第33話 魔将の影と、黒い勧誘
「……重い。ねえナオト、重すぎる。肩が外れる」
「我慢しろ。その重さは富の重量だ。金塊一本で1キロ、5本で5キロだぞ」
「リュックの紐が食い込むぅ……。でも幸せ……。この痛みすら愛おしい……」
「完全に金中毒の発想だな。……足元に気をつけろよ。転んだら金塊で頭を打って死ぬぞ」
「死因が金塊なら本望よ! ……あー、早く地上に出たい。ここカビ臭いし」
旧王立銀行の地下金庫での略奪を終えたナオトとミオは、戦利品で膨れ上がったリュックを背負い、螺旋階段を登っていた。
ペストマスク越しの呼吸音だけが響く静寂。しかし、二人の足取りは重いが心は軽い。
なんといっても、背中には一生遊んで暮らせるだけの金があるのだから。
「……ねえ、これ売ったら何買う? 私、まずはエステに行きたい。あと高級焼肉」
「俺は新しい機材と拠点だな。ゼルトの地価は高いらしいが、これだけあれば一等地に事務所を構えられる」
「事務所? また働く気?」
「不労所得を得るためのシステム作りだ。……おっと、ロビーに着いたぞ」
二人は地下階段を登りきり、1階の広大なロビーへと戻ってきた。
外の光が差し込む入り口まであと少し。トライクが待機しているのが見える。
「よし、脱出だ! 空気の美味しい世界へ……」
ミオが駆け出そうとした、その時だった。
パチ、パチ、パチ……。
静まり返った廃墟の銀行に乾いた拍手の音が響き渡った。
「……ッ!?」
「……誰!?」
二人は弾かれたように足を止め、音のした方角――入り口の扉の前を睨みつけた。
逆光の中に、一つの影が立っていた。グールではない。スケルトンでもない。
すらりとした長身のシルエット。
「……素晴らしい。実に素晴らしい手際でした」
流暢な共通語。落ち着いた、深みのある低音ボイス。
影がゆっくりと歩み寄り、ロビーの薄明かりの中にその姿を現した。
漆黒の礼服 (燕尾服に近い軍服)を隙なく着こなし、背中には蝙蝠のような皮膜の翼を畳んでいる。
透き通るような白い肌に血のように赤い瞳。そして額からは、ねじれた二本の角が生えていた。
「……人間じゃ、ないわね」
「……ああ。このプレッシャー、ただの魔族じゃないぞ」
ナオトは反射的に鑑定を試みた。
しかし、ゴーグルのディスプレイには『ERROR』の文字が点滅するだけだ。
測定不能。つまり、格が違う。
「初めまして、人間のお二人さん。……いや、ナオト君とミオ君とお呼びしましょうか」
「……俺たちの名を知っているのか?」
「ええ、もちろん。軍事基地を消し飛ばし、100年前のゴーレムを沈める、凄腕の冒険者ですよね」
男は優雅に一礼した。
その動作一つ一つに洗練された貴族のような気品が漂っている。
「私はヴァルドレッド。魔王軍・第六軍団を預かる魔将の一人です」
「……魔将!?」
ミオが息を呑んで後ずさる。
魔将。それは魔王直属の幹部であり、単独で一国を滅ぼせるほどの実力者だ。
この世界のラスボス候補の一角が、なぜこんな廃墟に?
「……光栄だな。雲の上の存在が、こんなドブネズミに何の用だ? 命を狩りに来たのか?」
ナオトは金塊を収めた背中のリュックの重さを確認しながら、いつでも逃げ出せるように重心を落とした。勝てる相手ではない。逃げる隙が1秒あるかどうかだ。
「まさか。命など奪いませんよ。……私はスカウトに来たのです」
「……は?」
「スカウト? 芸能事務所?」
ヴァルドレッドは懐から一枚の羊皮紙を取り出し、空中に浮かべた。そこには契約魔法のルーン文字がびっしりと書かれている。
「単刀直入に言いましょう。……我が軍に就職しませんか?」
その言葉に廃墟の空気が凍りついた。
「……就職?」
「ええ。あなた方の戦闘データ、拝見しました。……特にナオト君。君のリソース管理能力と冷徹な判断力。そしてミオ君の圧倒的な火力と思考停止した突撃力。……どちらも我が軍が喉から手が出るほど欲しい人材だ」
「ちょっと! 私の評価だけなんか雑じゃない!?」
「黙ってろミオ。……おい、魔将さん。俺たちを魔族の手先にしようってのか? 生憎だが、俺たちは自由を愛する冒険者でね」
「自由……ですか。しかし、今の生活はどうです? 明日の食料にも困り、賞金首として人間に追われ、泥水をすする毎日。……それが自由ですか?」
「……うッ」
ナオトの言葉が詰まる。
図星だ。ここ数日の生活は自由という名の地獄だった。
「我が軍は違いますよ。……提示条件を見てください」
ヴァルドレッドが指を鳴らすと羊皮紙の内容が書き換わり、二人の目の前にホログラムのように表示された。
【魔王軍・中途採用オファー】
・役職:幹部候補生 (将軍補佐)
・給与:月給金貨50枚 (ボーナス年2回・成果報酬あり)
・勤務地:魔王城 (個室寮完備・食堂無料)
・福利厚生:温泉入り放題、サキュバスによるマッサージ付き
・その他:人間界への略奪品は3割まで個人所有可
「……金貨50枚……?」
「……サキュバスのマッサージ……?」
二人の目が釘付けになった。
金貨50枚といえば、今の賞金稼ぎ生活の数倍の安定収入だ。しかも衣食住完備。
「さらに、我が軍は実力主義です。人間のような家柄やコネは関係ない。結果さえ出せば、一年で軍団長への昇進も夢ではありません」
「……ま、マジか」
「そして何より……」
ヴァルドレッドはにっこりと微笑んだ。
「我が軍はホワイトです。残業代は1分単位で支給。有給消化率は100%。パワハラ上司は即刻処刑。……どうです? ブラックな人間社会に疲れたあなた方にこそ、相応しい職場では?」
「……ホワイト……」
ナオトの瞳からハイライトが消えた。
その単語は元社畜の彼にとって、どんな魔法よりも強力な魅了効果を持っていた。
「完全週休二日制……? みなし残業なし……? 嘘だろ……そんな天国がこの世に……」
「ありますとも。魔王様は合理的であらせられますからね。『疲れた兵士は使い物にならない』というのが社訓 (軍規)です」
「ナオト! 騙されないで! こいつ魔族よ! 人類の敵よ!」
ミオがナオトの肩を揺さぶる。しかし、ナオトは夢遊病者のように羊皮紙へと手を伸ばしかけていた。
「でもミオ……見てみろ、この退職金制度の欄を……。勤続5年で城がもらえるんだぞ……」
「城なんていらないでしょ! 維持費がかかるだけよ!」
「……そうか。維持費か。……待てよ」
ナオトの手がピタリと止まった。
社畜としての防衛本能が、ギリギリのところで警鐘を鳴らしたのだ。
「……おい、面接官殿。質問がある」
「なんでしょう? なんなりと」
「この契約書……業務内容の欄が空白だが? 具体的に何をするんだ?」
「ああ、簡単なことですよ。……人間牧場の管理と反乱分子の粛清です」
「……牧場?」
「ええ。人間を効率よく管理し、魔力を吸い上げる。……あなた方には、そのためのシステム構築をお願いしたい」
「……なるほど。家畜の世話係か」
「知的で生産的な仕事でしょう? 無駄な殺生はしません。生かさず殺さず、永遠に搾取するのです」
ヴァルドレッドは美しい笑顔で言った。
その笑顔の裏にある、底知れない冷酷さ。
人間を資源としか見ていない、絶対的な捕食者の視点。
「……却下だ」
ナオトは手を引っ込めた。
「おや? 条件にご不満で?」
「条件は最高だ。心が揺らいだのは認める。……だがな」
ナオトはペストマスクの位置を直し、ニヤリと笑った。
「俺は搾取される側の痛みを誰よりも知ってるんだよ。……だから、俺が搾取する側に回るのは俺の美学が許さねえんだ」
「……ほう」
「それに、俺はもう組織の歯車になるのは御免だ。上司の顔色を伺うのも、部下の尻拭いをするのもな。……俺は、俺のために生きる」
「そうですか。……それは残念です」
ヴァルドレッドが小さくため息をつくと、空気が一変した。
ビリビリとした殺気が物理的な圧力となって二人にのしかかる。
「内定辞退は認めますが……我が軍の機密 (福利厚生)を知った以上、ただで帰すわけにはいきませんね」
「ヒィッ! やっぱり殺る気じゃない!」
「来るぞミオ! 戦闘準備!」
「無理よ! 相手は魔将よ! レベル差100はあるわよ!」
「正面からやり合うわけないだろ! ……撤退戦だ!」
ナオトはポケットから、小さなリモコンを取り出した。
「ヴァルドレッドさんよ! 一つ忠告しておいてやる!」
「なんでしょう? 遺言ですか?」
「ホワイト企業を自称する会社ほど、裏は真っ黒だってことだ! ……ポチッとな!」
ナオトがスイッチを押した。
ドォォォォォン!!
入り口付近の天井が突然の爆発と共に崩落した。
ナオトがあらかじめ設置しておいた指向性地雷だ。
大量の瓦礫と土煙がヴァルドレッドの上に降り注ぐ。
「ぬっ……!?」
さすがの魔将も、天井が落ちてくるとは思わなかったらしい。一瞬の隙が生まれた。
「今だ! 走れぇぇぇッ!」
「うわぁぁぁん! もう就活なんてしないぃぃ!」
二人は土煙の中を全力疾走し、トライクに飛び乗った。
エンジン始動。アクセル全開だ。
「逃がしませんよ……!」
背後から、瓦礫を吹き飛ばして黒い影が追ってくるのが見えた。
無傷だ。服に埃一つついていない。
「化け物かよ! ……ミオ、土産を置いていけ!」
「えっ!? 金塊!?」
「違う! 石鹸水だ! さっきの残りを全部撒け!」
「了解! 美肌になりなさい魔族ゥゥッ!」
ミオが荷台からタンクをひっくり返す。
強アルカリ性の液体が霧のように後方へ散布された。
ジュワッ!
「……っ! これは……!」
ヴァルドレッドが顔を覆って足を止めた。
魔族といえど、粘膜への化学攻撃は不快らしい。
あるいは高級な礼服が汚れるのを嫌ったのか。
「あばよ! 再面接の連絡は不要だ!」
ドロロロロ……ッ!
トライクは灰色の霧の中を暴走し、魔将の視界から消え去った。
◇ ◇ ◇
「……はぁ、はぁ。まいたか……?」
数分後。
王都の出口付近まで逃げ延びたナオトはバックミラーを確認して息を吐いた。
追ってくる気配はない。
「……怖かった。マジで怖かった。チビるかと思った……」
ミオがシートの上で震えている。
「魔将……あんなのがあと6人もいるの? 無理ゲーじゃない?」
「ああ。今の俺たちじゃ、束になっても1分で全滅だ。……だが、収穫はあった」
「収穫? トラウマと金塊以外に?」
「敵の組織構造が分かった。……奴らは一枚岩じゃない。成果主義ってことは、内部での派閥争いや足の引っ張り合いがあるはずだ」
「……あんた、また悪巧みしてる顔ね」
「敵を知り己を知れば百戦危うからず、だ。……まあ、当分は関わりたくないけどな」
ナオトは苦笑し、リュックの重みを背中に感じ直した。
この金塊があれば、とりあえず魔王軍に就職しなくても生きていける。
「さあ、出国だ。この霧を抜ければ、そこはもう魔導連邦ゼルトの勢力圏だ」
「やった! 文明! お風呂! 美味しいご飯!」
「そして、追手とのカーチェイスだ」
「え?」
「忘れたか? まだ後ろから賞金稼ぎたちが追ってきてるはずだぞ」
「……あ」
ミオの顔が引きつる。
一難去ってまた一難。
休まる暇などないのが、この世界のデフォルト設定なのだ。
「行くぞミオ! 最後のデッドヒートだ!」
「もう嫌ぁぁぁ! 早く引退したいぃぃ!」
悲鳴と共にトライクは灰色の霧を突き抜け、新たな戦場へと走り出した。




