ふたりパーティ。投擲と火魔法
ダンジョンに入ってすぐ、俺たちはゴブリンと接敵した。
昨日も通ったはずの洞窟なのに、ミーナと並んで入ると、まるで別の場所みたいに感じる。入口から流れ込む外の光はすぐに背後へ細くなり、前方にはひんやりと湿った闇が続いていた。岩肌には水が染み出していて、青白い苔がところどころに光を帯びている。足元の小石を踏むたびに、じゃり、と乾いた音がして、その反響が狭い通路の奥へ吸い込まれていく。
鼻の奥には、湿った土と古い岩の匂い。それに混じって、かすかにゴブリン特有の雑巾めいた臭気がある。ああ、いるな、と分かる匂いだ。あまり分かりたくないが、スライムとゴブリンを大量に摂取してきた俺の鼻は、もうそういう方向に無駄な経験値を積んでしまっている。嫌な成長である。
「……前方、いるわね」
俺が小さく言うと、ミーナが杖を握り直した。
昨日と違って、彼女の動きには無駄な力が少ない。もちろん緊張はしているのだろう。赤い杖を持つ指先はわずかに白くなっているし、肩も少し上がっている。でも、昨日のように追い詰められた怯えではない。これから一緒に戦うための緊張だ。
その違いが、なんだか嬉しかった。
曲がり角の向こうから、ゴブリンが一匹、ひょいと顔を出した。
普通の棍棒持ちではない。背丈は同じくらいだが、身体つきがやや細く、腰には短剣、手には小さな角笛のようなものを持っている。周囲を探るように鼻をひくつかせ、こちらに気づいた瞬間、ぎょろりとした目が大きく開いた。
「斥候ね」
言いながら、俺は即座にインベントリから魔ダーツを取り出した。
昨日、トビートミーから得たやつだ。黒い軸に、わずかに紫がかった金属の針先。握った瞬間、指先にひんやりとした冷たさが伝わる。ポイズンニードルとは違う。これは“投げる”ための武器だ。手の中で転がすと、重さの中心がすっと分かる。
「……おお」
身体が勝手に動いた、投擲スキルの補助だろう。
昨日の段階でいくつかスキル振りをしておいた【投擲スキル】はパッシブの制御姿勢(命中にボーナス)と連射。でも、戦闘スキルありと無しの差が露骨だった。
俺は半身になるように体を横へ構え、片足を少し後ろに引いた。肩が自然と開き、肘の角度が決まる。そして、無意識に左手が自然と胸元を支えた。
「……え、なにこの姿勢」
思わず自分でツッコむ。
なんか、すごくそれっぽい。
ダーツバーにいそうなプロみたいな構えだ。いや、プロが胸を支えながら投げるかどうかは知らない。知らないが、今の俺には必要な動作らしい。重心が安定する。胸の揺れで狙いがぶれない。なるほど合理的。合理的なんだけど、絵面がだいぶ独特だ。
横でミーナが小さく息を呑んだ。
「わ、すごい……!」
その声に、ちょっと得意になる。
「ふふん、見てなさい」
言いながら、俺は手首を軽く振った。
ヒュッ。
空気を切る音がした。
麻痺ダーツが、黄色い軌跡を引いて飛ぶ。昨日までの俺なら、こんなに綺麗に投げられるわけがなかった。投げた瞬間に手首が泳いだり、身体が前に持っていかれたり、下手をしたら足元がもつれて転んでいただろう。
だが今は違う。
ダーツはまっすぐ飛び、斥候ゴブリンの肩口に刺さった。
「ビャッ!?」
変な声を上げるゴブリン。
それに続けて、俺の手はもう二本目を投げていた。
ヒュッ。
いわゆる連射スキル。
投擲スキルツリーで確認しておいたばかりの、初歩スキルだ。短い間隔で二発目を投げられる。攻撃力は期待できない。だが、状態異常を乗せるなら話は別だ。
二本目が、今度は太ももに刺さる。
「ピゲッ!」
また変な声。ダメージ表示は、どちらも1。
うん、知ってた。
まったく驚かない。むしろ安心感すらある。俺の攻撃力のなさは、もはや信頼できる領域に入ってきた。どれだけスキルが付こうが、基礎火力は低い。潔いくらい低い。
だが、本命はそこじゃない。
針の先端から、黄色、そして薄紫色のエフェクトがじわりと広がった。
状態異常強化。
トビートミーから得たパッシブが、静かに乗る。
斥候ゴブリンの身体が、ぴたりと止まった。
角笛を口元へ持っていこうとしていた手が、その姿勢のまま固まる。膝が曲がりかけ、背中が丸まりかけ、その中途半端な体勢で石像みたいに停止した。目だけがぎょろぎょろ動いている。動きたいのに動けない、という焦りがその表情にはっきり出ていた。
「……入った」
思わず口角が上がる。
麻痺、成功。毒、成功。
しかも、かなり強く入っている。
「ミーナ!」
呼ぶまでもなかった。
俺の横で、すでに彼女は杖を構えていた。赤い宝石が灯る。空気の温度が一瞬だけ上がる。湿った洞窟の冷気の中で、炎魔法特有の熱が頬を撫でた。
「ファイアーボール!」
詠唱と同時に、杖先から赤い光球が生まれた。
それは拳ほどの大きさだったが、見た目以上に密度がある。空気を焼きながら一直線に飛び、麻痺したゴブリンの胴体へ命中した。
ぼふっ、という鈍い爆ぜ音。
直後、炎が広がる。
ゴブリンの身体が赤く染まり、次の瞬間には灰のようなポリゴン粒子になって崩れた。
「あっさり……」
ミーナがぽかんとした声を漏らした。
俺も同じ気持ちだった。
昨日まで、俺がゴブリン一体を倒すには、毒を入れて、ぽよんぽよん殴られながら待って、弱ったところを吸収して――という、だいぶ遠回りな工程が必要だった。それが今はどうだ。
麻痺、おまけの毒。
魔法による遠距離攻撃。終了。
「……え、楽」
思わず素が出た。
これは、楽だ。めちゃくちゃ楽だ。
戦闘というより、作業工程が一気に短縮された感じがある。今まで手動でやっていた面倒な処理を、自動化ツールに任せたときの快感に近い。いや例えが営業マンすぎるな。
ミーナは消えたゴブリンの跡を見つめたまま、ゆっくりと言った。
「あの、とても……接待を受けている感覚なのですが」
「それは、私もよ……」
即答した。
「ミーナの火力の強さに驚いちゃった……」
これは本音だった。
ミーナの火力は、分かっていたつもりだった。ステータスも見たし、昨日も火魔法を使っていた。ただ、昨日は状況が悪すぎて、彼女の本来の力を見る余裕がなかった。
改めて、こちらが前で止めて、相手が動けない状態で、ミーナが撃つ。
その形になった瞬間、火力の意味が変わった。
「……これ、もしかしなくても」
俺はミーナを見る。ミーナも、少し遅れてこちらを見る。
お互いの視線が合った瞬間、どちらからともなく笑みがこぼれた。
「とんでもない出会いだったかもしれないわね」
「……はい!」
ミーナの返事が明るい。
その声が洞窟に反響して、さっきまでの湿った空気まで少し軽くなったように感じた。
◇
その後も、同じような流れを何度か繰り返した。
最初は一体。次は二体。さらに三体。
ゴブリンたちは洞窟の各所に配置されていて、斥候、棍棒持ち、短剣持ちと多少の違いはあるものの、基本的に俺たちの相手ではなかった。
俺が前に出で、ダーツを握る。スキルの補助に従って身体を預けると、半身になる。胸を支える。
ヒュッ、ヒュッ。麻痺、毒。ミーナが撃つ。
燃える、ギェええとか言いながらゴブリンが灰になる。
「……なんだこれ」
数回目には、俺は本気でそう呟いていた。
強くね? いや、ずるくね?
俺たち二人の噛み合わせが妙に良すぎる。
俺は防御に関してはおかしいくらい強い。多少囲まれても崩れない。状態異常を投げられるようになったことで、敵の動きを止める手段も手に入れた。
ミーナは火力がある。特に、止まっている相手への単体火力が安定している。ファイアーボールなら一体、ファイアーアローならやや速射、フレイムバーンなら範囲。状況に応じて撃ち分けられる。
二人とも単体では穴がある。俺は火力がない。ミーナは殴られると脆い。
だが、組むと穴が埋まる。
「リエラさん、前に出る位置すごくやりやすいです」
何体目かわからないゴブリンを焼いたあと、ミーナがそんなことを言った。
「そう?」
「はい。フレンドファイアを気にしなくていいのが、かなり楽です」
フレンドファイア、このゲームのリアリティラインの妙だ。
「……気にしなくていい?」
俺は少しだけ眉を上げた。
「普通、前衛がいると、前衛に当てないように魔法を撃たないといけないんです。炎魔法って範囲も広いし、当たると普通に危ないので」
「ああ、なるほど」
そりゃそうだ。
前衛を焼いたら大問題である。エタファンも味方へのダメージ軽減が採用されているがされているが、それが原因で崩壊、あるいは範囲魔法を贅沢に使えないことも多い。それに炎に巻かれる視界や熱による硬直は厄介だろう。
「でもリエラさんは……」
ミーナが言いかけて、少しだけ困った顔をする。
「なんというか、麻痺で足止めしてくれるのもあります……けど、接近した時も敵の攻撃を受けた所で、位置があまりずれないので、気を遣いながら撃つ必要が少ないです!」
「褒めてる?」
「褒めてます!」
即答された。……ならいいか。
たぶん“置物みたいに安定してる”という意味だ。前衛としては悪くない評価かもしれない。美少女としてはどうか分からないが。
「あと、敵がリエラさんに集まってくれるので、射線が読みやすいです」
「つまり私は、いい感じの的ってことね」
「……」
ミーナが無言で微笑んでいる。俺はそれを肯定と受け取る。
でも実際そうだろう。俺は敵のヘイトを集める。殴られる。耐える。その間にミーナが撃つ。
シンプルだ。シンプルで、強い。
「……じゃあ」
俺はふと、思いついた。今までの相手は、2体、3体程度。
これなら基本戦術で問題ない。
でも、もっと敵が増えたら?乱戦になったら?
ゴブリンたちが一斉に押し寄せてきて、ミーナが射線を選べなくなるくらいの状況では、どうなる?
普通なら危険だ。
だが、リエラなら、受けられる。
ミーナなら、焼ける。
そして俺には、状態異常強化と投擲がある。
「……んふふ」
気づいたら、笑っていた。
自分でも分かるくらい、悪い顔だったと思う。
ミーナが一歩引いた。
「リエラさん?」
「ねえ、ミーナ」
俺はゆっくりと振り返る。
「ファイアーウォールって、敵がまとめて突っ込んだらどうなるの?」
「え? えっと、継続的に燃えます。通過するだけでもダメージは入りますし、炎上状態になる可能性もありますけど……」
「範囲は?」
「通路を塞ぐくらいなら、できます」
「詠唱時間は?」
「少し長いです。でも、準備できれば……」
そこまで聞いて、俺は確信した。
いける。
絶対に面白い。
「じゃあ、試しましょう」
「な、何をですか?」
「乱戦」
ミーナの顔が分かりやすく引きつった。
「ら、乱戦……?」
「私が集める。ミーナが焼く」
「ものすごく簡単に言ってますけど!?」
「大丈夫よ」
俺は胸を張った。
シスター風装備の金のクロスチャームが、かすかに鳴る。尻尾の先端が、楽しげに揺れる。
「このリエラ様が、全部受け止めてあげるんだから」
決め台詞っぽく言った。
内心はかなりワクワクしていた。
昨日までの俺なら、ただ耐えるだけだった。だが今は違う。ミーナがいる。火力がある。俺が敵を集める意味がある。
つまり、初めて“パーティ戦術”らしいことができるかもしれないのだ。
ミーナはしばらく俺を見ていた。心配そうで、でも少しだけ期待もしている顔。そして、小さく息を吐いた。
「……分かりました。でも、危なかったらすぐ下がってくださいね」
「ええ」
俺は軽く頷く。もちろん、危なかったら下がる。
……たぶん? おそらく? まあ、可能なら?
「……なんか今ちょっと信用できない顔してますよ……?」
「気のせいよ」
ミーナの視線が痛い。
俺はそれをごまかすように、魔ダーツを指の間でくるりと回した。
通路の奥からは、またゴブリンの気配がする。
複数。
足音も、声も、増えている。
「さあ」
俺は一歩、前に出る。
洞窟の冷たい空気の中で、胸の奥が熱くなる。
「次は、まとめていくわよ」




