代償
放課後。
学院の結界外縁――
人の気配が薄れ、妖の匂いが濃くなる区域。
「……ここ、だな」
最近、この辺りで
野良の妖怪が出没しているという報告が増えていた。
『群れからはぐれた下位妖怪だ』
葛葉の声は低い。
『だが、封印の揺らぎに引き寄せられている』
「……俺のせいか」
『“せい”ではない』
少し間を置いて。
『“兆候”だ』
胸の奥が、じくりと痛む。
◆
霧が、動いた。
地面を這う影が、歪に盛り上がる。
――犬型の妖怪。
毛並みは乱れ、霊気は濁っている。
「……餓鬼犬か」
下位。
だが、数が――
もう一体、
さらにもう一体。
「……三匹」
『理性がない。
だが、飢えている』
低く唸る声。
次の瞬間――
飛びかかってきた。
◆
霊力を脚に。
横へ跳ぶ。
牙が空を切る。
地面を蹴り、距離を取る。
――来る。
もう一匹。
腕で受ける。
「っ……!」
衝撃が、骨に響く。
霊力で弾くが、
循環が、遅い。
呼吸が、乱れる。
『……玄弥』
「分かってる……!」
基礎術。
最低限の結界。
一匹を弾き飛ばす。
だが、二匹目、三匹目。
視界が、じわりと滲む。
◆
――おかしい。
霊力は、枯れていない。
なのに、身体が追いつかない。
心臓が、重く脈打つ。
内側から、何かが叩いてくる感覚。
『……兆候が、出始めた』
葛葉の声が、わずかに緊張を帯びる。
『封印された血が、
外へ出ようとしている』
「……今は、出るな……!」
歯を食いしばる。
尾は、使えない。
使えば――
戻れなくなる。
◆
足が、もつれる。
膝をつく。
その瞬間、
餓鬼犬が飛びかかる。
「……っ!」
咄嗟に腕を出す。
――視界が、赤く染まった。
腕に、走る痛み。
だが、それ以上に――
血が、熱い。
心臓の奥で、
何かが、笑った気がした。
『……抑えろ!』
「……っ、ああああ!」
霊力を、無理やり逆流させる。
身体が悲鳴を上げる。
餓鬼犬が、弾き飛ばされる。
残りの二匹が、怯む。
◆
だが――
俺は、立てなかった。
視界が暗転しかける。
妖怪たちは、
獲物を諦め、霧の中へ消えていった。
◆
しばらくして。
俺は、ふらつきながら家へ戻った。
◆
西園寺家。
古いが、手入れの行き届いた屋敷。
「……玄弥?」
玄関を開けた瞬間、
母が、顔を上げた。
「……また、無理したの?」
心配と諦めが混じった声。
「……ちょっと、転んだだけ」
「その“ちょっと”が多いのよ」
奥から、父の声。
「……帰ったか」
寡黙な人だ。
だが、
俺の腕の包帯を見て、
ほんの一瞬、眉を動かした。
「……また、か」
それだけ。
責めない。
だが、
知っている。
俺の中に、
“何か”があることを。
◆
自室。
布団に倒れ込む。
天井を見つめながら、
荒い呼吸を整える。
『……今日の代償は、
“内側の摩耗”だ』
葛葉が、静かに言う。
『繰り返せば、
血が、表に出る』
「……それでも」
呟く。
「……逃げる気は、ない」
胸の奥が、
また、熱を持つ。
だが、
今は、まだ――
尾は、眠っている。
それでいい。
家族のいるこの場所を、
壊したくはない。
俺は、
封じられた血と共に、
静かに、目を閉じた。




