26、内訳
翌朝、目を覚まして最初に見たのは、知らない数字の羅列だった。
「…………」
寝ぼけたままスマートフォンを顔の前まで持ってくる。
SNSの通知。
送信者はユイだった。
『昨日はありがとうございました』
『分かる範囲でまとめました』
その下に画像が何枚か添付されている。
俺はベッドの上で身体を起こした。
時刻は7時14分。
出勤まで余裕はある。
画像を1枚開く。
店の伝票らしい。
日付。
品名。
金額。
見慣れない長ったらしい酒の名前が並び、その横に5桁、6桁の数字が書かれている。
「……高いな…」
酒1本に使う金額には見えなかった。
次の画像。
また伝票。
その次はスマートフォンのスクリーンショットだった。
担当とのメッセージ。
『今日助けてほしい』
『あとで何とかすればいいから』
『俺が立て替えとく』
それに対してユイが、
『ほんとに大丈夫?』
と返している。
担当からは、
『大丈夫』
『ユイのこと信用してるから』
その下には別の日付のやり取りが続いていた。
俺は画面をスクロールする。
似たような言葉が何度も出てくる。
助けて。
今日だけ。
俺が何とかする。
無理しなくていい。
会いたい。
「…………」
昨日会った男の顔を思い出した。
怒鳴るような人間ではなかった。
むしろ話し方は穏やかだった。
ユイが払えないと言えば待つ。
2万が無理なら1万でいいと言う。
少なくとも昨日のやり取りだけなら、俺が割って入る理由はなかった。
画像をもう1枚開く。
今度はユイ自身がメモにまとめたものだった。
『自分で確認できた売掛 約390万』
『担当が立て替えたと言われている分 約190万』
『合計 約580万』
「190万……」
昨日聞いた時より多い。
その下に、
『ちゃんと確認したらこのくらいでした。昨日100万ちょっとって言ってすみません』
と書いてある。
俺はもう1度、最初から数字を見る。
390万については、少なくともユイが持っている伝票がある。
問題は残りの190万だった。
『190万の方は何か残ってますか』
送る。
数分後、返信が来た。
『LINEだけです』
『領収書とかは?』
『ないです』
『振込記録』
『ないです』
『現金でもらった?』
今度は少し間が空いた。
『もらってないです』
俺の指が止まった。
『じゃあ、どうやって立て替えたんですか』
既読。
返信が来ない。
俺は画面を見たまま待った。
1分。
2分。
『担当が店に払ってくれたって聞いてます』
「…………」
俺はベッドから降りた。
洗面所へ向かいながら、もう1度その文章を見る。
担当が店に払った。
ユイ本人は金を受け取っていない。
証拠も持っていない。
それで190万円。
俺には、その190万が本当に存在するのか判断できなかった。
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昼の書店では、昨日までと何も変わらなかった。
入荷した本を確認して、段ボールを片付けて、伝票と実物の数が合っているかを見る。
数字。
また数字だった。
こっちは1冊足りないだけでも確認するのに、ユイは190万円の内訳を確認していない。
「望田君」
「はい」
「これコミックの新刊ね〜。裏お願い!」
「分かりました」
渡された箱を受け取る。
仕事中に考えることではない。
そう思っても、頭の隅には残っていた。
580万。
俺が何年働けば自由に使える金として580万円という大金を作れるのだろうか。
考えたくもない。
休憩時間になり、俺はバックヤードの椅子に座った。
スマートフォンを見る。
ユイから新しいメッセージはない。
代わりに咲優とのトーク画面を開く。
『聞きたいことがある』
数分後。
『なに』
『ホストの売掛って詳しい?』
『なんで?』
『昨日の依頼』
『客が580万あるって』
今度はすぐに返信が来た。
『580?』
『うん』
『万?』
『うん』
『お兄さん初仕事から引き悪すぎ』
俺もそう思う。
『店の分が390万くらい』
『担当が立て替えたって言ってるのが190万くらい』
『後者は本人も内訳分かってない』
少し長めの既読時間。
『それ本人にちゃんと確認させた方がいいよ』
『やっぱり?』
『当たり前でしょ』
『190万だよ?』
『コンビニでジュース買ったとかじゃないんだから』
その例えは分かりやすかった。
『あとさ』
咲優から続けて届く。
『その子、担当から仕事紹介するって言われてない?』
俺の指が止まった。
『言われてる』
『なんで分かった?』
少し待つ。
『ありがちだから』
その4文字を見て、俺は画面から目を離した。
休憩室の時計を見る。
まだ休憩は残っている。
『どういう仕事?』
返信。
『知らない』
『その子による』
『普通の夜職かもしれないし』
そこで1度文章が切れた。
次のメッセージが来る。
『そうじゃないかもしれない』
俺はしばらく画面を見ていた。
『そうじゃないって?』
『本人に聞きなよ』
『私が想像で言ってもしょうがないし』
それはそうだった。
俺はトーク画面を閉じる。
今度はユイとのメッセージを開いた。
『担当から紹介される仕事について、何か聞いてますか』
送信。
既読は付かなかった。
休憩が終わる。
俺はスマートフォンをポケットへ戻した。
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夜。
仕事を終えて店の外に出たところで、スマートフォンが震えた。
ユイだった。
『返事遅くなってすみません』
続けて、
『今日、担当から連絡来ました』
『仕事の話、明後日するって』
俺は立ち止まった。
歌舞伎町の明かりが道路の向こうに広がっている。
『店で?』
『多分』
『何の仕事か聞きましたか』
『聞きました』
そこで返信が止まった。
俺は待つ。
数秒後。
『詳しいことは会ってからって言われました』
それだけだった。
何の仕事か分からない。
違法なのかどうかも分からない。
担当が本当にユイのことを助けようとしている可能性だってある。
俺が勝手に疑っているだけかもしれない。
『行くんですか?』
『行きます』
即答だった。
『580万返さないといけないので』
俺はその文章を見た。
昨日までなら、そこで終わっていたと思う。
本人が行くと言っている。
実際もう俺には関係ないことだ。
そもそも便利屋として頼まれた仕事は既に終わっている。
スマートフォンをポケットに入れようとしたら、またブブっと震えた。
『あと昨日の3,000円、まだ払えなくてごめんなさい』
俺は少し考えてから返信した。
『それはいいですよ』
『仕事の話を聞いたら連絡してください』
既読が付く。
『なんで?』
「…………」
俺は返信欄を開いた。
理由を考える。
依頼料をまだ受け取っていないから。いや、仕事の続きだから。いや、580万円が気になるから。
どれも間違ってはいない。
『気になるので』
それだけ送った。
しばらくして、『分かりました』と返ってきた。
俺はスマートフォンをポケットに入れ、駅へ向かった。




