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「ありがとうございましたー」
「ご馳走さまでした! また来ますね!」
カレンに手を振り、父親と二人で仲良く店を出たのは、最近よく店に来てくれる女子大学生の月原星羅だ。
「ほんと、仲良しねぇ」
「それは隆子さんもでしょ」
星羅が出ていった扉を微笑ましく見つめているのは、橘幸夫の妻である隆子だ。以前店を訪れてから、週に一回は夫婦揃ってやってくるほど仲が良い。隆子は最近、一人でも店に来てくれる。
「幸夫さんとは最近どうですか?」
「そうねぇ、相変わらずだけど、この前は二人で温泉旅行に行ったわ」
「いいじゃないですか! 羨ましいほど仲良しですね!」
「そんな良いものじゃないわよ。やっぱり一緒にいれば喧嘩もするし、あの人も我が儘だし、温泉に入っても結局疲れちゃうわ」
不満を溢しながらも、満更でもない様子で語る隆子を、今度はカレンが微笑ましい目を向ける。
「さて、私もそろそろ帰って夕飯の準備しないと」
隆子が立ち上がろうとした時、入り口の扉がゆっくりと開いた。入ってきたのは、色が白く、細身で、前髪を視線を隠してしまうのではないかというほど伸ばした、やや不健康そうな若い男性だった。年齢は二十代前半くらいで、大学生にも見える。
「いらっしゃいませー!」
カレンの声にペコリと小さく頭を下げた男は、店の一番奥の席に座った。
「なんだかお節介を焼きたくなる見た目の子ね。ちゃんとご飯食べてるのかしら。あ、いけない、早く帰らないと」
「また来てくださいね」
隆子を店の外まで見送り、カレンは水とおしぼりを持ち、男の席まで行って笑いかけた。
「注文が決まったら声をかけてくださいね」
「ああ、はい」
店内をチラッと見渡してから、男は目を合わせず無愛想に答えた。たまにこういう客はいるが、気にしないようにしている。普段からこのような態度なわけではなく、たまたま不機嫌なだけかもしれない。
しばらくして、男は手を挙げてカレンを呼ぶと、無言でメニューのホットコーヒーを指差した。
「ホットコーヒーですね」
カレンの言葉に特に反応せず、男はメニューを閉じた。さすがに不快な気持ちになったカレンだったが、こういう時の対処法は心得ている。
それはいつも以上に神経を使ってコーヒーを淹れることだ。自分ができる最高の一杯を飲んでもらい、認めさせるのだ。
開店時から使っているお気に入りの横式のサイフォンコーヒーメーカーを使ってコーヒーを抽出する。豆を挽くところ丁寧に粗さを調整して、ゆっくりと時間をかけて、最高の一杯をつくる。店内には、心安らぐコーヒーの香りが充満していく。
男に挽きたてで落としたて、おまけに淹れたてのホットコーヒーと、追い討ちに今朝つくったレモン風味のアイシングクッキーをつける。
「お待たせしました」
男はちょこっと頭を下げてコーヒーを啜ると、ふわっと表情が軽くなった。この顔をさせたらカレンの勝ちだ、と心の中でガッツポーズをする。
この男には申し訳ないが手間をかけた分、きちんと対価はもらう。タダほど高いものはないとよく言うものだ。
満足して男から離れ、食器の片付けやらをしていたが、聞こえてきた男の声に耳を疑った。
「もしもし、おれおれ」
最近は聞かなくなったが、おれおれ詐欺が頭をよぎった。しかし、こんな白昼堂々と店内で、しかも人が混み合い、声が紛れる場所ではなく、自分一人しかいないところでするはずがない、とカレンは頭の妄想を消し去ったが、その後の会話も途切れ途切れで自然と耳が拾ってしまった。
「……しちゃって……頼むよ…………そう。母さん…………一人で…………」
初めに変な考えが頭をよぎったせいか、会話が詐欺の会話にしか聞こえなくなっていて、カレンはハラハラしてしまった。
男は電話を切り、ふぅと一息つくとコーヒーを二回に分けて飲み干し、レジにやってきた。千円札を一枚出した男にお釣りを返すとき、カレンは敢えて男の手にしっかりと触れてニコッと笑った。
「またお待ちしております」
すると男はあからさまに嫌そうな顔をして自分の手を急いで引き抜くと、足早に出ていった。
「人間からあんなに吸いとるのはご法度だぞ」
どこからか現れた艶やかな毛並みをした黒猫が、男が使っていた机の上に座り、カレンに睨みを効かせている。
「ちょっと生意気なお客さんだったからね。若いから大丈夫よ」
「知ってるか? 人間界にも美魔女って言葉があるんだぜ。歳いってるのに若さを保ってる人のことらしい。人間って意外と鋭いよな」
「誰がババアよ。あんたも大して歳変わらないじゃない」
この黒猫のノワールとは、まだカレンが魔法界にいた頃からの付き合いだ。カレンもノワールも、訳あって今は人間界で暮らしている。
「そんなことよりさっきの男、詐欺師かもしれない」
毛繕いをしていたノワールが小首を傾げる。
「詐欺?」
「おれおれ詐欺よ。挙動不審だったし、顔を覚えられたくないのかも」
「挙動不審かは知らないが、今時そんな古い手口するやついるかよ」
「一周回ってってこともあるかも」
「まあそうだとしても、お前には関係ないだろ。どこのどいつかもわからないのに」
「一応マーキングはした」
カレンは先ほど男の手を触った時、自分にしかわからない魔力を彼に残した。時間が経てば消えてしまうし、あまり遠すぎても感知できないが。
「自分から面倒事に首突っ込むやつがいるかよ。相変わらず物好きだな。俺は手貸さないからな」
「わかってるわよ」
カレンは店先の札を『close』にしてから、男の行動を監視するための準備に取りかかった。




