プロローグ:ゾンビに告白された
夜の公園で、僕はゾンビに告白された。
結論から言ってしまえば、これだけの事なのだ。
過程なんて重要ではない。
どのような事情や背景があろうとも、僕こと須戸辺留加が血色の悪いゾンビの女の子に愛の告白をされたことに変わりはないのだ。
英語の長文読解と同じようなものである。
段落の最初と最後さえ読んでいれば、筆者の言いたいことはおおよそ理解できるわけで、この物語も大差はないのである。
とはいっても、話を聞いてほしいのが語り手というもので、僕がここに至るまでの話をどうか聞いてほしい。
今の時刻は深夜の一時。
どうしてこんな時間に一人公園に立っていたのか。
その説明をするには少し時間をさかのぼらなければならない。
七時の夕食を食べ終えてから早めの就寝を迎えた僕は、別に夜更かしできない子供というわけではない。
今夜、地球近傍小惑星が地球に急接近するという話を所属している自然科学部の顧問の先生から聞いたのだ。
さほど星に関心があるわけではないけど、数百年に一度の接近だと熱弁されたらそれなりに興味が湧いてくるのも仕方ないだろう。
そんなわけで、五時間の仮眠から目覚めた僕は望遠鏡を担いで近くの公園へと歩き始めたわけだ。
初夏を迎えた六月の夜は少し肌寒くて、パーカーを羽織ってきておいてよかったと、自分の用意周到さを褒めながら公園へとたどり着いた。
街灯の薄明かりを頼りに中央の噴水広場に向かい、僕は地球近傍小惑星の接近を観察しようと望遠鏡を覗き込んだのだ。
しかし、覗いたところで見えるのはまばらに光る星々だけであった。
考えてみればわかることなのだけれど、肉眼で見えるような星は自らが燃えているから光っているわけで、恒星ではない小惑星が通信教育の課題提出で集めたシールで交換した望遠鏡で観察できるはずがなかった。
けれど、僕がその事実に気が付いたのは星空が綺麗だな、と当初の目的も忘れて天体観測を小一時間ほど楽しんだ後であった。
目的は達成できなかったけれど、不思議と徒労感は覚えなかった。
なにせ、僕が思っていたよりも星空は輝いていたのだから。
こんな街中の星空でも満足できる自分の底の浅さに苦笑しながら望遠鏡のレンズから目を離した。
その時だった。
不意にどこからか視線を感じた。
僕は誰かに見られているという感覚には非常に過敏であり、それが奇異であれ羨望であれ、どうにも苦手なのだ。
だからこそ、誰もいないであろう時間を見計らって来てみたわけなのだ。
けれど、背後に突き刺さる視線は確かにこの場に誰かがいることを示しており、まあ、それは結局、女の子のゾンビのものだったわけだけれど、僕はこの場にいることを注意されるのではないかと冷や汗をかきながら振り返ったのだ。
しかし、僕の予想に反し、そこに人影らしきものは見つからなかった。
気のせいだったのかと首を傾げるもどうにも見られている感覚は消えない。
やはり誰かいるのだ。
星空に小惑星を探すように公園の茂みに目を凝らす。
すると暗闇の中に街灯の薄明かりを受けて光る水晶のような瞳を見つけたのだった。
木の幹に身体を隠し、顔だけ覗かせたその瞳と目が合うと、どこか動揺したように何度も瞬きをしていた。
「見つかっちゃった」
照れたような柔らかい女の子の声が茂みの奥から聞こえてくる。
ガサガサと茂みを掻き分けながら出てきたのは、僕と同じくらいの背丈をした女の子であった。
栗色のショートヘアに二重瞼の大きな瞳、小さな鼻に薄い唇。
それだけ見れば、可愛い女の子という印象だった。
けれど、街灯の薄明かりに照らされた彼女の肌は異様なほどに血色が悪く、文字通り生気を感じられない肌色を見せていたのだ。
暗いから見間違えたのだろうかとも思ったけれど、彼女が近づくにつれて鮮明になる肌が間違いではないことを示していた。
「こんな時間に人がいるのが珍しかったから、つい覗き見しちゃった。ごめんね」
今が十月ならそれほど違和感はなかっただろう。
気合の入った特殊メイクだな、と感心こそすれ疑問なんて抱かないだろう。
しかしながら、今は六月。
梅雨に入ろうかという時期に、洋風百鬼夜行は季節外れというものだ。
だから、彼女の肌にはそれなりの訳があるわけで、まあ、事実あったわけで、僕は少し怯えながらも尋ねるしかなかったのだ。
「その肌は」
「あ、やっぱり気になっちゃう?」
気にならない方がおかしいだろう。
僕の問いにどこか恥ずかしそうに頭をかきながら、彼女は照れ笑いを浮かべていた。
彼女的にはその肌色は恥ずかしいものらしかった。
古今東西、日焼けを気にしない女の子は少ないだろうし、黒い肌というのは年頃の女には恥ずかしいのだろうか。
日焼けと同列には語れない肌色ではあるのだけれど。
「私ね、一度死んでいるの」
衝撃的な事実を吐露する彼女に対し、その時の僕はどこか落ち着いてその言葉を受け止めていたように思う。
というのも、シチュエーションから何となく予想が付いていたからだ。
こんな夜遅くに女の子が一人でいるのだからもしかすると幽霊なのではないかと。
別段、霊感が強いわけではないし、過去に心霊体験をしているわけではなかったが、そういったオカルトじみた話はよく友人から聞いていたので、どこか身近に感じていたのだ。
「あれ、驚かないの?」
そんな僕の態度が予想に反していたのだろう、彼女は少し驚いた表情で見つめてきた。
驚くべき事実に相応の反応を返さなかったわけだ、驚きもするだろう。
だからと言って、怖くないわけではない。
先も言った通り、僕は幽霊を見たことも、金縛りにすらあったことのない非オカルティックヒューマンなのである。
オカルトを理解していることと、オカルトに耐性があることは一致しないわけで、超常現象が目の前にいることに僕は震えていた。
「ふーん、驚かないんだ。そっかー、ふーん」
そんな僕の心情を察してか、否か。
彼女はにやにやと嬉しそうに口元を緩めて僕の顔をまじまじと見つめてきた。
その視線が耐え切れなくて、僕は思わず顔をそむけてしまった。
照れたわけではない。
ただ、自分を認識されることにいくらかの不安を覚えてしまうのが、僕の自虐的な性格なのだ。
「こんな時間に何をしていたの?」
「天体観測を」
「こんな街中で?」
「小惑星が」
「小惑星が見えるの?」
「見えない」
「見えないんだ」
彼女の視線が僕の持ってきた安物の望遠鏡に向けられていた。
おっかなびっくり言葉を交わしてみると、どうやらこのスーパーナチュラルさんは僕に危害を加えるような悪霊ではないようだと感じていた。
「覗いてみてもいい?」
「どうぞ」
「ほんとに? ありがと」
ぺたぺたとどこか柔らかな足音が公園の石畳の上を跳ねた。
それに違和感を覚えた僕は前屈みに望遠鏡を覗く彼女の足元に目を向けた。
すらりと伸びる生足。
滑らかな曲線美の先にぽっこりと小山のようなくるぶしが見え、彼女が素足で立っていたことに気が付いた。
幽霊に足がないというのは古いステレオタイプな考え方なのだけれど、足音までするとなると彼女に実体があるように思えて仕方がなかった。
事実として実体はあったのだ。
そうでなければ、望遠鏡を覗く彼女が夜風を受け、少し寒そうに身体を震わすはずがなかったのだから。
「ほんとに星が見えるんだね」
そう呟く彼女の服装は確かにこの時期にしては薄着であった。
生地の薄そうな半袖のシャツに紺色をした膝上までしか丈のないスカート。
冷静になってから観察したところで、ようやく彼女が学生服を着ていることに気が付いたのであった。
そうか学園祭という可能性もあったのかと思いつつも、結局彼女自身が生者であることを否定しているので、意味のない気づきではあった。
大事なのは彼女が寒そうにしているということだ。
徳は積める時に積んでおけ、というのが僕の座右の銘であり、これまでの人生における後悔の大部分の原因となっている行動原理である。
それは相手が幽霊であっても関係はない。
僕は羽織っていたパーカーを脱ぎ、彼女の背中を見つめながら動きを止めた。
信条に任せて、パーカーを彼女に貸そうとするまではよかった。
しかし、何も言わずに彼女にパーカーをそっと掛けるという行為はいささかイケメンすぎると思ったのだ。
過ぎたるは猶及ばざるが如し。
身の丈にあった行いでなければ惨めな思いをすることは自明の理だ。
僕の顔が人並み以上に整っているなら白い歯を見せはにかみながらそっと肩に掛けてあげるところではあったけれど、そうではないので僕は持ち上げたパーカーをそっと下した。
「あの」
彼女は僕の声に応じ、ゆっくりとレンズから顔を上げた。
どこか名残惜しそうな表情を浮かべる彼女は、まだ星を見ていたかったのだろう。
「これ」
「これって、パーカー?」
「寒そうだから」
「貸してくれるの?」
目を丸くして見つめてきた彼女の視線から逃げるように僕は首を縦に振った。
すると、彼女は何が嬉しかったのか、いや、彼女に喜んで貰うことを期待した行為ではあるので思惑通りではあるのだけれど、夜空に煌めく一等星のような笑顔になり、パーカーを握る僕の手を取った。
驚くほどに冷えた指先。
血が通っていないのかと疑ったのちに、そういえば通っていないのだったと一人で納得しながらも、それとは別に女の子に手を握られたことに対する驚きと焦りと照れで額から汗が噴き出していた。
「こんな私にも、君は優しくしてくれるんだね」
「こんなって」
「こんな、だよ」
彼女は僕の手からパーカーを受け取ると、袖を通さず肩に羽織った。
そうして彼女は血の通わない、冷えた細腕を僕の方につきだしてきた。
その手にどういう意図があるのか測りきれなかった僕は、戸惑いながら彼女の指先を見つめていた。
「握ってみて。大丈夫、君には何もしないから」
僕の怯えた心が透けて見えていたのか、彼女から気遣うような言葉が投げかけられたのだけれど、君にはと念を押すあたりに彼女の思惑があったのだろう。
握手を求められ、心拍数が緊張で跳ねあがりながらも応じた僕は、恐る恐る彼女の手に触れた。
すると、細い指が僕の手を包み込み、そして……スポッという効果音が付きそうなほど簡単に、彼女の手首が肘の辺りから外れてしまったのだ。
驚きすぎると、人は悲鳴すら出ないのだということを実感した瞬間であったが、彼女には一見すると無反応に見える僕の様子が好意的に見えていたようで、とても嬉しそうな笑顔を浮かべていた。
「私ね、ゾンビなの」
ゾンビ、またの名をリビングデッド。
日本名では屍人と呼ばれる動く死体の名称である。
オカルト系の中ではゲームや映画のおかげで比較的知名度の高い存在だと思うのだけれど、それはあくまでフィクションの話である。
血色の悪い肌や外れた腕、骨や肉が覗くグロテスクな断面を見れば納得はできた。
故に僕はゾンビに対する先入観から『捕食』や『感染』という危険性を思い出し震えあがっていた。
「生前の記憶がなくてね、気が付いたらこんな体になっていたの」
彼女が外れていない方の手をこちらに伸ばしてきた瞬間、全身の筋肉が強張った。
頭では逃げるべきだと分かっていても、怯えきった身体は噛みつかれることを想定した防衛本能で守りを固めた。
けれど、僕の本能に反し、彼女が掴んだのは僕が握る彼女の右手であった。
体を寄せ、引きちぎれた断面同士をぴったりと合わせると、二つは磁石のように簡単にくっついた。
「面白いでしょ。外れたりくっついたり」
そこで彼女と一緒になって笑えるほど僕の肝っ玉は大きくないので、どうにもぎこちなく頬を引きつらせるくらいしかできなかった。
「こんな体じゃ街にも出られないし、どうしようかなって途方に暮れていたの」
この彼女の言葉で、僕の中にあった彼女に対する恐怖心は払しょくされた。
彼女は決してオカルトなんかではなかった。
どこにでもいる女の子の等身大の心を持った存在でしかないということに気付かされたのだ。
「そんな時に、君が現れた」
「僕が」
「そう。こんな時間に一人で公園に来るなんて、どこかおかしな人なんだろうなって思ったの」
彼女は少し悪びれたように微笑んだ。
「それで、声を掛けたら期待通りだった」
「期待?」
「私を見ても、驚かなかった」
それは紛れもない誤解ではあったのだけれど、彼女の目にはそう見えていたのだ。
「悲鳴も上げないし、逃げもしないし。私と普通に会話してくれた」
別に取り繕っていたわけではない。
元々、僕は誰かに自分の本意を伝えることが苦手なのである。
言葉を紡ぐことも、目配せや身振りで表現することも、表情でさえうまく主張することができない。
そんな僕の誇ることのできない性分が、この時の彼女には救いに見えたのだろう。
だからこそ、否定できない。
こんな僕が、ありのままの僕が、誰かにとって都合の良い存在であることを、僕はこの上なく嬉しく思えたのだから。
「だから、決めたの」
彼女の瞳が僕をまっすぐにとらえた。
瞳の奥で街灯の光が反射して煌めいていた。
まるで水晶のような美しい視線を受け止めた僕は、視線を嫌っていたはずなのに、目を離すことができなくなっていた。
「私に付き合ってほしいの」
それは生まれて初めて血のつながらぬ誰かに求められた瞬間だった。
他人に頼られるには他人よりも優れている部分がなければならない。
芸は身を助けるのだから、無芸は人を地に堕とす。
それでも誰かの助けになりたいと願うのだから、僕は僕がみじめで仕方なかった。
僕が差し伸べる手は、常に誰かの求めに応じたものではなかった。
自身のエゴのためにつきだす、余計なお世話。
それで満たされていた。
満たしたふりをしていた。
満たされたと自分を欺いていた。
けれど、心底から求めていたものはこの瞬間だった。
「そして、私に青春を教えてほしいの」
情けは人の為ならずとは、よく言ったものだ。
人を助けることで、巡り巡るまでもなく、僕は救われるのだから。
僕は彼女の言葉に是非もなく、強く頷きを返した。
「よかった。断られたら、どうしようかと思っていたの」
「どうしようか?」
「知られちゃったらからには生かしちゃ帰せないでしょ?」
芝居がかった邪悪な笑みで、彼女は僕をからかって見せた。
それに背筋が凍るも、僕の手を取った彼女の手は更に冷たかった。
「なんてね。冗談だよ」
そうして僕らはこれからをつなぐように握手を交わした。
「これからよろしくね」
「こちらこそ」
彼女の笑みに応えるために、精一杯の笑みを浮かべた。
こうして僕はゾンビの女の子と付き合うことになったのだった。




