第122話 決死の血魔術と、ぶつかり合う神聖力
「グアアアアアアッ! 私の、私の誇り高き血が……穢れた水ごときで焼かれるだと!?」
「穢れた水じゃないわよ! 金貨五十枚分の最高級の聖水よ! あんたがワイングラスで気取って飲んでたドロドロの血なんかより、ずっと神聖で高価な代物なんだから!」
「おのれぇぇっ! 貴様ら人間風情が……この私を、魔将であるこの私を愚弄するかぁっ!」
上空の異空間から降り注ぐ二千本分の聖水の滝。
その神聖なる暴雨の真っ只中で、魔将ヴァルドレッドはかつての優雅な面影を完全に失い、全身から凄まじい浄化の白煙を上げながら泥の上をのたうち回っていた。漆黒の軍服は焼け焦げてボロボロに引き裂かれ、その青白い肌は強酸を浴びたように爛れている。
「な、なぜだ!? なぜ再生が追いつかない!? 私の肉体は不滅のはずだぞ!」
「お前の不死の特性は、あくまで超高速の自己再生能力にすぎない。降り注ぐ神聖属性の継続ダメージがその回復量を上回っているのさ。お前のHPは今、間違いなく削られ続けているんだ」
「ふざけるな! この私が、こんな理不尽に屈するなど断じてありえん!」
ヴァルドレッドは全身を焼かれる激痛に顔を歪めながらも、血走った赤い瞳でナオトとミオを睨みつけた。
その瞬間、彼を取り巻いていた赤黒い霧が異常な密度で一点に収束し始める。
「なっ!? ミオ、気をつけろ! 奴の魔力が爆発的に膨れ上がっている!」
「まだあんな力が残ってたの!? しぶといわね!」
「思い上がるなよ、死に損ないども! 貴様らの浅はかな計算など、我が真なる絶望の前には無意味だと思い知れ! ……すべての血肉を喰らい尽くし、腐海へ沈め!!」
ヴァルドレッドが両腕を天に突き上げる。
湿地帯に漂っていたすべての瘴気と、彼自身の体から噴き出した莫大な血液が混ざり合い、数十メートルの高さに及ぶ巨大な血の津波となって実体化した。
「——血の厄災!! すべてを溶かし尽くせぇぇぇっ!!」
「うわっ、すっごくデカいのが来るわよ! あれは絶対に避けられないわ!」
「避ける必要はない! 真っ向から迎え撃つ! ミオ、一歩も下がるな!」
「言われなくても! 私は絶対に倒れない要塞よ!」
ミオが両足を泥に深く沈め、大剣を正面に構えて踏ん張る。
圧倒的な質量と即死の呪いを秘めた血の津波が、二人を押し流すように迫ってきた。一瞬でも気を抜けば、全身を溶かされかねない死のプレッシャー。
だが、二人の目に恐れはなかった。
「やってやるわよ! おらぁぁぁっ! 神聖なる一撃!」
「慈悲深き光よ、我が祈りに応え、不浄なる呪いを打ち払え! 完全浄化!!」
ミオの大剣から放たれた極大の神聖な斬撃が、血の津波の正面に激突する。
同時にナオトのメイスから放たれた純白の光が放射状に広がり、津波の呪いを中和していく。
赤黒い血の奔流と、純白の神聖な光が真っ向から衝突し、激しい閃光と衝撃波が吹き荒れた。
「くぅぅぅっ! 重い、重いわ! でも、絶対に押し負けない!」
「ミオ、足元を見てみろ! 勝利は目前だ!」
「足元? あっ! 泥沼に溜まった聖水が光ってる!」
「そうだ! 上空から降らせた聖水は、ただダメージを与えるだけじゃない! この泥沼一帯を神聖な結界へと変質させているんだ! 地の利は今、俺たちにある!」
ナオトの宣言通り、足元に水たまりのように広がっていた聖水が完全浄化の魔法と共鳴し、まばゆい光の柱となって吹き上がった。
下から突き上げる無数の光の柱が、血の津波を内側から食い破り、蒸発させていく。
「いっけぇぇぇぇぇっ!!」
ミオが渾身の力で大剣を振り抜く。
光の奔流が血の津波を真っ二つに引き裂き、無害な灰へと変えて吹き飛ばした。
「ば、馬鹿な……。私の……私の絶対なる奥義が……」
最大の切り札すらも無力化され、ヴァルドレッドはついに膝から泥の中へと崩れ落ちた。
彼の瞳に浮かんでいた優雅な余裕や傲慢さはすでに消え失せ、残っているのは理解不能な事態に対する純粋な恐怖と、信じ難い屈辱だけだった。
「どうよ、吸血鬼! 私たちの対策、完璧だったでしょ!」
「あ、ありえん。この私が、こんな人間どもに……。泥に塗れた虫ケラに敗北するなどと!」
ヴァルドレッドの顔が怒りと屈辱で醜く歪む。
彼はギリッと牙を噛み鳴らすと、ふらつく足で立ち上がろうとした。
「覚えておけ、人間ども! 次は必ず心臓を引きずり出してやるからな!」
「あっ! ナオト、あいつ逃げる気よ! 体が黒い霧になりかけてる!」
「逃がすかよ。アンデッドが不利になった時に使う霧化や蝙蝠化による逃走なんて、最初から読み切っている」
「なっ!?」
「——迷える魂に浄化の鉄槌を! アンデッド退散!」
ナオトが手をかざすと、ヴァルドレッドの周囲を囲むように光の壁による強固な神聖結界がドーム状に展開された。
黒い霧や無数の蝙蝠に姿を変えて散開しようとした魔将の体は激しい炎を上げて元の人の形へと引き戻された。
「ガアアアァァァッ! な、なぜだ……逃げ道が完全に塞がれている!」
「どこへ行くつもりだ、ヴァルドレッド。お前の大好きなメインディッシュは、まだ目の前にいるぞ」
「貴様らぁっ! 私を、この私をどこまでコケにすれば気が済むのだ!」
「コケにされたのはこっちよ! あの時、素っ裸で泥沼に放り出された恨み、ここでたっぷりと晴らさせてもらうわ!」
ミオが泥を蹴立てて、ヴァルドレッドの懐へと一気に飛び込む。
「チェックメイトよ、吸血鬼! 真っ二つになりなさい!」
「や、やめろぉぉぉっ!!」
ズバァァァァァァァンッ!
ミオの渾身の神聖なる一撃が、ヴァルドレッドの胴体を左肩から右脇腹にかけて、今度こそ完璧に切り裂いた。
神聖属性の極大な光が傷口から爆発的に溢れ出し、アンデッドの肉体を内側から焼き尽くしていく。
「ガハッ! ごはっ!」
上半身と下半身が泣き別れになり、ヴァルドレッドの体が泥の上へと無惨に転がった。
「ま、まだだ。私の血はまだ枯れてはいない。再生、再生しろ!」
泥まみれの上半身だけで蠢きながら、ヴァルドレッドはなおも傷口から血の触手を伸ばし、自らの肉体を強引にくっつけようと足掻き続ける。
「本当にしぶといな。だが、お前のギミックは解析済みだ。再生する隙なんて、1ミリも与えない」
ナオトがゆっくりとした足取りで、這いつくばる魔将の頭上へと歩み寄った。
その手には鈍く光る世界樹の司祭杖……いや、神聖な力を宿したメイスが握られている。
「き、貴様……私を見下ろすな! 私は魔将だぞ!」
「大いなる光よ、我が祈りに応え、不浄を討ち払う破邪の刃をここに顕現させ給え。聖光の武器付与」
ナオトの静かな詠唱と共にメイスの先端が太陽のようにまばゆい光を放ち始めた。
「や、やめ……!」
「地獄で泥でも啜ってろ。おらあっ!」
ドゴォォォォォォンッ!
ナオトが容赦なく振り下ろした光のメイスが、ヴァルドレッドの頭部を粉砕した。
魔将の肉体が最後にビクッと大きく痙攣し、直後、全身から真っ白な浄化の炎が噴き上がった。
もはや霧に変わることも、再生することも叶わない。
絶対的な死の炎に包まれ、魔将ヴァルドレッドの体はパラパラと崩れ落ち、やがて灰となって湿地帯の風に溶けていった。
「ふぅ。終わったわね。灰一つ残らない、完璧な討伐よ」
「俺たちの最強の特化ビルドと、二千本の聖水による絨毯爆撃。見事なまでにシステムをハックした勝利だ」
上空の影の倉庫を閉じると、聖水の雨はピタリと止んだ。
足元の泥沼にはヴァルドレッドが落としたであろう、巨大な魔石と、いくつかのドロップアイテムだけが転がっている。
「やったわね、ナオト! 私たちのリベンジ、大成功よ!」
「お前のヘイト管理と、一歩も引かない壁役としての立ち回りが見事だったからな。これで、借りは完全に返せたな」
二人は泥だらけのまま、互いの健闘を称え合うように力強くハイタッチを交わした。
その時、長らく湿地帯を覆っていた赤黒い霧が徐々に晴れ始め、厚い雲の隙間から、久しぶりに眩しい太陽の光が差し込んできた。
「霧が晴れていくわ。空がこんなに綺麗だったなんて、この湿地帯に来てから初めて知ったわよ」
「エリアの元凶であるボスを討伐したことで、天候の固定デバフが解除されたんだな。清々しい気分だ」
「ねえ、ナオト。これで、一つの大きなクエストをクリアしたって感じね」
「そうだな。だが、俺たちの冒険はまだ終わっていない。あいつが落としたドロップアイテムの確認もあるし、何より……」
ナオトは視線を湿地帯のさらに奥へと向けた。
「あいつの根城が、この先のどこかにあるはずだ。これほどのボスの拠点だ、とんでもないお宝や、魔王軍の機密情報が眠っているに違いないぞ」
「お宝! いい響きね! さっそく探索に行きましょうよ! 美味しいお肉は期待できないかもしれないけど、金銀財宝なら大歓迎よ!」
圧倒的な強敵を打ち倒し、過去の絶望を見事に乗り越えた二人の表情はどこまでも明るく自信に満ちていた。
戦利品と未知なる発見を求め、彼らは晴れ渡る湿地帯を奥へ奥へと進んでいく。




