じゃ、あとは頼むわ」と言って商談を置いて帰った時、たぶんそんな顔をしていた。いや、思い出すな。今はボス戦だ。
シャーマンが再び詠唱を始める。
骨と羽根で飾られた杖の先に、火の粉が集まり始めた。さっきより焦っているのが分かる。詠唱のリズムが少し乱れている。火球の形も不安定で、黒い煙のようなものが周囲に滲んでいた。
「またそれ?」
思わず口元が緩む。
ゴブリンシャーマンが杖を振る。
ファイアーボール。赤黒い火球が飛びまっすぐな軌道で俺に直撃する。
ボンッ! 再び空気を振動させる。
今度も派手な音がした。火の粉が散り、熱気が頬を叩く。足元の砂埃が舞い上がり、焦げた匂いが鼻を突いた。
ダメージ表示は、やっぱり軽い。気にするまでもない。俺は炎の残滓の中から、何事もなかったように歩き出す。そのとき、自然と表情が笑顔になっているのに気づいた。
たぶん、相当悪い顔をしている。
自覚はある。
《食べてあげる》
ふと、尻尾の先から声がした気がした。
実際に聞こえたわけじゃない。システムボイスでもない。俺の感覚が勝手にそう言葉にしただけだ。けれど、背中側で尻尾がぴくりと跳ね、先端のハートが小さく揺れるのを見ると、あながち幻聴とも言い切れない気がしてくる。
「……あなた、最近主張が強いわね」
尻尾に向かって小さく呟く。
もちろん返事はない。
代わりに、後ろから相棒の声が飛んだ。
「ファイアーアロー!!」
ミーナの杖先から、細い炎の矢が走る。
赤い線が俺の横を抜け、シャーマンの肩に突き刺さった。
着弾。爆ぜるほどではないが、確実に削る一撃。シャーマンの身体がのけぞり、ゴゥ、ともジュウとも言える音と共にシャーマンが絶叫する。
詠唱が途切れる。焦げた布の匂いがふっと広がった。
「ナイス!」
俺は叫びながら、麻痺ダーツを指の間に挟む。
ホブゴブリン相手に使ったときより、少しだけ手が馴染んでいた。投げ方も迷わない。半身になり、胸元を左手で軽く支え、右腕を振る。
ヒュッ。針が飛ぶ。
シャーマンの杖を持つ腕に刺さる。
ダメージは1。
当然だ。でも本命はそこじゃない。
黄色のエフェクトがシャーマンの腕から肩へ広がる。最初に刺したときほど深くは痺れない。耐性がついたのか、ボス補正なのか、完全停止とはいかなかった。
それでも、十分だった。杖を振り上げる動きが遅れる。
詠唱の始まりが詰まる。ほんの一秒、二秒。
それだけで、ミーナの次の魔法には足りた。
「もう一発いきます! ファイアーボール!」
「じゃんじゃん撃って!」
俺が前に出る。
シャーマンがじり、と後ずさる。が、そこに狙いすましたい火球が飛んでくる。
「グギャアアァ!!」
火を払うように手をジタバタさせる。その拍子にふらつき、その足元はホブゴブリンほど力強くない。体格も小さい。耐久力も高くない。もしホブ二体が残っている状態で、こいつに遠距離から延々と魔法を撃たれていたら、もっと面倒だったはずだ。吹き飛ばされながら、後ろから魔法を食らう。ミーナの射線も塞がれる。想像しただけで厄介だ。
でも、もう遅い。シャーマンを守る前衛はいない。
壁もない。あるのは、俺とミーナの間の射線だけ。
「ファイアーアロー!」
二本目の炎の矢、3発目の魔法が飛ぶ。今度は胸元に命中した。
シャーマンの小さな身体が弾けるようにのけぞり、HPバーがごっそり削れる。赤い領域に入る。黒焦げになった布が崩れ、杖を落とす。
尻尾が、反応した。ぴくん。
俺の背中側から腰にかけて、あのむず痒い感覚が走る。
「……よし」
もう分かる。吸える。
俺はゆっくりと近づく。
シャーマンは何かを唱えようとしているが、麻痺の影響で舌が回っていないのか、詠唱が形にならない。状態異常魔法かな? まぁなんでもいいか。俺が微笑むとシャーマンの目だけが見開かれている。焦り。恐怖。怒り。それらが混じった顔。
俺はその前に立った。
シスター服の裾が揺れる。金のチェーンが小さく鳴る。黒いヘッドドレスのミニクロスが、松明の光を受けてきらりと光った。
「いただきます♪」
なぜか、自然と明るい声になった。
尻尾が伸びる。先端のハートが四つに裂ける。
がぶり、とシャーマンの口に噛みついた。
どくん。ごく。ごきゅ。
シャーマンの魔力混じりの体液は、ホブゴブリンとはまた違った味がした。
焼肉ではない。
焦げた香草みたいな、苦味のある薬湯みたいな、不思議な味だ。正直おいしくはない。だが、トビートミーほどゲロ不味いわけでもない。ほんの少しだけ、火に炙られたスパイスのような香りがあった。
「……うーん、これは好みが分かれるわね」
何のレビューだよ。
シャーマンの身体が急速に乾いていく。
小さな腕が細くなり、杖が床に落ちる。からん、と乾いた音が空洞に響いた。最後に目だけがぎょろりと動き、次の瞬間、身体全体がポリゴン粒子となって崩れる。
そして――
ファンファーレが鳴った。
洞窟の重たい空気を突き抜けるような、明るく華やかな音。
《レベルアップしました》
《パーティメンバー:ミーナのレベルが上がりました》
「お」
視界に取得ログが流れる。
《ゴブリンの洞窟クリアを確認》
《ゴブリンスキル獲得の条件を満たしました》
《棍棒術初級を獲得》
《体術初級を獲得》
「……」
一瞬、理解が遅れた。
棍棒術? 体術? これは……近接スキル。
まともな、近接スキル。
「……わ」
喉の奥から、声が漏れる。
「わーお!」
次の瞬間、感情が弾けた。
「わーお!!」
俺は思い切り跳ねた。心なしか身体が軽い。シスター服のチェーンがしゃらしゃら鳴る。ツインテールが跳ね、胸元が盛大に揺れる。いや、揺れすぎだ。ちょっと待て。喜びのジャンプ一つで視界が暴れるの、どうかと思う。ぶるんばるんばるん、ぶるん。
でも、止まらなかった。
「まともな近接スキルだ! まともな近接スキルだよ、ミーナ!」
叫ぶ。
洞窟に反響する。
ミーナが少し離れたところで、呆気に取られたようにこちらを見ていた。
「リエラさん、そんなに嬉しいんですか?」
ミーナはやや下を見て目は合わないけど、気にしない。
「嬉しいわよ!」
即答する。
「だってスキル補助よ!? 投擲のありがたみで、身に染みて分かったの! 体の動かし方が変わるのよ!」
投擲スキルを得てから、俺の戦い方は確実に変わった。投げ方が分かる。姿勢が分かる。力の逃がし方が分かる。
今まで感覚でどうにかしていたことに、システムが補助線を引いてくれる。そのありがたさを、俺は骨身に染みて理解していた。
だから、たとえ無骨な棍棒術でもいい。
体術初級でもいい。
俺が最初のチュートリアルで失敗し続けた“身体を使う戦い”に、ようやく足場ができたのだ。
「棍棒かぁ……」
少しだけ考える。
正直、武器としての趣味はそこまでではない。見た目もスマートじゃないし、シスター服との相性を考えると、絵面はなかなか愉快なことになる。悪魔シスターが棍棒を持つ。完全に治安が悪い。
でも、スキルがあるなら試す価値はある。
体術も同じだ。
この柔らかスライムボディで体術。
何が起こるのか、少し怖い。でも、実に面白そうである。
「よかったですね」
ミーナが微笑む。
その笑顔は、さっきの戦闘直後の緊張から解放された、柔らかいものだった。
俺は少しだけ胸を張る。
「ええ。これでこのリエラ様も、また一歩完璧に近づいたわ」
「完璧……?」
「何か言いたそうね」
「いえ、なんでもないです」
絶対何か言いたい顔だった。
だが、今は許してやろう。
ボス部屋には、もう敵はいない。
ホブゴブリンとシャーマンがいた場所には、ドロップ品がいくつか残っている。棍棒、布切れ、魔石、シャーマンの杖らしきもの。松明の火はまだ揺れているが、戦闘前の圧迫感は消えていた。
俺は深く息を吸う。
焦げた匂い。湿った岩の匂い。魔法の残り香。全部が混ざった空気が肺に入る。
リエラレベル17。
ミーナレベル20。
ゴブリンの洞窟クリア。近接スキル獲得。レベル差ができちゃったことなんて些細なもんだ。
近接スキル、これは、間違いなく大きな節目だ。
「……よし」
俺は拳を握った。次に何を試そうか。
棍棒か。体術か。この瞬間が堪らなく楽しい。
魔ダーツと合わせた新しい動きか。
考えるだけで、自然と笑みがこぼれる。
長い長いチュートリアルを終えてゲームがついに始まる。
本日更新分4話完了しました。明日も更新しますのでリエラの冒険にまたお付き合いください。




