臨時じゃないパーティ
バーの扉をくぐった瞬間、空気が変わった。
さっきまでの通りのざわめきが、扉一枚を隔てただけで、柔らかく遠のく。代わりに耳に入ってきたのは、低く抑えられた話し声と、グラスが触れ合う小さな音、そしてどこか懐かしい木の匂いだった。磨き込まれたカウンターの艶、壁にかかった古いランタンの橙色の光、それが揺れるたびに影がゆっくりと形を変えていく。
「何ここ……いい、とってもいいわね、ミーナ!」
思わず漏れた言葉に、ミーナが少しだけ誇らしげに笑った。
「でしょ?」
床は木張りで、歩くたびにコツ、と軽い音が鳴る。その音すら、なんだか落ち着く。洞窟の湿った土の音や、ギルドのざわついた喧騒とは全然違う。ここは、ちゃんと“休む場所”だ。
店内はほんのり甘い酒の香りと、柑橘系の爽やかな匂い。
それに焼いたナッツみたいな香ばしさが混じっている。
視覚も聴覚も嗅覚も、「ああ、ここは安全だ」と訴えてくる。
……さっきまでゴブリンの体液吸ってた世界と同じゲームとは思えないな。
俺は内心で遠い目をしながら、カウンター席に腰を下ろした。身長が足りなくて、足がぶらーんとなるけれども、椅子のクッションが思った以上に柔らかい。
座った瞬間、じんわりと体重を受け止めてくれる感覚が広がる。ああ、これだ。この“支えられてる感じ”。戦闘中はずっと自分の足で立っていたから、こういう感覚が妙にありがたい。
そのとき、ミーナが軽く手を振った。
「すみません、プライベートエリア設定でお願いします」
店員NPCが無言で頷く。
次の瞬間、空気がふっと切り替わった。
周囲の客の気配が、薄くなる。
完全に消えたわけじゃない。見えるし、音もある。でも、それがまるで“別の層”に移動したみたいに遠く感じる。さっきまで同じ空間にいたはずの人たちが、ガラス越しの映像みたいに、こちらと干渉しない存在になる。
「なにこれ?」
思わず呟く。
ミーナは慣れた様子で肩をすくめた。
「プライベートエリア設定です。こうすると、私たちとNPCだけの空間になるんです」
「へえ……そんな機能が……」
感心する。
つまり、ここでは会話も視線も、基本的に外に漏れないということか。さっきのギルドの空気を思い出すと、この機能のありがたみがよく分かる。
「リエラさん……色々あったし、もしかしなくても結構な騒ぎになるかもなので」
ミーナがちらりと俺を見る。
その視線に、ほんの少しだけ苦笑が混じっていた。
「それに、ゆっくりお話ししたくて」
「ふふ……気が利くじゃない」
素直にそう返すと、ミーナは少しだけ照れたように視線を逸らした。
その仕草を見ながら、俺は改めて周囲を見渡す。
カウンターの奥では、店員NPCが静かにグラスを磨いている。動きは滑らかで、無駄がない。だが、その表情にはどこか“作られた安定感”がある。プレイヤーじゃない、というのがなんとなく分かる。
でも、それでいい。
今は、静かな場所が欲しかった。
「どうするの?」
俺の言葉に、ミーナがメニューを軽く指でなぞる。
その仕草がやけに自然で、“行きつけ”という言葉に嘘がないことが分かる。
注文の仕方も迷いがない。軽く視線を走らせて、すぐに決めていく。
「いつもオレンジジュースと、軽めのプレートでお願いします」
さらっと言って、店員に視線を送る。
……なんか、かっこいいな。
いや別に、ただ注文してるだけなんだけど。でも、いつものってバーで使ってみたい言葉No1じゃないか。その“慣れてる感じ”が妙に様になっている。俺はまだこの世界でそういう動きができない。いちいち「これでいいのか?」って考えてしまう。
「リエラさんは?」
「え、ああ……」
メニューを見る。正直、どれも美味しそうに見える。というか、さっきの匂いで完全にやられている。脳が「食え」と命令してくる。
……だってモンスターくっそまずいもん。
いやほんとに。
あの味、思い出すだけでちょっとテンション下がる。ログアウトしたあと普通に食欲なくなるやつだぞあれ。なんであんなリアルなんだよ。
「……いくつか頼むわ」
「それなら、これと、これ、あと野菜プレートなんかもおすすめですよ」
俺はミーナの話をふむふむと聞きながら無難そうな料理をいくつか選んだ。
あと、ミーナが頼んだのと同じオレンジジュース。
「オレンジジュースはいつも飲むの?」
「はい、すごく美味しいですよ」
にこっと笑う。
その表情を見て、少しだけ安心する。
さっきまで命の危機にあったとは思えないくらい、落ち着いている。
注文が通ると、少しの間、静かな時間が流れた。
ランタンの光が揺れる。
グラスが触れる音が、遠くでかすかに響く。
その中で、ミーナがゆっくりと息を吐いた。
そして――
「リエラさん」
声のトーンが変わった。
さっきまでの軽い調子とは違う。少しだけ、真剣な響き。
「ステータス、見てもらってもいいですか?」
「え、ミーナの……別にいいわよ」
俺が頷くと、ミーナはすぐに視線を前に向けた。
「ステータスオープン」
その言葉と同時に、俺の視界にウィンドウが開く。
ミーナ Lv15
HP 121
MP 134
STR 15
VIT 17
INT 36
AGI 16
DEX 11
スキル
炎魔法初級
ファイアーボール
ファイアーアロー
ファイアーウォール
フレイムバーン(範囲)
「……へぇ……」
思わず声が漏れる。綺麗だ。魔導士に必要なステータスのバランスが綺麗に整っている。
INTが高く、MPも十分。VITは低めだが、その分AGIやSTRも最低限はある。完全な後衛型だが、紙装甲すぎるわけでもない。スキルも炎魔法に特化していて、役割がはっきりしている。
……それに比べて俺の、VITは244。
「これを見せて、どうかしたの?」
率直に聞くとミーナは一瞬だけ視線を落とした。そして、ゆっくりと顔を上げる。
その目は、まっすぐだった。
「単刀直入に言います」
何かを決意したように、言葉を区切る。
空気が、少しだけ張り詰める。
俺は無意識に背筋を伸ばしていた。
「私と、パーティを組んでください」
その一言は、静かなバーの空間の中で、やけにくっきりと響いた。
俺は、少しだけ目を瞬かせる。
……来るとは思っていた。
いや、正確には「そういう流れもあるかもな」とは思っていた。
でも、実際に言われると、やっぱり少しだけ驚く。
視線の先で、ミーナはじっとこちらを見ている。
逃げない目だ。
覚悟を決めた人間の目だ。
「……理由を聞いてもいいかしら?」
そう返すと、ミーナは小さく頷いた。そして、ゆっくりと息を吸う。
その仕草ひとつひとつに、少しだけ緊張が混じっているのが分かる。
「私、ソロでやってきたんですけど……」
言葉を選びながら、続ける。
「限界を感じていました」
指先が、わずかに震える。それを隠すように、杖を軽く握り直す。
「火力は出せます。でも、ソロだと詠唱が邪魔されたり、MPの回復も遅いですし……ああいう状況になると、もう何もできなくなるんです」
その声には、悔しさが滲んでいた。
「だから、パーティを組みたいとは思ってたんです。でも……」
一度、言葉を切る。ほんの一瞬だけ、視線が揺れた。
「知らない人と組んで、また見捨てられるのが怖くて……」
その一言で、全部繋がった。
あの二人組は臨時パーティだからいいと、彼女を置き去りにして逃げた。
置いて行った。ミーナからしてみたら置いて行かれた。戦争系とか別のゲームならあるいは正しい判断だったのかもしれない。でもやられた方はトラウマものだ。元々火力係の後衛として同行していただろうに前衛が2枚急にいなくなったら、陣形も何もあったものじゃない。
「……」
俺は何も言わずに、ミーナを見る。
ミーナも、こちらを見ている。その目にあるのは、さっきの戦闘とは違う種類の緊張だ。
「デスペナとか装備ロストとかそう言うのはいいんです、ただ、信頼できる相手と組みたくて」
静かに言う。
「だから……一緒にやりたいです」
バーの中は、相変わらず静かだった。
空気を読んでなのかNPCの店員はゆっくりとした動作で、オレンジジュースを作っている。
俺はほんの少しだけ考える。
……正直、俺は普通のプレイヤーじゃない。
ビルドもおかしいし、戦い方もおかしいし、何よりこの身体自体がよく分からない状態だ。
パーティを組むなら、もっと安定したやつの方がいいに決まってる。
そう思う一方で。ミーナのステータスが頭に残る。
綺麗に整った後衛。
そして、俺の――前に出て殴られても平気な、意味不明な耐久。
「相性は、悪くなさそうね」
ミーナの目が、わずかに開かれた。
俺は少しだけ口元を上げる。
「ただしーー」
わざと間を置く。ロールプレイの間、すぐに返事をしては何だか彼女の決意や覚悟がもったいなくて、俺はあえてツンデレお嬢様の“間”を作る。
「このリエラ様と組むんだから、それなりの覚悟はしてもらうわよ?」
そう言うと、ミーナは一瞬ぽかんとしてから花が咲いたような笑顔でふっと笑った。
「はい」
その返事は、思っていたよりもずっと強かった。
書き溜めていたものを更新します、少し長いですがよろしくお願いします




