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第6話 海の廃ビル

 ビルの屋上伝いに、僕らはずいぶん沖合まで出た。

 海の色は紺碧になり、ビルの屋上自体もまばらで、飛び移れる場所も減ってきた。

 僕らはひときわ高いビルの廃墟に降り立った。

 一つ下の階は展望室だったらしく、ガラスの残っていない柱が立ち並ぶがらんとした広間になっていた。豪華な彫りがほどこされた長椅子が奇跡的に残っていた。

 もちろん、残っていたのは木枠だけで、クッションはとうの昔になくなっている。

 僕らはそこに腰を落ち着けた。


「どうして警察が来たんだろう。イリスは持っていないはずなのに」

「あなたを尾行したんでしょう」

「何にしろ、逃げちゃった。これからどうしよう」

「そうね」


 ライカは下を指さした。


「昨日、イリスの電波をハックしたの。

 この下に私の追っている人達がいる。それを片づけてからにしましょう」


 僕は、驚いてライカを見つめた。

 目的もなく逃げたと思っていたが、このビルに用があったとは。

「あなたはそこで待っていて」


 言いながらライカは部屋から出ていった。


「……もしかして、ここに七星がいるの?」


 ライカを追って僕は長椅子から立ち上がる。

 がらんとしたコンクリがむき出しの廊下を歩く彼女に、僕は早足で追いついた。


「待っていてと言ったでしょ」


 ライカが振り向いて、牽制するように言った。

 僕は、ライカの目を見て、きっぱりと告げる。


「もし、七星がいるんなら、僕と話をさせて欲しいんだ。

 昨日のことも謝りたいし」

「彼女がいるとは限らない。

 それに、いたとしても『彼女』と話せるかはわからない。

 思念体が眠っている間なら、七星の意識は戻っているかもしれない。

 でも思念体が起きていたら体を乗っ取られているわ」


 ライカはホッピングパックを忍ばせた細い足で大股に歩く。

 カチャカチャと組み上がる音が聞こえると思ったら、彼女の腕の皮膚がまくれ上がっていた。

 金属の丸い筒が右腕から飛び出している。


「それに、あなたにプロメテウス波が当たると危ないわよ」

「どうなるの?」

「最悪、自我意識が消滅するわ」


 僕は目を丸くしてすたすた歩くワンピースの少女を見た。


「そんなものを人間に当てたの?」

「大丈夫。余分な思念体がいる場合には、人体に影響はないの」


 ライカはなんの罪悪感もないようで、すらすらと答えた。


「思念体を捉えた時点で、プロメテウス波は相殺されて消滅する。

 問題なのは、思念体が体内に存在しないとき。

 疑似思念体である脳が損傷をうける可能性がある」


 そう諭されても、僕の決心は変わらなかった。


「それでも一緒に行くよ。七星がいるかもしれないなら」

「……彼らも私と同じ光線銃を作っている。私を迎え撃つ気なのも確かよ。

 当たらないように気をつけて。もしくは、当たっても自己責任」


 彼女は無機質にそう告げると、日差しが差し込む広い階段をすたすたと下り始めた。

 僕は忠告に従って、注意深く彼女の後に続いた。




 下の階につく度に、ライカは真剣な表情で腕をのばし、銃を構えて隅々まで階を見て回る。

 しかし、半分まで水に浸かっているとはいえ、人口爆発時代に作られた摩天楼だ。

 何度もその動作が繰り返され、僕は少し退屈になってきた。


「君の目、透視スキャンはついてないの?」

「それはいい案ね。でも部品がない。

 博士の家にいる間に思いつけばよかった」

「じゃあ、僕が……」


 彼女が、腕をふって僕が言おうとするのをとめた。


「待って」


 重そうな両開きの扉が僕らを誘うように半開きになっていた。


「どうも、この部屋みたい」


 指さしたコンクリートむき出しの床には、裸足の足跡が複数ついていた。

 僕は唾を飲み込んだ。

 ライカは銃を掲げたまま、扉を軽く叩いた。

 間髪入れず緑色の光線が中から出てきて、僕らは廊下の壁にはりついた。


「どうするの?」

「……こうする」


 言うなりライカは扉の影から腕を出し、当てずっぽうに緑の光線をまき散らした。

 誰かに当たったような悲鳴が聞こえ、ついで急ぎ足音がした。

 僕は息を殺して見守っていた。

 やがて、沈黙が辺りを支配した。

 部屋の中からは誰も出てこない。

 続きの間へと出ていったのだろうか。

 ドアを荒々しく蹴って、腕の銃を構えたままライカが踏み込む。

 がらんとした広間だった。男三人が床に倒れ伏している。

 ライカの放った光線に当たったのだろう。

 僕は一人の男の口に手をかざした。

 弱々しいが呼吸はしている。

 ライカの言う『彼ら』は消え去ったようだ。


 不思議なことに、正面の壁にはま新しいテレビがかけられていた。

 この三人は、ここで暮らしていたのだろうか。


「気をつけて。このビルにはまだ人がいるはず」


 ライカがそう言ったとたん、急にテレビのスイッチがひとりでに入った。

 砂嵐の画像に、ぼんやりとシルエットが映る。


「……」


 ざらざらとした画像。

 そこに映ったのは、人工的なピンク色の髪をした女の子だった。

 どこか遠くを見据えるような目をした女の子に、僕は見覚えがあった。

 双方向テレビなことを確信して、僕は彼女に語りかける。


「七星……」

「私達を探さないで」


 七星はこちらに手を差し伸べ、語りかけた。


「あなたの隣りにいるのは、死を呼ぶ者よ。信用してはいけない」

「この子の友人のふりは止めなさい、サラ」


 ライカが語気鋭く言った瞬間、ブチッとテレビの電源が切れた。

 言いたいことは言い終えた、ということだろう。


「ライカ、サラって誰?」

「この騒動の首謀者。

 思念体という自分を嫌い、自然のままの体を欲しがる『自然礼賛団』のリーダー。

 あなたの友達はそいつに体を乗っ取られているの」


 僕にもおぼろげながら分かりかけてきた。

 七星は自分から事件を起こしたのではなく、大変なことに巻き込まれているようなのだ。


「……ライカ、このテレビをハックできる?」


 僕はもはや僕の顔しか映さなくなった黒い液晶を眺めながら聞いた。


「そうね。でも、時間が必要だわ。

 そして、私達にはもうそれがないの」

「そうだねぇ」


 後ろから渋い声で相づちが聞こえ、僕は驚いて振り向いた。

 さっきまいたはずの刑事たちが、僕らのすぐ後ろに立っていた。

 僕は呆然として、思わず聞いてしまった。


「どうしてここが?」

「なに、警察のイリスは人工衛星の画像解析もできる。昔ながらの尾行もいいものだよ」


 百合川警部が、やはりにっこりと笑いながらこちらへ近付いてくる。

 逃げなくては。

 瞬間的にそう思い、僕はライカをのほうを振り向いた。

 が、既にライカはあの筋肉隆々とした藤堂刑事に腕を掴まれていた。


「白崎博士が全て吐いたよ。

 君は、白崎七星に似せて違法に作られたアンドロイドだと」


 警部がそう言ったとき、ライカの足の関節が、人間とは逆方向に曲がった。

 そして、腕を掴んでいる藤堂刑事の顎を蹴り上げる。

 僕をはじめ——警部たちも息を飲んだ。

 ロボットのライカが、人間に反撃をしかけたのだ。


 ロボットが人間を傷つけることはできない。

 その概念はそれこそ大昔から受け継がれてきたものだ。

 人間への暴力禁止は、いくら違法のアンドロイドとはいえ、その概念はロボットのAIチップ内部に当然埋め込まれているものであり、それがなければ起動しない。

 一からAIチップを作るとなれば、それこそ億単位の金を投入する必要がある。


「無駄な抵抗はやめろ!」


 刑事は顎を蹴られてもものともせず、逆にライカの足首を太い指で掴んだ。


「藤堂刑事の顔は、下半分ロボットなんだ。

 昔、下あごを銃で吹っ飛ばされた。

 今時、この業界で五体全てがロボットではない人間などいないよ」


 僕の前に立ちふさがっている百合川警部は笑みを崩さない。

 藤堂刑事は、ライカの足首を離すと、その首筋を押さえた。


「首のAIチップを抜け」


 そう警部が命令する前に、藤堂刑事がライカの首の後ろにあるパネルを引き開けた。

 僕は悲鳴のような声を上げて走り寄ろうとしたが、百合川警部に押しとどめられた。

 AIチップを抜いてしまえば、ライカはただのチタンと合成筋肉の塊となってしまう。

 チップが再装填されない限り、彼女は——事実上、ロボットとしての死を迎える。

 が、藤堂刑事はパネルを開けたなり、呆然としてライカの首を凝視していた。


「どうした?」


 百合川警部の問いに、刑事は困惑した様子で答えた。


「ありません」

「何がかね」

「AIチップが、です」


 ふむ、と百合川警部が初めて笑みを崩した。


「……違法アンドロイドだからな。どこか、別の箇所に設置しているのかもしれん」


 しかし、藤堂刑事は首を振った。


「百合川警部。昨日、白崎博士の家を家宅捜索したときのことを思い出してください」

「ああ」

「博士がシステムエーアイワークスでアンドロイド研究をしていたころの設計図が見つかりました。

 七星モデルはそれを元に作られたと考えられています。

 そもそも、白崎自身は合成筋組織の専門家で、AIの専門家ではありません。

 つまり、AIを別の箇所に設置する技術も動機も見当たらないのです。

 それに……彼の証言もあります。ライカは、完成途中で放っておいたら突然動き出したと」


 僕はライカをしげしげと眺める。

 足が逆関節になっていたり、首の後ろが開いていたりする以外は人間とそっくりだ。

 完成できなかった、とはどういうことだろう。

 僕は説明を求めて百合川警部を見た。

 百合川警部は、ゆっくりと頭をふりながら言った。


「元々は、アンドロイドの体に自分の娘の脳をそのまま埋め込む予定だったらしい。

 娘の七星が二年前からいわゆる植物状態にある、というのは別居している博士も知っていた。

 それを救う手立てとして、まずは人工知能を空にしたロボットをこしらえたそうだ」


 僕は目を見張った。

 足を折ったから人工関節を入れる、というレベルの話ではない。

 人間の脳はAIチップとは違う。

 アンドロイドに組み込んだところで、簡単に動きだすと思う方が間違いだ。


「で、結論はまとまった?」


 そう聞いたのは、首の後ろのパネルを開けられてなお傲然としているライカだった。

 足を器用に捻って藤堂刑事の手から離れると、彼女は自分で首のパネルを閉じた。


「君はこのアンドロイドがなんなのか、知っているのか?」


 藤堂刑事が僕に向かって尋ねる。

 僕だって知りたかった。


「そもそも、頭にAIチップが入っていないのに動いているのはどういうわけだ」

「そうね、無線で動いているアンドロイドだと思ってもらえればいいわ」


 ライカの答えを聞いてはじめて、僕は彼女のことがわかった気がした。

 つまり、ライカはあの患者たちと同じ——アンドロイドの体に取り憑いた精神生命体なのだ。


「とりあえず、私よりも先に患者のことを心配したらどうかしら。

 そこに倒れているのは滝ヶ原病院集団脱走事件の関係者よ。

 まだ生きているから保護してあげて」

「すでに救急隊には連絡した」


 百合川警部が静かに続けた。


「ライカくんはこの患者たちを追っているのかね?」

「そうよ」

「なぜ?」

「それが私の仕事だから」


 よどみなく彼女は答える。


「つまり、本物の七星くんたちを捕まえる命令を出されたとでもいうのか」

「そうね」

「……一体、誰に?」

「大いなる存在」


 刑事たちは顔を見合わせ、ひそひそと二人で会話し合った。

 スパイとか宗教とか探偵だとかの単語が聞こえたが、彼女はアンドロイドらしく平然としていた。

 やがて話し合いは終わり、百合川警部が険しい顔をして振り向いた。


「その大いなる存在とは何かね?」

「人間には理解しがたいもの」


 彼女は上を指さす。まるで、そこに神がいるかのように。


「私も、この患者に取り憑いていた者達も、一つの精神生命体なの。

 この星は現在保護観察下に置かれている。

 何人もこの星に降り立ってはならず、その進化を妨げることは禁止されている。

 しかし、この禁を犯した者達がこの星に降りてしまった。

 彼らは、壊れた視力矯正チップを介して他人の体を乗っ取っているの」


 この主張には、僕だって刑事たちと目配せをしないわけには行かなかった。

 こんなにも自分が宇宙人だと力説するアンドロイドを、僕は見たことがなかった。


「……それで、君は植物状態の患者たちが突然脱走したのは、その……精神生命体に体を乗っ取られてしまったからだ、といいたいのかね?」


 百合川警部が目をしばたたかせながらライカをしげしげと眺めていた。


「しかし、寝たきりの患者が回復したのなら、それはよいことではないでしょうか?」


 藤堂警部が横から難しい顔をして離しに入ってきた。

 しかし、ライカはその意見をばっさりと切り捨てた。


「そうね。私たち思念体は電磁波で神経をつなぎ直し、筋肉を収縮させてあたかも自分の体のように動かすことができる。

 でも、それは一時的なこと。

 思念体がその体を放棄すれば、電磁波も流れなくなってまた体が動かなくなるわ」


 なにより、と彼女は続ける。


「一つの体に二つの思念体は入らない。

 体が拒絶反応を示して死ぬか、それとも思念体に体を乗っ取られ、本来の思念体である自分が死んでしまうか。

 二つに一つよ」


 そこまで言ってライカは、つとテレビを指さした。


「……捜査に協力してあげる。

 そこのテレビをハックして残りの患者の居場所を掴むわ」


 わずかにきしむ音がした、と思ったら、またライカが首を百八十度以上回し、アンテナをのばしてテレビに触っていた。白目には前のように無数の数字が乱れ飛んでいる。


「一体、何をしているんだ!」

「電波を追跡してるの」


 ライカはなんのこともなしに答えたが、そのショッキングなビジュアルには百合川警部も驚いているようだ。

 こんなハッキング方法は僕も珍しいとは思っていたが、様々な修羅場をくぐってきたであろう警部が引きつった顔をするほどのものだとは知らなかった。

 ジジ、と音がなり、彼女は首を元に戻してテレビから手を離した。


「場所がわかったわ」


 ライカはつとガラスの入っていない窓から手を差し出した。

 僕らは手の先を見た。

 海の上にうっすらと浮かび上がっているのは、海にそびえ立つ塔だった。

 一際高く、細長く、ビルの群れから突き出ている。昔の電波塔だ。


「あんな目立つ場所に?」


 百合川警部が目を細め、胡散臭そうに塔を眺める。


「海に沈んでも、元は電波塔だもの。設備を使ってこのテレビに映像を映したのね」

「大分沖だな。また船を出さねば」


 警部はそう言い、窓に背を向けた。


「いくら私でも、飛ぶには難しい距離ね」


 まるで学校が遅くなったときに親に迎えを頼むような気軽さで、彼女は刑事たちに言った。


「私達もあそこまで送ってくれない?」

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