第4話 追う者達
そんな状態のライカをその場に残し、僕は裸足で駅へと向かった。
波が避けられる場所で濡れた足に靴を履き、家路へと向かう。
そのときイリスを切っていたことを思い出した。
電源をつけると三件のメッセージが入っていた。
外にいるので、全て文字情報にして画面に表示させる。
18 : 06 : 24 七星だよ。今暇?
18 : 10 : 33 七星だよ! もしもーし!
19 : 24 : 56 話したかったな。それじゃ、またね。
僕は複雑な気持ちでイリスの画面を眺めた。
返信しようとしたが、どうしても手が動かなかった。
七星と話すと、今の事件を報告しなければならないような気がする。
しかし、七星自身にこのアンドロイドの顛末を報告したくはなかった。
自分と同じ顔のアンドロイドが作られて、街を闊歩している状況を彼女が面白がるとは思えない。
代わりに僕はニュースをザッピングした。
羅列された記事の中に、見たことのある光景が映し出された。
ちょうど、今いる駅前の場所だ。
タップすると、文字情報のままでニュースが書き出された。
あの病院集団脱走事件の話だ。母さんが近所だと言ったのは本当だったらしい。
記事は読まないつもりだったが、ある内容に僕の目が引き寄せられた。
『……道路に倒れていた二人の身元が判明した。
武田誠さん(四十八)、穂波勘弥さん(五十九)。
二人は一昨日滝ヶ原病院から集団脱走後、捜索願が出されていた。
武田さんらは無事保護され、現在警察は滝ヶ原病院から集団脱走した事件と関連があるとして引き続き調査中……』
道路に倒れていた二人。
写真には僕らがさっきいた町角が映されている。
あの二人はアンドロイドではなかったのか。
七星は体を乗っ取られた、と言っていたが。
恐ろしい想像が僕を襲った。
あの二人は、生身の人間の体を乗っ取る力をもった『何か』に襲われていた、ということだろうか。
僕は続きを舐めるように読んだ。
『なお、警察は事件性ありと判断して滝ヶ原病院から集団脱走した人々の名前を公表するに至った。
心当たりのある方は、下記アドレスにイリスで連絡してご協力を。秋月相馬|(三十五)……』
次の名前を見て、僕は一旦目を固くつぶった。
見間違いに違いない。
しかしもう一度目を開けても、結果は同じだった。
『白崎七星|(十六)……』
七星が病院にいたなんて、とても信じられない。
あんなに元気な調子で連絡を取り合っていたのに。
僕は歩くことも忘れ、通りに立ち尽くしていた。
その僕の肩に、重いものがぼんと乗った。
驚いて振り向くと、貼り付けたような笑顔を持つスーツ姿の男が後ろに立ち、僕の肩に手を置いている。
そして、もう一人。
やはりスーツを着た白髪の老人が、人なつっこい笑顔で微笑みかけてきた。
「ねえ、僕。ちょっとお話聞かせてくれるかな?」
「子供扱いしないでください」
「これは失礼だったねえ」
ちっとも反省の色を見せず、おじいさんはにかっと笑って言い直した。
「百合川と申します。WP008829地区管轄の警部だ。
こっちの大きいお兄さんは藤堂刑事。
道で倒れた二人のために救急車を呼んだのは君だね、栄枝海人君」
反射的にイリスの電源を落としたが、もう手遅れだった。
電源を入れた途端、イリスから位置情報が発信され、警察に届いてしまったらしい。
そして一番近くにいる刑事達が僕を捕まえに来たのだ。
「そんなに緊張しなくてもいいんだよ。君を逮捕したりはしないからね」
駅前の警察署。
その控え室のような場所に連れてこられ、僕は周りを見渡した。
無駄なものなど一切ない空間だ。白い机と向かい合った椅子。テーブルに置かれたイリス。
古式にのっとりカツ丼とかが出るのかな、と僕はぼんやりと思った。
しかしカツ丼はおろか飲み物さえ出てこなかった。
百合川警部はにこにこしながら向かいに座っている。
名前とは似ても似つかない日焼けして皺だらけの顔を、できるだけ親しみやすい表情に変えているのだ。
僕の肩を叩いた男は腕組みをして側に立っていて、僕が逃げ出そうものならすぐに追ってくる気配を漂わせている。
警部がきらりと目を光らせた。
「事情を聞くだけなんだ。君はあの倒れていた二人と関係があるのかい?」
「ないです。道路に人が倒れていたから救急車を呼びました」
僕のきっぱりとした返答に、警部は視線を泳がせた。
きっと強情な子供だと思っているに違いない。
「しかし、救急車が着くまでそこにいるのが普通だろう?
どうしていなくなったりしたんだい?」
「約束があったので」
「夜にかい?」
僕は頷いた。相手が僕を信用していないのは見るまでもなく分かった。
「誰と会ったのかな」
「……ライカです」
警部はイリスに指を走らせた。多分、今ライカという人物について調べているに違いない。
「ライカ。学校のお友達のあだ名かな?」
「……学校へ行く途中に知り合った子です。どの学校の子かは知りません」
僕は真実を述べた。もちろん、不都合な事実は除いて。
ふむ、と警部は考えこんだが、ライカに関しての質問はそれだけだった。
あまり重要でないと思ったに違いない。
次に、違う質問が来た。
「白崎芳樹のことは知っているかい?」
「白崎のおじさんのこと? 近所の人ってぐらい」
「任意同行で警察にいることは知ってる?」
僕は目を向いた。知人が逮捕されるなど初めての経験だ。
「どうして?」
「誘拐の疑いがかけられている」
警部は僕が驚いたことで、有利な状況になったと思っているようだ。
彼は語調を強めて話し始めた。
「白崎七星って子のことは知っているね。
君と同学年だ。
その子が二日前、入院先の病院から逃げ出して行方不明になっている。
その次の晩、よく似た女の子が父親の白崎芳樹の自宅にいたという情報が入ってね。
君は知らないかな?」
僕はどう答えるべきなのか言葉に詰まった。
あれは七星本人ではなく、よく似せた素体で作られたアンドロイド、ライカである。
しかしライカだと答えてしまえば、白崎のおじさんは違法アンドロイド製造罪として逮捕されるだろう。
白崎のおじさんは変人で嫌いだが、七星の父親だ。
僕に白崎のおじさんを牢に入れる資格があるのだろうか。
「答えないところをみると、何か知っているようだ」
「七星は」
僕は逆に尋ねた。
「七星はまだ見つかっていないんですか? 本人に聞けばいいじゃない」
いやいや参ったな、と警部はわざとらしく頭を掻いた。
「なに、見つけ出せていないんだが、じきに見つかると思っているよ」
「どうやって?」
「君が教えてくれるんだろう、海人君?」
彼がまた笑った。
その笑顔が嫌いだった。
大人には従うべきで、学生の僕には協力以外何もできない。
それがわかっている笑みだった。
彼女は逃げ出した病院に連れ戻されるのだろうか。
逃げたぐらいだ、きっとひどい扱いを受けていたに違いない。
「七星が見つかったらどうなるの? また逃げ出した病院に戻される?」
「さあ、わからないな」
それだけ言って僕の非難の視線に気付いたらしい。
「話は聞くさ。聞くことができれば。もし、病院に非があるのなら転院することになる。
警察だからって、鬼じゃないんだよ」
「七星は、あの病院が嫌で逃げ出したんだ。絶対にそうだよ」
警部は首を振ってテーブルをこつこつと叩いた。
「……はたしてそうだろうか」
「決まってるじゃないか」
ため息をつき、警部はこう約束した。
「彼女が転院したいと言えば、させるよ。さあ、これで君が拒否する理由はなくなったね」
僕はしばしにらみ合った後、必要最低限のカードを出すことにした。
「居場所は知らない。けれど、イリスにフレンド登録が入ってる」
「そうか、では連絡を取ってくれ。
藤堂君、君もイリスを出すんだ。
栄枝君の端末を同期させて位置情報をわりだそう」
藤堂刑事は腕組みしていた手をといて、胸ポケットから自分のカードを取り出し、渋い声で僕に言った。
「君のIDを教えてくれ」
「62295246」
刑事は素早く入力し、「連絡してくれ」と指示を出した。
藤堂刑事の持っているイリスは警官専用のものだろう。
ボタン一つで僕の情報全てをハックできるのだ。
もう、このカードは使えない。そう思いながら、僕はイリスを机の中央に置いた。
音声モードに変換し、カードに向かって話しかける。
「イリス・フレンド・呼び出し・ユーザー名・七星」
七星の名前と人型のピクトグラムがカードに表示され、イリスが淡々と告げた。
「了解しました」
しばらくザーッという砂が流れるような音が聞こえた。
こんな音がするのは初めてだ。
僕は途方にくれて警部を見た。
しかし警部も面食らっているようで、目をぱちぱちとしばたたかせながら画面を見つめている。
なかなかイリスを使うことができない、と七星は言っていたが、こんなノイズがある中で出てくれるだろうか。
「……ら……の……」
ノイズに混じって、なにか話し声のようなものが聞こえた。
僕と百合川警部は中央に置いたイリスに思わず顔を寄せた。
さざ波のような音が大きくなった。僕は七星に向かって話しかけた。
「七星?」
ザーッという音以外は何も聞こえない。諦めかけたそのとき。
「……う……の……」
もう一度話し声が聞こえた。
そして。
「我々に近づくな!」
突然、女のようなかん高い声が大音量で響き、僕たちは反射的にのけぞった。
「君たちは……」
警部が気を取り直して話しかけた瞬間、ぶつっとイリスの通話が切れた。
僕は前のめりになり、画面を眺めた。
フレンド登録されていた七星の名前が表示されるはずだった画面には、「■■■■」と表示されていた。
百合川警部は深いため息をついた。
「……いま出たのは七星だと思うかい?」
僕はかぶりをふって、逆に藤堂刑事に尋ねた。
「それで、位置はわかった?」
刑事は自分のイリスを眺め、太い眉をしかめた。
「どうも君のお友達は、警察の位置情報特定ソフトを欺く知能の持ち主らしい」
彼は警部にイリスの画面を見せた。僕の席からでもその画面は見えた。
ブルーの背景に、白い文字が一面に羅列されていた。
no place no place no place no place no place no place no place no place no place no place no place no place no place no place no place no place……
僕と百合川刑事は、その画面を見たまま沈黙していた。