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第5話 取り憑く幽霊

 連絡先などを質問された後、僕は百合川警部の車で自宅へ送ってもらった。

 覆面パトカーに乗るのは嫌だが、しかたなかった。

 気付いたら刑務所、なんてことがあるかもしれない。

 しかし車はきちんと自宅につき、警部達は僕の母さんにも挨拶していた。

 警視庁のものだと正体を明かしたときは、さすがの母さんも青くなっていた。

 しかし僕が犯罪に荷担したわけではないと警部が強調すると、落ち着きを取り戻して受け答えをしていた。


 彼らが帰った後、ものすごく重い荷物を下ろしたような気分で、僕はベッドに沈み込んだ。

 警視庁は、僕のイリスのIDも、住所も両親の顔も知った。

 僕はマークされている。

 きっと七星はもう僕に連絡をよこさないだろう。


 しかしどうやって七星が警察のソフトを改ざんできたのかはわからなかった。

 病院から逃亡したメンバーにイリスのソフトに詳しい人間がいて、協力している可能性がある、と刑事はもっともらしい仮説を立てていたが。

 僕はイリスを握りしめ、フレンド登録の一件が■■■■と表示された画面を見つめた。

 八年の時を経て、突然縮まった七星との距離が、今日の一件でまた随分遠くなってしまったような気がした。

 そもそも、どうして彼女は病院から脱走したのだろう。

 警察は僕に質問するばかりで、なにも教えてはくれなかった。

 僕はイリスに向かって話した。


「イリス・ニュース・病院・集団脱走」


 画面一杯に集団脱走事件のニュースの一覧が表示される。

 僕は一つずつ開けていった。書いてあることはほぼ同じだ。

 だが、信憑性はどうか知らないが、その事件の再現ルポの一つが興味深かった。

 Aさんという看護師の証言を元に、再構成したというその再現ルポは、どのニュースよりも鮮烈だった。




 六月六日、当直だったAさん(仮名)は午前三時頃、深夜の見回りを始めた。

 三階はワンフロアに十三人分ベッドが並べられ、いつものように全ての仕切りカーテンは開け放たれていた。

 点滴の管、呼吸装置が正常に作動しているかなどの確認を終え、二階に移動しようとしたとき、大きな雷鳴が轟いた。

 そして全ての病床で、機械異常のアラームが作動した。

 今の雷で機械が故障でも起こしたと思ったAさんは、応援を呼ぼうと数歩歩きかけた。

 そのとき、落雷の光に照らされた院内で、十三人全ての人々が一斉に身を起こし、ついで点滴の管や呼吸チューブを引きちぎった。

 彼らはAさんが止める間もないうちに、次々と窓を開け、三階にもかかわらず全員が飛び降りていった。




 僕は瞬きもせずにその再現動画を見た。

 まるで逃亡というより、最後の審判の死者が蘇る映像のようだった。

 続いて病院の説明が書かれているページも見つける。





 滝ヶ原病院の三階には、重度の遷延性意識障害患者——つまり、目覚める確率がゼロに等しい患者達が集められていた。

 記憶に新しい視力矯正チップ医療事故で、目覚めることのない眠りに入ってしまった犠牲者である。

 視力矯正チップは、安全で新しい治療として十年前から浸透している。

 チップを後頭部に取り付けるだけの簡単な手術でほとんどの眼病が治るというこの画期的な手術は華々しく宣伝され、重度の眼病患者を経てスポーツ選手や女優が飛びついた後、民間にも比較的安い値段で広まり、ブームが到来した。

 もっとも快適で安全に弱視を矯正できるとして、レーシック手術以来の革命とも言われる。


 視力矯正チップの事故は2038年2月6日、0時54分54秒に起こった。

 東門病院で弱視手術を受けた一部のチップ保有者、百人ほどが一斉に昏倒した。

 原因は、病院が古い規定のチップを使用したことによるオーバーフロー。

 未だほとんどが体を動かせず、その三分の一程度は深い遷延性意識障害を発症したまま、眠り続けている。東門病院は現在倒産したが、裁判は引き続き行われている。

 滝ヶ原病院ハイテク障害専門分館は、旧東門病院の患者を治療していた施設である。

 その中で三階の十三人全員がこの度脱走している。




 そこまで読んで、僕はイリスを放り出して寝返りをうった。

 一体何が本当なのか、わからなくなったからだ。


 そもそも、この記事を参考にすると、集団脱走した人々は脱走などできない状態のはずだ。

 そう思った瞬間、ライカの言葉がまざまざと蘇る。

 人間の体を乗っ取る——そんなことができるアンドロイドはいるのだろうか。


 ライカにもっと話を聞かなければならない。

 明日は幸い休日だ。

 アンドロイドだというのでどこか安心して廃墟に置いてきてしまったが、あの子を攻撃してきた二人が病院から逃げ出した人間だと知った今、彼女にはもっと大きな秘密があるような気がしてならない。

 僕はエネルギーの尽きた頭で、ぼんやりと考えながら横たわっていた。






 翌日、僕は水を蹴りながらアスファルトを歩いていた。

 朝の光が足もとに反射している。

 このあたりは陥没もなく、水も引き潮のときはくるぶしまでしかなくて歩きやすい。

 灰色の廃墟群は静かに広がっていた。

 一昔前はこんな長方形の巨大建造物に、たくさんの人々がひしめき合って生きていたという。

 土地が余っている現代では考えられない。


 特に大きな戦争があったわけでもなく、大災害があったわけでもない。

 ただ、人工が減っただけだ。

 蒸発する水のように、知らないうちに、しかし確実に人類は減っていった。

 やがて集合住宅が必要なくなったとき、ここは浸水都市となって放置された。


 人類は絶滅しかけているのかもしれない。

 絶滅というと悲劇的で壮大なものを連想する。

 それは恐竜だったり、バッファローだったり、鯨だったり、この世を去った全ての動物に対する畏敬の念がそうさせるのだろうか。

 しかし、人類はゆっくりと、何の劇的なこともないなかで確実に減り続けていた。


 僕が秘密基地に入ると、ライカは昨日と同じようにコンクリートの床に突っ立ち、首をあらぬ方向へ傾けたままだった。

 ちょっとした相談があって、と僕が言うと、やっと首を元に戻した。

 僕は警察が来たことも、病院を調べたことも全て話した。アンドロイドの人工知能を乗っ取るのではなく、生身の人間に取り憑いていた、というところまで話しても彼女は眉一つ動かさなかった。

 アンドロイドなので当然なのかもしれないけれど。

 最後に僕は聞いた。


「だから、説明して欲しいんだ。あの人たちは、一体何なのか」

「それを聞きに来たの?」


 僕は頷いた。


「イリスを持ってきた?」

「家に置いてきた。警察にIDを抜かれたんだ。僕だって監視されたくはないもの」

「そうね、置いてくるのが一番ね」


 なんでもないことのように彼女はうなずく。


「で、アンドロイドって普通の人間の意識を乗っ取ることもできるわけ?」

「いいえ」


 ライカの返事は簡潔で、前の発言の矛盾すら気にしないというふうだった。

 僕は確認するように尋ねる。


「君が光線銃で撃ったあの人達は普通の人間だったんだよね」

「そうよ」

「じゃあ、あの人達を乗っ取っていたものって何?

 あの人達は頭にアンドロイドの人工知能を埋め込んでいるの?」


 彼女は首を横に振った。


「彼らは視力矯正チップのエラーから入り込んだ思念体。

 人間の脳に寄生している。取り憑く、といったほうがわかりやすいかしら。

 私は彼らを止めるために来たの。

 プロメテウス波を体に当てて、精神を乗っ取っている思念体を強制的に引き離すために」


 脳に思念体が寄生する。それはどういうことだろう。

 そもそも、彼女の言うとおりだとすれば僕らの知らない『思念体』という生物が存在することになる。

 ましてや『取り憑く』なんて、まるで前時代で言う『幽霊』ではないか。

 アンドロイドは嘘をつかない、という常識も今は通用しない。

 必要に応じて、嘘をつく。

 しかし、僕は昨日の七星の声を聞いた。

 いや、あれは七星の声ではなく——彼女に取り憑いた思念体の声なのだろうか。


 僕は落ち着くために窓の外を覗いた。

 四角に切り取られた青い空に、灰色の廃墟群が突き出ている。

 下には打ち寄せる波。そして赤いボート。

 悪い予感がする。


「まずいよライカ……」

「何がかね?」


 振り向いた僕の目に、白髪頭のスーツの男が映った。

 百合川警部だ。

 彼はライカの後ろで微笑んでいる。

 そのさらに後方には、仲間の刑事の姿も見える。


「あの人たち、誰?」


 ライカが不思議そうに言う。

 僕はとっさに彼女の手首を掴み、叫んだ。


「警察だよ! 逃げよう!」

「待ちたまえ!」


 百合川警部の声を後ろに、僕とライカはガラスなどとっくにない窓から身を躍らせた。

 胃がせり上がり、海面が近づいてくる。

 耳元の風がひゅっと逆方向に吹き、僕らはまた高く飛び上がった。

 ライカがホッピング・パックを作動させたのだ。

 コンクリートの屋上までたどり着き、また飛び上がって別の建物の屋上へ。


 白状しよう、僕だって空を飛びたいと思ったことはある。

 鞄や荷物を運ぶホッピング・パックを見上げ、あれに乗れたらと思うのは小学生なら当然のことだ。

 しかし安全を考慮した結果、ホッピング・パックにはきちんとセンサーがついていて、重いものや生き物は送付できない仕組みになっている。


 ライカは足に組み込んだときにセンサーも外したようだ。

 おかげで重い僕らでも、なんとかふわふわと浮くことができる。

 二人だけが月の重力で生きているように、僕らはビルからビルへとジャンプする。

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