その10
「ありがっと、ございっやしたぁー」
普通の一人前を食べただけで、動くのが億劫になるぐらいのボリュームの味噌ラーメンは最高だった。
駅からちょっと遠くて歩く手間こそあるが、姫川さんが言うには平日の夜ならば並ぶことはないそうなので、また来ようと思う。
「くそ~、食い逃げできなかった」
「いや、食券だし、俺が貸してるし」
魔王の息のかかった店では食い逃げをしなければ気が済まないみたいだが、一緒にいてそんなことをされたら俺が迷惑だ。
「でも、アルが分けてくれたチャーハンも餃子もめっちゃ美味かったな。たぶん餃子の方はキャベツになんかアレンジしてるな。チャーハンの方は濃厚な味……たぶんチャーシューを炒めるときに濃口醤油でも使ったのか……」
散りばめられたネギも油で炒められているのに噛み応えがあるのに柔らかく、噛めば噛むほど香りが立ち込めてきた。
「正直ラーメンって値段も高いし、あまり好きなイメージなかったけど、これは最高だった。今度はもっとお腹を空かせてセットで食べよう」
ラーメン一杯七百五十円もすると、ファミレスやコンビニで二品、三品は買えてしまう。
空腹を満たすのに、金額以上の損得などないのだろうが、ラーメンだけで満腹にするのは勿体ないと考えていた。
これからは考えを改めよう。
横を走る県道は信号も多く、交通量も多いのでスピードを出す車は少ないものの、普段から徒歩と電車ばかりだと、横を車を走る感覚というのは新鮮であり、夜は視界も満足ではないので恐怖も感じる。
満腹の状態では思考も鈍るが、どうでもいい独り言を呟きながら、アパートのある方へと足を進める。
「そういえばアルはどこに住んでるんだ? 異世界人ってこっちではアルバイト以上の仕事は許可取るのに大変らしいけど、住居とかはどうなってるんだ?」
異世界とは一番近い外国――そういう扱いを日本がしているが、ゲートと呼ばれる異世界へと通じる場所が海もなければ港もなく、空港すらないサイタマ県に開いてしまったため、日本国外への出国は禁じられている。
アメリカ人が観光ビザで日本で就労できないように、異世界人にもルールが設けられている。
昔は色々とあったようだが、今はそれを両者が受け入れて、守られているのだから過去の話などどうでもいい。
ただ今の世界で言うならば、昔は好き勝手に往来できた異世界と日本のゲートは、簡単に行き来できなくなっているということだ。
そのためホテル住まいでは生活費はあっという間になくなってしまうので、アルバイトを許し(ほとんどが魔王系列の店に行く)、住居などを借りる許可ももらっている。
そのためサイタマは人口が増えても、異世界人のための特区のような扱いを受けてトウキョウよりも安い物価で経済が回っている。
「家か? それなら」
隣を歩くアルは、足を止めることなく俺が歩く先を指さした。
「あそこが俺の住んでるオンボロアパートだが」
二階建てで各階八室の合計十六室のちょっと大きめのアパート。
トイレが共同だったり、風呂がなかったりということはないし、洗濯機だって外に置くことはない。
ボロくて狭くても、そこはトウキョウに比べて土地の安いサイタマだ。
「知ってる。だって、サトーの部屋の上の階に俺住んでるからな」
「な……ええ……」
今年一番驚いた。
「ん? 知ってて俺に金を貸してくれたりしたんじゃないのか?」
「いや、知らない……」
この近所の飲食店で度々食い逃げが起こるのは知っていたし、それはどこも同じだと聞いていたから珍しさこそあれ、特別に記憶に留めておくものでもなかった。
なにせ、食い逃げをするのは魔王の系列の店だけで、魔王に恨みを持った誰か、というのは常識だったからだ。
「定食屋でも、ファミレスでも偶然はあるんだなぁ程度しか考えなかったけど、まさか同じアパートとは」
「俺は知ってたぞ。話したのは初めてだけど」
「そうだったのか」
「ああ、夜中まで起きていると疲れた顔をしたサトーが、牛丼とかを持ち帰ってきてるなー、って匂いでわかったし」
なんで俺の食生活まで把握しているんだ。
「サトーは朝早く、夜も遅いし、土日もいなかったりするから、俺と生活パターンが今まで合わなかったんだ」
昨日退職して、久しぶりにまともな時間に夕飯を食べれた。
それでも今日に比べれば遅いのだが。
「表札とか郵便受けとか見てないから、名前は知らなかったけどな」
俺もいちいち自分以外の家のネームプレートなど見ちゃいない。
「今夜は俺の家に遊びに来るか?」
「いや、遠慮しておく」
今日の午後は結局掃除をして終わってしまったし、仕事探しをしようとしていたはずなのに、ラーメン屋に行く約束のせいで求人情報誌をもらってくるのを忘れる始末。
今からコンビニに取りに行くのも面倒だし。
「サトーもこれから人間らしい生活ができるみたいだし、これからよろしくな」
夜のアパート前で差し出されるアルの手。
「人間らしいって……」
まあ、否定できないけど。
「よろしく」
その手に応じるのは恥ずかしさよりも、嬉しさの方が上回った。
高校までの友達とはまったく連絡をとっていないし、どこで誰がなにをしているのかなんてわからない。
孤独という言葉が脳裏を掠める寂しい生活が始まるのかと思いきや、コンビニの可愛い女の子と親しくなるだけでなく、同じアパートの異世界人とも親しくなれた。
「今度は一緒に食い逃げしような」
「それは出来んわ!」
異世界人は一晩留置場で済まされるかもしれないが、この世界の人間は日本の法律で裁かれてしまう。
「でも、まあ」
姫川さんじゃないが、今日の食事は特別に美味しかった。
それはきっと、誰かと一緒に食べたから、ひと味違って感じたのかもしれない。
二十七歳無職。
なんだか新しい生活が始まりそうな予感がしている。




