1、4月号
「あーーーーーっ、もう、ほんとだめだ」
我が文芸部の副部長である高崎俊介は奇声を発し、原稿用紙を丸めては次々と捨てていく。部室の備え付けのゴミ箱から溢れ、彼の周辺に入りきらなかった原稿用紙の屑が散乱している。
文芸部の面々は一度彼を一瞥して、また作業に戻った。いつものことだと放置する姿勢だ。それでも、変わらず騒がしい副部長は誰かが止めないと止まらない。そして、その役目を担うのは、いつも自分である。
仕方なしに雅はパソコン上の文章を一時保存してから、高崎に声をかけた。
「高崎先輩、今度はどうしたんですか?」
最早、面倒臭そうな素振りを隠そうとする気にもならなかった。実際、面倒くさい。しかし、放置してもそれはそれで面倒くさい。実に損な役割である。
「よく聞いてくれたな、雅」
高崎は面をあげ、雅を見る。聞きたくなかったけど聞かざるを得なかったんです、何て言わない。話を出来るだけ簡潔にまとめるためには下手に口を出さない。それが、この一年で彼から学んだことだ。まったく嬉しくない体験だ。
「実は、今度の文芸誌に載せる作品に満足できなくて困っている。アイデアの神が降りてこない」
そんなことだろうとは思ってましたよ、はい。むしろ、それ以外に理由が思い付かなかった。
高崎は、くしゃくしゃになった原稿の皺をのばし、いくらかまとめて雅に渡した。
ーーー
「そんな……、皇子が悪魔なんて……」
カミラは信じられなかった、目の前に立つ麗しの皇子がこの世で最も忌まわしいとされる生き物であるということが。あのとき、カミラを気遣った言葉は悪魔の甘美な囁きで、純真な約束は悪辣な取引で、カミラの淡い恋心はすべて虚偽であることも信じられなかった。否、信じたくなかった。
「皇子が悪魔なんじゃない。悪魔が皇子になっただけだ。本物はもう骸骨になって転がってるんじゃないかな」
悪魔の高笑いは、皇子を、カミラを、そして、騙されていた全ての人間を嘲笑っていた。これが神話にでてくる醜い悪魔の造形であったら、どんなによかっただろう。カミラはそれを憎めた。なんてひどい、と憤怒することができた。しかし、たとえ本物でなくても、皇子を模した悪魔であっても、あの善良な皇子に嘲られるのは心が痛い。なぜなら、カミラのなかで、皇子は尊く、素晴らしい人物だったのだから。
「皇子……」
彼女が、憧れた彼の君はもうどこにもいない。この城にも、この国にも、この世界にも。
熱い雫が、目の縁に溜まっていく。そして、ポツリと落ちた。視界が滲んでなにも見えない。しかし、、見えない方がよかったのかもしれない。皇子の下卑た表情などこれ以上みたくなかった。
「カミラ、君はもう用済みだ。今までありがとう、さようなら」
幾もの血液が付着した紅い刃が振られた。カミラは歪んだ視界でそれを見つめることしかできなかった。敬愛する皇子の本当の姿を、知る前に死にたかった。彼女の心残りはそれだけだった。
ーーしかし、いつまでたっても痛みはやってこなかった。痛覚まで麻痺したのだろうか。ふと歪む視界に、見覚えのあるコートが、映った。紅い刃を食い止めたのは、銀の刃。悪魔でさえ驚愕の色が浮かんでいた。
「貴様。まさかっ……!」
ーーー
「なんか、すごく続きが気になるんですけど」
高崎は、文芸部のなかでは一番文章がうまい。そして、読み手をその世界に引き込ませるのもうまい。
「物語としては、皇子つきの侍女としてカミラが王宮にあがってきたところから始まる。コートの人物は、物語の中盤で城下町でカミラが道案内をすることで知り合った。そして、皇子が臣下を殺したところでカミラは皇子の正体に気付いたという場面だ。」
そこで、高崎は唸った。嫌な予感しかしない。
「なぁ、雅。このコートの人物、誰だと思う?」
「え? えーと、実は、本物の皇子は生きていてというパターンですかね。それか、悪魔の対の天使とか」
すると、高崎は沈んだように息を吐き出した。
「俺も、本物の皇子で話を進めていた。そして、ラストを書き上げようとしたとき、俺はふと気付いた…………、あまりにも普通すぎると」
今の雅の視線を形容するならば、可哀想なものを見る目か、奇人を相手どったときの目であったにちがいない。イエスとも、ノーとも答えられない雅に、高崎は自分の思いの丈を熱烈に伝えてきた。
「雅ですら考えられる王道テンプレ。何番煎じだと攻められなくても、自己嫌悪に陥るありきたり設定。俺も世間も、求めてるのはこんな矮小な作品じゃない。もっと意外性を秘めた文学作品わだ。しかし、インスピレーションが湧いてこない。なんてことだ……」
さりげなく馬鹿にされたのは気付かなかったふりにしておこう。高崎俊介の名台詞とは『文芸の世界で新しい風を巻き起こし、これまでと一風変わったエンターテイメントを開拓する』である。新しさやら独自性やらを求めすぎて、度々迷走する。普通に書けば、面白い作品が書けるのに、非常に残念な物書きだ。
「目下の悩みはコートの男の正体とこれからの展開を決めることだ。これが決まらないとむずむずして夜も寝られない」
先輩の事情なんて知りません。そう切り捨てられたらどんなに楽か。付き合うのも面倒だが、放置するのも面倒。結局惰性で付き合ってしまう性分を矯正したいこの頃である。
「当初の予定通り、皇子がカミラを救うじゃ駄目なんですか?」
王道でかっこいい勧善懲悪はどの時代でもウケるものだ。しかし、高崎は小馬鹿にしたように息を吐いた。
「そういうありふれたジャンルはな、誰にでも書けるんだ。そして、誰にでも共感される。けれどな、俺が書きたいのは、俺にしか書けない、わかる人にはわかる素晴らしい作品なんだよ!」
「なら、自分で頑張ってください」
「雅、そんな素晴らしい作品を世に送り出すためにはインスピレーションが、必要なんだ。世のためだと思って、なんかネタを出せ」
出した端から否定するくせによく言うものだ。仕方なしに考えてはみるものの、とんと浮かばない。できれば比較的早目にまともなアイデアを出したい。部員が興味を持ちだすと、カオスは免れない。
「コートの男は悪魔の味方で、ヒロインを二人で犯していく、ってのは、どうかしら」
言った端からカオス来ました。内容からして、三年の篠原千里であることは間違いない。
「蝋燭とか縄とかで凌辱。少しずつ雌犬に調教していって、世界を滅ぼす駒となるの。出来れば、調教シーンを濃密に」
昼間から話す話題でもないし、学校の文芸誌に載せる内容でもない。アウトどころでなく、レッドカードが出されるレベルだ。そして、文芸部の女王が身を乗り出したのなら色々と手遅れだ。案の定、目をキラキラさせて会話に参加してきたやつがいた。
「いやー、敵方のとなると出来すぎてる感じがしますよ? コートの男はヒロインの婚約者で、果敢に悪魔に挑むも巧妙な罠で敗北。ヒロインの前で、悪魔に犯される……ほうが萌えますね」
「千里先輩も藤堂も、確実にR18入る内容ださないでください。文芸誌、しかも新一年生が見るようなものに載せられませんから」
「堅いなぁー、雅。今の男子校生なんて健全にエロいことばっか考えてるんだからさー、これくらい普通だって」
とりあえず、BLトークをハァハァ言いながら語りだすまえに、藤堂杏里には拳骨を入れておいた。文芸部の官能小説派(一人はSM、一人はBLとGL)が嬉々として会話に加わると十中八九ろくでもないことになるのは、今までの経験で、いやというほど知っている。カオスは免れないな、と心のそこで諦めモードにはいった。
「成程。新鮮だな。少し18禁要素が強いが、表現をぼやかせばいけそうだな。」
何せ、書き手がノリノリである。エロ本を堂々と部室で読む藤堂を咎めない連中に、今更まともな感覚なんて期待していない。
「新歓の部活動オリエンテーションで配布するんだから少しインパクトがあってもいいかもしれん」
先輩、インパクトの軌道修正するべきだと思います。そっちの方向のインパクトは誰も期待してません。
雅の心の声は最早彼らには届かない。雅と彼らを隔絶する厚い壁を感じる。ただし、壁の向こう側に行きたいとはミジンコほども思わなかった。
「あと、ヒロインのキャラが少し弱いな。もう少し目立つような……」
そのとき、会話に混じらず、一人もくもくとキーボードを叩いていた男子生徒が急に立ち上がった。その瞳は輝いている。
「どうした」
高崎が促すと、橘玲が万を辞して口を開いた。
「悪魔に襲われかけたとき、カミラの体を神々しい光が包み込んだ。彼女は光の十騎士の一人、陽光であったことが発覚。悪魔と闘うために選ばれし戦士であった。混沌たる闇の渦を防ぐために彼女は……」
「まぁ、ヒロインはそのままでも平気だな」
「無理にキャラつくると痛いしね」
「ストーリーがある程度しっかりしてれば、大丈夫だと思います」
完全無視。橘はへこたれることなく、自分の設定を訥々と、語り続けた。相手が居ようが居なかろうがあんまり関係ないらしい。ラノベオタクはいつもこういうポジションである。
「よし、もう一回プロットを書き直して修正していくぞ。諸君、ご協力感謝する。おかげでいい作品ができそうだ」
確実にろくでもない作品でしょうね。
高崎がガリガリと書きなぐっていく音とパソコンのキーボードを打つ音が見事に調和している。高崎は筆圧が強い。特にペンが乗っているときは、脳内に浮かぶ情景を早く文字にしたいのか焦れるように書いている。人によってはやかましいと思う人もいるかもしれない。しかし、サッカー部がシュートを決めるように、野球部がホームランを打つように、テニス部がスマッシュを打つように、文芸部が必死に物語を紡いでいる姿は格好いいと思う。
原稿用紙が50枚近く積み重なっただろうか。高崎はペンを置いて、ゆっくりと息を吐いた。
「…………できた」
こうして、一つの世界を構築し終えた高崎は達成感と自己満足で笑みを溢すのだ。
「お疲れ様です」
雅が原稿を汚さないように慎重にカップを置くと、先刻まで原稿一筋だった視線が雅を射た。
「ミルク三分の一、砂糖三杯?」
「一年間入れてたら高崎先輩のコーヒーの好みくらいわかります。お子様味覚の」
「家じゃ微糖だよ。執筆中とか書き上げたときは、脳が糖分を求めてるんだ」
美味しそうにコーヒーを啜る目の前の男子は、あどけなく見えて年下にしかみえない。けれど、日常生活では年上としての才覚を、遺憾なく発揮するもんだから不思議なものだ。
高崎はコーヒーを飲みながら周囲を見渡す。6つ並べられた机に、床に散らばる丸まった原稿用紙。高崎は眉間に皺を寄せた。
「掃除しねーと。原稿使い捨てたのばれたら部長様に鉄拳くらうしな」
乾いた笑い声をあげて、高崎はまた一口とコーヒーを含んだ。そして、視線を雅のほうにむけて、体が固まった。
「ごほっ、ごほっ、ごほほっ」
「高崎先輩?!」
急に噎せた高崎を心配する雅だったが、頭上に感じる重々しい空気を読み、素早く身を安全な場所に退避させた。
そこにはがたいのいい我らの部長様が仁王立ちをしていたのである。
「ほぉ? それは高崎、お前は原稿用紙が部費で支払われていることをわかってて無駄遣いしているんだろうな?」
威圧感やら圧迫感やら遠くにいても感じる。背はあるが、横にそれほどあるわけでもないので。不思議なものだ。
「安藤っ。おまっ、いつの間に……」
「副部長さんが後輩ちゃんとお手持ちのコーヒーくらい甘い青春の会話を、していたときでーす」
「篠原、とりあえずスルーさせてもらうが、俺に執筆以外の青い春はない」
安藤に追い詰められても軽口を叩けるのは大したものだと本当に思う。しかし、さすがの高崎も冷や汗をかいている。魔神モードの部長様は禍々しいオーラを放っているから誰も迂闊に近づけない。
金については細かいのが部長、安藤陸だ。原稿用紙でないと書いた気がしないと言う高崎だけ、部費を削って原稿用紙が支給されているため、シビアであったりする。他はみな、パソコンでカチカチやっている。
「悪い悪い悪い悪い。つい感情が高ぶって丸めて捨てたりしました。ごめんなさいすみませんもうしわけありませんちょっとまっ……、いたいいたいいたいっ」
170少し越えた高崎と180を楽に越える安藤だと体格は結構違う。安藤は大きな右手で高崎の頭を掴んでいた。安藤の握力は平均65キロ。ちなみに握力が60キロあると、リンゴを握りつぶせるらしい。
「もう下校時間だから帰ろうか」
「そうですね」
「お疲れさまでしたー」
あとは、地獄絵図となる前に退散するに限る。高崎を見殺しにして文句を言われたのはまたあとの話である。
ーーー
「すごいですね」
「さすがとしかいいようがないですね」
「いつも通りだな」
「最早炎上が日常って、慣れって怖いわね」
ーー高崎ふざけんな。
ーーカミラちゃんをあんな目に合わせやがって。
ーー今度こそと、期待した俺がバカだった。
ーー途中まではよかった。ラストが残念すぎる。
文芸部では、ホームページを運営している。文芸誌の発刊日をのせたり、掲示板で感想を書いてもらったりしている。
その掲示板だが、高崎が入部してから炎上しなかったことがないという武勇伝がある。そして、いつも通り4月分の文芸誌を発刊した途端、掲示板が荒れだした。稀にまともな感想も見つかるが、その他は高崎の作品の批評ばかりだ。
しかし、とうの本人は一切合切気にしたそぶりがない。
「こうして感想がくることはな、読者の予想が裏切られたからってだけだ。だから、こういう感想がくるのは読者が想像もしなかった展開を思い付いたってことで光栄なんだよ」
「……この反応見てると、あんパンを買ったのに、食べてみたらカレーパンだった、みたいな怒り方ですけどね」
高崎先輩の楽観的思考、1%だけわけてほしいです。
千里先輩と藤堂は18禁にギリギリ抵触しないくらいのエロをいれています。何気にファンがついてるそうです、うらやましい。
ちなみに私はというと、自分の作品の感想を見たことがない、といえばなんとなくわかってくれると思う。
高崎の文章が巧いという設定ですが、書いているのは全て作者なので、拙い部分が多分にあります。心の目でみてください!