18
六月。
月曜日。
営業三部。
「……のだぁ」
伊藤レイ(51)は、朝から死んだ魚みたいな顔をしていた。
机に突っ伏している。
異常に静か。
営業三部がざわついていた。
「……今日レイさん静かじゃない?」
「怖い」
「絶対なんかあった」
中村が恐る恐る近づく。
「レイさん」
「……のだぁ」
「どうしたんです?」
「終わったのだぁ……」
「何が」
レイはゆっくり顔を上げた。
その顔は本当にショックを受けていた。
「吾輩のぉ……」
「うん」
「ビール腹がぁ……」
「はい?」
レイは立ち上がった。
そしてジャケットをめくる。
「減ったのだぁぁぁぁ!!!!!!」
営業三部が静まり返る。
確かに。
少しだけ。
本当に少しだけ。
腹が引っ込んでいた。
「……」
「……」
「……え、良いことでは?」
「良くないのだぁ!!!!!!」
レイは本気で悲しそうだった。
「数十年かけて育てた吾輩のビール腹がぁぁぁ!!!!!!」
「育成ゲームじゃないんですよ」
「吾輩の歴史なのだぁ!!」
レイは腹をさすった。
「上司に一気飲みさせられてた若い頃の吾輩の勲章がぁ……」
「悲しい勲章だなぁ」
「終電後のラーメンがぁ……」
「はい」
「ストロング缶生活がぁ……」
「不健康の塊ですね」
原因は単純だった。
美咲である。
付き合い始めてから半年。
レイは美咲の家へ行く頻度が増えた。
そして。
食生活が変わった。
手料理。
野菜。
魚。
薄味。
まともな味噌汁。
さらに。
「夜中にポテチ食べるの禁止」
「のだぁ……」
「ストロング缶毎日禁止」
「のだぁ……」
「寝る前ラーメン禁止」
「生きる意味がぁ……」
結果。
レイは少し健康になっていた。
肌艶も若干改善。
健康診断数値も改善。
だが本人は不満だった。
「吾輩ぁ……」
レイは遠い目をした。
「最近、階段登っても息切れしないのだぁ……」
「良いことですよね?」
「怖いのだぁ……」
若手たちは笑いを堪えていた。
さらに。
「あとぉ……」
レイは悲しそうに続ける。
「この前、美咲に“最近ちょっと顔色良いね”って言われたのだぁ……」
「良かったじゃないですか」
「吾輩の不健康な色気が消えるのだぁ……」
「元々ないです」
「のだぁ!?」
しかし実際。
営業三部でも少し噂になっていた。
「最近レイさんちょっとマシじゃない?」
「前より臭くない」
「あと昼飯まとも」
以前のレイ。
ストロング缶。
唐揚げ。
カップ焼きそば。
謎の揚げ物。
現在。
手作り弁当。
しかも地味に美味そう。
「……」
中村が弁当を見る。
焼き魚。
卵焼き。
ひじき。
煮物。
「完全に奥さんの弁当じゃないですか」
「のだぁ……」
「なんで不満そうなんです」
「健康になってしまうのだぁ……」
「普通喜ぶんですよ」
レイは弁当を見つめた。
「でもぉ……」
「うん」
「美咲の卵焼き美味いのだぁ……」
「惚気じゃねぇか」
営業三部が即ツッコむ。
レイはハッとした。
「のだぁ!?」
「完全に惚気です」
「違うのだぁ!」
「ニヤけてますよ」
「してないのだぁ!」
だが。
本当に少しニヤけていた。
実際、美咲の料理は妙に嬉しかった。
ちゃんとした飯。
普通の味。
誰かが自分のために作ってくれた食事。
それがレイにはかなり効く。
「……のだぁ」
昔。
若い頃。
会社の飲み会ばかりだった。
一気飲み。
終電逃し。
ラーメン。
タバコ臭い居酒屋。
それを“大人の男”だと思っていた。
腹が出ることも、酒が強いことも、勲章みたいに思っていた。
でも最近。
美咲の家で普通の晩飯を食ってる時間の方が、なんか落ち着く。
それが少し不思議だった。
「……」
その時。
スマホが震えた。
『今日、肉じゃが作るけど来る?』
美咲。
「のだっ♡」
一瞬で顔が明るくなる。
「うわっ」
「わかりやす」
レイは即返信した。
『行くのだぁ!!!!!!』
さらに。
『肉多め希望なのだぁ!!!!!!』
数秒後。
『野菜も食べなさい』
「のだぁ……」
レイはしょんぼりした。
しかし。
数秒後にはまた少し嬉しそうだった。
中村は呆れながらその顔を見る。
「……レイさん」
「のだぁ?」
「なんか普通に幸せそうですね」
「……」
レイは少し止まった。
そして。
「……うむ」
珍しく素直に頷いた。
「最近ぃ……」
「うん」
「ちゃんと飯食うとぉ……次の日ちょっと楽なのだぁ」
「当たり前です」
「あとぉ……」
レイは鼻を擦った。
「帰る場所ある感じがするのだぁ」
営業三部が少し静かになる。
レイは照れ臭そうだった。
「まあでもぉ!」
急に復活。
「吾輩のビール腹文化を滅ぼしてはならぬのだぁ!」
「まだ言ってる」
「今日は帰りにポテチ買うのだぁ!」
その瞬間。
スマホ。
『帰りコンビニ寄るならポテチ禁止』
「のだぁぁぁぁ!?!?!?」
完全に読まれていた。
営業三部に爆笑が起きる。
「支配されてるじゃないですか」
「違うのだぁ!」
「健康管理されてるだけですよ」
「吾輩の自由がぁぁぁ!!!!!」
なおその夜。
レイは肉じゃがを三杯おかわりし、美咲に「だから太るのよ」と普通に怒られた。




