最終話 強さの先に目指したモノ
月曜日の朝、俺はけたたましく鳴る玄関のベルで目を覚ました。
せっかく頭痛も治まったというのに、これでは休日前の状態に逆戻りだ。俺は寝ぼけまなこのまま顔をしかめた。
薄眼でカーテンと窓を開けると、眩い日光が部屋の床を突き刺す。雲ひとつない青空、だとしても今日は一段と明るい気がした。
母親が対応したのか、ベルの音が止んだ。朝から随分と礼儀知らずな来客があったものだ。ヤレヤレと思いながら俺は着替えを始める。
五月になったばかりとはいえ、ここ最近は随分と暑い。日によっては朝起きたら汗をかいていることもザラだった。パジャマを脱いで、タンスの奥から半袖のシャツを引っ張り出す。
ダダダッ、ドタドタドタドタ。
家の廊下、そして階段を何者かが駆け上がってくる。こんなマナーのない奴は家族には居ない、さっき外で騒いでいたヤツだろうか。
見ず知らずの輩を親が家にあげるとは考えられない。だとすれば自ずと犯人は一人に絞られる。そこまで考えてから俺は慌てて着替えを漁った。シャツは出したから次は下着をなんとかせねば、ええとどこにやったっけか。
足音と伝わってくるわずかな振動は俺に部屋の前でピタリと止まる。
ガラッ。
「ちょっと隆二。珍しく寝坊なの? 急がないと学校遅れちゃうよ」
部屋の前には息を切らせた瑠璃が立っていた。瑠璃は最初に俺と目があった後、少し目線を下に下げる。そしてそのままフリーズした。
幼馴染の女子の登場。俺も驚きで着替えの手を止めた。俺も目が合った後、目線を下げてフリーズする。
「あっ」
「あ?」
「お、おはよう隆二」
「い……」
「い?」
「いやあああああぁ!!」
叫び声は放たれた窓を通って、ご近所中に轟いた。ちなみに叫んだのは俺の方だ。瑠璃は終始無表情だった。
「いやー、ハハハッ。ごめんってば隆二、機嫌なおしてよ。今日はカバンも持ってあげるしさぁ」
背中から瑠璃の軽薄な声が聞こえる。謝罪の言葉を口にしているが、どうせ反省もしていなければヘラヘラ笑っているだけだろう。高校生にもなって人の部屋にノックもしないで入るとか信じられない。
駅から学校への一本道、歩いているのは俺たち二人だけだった。いつもは同じ制服でごった返すのだが、電車一本遅らせるだけで景色は驚くほどの変化を見せた。
まぁ、遅刻確定の時間だからだけどね。
「いきなり人の部屋に入ってきたのはお前が悪いけどよ、なにも遅刻してまで俺に付き合わなくても良かったんだぜ。寝坊したのは俺だったわけだし」
歩きながら俺はジト目で振り向いた。今日は瑠璃が肩掛けカバンの紐をクロスさせている。中々に間抜けな姿だが、デリカシーの無い幼馴染には良い罰ゲームだ。
言葉の意味が理解できないのか、瑠璃は目をパチクリさせている。俺はいぶかしげにその顔を覗き込んだ。
「いつも起こしてもらったりパン買ってきてもらうのは私の方じゃん。たまにはこういうのも良いんじゃない?」
「まぁ、今日は起こしに来てくれて助かったわけではあるが……」
「それとも隆二は私に尽くしたくて仕方ないの? マゾなの?」
「んなワケあるかぁ! いっつもお前はそうやって人のこと
「危ないっ!」
後ろ向きに歩いていた俺はつい話に力が入ってしまった。道路の僅かな凹凸でバランスを崩し、背中が地面に引っ張られる。視界が青空で満たされた瞬間、俺は伸ばした腕をグイッと引っ張られた。
瑠璃の行動は素早く、咄嗟に俺を自分の胸へと抱きよせる。気がついたときには、目の前に瑠璃の顔があった。心臓がバクバクして思わず目を逸らす、きっと顔も真っ赤になっているだろう。
恥ずかしいことだが瑠璃は俺よりも背が高い。瑠璃本人は気にしてないしどうしようもないことだが、その事実が俺に情けない現実を突き付けるようで嫌いだった。身をよじって逃げようとするが、それ以上の力で抱きしめられる。
「コラッ、急に動くとまた転ぶぞ」
俺が観念して全身の力を抜くと、納得した瑠璃は解放してくれた。まったくもって我ながら情けない。それに比べてコイツは、可愛いクセに格好よくてその上特別で我儘で自分勝手で俺に無い物を何でも持っている。
本当に不公平だ。
雲ひとつない青空。四月の終わりとはいえ少し汗ばむくらいには暑い。襟元をつまんで仰ぎながら、今度は瑠璃が俺の顔を覗き込んでくる。
「いやーそれにしてもねぇー」
前後に歩くのは危ないので、俺たちは並んで歩くことにした。もちろん手を繋いだりなんかはない、断じてない。
「何だよ?」
いつも以上の二ヤケ面をしていて気持ち悪い。さっき転びそうになったのをイジってくるつもりか。
「現実でもゲームでも、隆二ってムキになるとホント周りが見えなくなるよね」
ブフオォ!
思わず噴き出してしまった。今度は前のめりに転びそうになる。が、何とか踏ん張る事に成功した。
瑠璃は一瞬だけ焦った顔をしたが、俺が無事なのを察するともとの小悪魔顔に戻した。
「おいっ瑠璃! お前、俺がチューニ始めたのやっぱり知ってて……おい、その手にあるのはなんだ?」
「ああこれ、隆二の部屋にあった」
いつの間に取り出したのか、瑠璃は黒い端末を手にしてポンポンとお手玉していた。釣り上げた唇の端から、心底俺の反応を楽しんでいるのが分かる。
朝早くから部屋まで押し掛けた挙句、人の物をパクるとは。幼馴染といってもこの行為は許されるものではない。
俺が怒りと羞恥で顔を真っ赤にしていると、満足したようにケタケタと笑いだした。
「あっはははははっ。嘘だよ、コレは私のでーす」
「こんにゃろ。やっぱりスライムと戦ってる時に気づいてたな」
「そりゃあねぇ。ホントなら私がナルちゃんになるはずだったんだし、気にならないわけないじゃん」
ちょっと待て、今聞きずてならない事を言ってなかったか?
「なんでお前がナルになるんだよ?」
「だってパパが私のために用意してくれたアバターだもん。隆二は変に思わなかったの?
もしかして変身願望とかあったの?」
「何だよソレ!
じゃあもしかして、お前の王子様って」
「うん、パパが隆二に用意したやつだよ」
「???」
えーっとね。瑠璃は最初から順序立てて説明してくれた。
チューニ開発の際、瑠璃の親父は可愛い愛娘とその幼馴染のために独自のサポートAIを積んだ端末を用意した。
完成した端末は俺の親父のもとに預けたという。この時、瑠璃に渡す方の端末を間違って渡してしまったそうだ。
俺の方はゲームで一緒に遊ぶ約束を瑠璃としていたが、チューニのリリース直前に親父が他界。
葬式などのゴタゴタで、俺はその約束のことをすっかり忘れていたのだという。
俺が問答無用でナルの姿になったのには理由があったわけだ。
「そんなことがあったのか……」
「やっぱり忘れてたー」
「そりゃあ、な」
実際のところ俺は親父が死んだ時のことさえ詳しくは覚えていない。小学生の歳なら物心もついた頃だろうが、俺にとってはショックで忘れてしまうほどの悲しい出来事だったんだろう。
「なんか悪かったな、俺だけ覚えてなくて」
「しょうがないよ、お父さんのことはホント突然で大変だったし。
それに隆二は同じデバイスでゲームを始めてくれた。それだけで私は満足だよ」
初夏の日差しを浴びながら、瑠璃は優は優しく笑った。いつもの小悪魔で悪戯好きな瑠璃ではない、俺も初めて見る微笑み。
ああ、そうだったのか。
瑠璃は一緒に居る間ずっと待っていたんだ。
一緒にゲームがしたい。幼い頃の約束を胸に抱いて、俺のことをずっと待っていたんだ。
そして俺は今追いついた。
なんだ、簡単なことじゃないか。
焦る必要も強くなる必要も、見返してやる必要もどこにもなかったんだ。だって一番大切なものは、俺の本当の気持ちは最初から決まりきっていたじゃないか……
「隆二?」
気づけば俺は足を止めて上を見上げていた。太陽は南の空から俺たちを眺めている。恐らくこのまま学校に着いても遅刻確定だろう。
「ヨシッ、チューニをやろう!」
「えっ? ちょ学校は?」
「いいだろ、たまにはサボったって。
それより相手してくれよなチャンプ?」
俺の提案に目を白黒させた瑠璃だったが、最後の一言を聞くと赤い舌を出して唇を舐めた。いつもの小悪魔顔でニヤリと笑う。
「ほほ〜う、言ってくれるじゃあないのさ。私相手に何秒持つか数えててあげるわ」
「……その上から目線、やっぱり気食わねえな」
「そりゃあ最強ですから!」
フフンと瑠璃は鼻を鳴らした。自信満々のニンマリ顔で。
「でもそういう所含めて、瑠璃のこと大好きだぜ」
「へぇっ!?」
俺はそれだけ言うと元来た道を全力ダッシュで戻った。表情は見えないが、聞こえてきた間抜けな声を察するに少しは照れてる様子だ。ザマーミロ。
学校をサボるのは生まれて初めての経験だ。悪いことををしているはずなのに、俺の今の気分はすこぶる良かった。
ちらっと振り返ると、瑠璃も顔を真っ赤にして追いかけて来ている。
俺は息を切らすのも構わず、照りつける日差しの中駅の改札まで休むことなく走り続けた。




