VSトビートミー
トビートミーの、毒にしたゴブリンを、ひとり、またひとりと吸収しながら前へ出るたび、空気が変わっていくのが分かった。
さっきまでこのダンジョンを支配していたのは、明らかにトビートミーの側だった。
あいつは奥でふんぞり返るでもなく、むしろ一歩引いた位置から、獲物を観察するみたいに状況を眺めていた。周囲のゴブリンに指示を出し、ダーツで削り、女の子の悲鳴や焦りを“管理”しているような、あの嫌な余裕。
それが、少しずつ崩れていく。
俺が背後から群がるゴブリンたちの棍棒を、いつものぽよんぽよよんで受け流しながら、その中の何匹かを尻尾で吸い上げていくたびに、トビートミーの顔から“面白がっている余裕”が薄れていった。
「……なんだその顔」
ぽつりと呟く。
奥のトビートミーは、細い目を以前より大きく開いていた。口元も歪んでいる。いやらしい笑いじゃない。戸惑いと、不快感と、理解の及ばないものを見る警戒が混ざった顔だ。
――何だこいつ。
そう言いたげな顔だった。
あるいは、もっと単純に、苦痛に顔を歪めず、悲鳴も上げず、ぽよんぽよんと取り巻きに殴られながら前へ来る俺が、気に入らないのかもしれない。
だってあいつは、痛がる相手を見て楽しむタイプだ。
痛がらない俺なんて、たぶん一番つまらない相手だろう。
「残念だったわね」
口元を持ち上げて、わざとそれっぽく言う。
ツンデレお嬢様モード、継続中である。
……いや本当、我ながら何やってるんだろうなとは思う。でも、もうここまで来たら引き返せない。キャラは守るものじゃない、押し通すものだ。
背中に、棍棒。ぽよん。
横腹に、爪。ぽすっ。
空間にスライムボディのかわいいSE。
「い、いまちょっとカッコつけてるから静かにしてなさい!」
反射的に後ろのゴブリンへツッコんでしまって、自分でちょっと笑いそうになる。いや、忙しいなこの状況。
前にはネームド、後ろには状態異常で追い詰められた女の子、後ろにはぽよぽよ殴ってくるゴブリンの群れ。情報量が渋滞している。
だが、そのとき。
ひゅっ、と、空気を裂く鋭い音がした。
「――っ」
反射的に視線を上げる。
飛んできたのは、ダーツだった。
一本じゃない。二本、三本、色の違う細い針が、ほとんど間を置かずに飛来する。赤、緑、黄緑。暗い洞窟の中でもはっきり分かるくらい、先端に塗られた何かが異様な色をしていた。
「ッッ、そのダーツ!」
壁際から、女の子の声が飛ぶ。
さっき悲鳴を上げていた赤髪のロングヘアの少女だ。間近で見ると、髪は明るい赤というより深い朱色で、汗に濡れた毛先が頬や首筋に張りついている。瞳は大きくて、いかにも魔法職っぽい華奢な体つきだが、今はその全部が緊張と疲労で強張っていた。
「ダメージは低いけど、状態異常になるんです……! 麻痺とか、毒とか……!」
言葉の途中で息が詰まるように途切れる。顔色が悪い。青ざめている。肩で息をしているし、額には汗が浮いている。たぶん、どれかもう食らっているんだろう。
「……なるほど」
俺は小さく息を呑んだ。
麻痺。毒。
それは、まずい。
ダメージがゼロでも、状態異常が入るなら話は別だ。いや、別……なのか? この魅惑の、もといスライム由来のやわらかボディが、どこまで状態異常まで弾けるかは分からない。物理は平気。だが神経系とか、毒とか、そういう“内部へ作用するタイプ”はさすがに通るかもしれない。
「……気をつけないと」
でもどうやって? そう思った、その瞬間だった。
ひゅっ、ひゅっ、ひゅっ。
ダーツが俺に届く。肩。
胸元の少し上。脇腹。
「くっ……!」
「ああ!」
俺に届いたダーツを見て女の子が顔を伏せる。
そして――ぽよん。ぽよよん。ぷいーんっ。
「……あれ?」
思わず間の抜けた声が出た。
弾いた、いとも簡単に。
いつもの棍棒や爪みたいに、なんの問題もなく、俺の身体の表面で勢いを失い、情けない音を立てて落ちた。
「……え」
女の子も、壁際で目を丸くしていた。
トビートミーの顔が、明らかに変わる。
焦りだ。
今度こそはっきり分かる。さっきまでの「なんだこいつ」から、一段階進んだ顔。自分の手札が通らなかったときの、あの焦り。
「ふ、ふふん!」
ここで逃す手はない。
俺はわざと顎を上げて、胸を張った。いや、この体型で胸を張ると威圧感がだいぶすごいな。ちょっとしたラスボス感すらある。
「そんな小細工、このリエラ様には通じないんだからね!」
言いながら、内心では全力で検証していた。
ダメージが入らないから、状態異常も入らない?
それとも、単純にこのダーツ自体の攻撃力が低すぎて、俺の防御を抜けないだけか?
もし前者なら、トビートミーの切り札はかなり無力化できる。
後者でも、少なくとも今の俺には効きづらい。
どっちにせよ、悪くない。
いや、かなり良い。
「……ふむ」
背中をまたゴブリンに叩かれる。
ぽよん。
その音すら、今は思考を邪魔しない。
トビートミーは、もう一度ダーツを構えた。今度は、黄色い液体が塗られた一本を選んでいる。距離を測る目つきになっている。あれはさっきより本気だ。
だが、それよりも俺が気になったのは――こっちだった。
俺の右手。
そこに握られた、ポイズンニードル。
見た目はハチ系モンスターのお尻を切り取ったような変な武器。通常ダメージは1。たまに毒。
「……これさ」
ぽつりと呟く。
トビートミーのダーツが、ダメージが入って初めて状態異常を与える仕組みだとしたら。
逆に言えば、状態異常そのものが“ダメージを前提に乗っている”ということになる。
なら――
俺のポイズンニードルは、どうだ?
あれは「たまに敵を毒状態にする」武器だ。ダメージは1。だが、1は1だ。恐らく設定上、非力な魔法使いでも使っていけるような、そんなイメージ、つまりは固定ダメージ。
固定ダメージなら毒は乗る。
「……いけるか?」
唇の端が持ち上がる。
面白くなってきた。
「えいっ!」
掛け声としてはあまりにも軽いが、考えるより先に身体が動いていた。
前にいるゴブリンの脇をすり抜ける。
以前の俺なら、ここで胸が邪魔してバランスを崩すか、足がもつれて転んでいた。だが今は違う。AGIが上がった今の俺は、まだまだ洗練されてはいないものの、“不格好なりに動ける”。
ポイズンニードルを逆手気味に持ち替え、目前のゴブリンの肩へぷすりと刺してヘイトを維持しながら、その反動で一歩横へ流れる。
背中側から棍棒。ぽよん。
「邪魔っ!」
脇腹で弾きつつ、さらに前へ。
トビートミーがダーツを放つ。
ひゅっ、と黄色の線。
俺は半ば賭けで、そのまま受けた。
肩口。ぷいーんっ。弾いた。
「やっぱり!」
当たりだ。
ダメージが通らなければ、状態異常もたぶん入らない。
だったら怖くない。
怖くないなら――押せる。
「ちょ、ちょっと! リ、リエラさん、何者ですか!?」
壁際の女の子が、半ば泣きそうな声で叫ぶ。
その視線は、俺と、俺の後ろのゴブリンの群れと、ぽよんぽよん弾かれるダーツとを忙しく行き来していた。そりゃそうだろうな。冷静に見るとだいぶ意味不明だもん、この状況。
だが、ここで答えるなら一つしかない。
俺は振り返らずに、少しだけ声のトーンを上げた。
「ふ、ふふん! だから言ったでしょう!? このリエラ様が来たからには、もう安心してればいいんだから!」
言いながら、最後の一歩を踏み込む。
トビートミーが初めて、はっきりと後ずさった。
さっきまで“狩る側”の顔をしていたくせに、今はその目に、明確な警戒と焦燥がある。
その顔、嫌いじゃない。
……いや性格悪いな俺。
でも、さんざん人をいたぶって楽しんでたやつが、自分の優位を崩されたときの顔なんて、ちょっとくらい見てやりたくもなるだろ。
「さあ――」
俺はポイズンニードルを構えた。
トビートミーも、最後のダーツを握る。
周囲ではゴブリンたちがわめき、女の子が息を呑み、洞窟の天井からは相変わらずぽたり、ぽたりと雫が落ちている。
湿った空気が、頬を撫でる。
尻尾が、期待するようにぴくりと跳ねた。
「今度は、こっちの番なんだからね!」
書き溜めていた分を更新してます。少し長いですがお付き合いいただけると幸いです。




