Chapter2.1.0 胸を打つ
簡単な依頼だった。少なくとも最初はそう思っていた。
歪んでしまった、いや、天性のもので歪んでいたのだろう。歪んだ姉から妹を救出する、逃す、二度と会わないように、二度と関わらないように。
最後にしようと決めていた。追い出されてからしばらく続けていたなんでも屋まがいの生業も。長くはないから、いつ死んでもおかしくないから、気まぐれに止まるかもしれないものを抱えて、何ができる。
それがこんな1人の女の一生を背負うことになろうとは。こんなペラペラの男が背負うにはあまりにも重い責任だ。断ろうと思った。簡単だと思っていたその時から断ろうと。
しかし依頼主はその理知的な顔を初めて歪めた。理で詰めてきていたにもかかわらず、初めて感情に訴えてきた。
とにかく一度見にきてくれと。見れば必ず考えは変わるはずだと。
まんまと依頼主の言ったとおりになってしまった。
表向きは新人の使用人として屋敷に潜り込んだ。そこで初めて彼女に会った。
巨大財閥の娘に生まれ、まともな教育を受け、朝昼晩と豪華な食事をとる。自分のことを心から可愛がる姉を持ち、また歳は近いが彼女には妹もいる。
いったい何が不満なのだろう。依頼主は彼女をどうして引き離そうと考えたのだろう。
きっと何か家族から陰湿ないじめにでもあっているのだろうと思っていたが、溺愛されているだけだった。
そう溺愛だった。それは姉妹愛だった。それがおかしいと気づいたのは屋敷に入って数ヶ月後のことだった。
ふとした時にそれを見てしまった。
後は芋づる式に全てが明るみになる。気色悪く歪んだ姉妹愛。それを見て依頼主のもとに向かう。依頼を受諾することを選んだ。
絶対に気づかれないように綿密な計画を立てて、協力者を得て、実行した。
成功した。成功したはずだった。これで自分は誘拐犯の仲間入りだ。財閥令嬢を屋敷から攫って逃げ出したのだから。
しかし、それは明るみにはならない。依頼主が身内なのだ。情報操作も脱出してからの段取りも完璧だった。
中央の人間がどうあっても近づきたがらない北部まで逃れた。依頼主の力も借りて北部戦線の本部に加わった。
連れ出した彼女はここで新しく人生をやり直せばいい。きっと自分は最後までは見届けられない。
彼女は戦う力を持っていた。それさえ使えばあのような地獄から簡単に抜け出せるような、そんな力を持っていた。
ここで戦っていれば自ずと仲間もできるだろう。共に死戦をくぐれば固い絆も芽生えるだろう。
万が一が有れば死んでしまうかもしれないが、あそこにいるより幾分かマシだ。
切れ者の隊長代理がいる、優しい先輩がいる、おっかない先輩がいる、最近友達もできた。
順調だった。これなら自分がいなくても大丈夫だろう。
どこで狂ったのだろうか。
自由にさせすぎたのだろうか。
気を抜いていたつもりはないが、そうと言われても文句は言えないだろう。こんなにあっさりと。
自分に向けられる雷撃は避けることなど敵わない。
崩れた身体を何度も蹴り飛ばし、踏み潰す。ふと、全身に走る痛みが消える。もう意識が飛ぶ。
「お、嬢……」
手放す最後に見た彼女の顔は忘れられない顔をしていた。
今まで幾度となく見てきた、姉と一緒にいる妹の顔。
「ん……っ…」
目が開いた。意識は後から引っ張り起こされる。凝り固まった身体は動き始めるまでに時間を要すだろう。
ギョロギョロと動く眼球と、薄っすらと聞こえ始めた耳だけが外部の情報を掴む。
(どこだ、ここは)
気まぐれで死んだと思っていたが、以前生きながらえた身体が激しく痛む。痛みを感じ始めたと同時に指先が動く。そこから一気に止まっていたそれが動き出す。
明瞭になった意識、痛みに目を瞑れば身体も動かせる。
どうやら自分は檻の中にいるようだ。問題はなぜ自分が檻の中にいるのかだ。
靄のかかる頭に血が巡る。思い出すのにそう時間はかからなかった。
「お嬢!」
起き上がった勢いがそのまま身体に痛みを走らせる。そんなことはどうでもよかった。痛みなど動きを止める理由にならない。
「…?」
もちろん檻は外から鍵がかけられている。今の自分の力ではこれを壊して脱出などもできそうにない。
そんなことよりも何か外が騒がしい。床や空気が小さく揺れている。聞き慣れたような男女の声が僅かに耳に届いてきた。
「ーーーー」
「ーーー、ーー」
「ーーーーーーーー!!」
何を言っているかは全く聞き取れない。焦っているのか血の巡りが悪い。落ち着いて、いつも通りでいなければ、人間らしい最低限の生活もできないのだ。
「もうちょっと、もうちょっとだけ」
「だからもう無理ですってば、危ないって」
ようやくと動き出した首から上をぐりんと回して声のする方を見やる。
やや下方から聞こえていたそれがじわじわと近づいてきた。
(あれは…)
先に見えたのは赤色の髪に桃色の瞳、次に見えたのはくすんだブロンドの髪を適当にまとめた翡翠色の瞳。
最近になってすっかり覚えた男の声と、飽きるほど聞いたそれに酷似した別の声、懐かしさはある。
「あ、起きたのか?」
喧しい会話を断ち切って、男は自分に声をかけてくる。なぜか疲れ切ってはいるが、こちらを慮る声音。やはりいい奴だ。
「なん…げほっ」
急に声を出そうとすると喉につっかえてうまくは出てこない。心配そうに見つめる彼を目線で制して息を整える。得意分野だ。
「何日寝てた?」
もっと言う言葉はたくさんあったはずだろうが、それが最初に出てきた。全く焦りはとれていなかった。
「5日だよ」
そう言ったのは彼ではない。
うまく認識できないように彼の影から出てきた彼女。バツが悪そうに決して目を合わせない彼女。やけに懐かしい声色。
「…アルクお嬢様」
「お嬢様?」
いけない。何も知らない彼に不必要な情報を与えてしまった。
いや、もうすでに知っている可能性もある。仮にも寝ていたという5日間、彼女が彼に何も言っていない保証などない。
「知り合いなんですか?」
どうやら何も話していないのか。やはり余計な情報を与えてしまった。こんなことに他所者を巻き込むべきではない。
「…しばらく外すから、これに直接聞いたら?」
彼女はそういうと部屋から出て行った。檻越しの2人の間には微妙な沈黙が流れる。
フーリは腹にふっと力を入れて立ち上がった。身体に電撃が走ったように痛いが、それは洒落にならない。
もうしばらくはまともに動けそうにない。
「…何も聞かねーの?」
再び座り込む。いつまでも黙って突っ立っていられると辛い。余計な詮索、余計な情報提供、そんなものはいらないが、おそらく彼には聞く権利がある。
「別に、話す気がないとか、話したくないとか、そんな感じだろうから何も聞かない」
「は?」
「たぶん、まあ、アルクさんと、後エレナとかも含めていろいろあったのは想像つくけど、言いたくないことは言わなくていい。俺も言わない」
誰の受け売りか、それとも彼自身の信念か、何せそこまで真っ直ぐな瞳で言われてはたじろぐのは自分の方だ。
「はあ…こっちからしたらありがたいけどな」
ひとつ息を吐いた。それは決心をつけるためだ。
彼女がああ言って部屋を出たということは、お前の口から話せということだ。おそらく彼女は彼に何も話してはいないだろう。
「じゃあ、話す。主に二つ、他言無用で」
ここまで来たのなら、来てしまったのなら、彼を巻き込んでしまうのが最適解だ。もはや自分一人でどうこうできる状況にはない。
「そうか」
ナユタは腰を下ろす。話すというのなら聞く。別に彼としてはどちらでも良かったのだが。
何かを聞くと、何も話さない自分が悪のように思えるから。
「ま、アンタはたぶん誰にも言わないだろうな」
「それは約束する」
これが嘘であるはずがないだろう。
ふざけたような男を前にしてその彼から繰り出される言葉は真剣そのものだった。
「一つ目はそんな大した話じゃない。小生の身体のことだ。これは本当に誰も知らない。少なくとも全部を知っているのは小生だけで、小生は誰にもこのことは話していない」
「いいのか、俺にそんなことを話して」
聞きたくないのか、彼はそんな迷わせる言葉を吐く。
「いい、ことここに関しては、黙ってちゃー何もできないから」
そう言って自分に戒めるのだ。自分の内情なんてひけらかして得することなどほとんどない。
こうでなければ墓場まで持っていくつもりだったのだ。
「心臓が無い」
そんな告白にナユタは初めて動揺した表情を浮かべる。彼のそんな顔を初めて見たフーリは浮かびかけていつものヘラヘラした顔を引き締めた。
「つっても今こうやって生きてるし、胸元を触れば何かが動いているのは分かる」
ドクンドクンと脈打って止まらないそれは今も元気に全身へと血を巡らしている。
唯一の懸案事項といえば、こうして話すことでその動きに何か変化があるかということだ。しかし不思議とそれもない。
「小生のじゃない、どっかの誰かの心臓が勝手に動いて勝手に生かしてる」
ここまで話せばナユタは合点がいったというように顔をあげる。さすがは同胞、話しが早くて助かる。
「それがお前の契約内容…」
「ま、そんなとこ」
正確にはもう一つ面倒くさい爆弾があるのだが、それは本当の本当に話す意味がないことだ。
「この心臓がじゃじゃ馬でさ、言うこと何にも聞こうとしない」
忌々しく愛おしいそれは今は健気に機能していた。
「ちょっとの精神状態にすぐ反応する。ちょっと焦れば速くなるし、気を抜けば止まりそうになる。おまけにそうなると痛いし、普通にしてても体の負担が馬鹿にならんからすぐ疲れる」
一つ一つ自分の弱点を、難点を、欠点を詳らかにしていく。
なに、果たさなければならない依頼に比べれば、こんなものは大した情報ではないのだ。
「そんなクソみたいな代償払わさせられて、身についた力といえば基本の身体能力強化と風」
「風?」
ああ、そうか。言われてみれば彼の前でそれを見せたことはなかったか。任務では基本的に別行動だ。
唯一見せる機会があったとすれば最初の序列戦だろうが、お嬢の妨害、というより暴走でそれも叶っていない。
「アンタが熱を炎に現出しているのと同じような原理だと思ってもらえればいい」
「知ってたのか…」
出会った時から1人やたらと纏う空気が熱かった。その上炎が身体から、そうとあっては想像に難くない。
「まあ、なんとなく」
彼に糾弾などされないかと身構えたが、そんな素振りもない。おそらくは聞かれなかったから答えなかっただけ、といったところだろう。
「これがまた扱いにくい。調子に乗ると心臓が暴れ出すし、出力が弱けりゃ小型の神獣にすら碌なダメージにならない」
自分でさえこの力の限界値が分からない。耐えきれないまで風を起こせば、もしかすると三乙女カイセもクオン=クライスツェフも超える瞬間火力になるかもしれない。
「小生の自己総合評価は一対一、一対他は雑魚。味方がいないと碌に戦えないけど補助性能もそこまで高くないお荷物ってところだ。北部でもたぶん一番弱い」
間違いなく今の北部戦線での最弱は自分だ。現時点では下から2番目のクオン=クライスツェフにも大きく溝をあけられているだろう。
決死行に走れば位置付けは3つほど上がるかもしれないが。
「…お前の実力は分かった。それでこれからどうするんだ?」
彼は前を向いている。最終的な目的はここからの脱出と全員の救出といったところだろう。
それならば少しの寄り道ぐらいは付き合わせても心は痛むまい。
「お嬢の救出」
「エレナの?」
クエスチョンマークが浮かんでいる。それはそうだろう。
普通の状況であれば、エレナ=ヴィッケンシュタインに救出の手などいらない。いつも手堅くフォローはしていたが、本当はそんなものはいらないのだ。
勝手に泣き喚いて暴れ回って蹂躙して、知らぬ間にひょっこりと帰ってくるだろう。自他を散々に痛めつけて。
「アルクお嬢様…さっきの人がお嬢の姉貴だって話は知ってるだろ?」
「ああ、それは聞いた」
ただ、こと今回に限っては。
「お嬢は5人姉妹なんだよ。さっきの人が次女でお嬢は四女」
普通の状況でない。
「さっきの人は無害だ。何かされたかもしれないけど悪意はない」
「それも分かってる」
彼が見たことのない渋い顔をしている。何をされたのか想像に難くない。
「問題は三女だ」
「三女?」
彼女は本当の本当にこの件から身を引こうとしているのだろうか。
彼が無理に聞き出そうとしなかったことや、自分が人質紛いになってしまったからかもしれないが。
「三女の名前はクロエ=ヴィッケンシュタイン。そいつがお嬢を攫って行った」
正確には攫った自分が取り返された格好なのだが、そんなことはどうでもいい。
「小生はそれを取り返さなくちゃならない」
今から勝手なことを言うのは分かっているが、それでも彼は協力するだろうという確信がある。
「アンタにはそれを手伝ってほしい」
彼は少し考える素振りを見せた。
「分かった」
最後は同意の返事、しかし後には言葉を続ける。
「今からするお前の説明が納得できるものならな」
さすがに彼も馬鹿ではないか、分かりにくくタラタラ話していれば、ほとんどを打ち明けずにことを運べると思ったが、そうでもないようだ。
自分の発言をちゃんと聞いていれば、姉がわざわざやって来て妹を攫うという構図がおかしさに気づくだろう。
「もちろん全部話す、だから連れて来てくれないか」
「誰を?」
「あの人、アルク=ヴィッケンシュタインを」
ここで彼女を終わらせない。最後の最後まで巻き込んでやる。それが彼女から依頼を受けた自分ができるせめてもの抵抗だ。




