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神とたたかう人でなし。  作者: 瀬々良 未完成
彼女解放戦争
29/33

Chapter2.0.7 姉即ち姉

 彼女は震えていた。

 それなりの高度から落ちたにも関わらず、恐ろしいほど無傷なその身体をガタガタと震わせて隅っこで蹲っていた。


 傲岸不遜、唯我独尊、しかし優しく、友達を大切にし、仲間思いで、何か有ればすぐにスイッチが切れたように、小児のように泣き喚く。少し励ませば泣き止んで、少し煽てれば調子に乗る。

 何よりも彼女は強かった。カリスマ性としか言えない何かがあった。才能の一言で解決させるしか道がないものを持ち合わせていた。

 そんな彼女が涙を流さず、死んだような顔を膝にうずめて、時折響く物音だけにびくりと肩を震わせる。


 落ちてからしばらくは何ともなかったのだ。

 皆と合流するためにそこら中を徘徊した。適当小部屋に入ったのも一度や二度ではない。ある部屋では人型の機械が大量に配備されていたが、全く動く気配はなく、またある部屋では何故か小型の神獣が出てきたのだが、それも軽くいかずちでちょちょいとやっつけた。


 どれくらい歩き回っただろうか。間違いなく1時間は有に超えていた。そこまで歩き回ってふとした瞬間にエレナは気づいてしまったのだ。


(1人で閉じ込められている)


 途端に身体は思うように動かなくなった。息は荒くなり、足は重くなり、何もいない周囲に対して怯えが隠せなくなった。いつの間にか足は止まっていた。

 震えて思うように力の入らなくなった身体を壁に預ける。擦るように身体は地面に近づいた。汗でぐっしょりと濡れていた背中もとうに乾いた。何とか身体を座らせて、膝下に顔をうずめた。

 そうだ、自分はずっとこうやって育ってきたのだ。


「助けて、助けて、フーリくん、フーリくん…」


 消え入りそうな声が空気を震わせる。

 こんな状態になってしまってから、すでにかなりの時間が経過している。

 誰も助けになど来てくれないのではないか。昔のように。

 昔とはいつのことだろう。誰も助けに来てくれないとはなんだろう。自分にそんな過去はなかったはずだ。


「助けて、フーリくん、フーリくん、フーリくん、フーリくん…」


 また始まった。一定の間隔でエレナは呟くのだ。空気を震わせる。助けなど来ないかもしれないというのに。それでも彼女にはもうそれしかできない。顔をうずめたままにひたすら彼女は震わせる続ける。


「大丈夫すか、お嬢」


 顔を上げる。震わせ続けた空気を察知して、風利かざりフーリは現れた。いくらかの戦闘があったのか、身体に戦闘痕が残っている。

 一気に身体に力が漲る。誰かがもし見ているならそれまでがまるで嘘かのように勢いよく立ち上がる。


「遅いわよ、フーリくん!」


 ポコっとフーリの身体を叩いた。

 心底申し訳なさそうに風利かざりフーリは頭をかいた。


「さ、早く行きましょう。みんなと合流するわよ」


 傲岸不遜、唯我独尊、フーリを連れて。

 エレナ=ヴィッケンシュタインは歩を進める。

 本当に別人のようだった。それでも全てを知るフーリは何も問わず、ただ後ろをついていく。


「ここに落ちて来たのはアタシたちとナユタくんだったかしら、早く合流しないとね」


「…いや、小生たちだけっすよ。皆外で待ってる。とっとと脱出しましょう」


 少しの嘘を添えて。



 □■□■□■□■□■□■□■□■



 これでいい。驚くほど簡単に信じてもらえた。

 ナユタには申し訳ないとは思うけれど、それでも今はこれでいい。外にいるクオンがどこまでうまくやってくれているかは分からないが、援軍もやってくるはずだ。何なら先陣をきって救出に向かってもいい。それでまた無事に合流できたならどれだけだって謝ろう。


 しかし、今だけはこれでいい。こうでなければならない。それだけここはきな臭い。どうにか脱出できなければ、取り返しがつかない可能性がある。自分がではない。自分に取り返すものなどない。このお嬢様だ。このお嬢様をどうにか脱出させなければならない。


「どうしたの、フーリくん。顔が怖いわ」


 いつの間にか振り返っていたお嬢様がフーリの顔を伺っていた。

 そんなに表情に出てしまっていただろうか。言われてみれば鼓動も速くなっている。こんな調子ではダメだ。いつどうなろうが構わないと、そう思っていたが今は違う。今だけは違う。


「何でもないですよ、あ、そこ右です」


「そう、それならいいけど」


 このお嬢様はあれで人の顔色を見ている。あれだけ大きく振る舞っていても、自分の些細な表情の変化にさえすぐに気づいてしまう。やりにくくて仕方がない。


 道は覚えている。とにかく階段を上がることだ。そこまで言ってしまえば、後はクオンが援軍を連れてくるまで待つのみ。階段を上がってしまえば最初の広場。階段以外にそこに到達する術はない。階段を押さえてしまえば誰に会うこともない。

 細心の注意を払わねばならなかった。何に遭遇してもいけない。どこに寄り道してもいけない。誰に会ってもいけない。それが敵であっても、味方であっても。


「……」


「……」


 気色の悪い沈黙が全身を撫で回す。あれから二、三回の方向変換の後やたらと長い直線を進んでいた。

 いつもなら無限に話しかけ続けてくるお嬢様が何故だか黙りこくっている。調子が狂う、本当に。


 どうして彼女がいつまでも黙っているのか。彼女からしてみれば当然のことだった。彼が、フーリがいつもと違う。外面だけ取り繕ってはいるが、何か見えない内側がドロドロしている。そんな感じがエレナを囲んでいた。


 怖かった。いつものように笑っているようで、そうでない彼が。

 怖かった。平気で嘘をついているのに、何でもないように振る舞っている彼が。


 あかつきナユタが外にいるなど出鱈目に決まっている。

 あの時自分の身に起こったこと、周りのこと、目に見えたこと、聞こえたこと、その全てが脳のメモリにしっかりと保管されている。


 ピピピ……


 あれ、何だっただろうか。そう、フーリのことだ。

 後ろをピッタリとついて来ている彼の方をふと振り返る。


「何すか?」


「ううん、何でもないわ」


 怖い。取り繕っている顔、雰囲気、全てが怖い。

 たまに彼はああいう顔をする。ああいう雰囲気を醸し出す。

 そのたまにはいつだっただろうか。そうだ、確か自分が何かについて話しているときに突然そうなるのだった。


 そう、それは確かーーー


「っ…お嬢!!」


「えっ…」


 もうすぐそこに階段が見えていた。あれを登ればゴールのはず。なのに彼は大声で自分を呼ぶ。振り返る間などなかった。

 思いっきり襟首を掴まれると強引に近くの小部屋に投げ込まれる。


「痛っ…ちょっと、フーリくん。何をするの!」


「すんません、お嬢。ちょっとだけ耐えてください!!」


 今まで見たことのない形相だった。本気で叫んだ彼は無理矢理扉を閉める。

 廊下から溢れていたのが唯一の光。完全に光源から隔絶されたそこは、目を凝らさなければ何も見えない真っ暗な世界。


「ちょっと、フーリくん!出して、お願い!」


 我を失うのにそう時間はかからなかった。

 何かが脳裏を掠めている。その掠めた何かの恐怖感から逃れるように、必死で扉を叩いていた。


「出して、出して!!」


 あらんばかりに叫ぶ。

 返事がない、また叫ぶ。応答がない、再び叫ぶ。

 何がここまで自分に恐怖を植え付けているのだろう。何かを忘れている。忘れてしまった何かから人間としての本能が逃げることを選択しているのだ。


「お願い、出して!!」


 外には何の音など響いてはいないことを彼女は全く知らなかった。

 この扉たった一枚によって中の音は外に響かず、外の音は中に届かない。暴れるように叫び、ひたすら扉を叩くことしかしなくなった彼女にそれに気づく聡さは残っていなかった。

 自分の力を使えば、灯りなど簡単に灯すことができることにも気づけない。


「開けて、出して!!」


 いつまでそうしていただろうか。一向に枯れない喉、一切血の滲まない手、無情に立ち塞ぐ扉。

 それであるはずなのに、ある時ふとその扉が開いた。


 陽光でもないのに目に眩しい。

 彼女にスーッと理性が戻ってくる。何時なんどきかぶりに見た灯りは目をつく。扉を開けた誰かを神々しく照らし、その顔を隠していた。


「ありがとう、フーリく…」


 扉を開けてくれたであろう彼に感謝の念を。しかし、その言葉はすんでのところで喉につっかえた。

 目を凝らす。光に馴染んだその目に映るのは彼ではなかった。


「…お姉様?」


 そんなはずはない。そんなはずはないのにそう見える。

 なぜ、どうして、こんなところに敬愛する自分の姉が立っているのだろう。

 下から見上げた顔はみるみるうちに紅潮し、口角を吊り上げた。


「見〜〜つけた!」


 なぜだろう。今日は分からないことばかりだ。

 敬愛する姉に何年かぶりに会えたのだ。それはとても喜ばしいことのはずなのに。

 敬愛する姉が、久しく会っていなかった姉が、自分に笑顔を向けているのだ。それはとても嬉しいことのはずなのに。

 身体の震えが止まらない。思うように身体が動かない。


「おーい、聞こえてる?」


 ピピピ……


 恐ろしい、恐しい、怖ろしい、怖しいーー


「おーい」


 ピピピ……


 怖い、恐い、怖い、恐いーー


「仕方がないな〜、お姉ちゃんが手を貸してあげよう」


 ピピピ……


 喧しい電子音が何度も何度も感情を揺らす。


「ほら、掴んで掴んで」


 ピピピ……


「あ、う…」


 自分で立てると突っぱねるだけ、一言告げるだけ、たったそれだけが口からは出ない。


 ピピピ……


「うーん、おかしいな〜」


 敬愛する姉が何か不思議そうに首をかしげた。クルクルと辺りを見渡す。自分の目もそれにつられるように姉の視線の先を追う。


「あ…」


 彼が倒れていた。あまり外傷は見当たらないのに、何か重篤な病におかされたように突っ伏していた。

 そしてもう1人。


 ピピピ……


「そうだ!」


 わざとらしく手の皿に立てた拳をポンと当てる。


 ピピピ……


「アルクお姉ちゃん、あれだよ、あれ」


「ああ、そうだったな」


 ピピピ……


 あれとは何だろうか。もう1人立っていた姉は何か小さなスイッチを取り出すと、眼前の姉に手渡した。

 彼女は再び離れていく。


 ピピピ……


「おかしいもんね」


 聖人のような微笑みを浮かべる姉は続ける。


 ピピピ……


「私の妹が…」


 ピピピ……


「私の言うこと聞かないなんてさ!!」


 ピピ……


 スイッチを押した。

 何も起きなかった。何も起きないから拍子抜けしてしまった。自分の視線を姉から外していた。


 そういえばさっきまで喧しかった電子音が聞こえない。代わりに耳に聞こえてきたのはーー


「ねぇ、エレナちゃん」


 身体がビクンと跳ね上がる。

 堰き止められていた感情が。


「ねぇ、エレナちゃん」


 ああ、そうかあの電子音はアタシのことを。


「ねぇ、エレナちゃん」


 輝かんばかりの笑顔を見せる姉は手を差し伸べていた。

 堰き止める術の無くなった自分の手はおずおずと震えながらも伸びていく。


「ああ、久しぶりだね、エレナちゃん」


 手を握られた。力の入らない身体を無理矢理引き上げられた。

 強引に立ち上げられ、崩れそうな身体のバランスを必死で戻す。倒れてはいけない。

 震える唇を懸命に動かした。


「あ、ありがとう、ございます、お姉様…あ」


 とんでもない失敗をしてしまった。


「ふむふむ、()()()、ね」


 バチンッッッ!!


「い、あ……」


 甲高い音が耳をつんざく。当たり前だ、音の発生源は自分の耳に程近いのだから。

 ジワジワと熱さと痛みが頬を支配する。目の前には変わらぬ笑顔を、いや、より一層口角を上げた姉がいる。


「違うでしょ、エレナちゃん」


 足がすくむ。本当にダメだ、身体が自分のものでは無いみたいだった。姉を怒らせてしまったのだ。


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいーー」


 膝から崩れ落ち、姉の足に縋り付く。必死にこうべを垂れ、謝罪の言葉を口にする。


「ーーごめんなさい、ごめんなさい、ごめんな…」


「違う」


「あぐっ…」


 次は蹴り飛ばされた。垂れていたこうべを決して気を失わない程度の力で。


 のけぞった自分の前髪を鷲掴みにした姉は、屈んで顔を近づける。その金色の瞳からどう足掻いても目が離せなかった。


「ねぇ、エレナちゃん、分からないの?」


「あ、う…」


 怖い、恐い、怖い、恐いーー


「分からないなら、嫌いになっちゃうよ?」


「あ、あ…」


 恐しい、怖ろしい、恐しい、怖ろしいーー


 頭の中を支配する感情に任せて自分の口はかつてのように勝手に言葉を紡いでいた。


「ごめんなさい、許してください、クロエお姉ちゃん」


「うーん」


 目を瞑り、姉は何かを深く考えている。


 どうして、なぜ今までこんな感情に耐えられていたのだろうか。

 ああ、そうか。あの電子音は自分を守っていてくれたのかもしれない。


 恐しい、怖ろしい、怖い、恐い、怖い、恐しい、恐い、怖ろしい、怖い怖い怖い、恐い恐い恐い恐い恐しい、怖ろしい恐しい怖ろしい恐しい恐しい怖しい怖ろしい恐い恐い怖い怖い恐しい怖い怖しい恐しい怖い怖い恐い恐い怖い恐しい恐しい怖しい怖い怖しい恐しい怖ろしい恐い恐い恐い恐い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い恐しい恐しい怖しい怖い恐い怖ろしい恐しい怖い怖い恐しい恐しい怖ろしい恐しい怖ろしい恐い怖い怖い恐しい怖ろしい恐しい怖ろしい恐しい怖ろしい恐しい恐しい怖い怖い恐しい怖ろしい恐しい怖ろしい恐い恐い怖い怖しい怖い恐しい怖ろしい恐しい怖ろしい恐しい怖ろしい恐しい恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い怖ろしい恐しい怖しい怖い恐しい怖しい恐しい怖しい恐しい恐しい怖い恐しい怖しい怖い怖しい恐しい怖ろしい恐しい怖い恐ろしい恐しい怖い怖い恐い怖い恐い恐い恐い恐い恐い恐い怖い恐い恐い恐い怖ろしい恐い怖い恐い怖いーーー


「うん!」


 掴んでいた前髪から手を離すと、優しい手のひらが自分の頭を撫でた。


「そうだよね、妹なんだから私のことはちゃんとお姉ちゃんって呼ばないとね」


 まだ続ける。


「うん、そうだよ。エレナちゃんは私の、私だけの妹なんだから。妹はお姉ちゃんには逆らっちゃダメなんだよ。妹はお姉ちゃんのことをお姉様なんてよそよそしく呼んじゃダメなんだよ。ちゃんと親しみを込めてお姉ちゃんって呼ばないといけない。それでね、それでね、妹はお姉ちゃん以外にはちゃんと礼儀正しく、手の届かないほどの高嶺の存在だということを理解させないといけないんだ。だからまずは作法が大事なんだよ。一人称はわたくしがいいって一緒に決めたよね。でもそれはお姉ちゃんと話す時以外の話だよ。お姉ちゃんが一番のエレナちゃんの理解者なんだから。お姉ちゃんの前では作法なんていらないんだよ。お姉ちゃんと話すときは自分のことをアタシって呼ぶんだよね。脳の足らない、馬鹿みたいな面を晒してさ。でも当たり前だよね。妹がお姉ちゃんより何においても優れているなんてあってはいけないことだもん。なんでかって言うと妹だもんね。妹はお姉ちゃんに情けなく媚びへつらって生きていくのが当たり前だもんね。絶対に逆らったりすることなんて許されないんだもんね。もちろんエレナちゃんはそんなこと分かっているとは思うんだけど、そんなことも理解できない脳なしもいたからさ、一応、本当に一応の確認なんだ。でもエレナちゃんは私だけの妹だから、私以外の言うことなんて何も聞かなくていいんだよ、というか聞くな。私の命じたことしかするな。私が呼んだらすぐ駆けつける。私の肩が凝ってたら叩く。足が疲れていたら揉む。私が着替えてって言ったらちゃんと着せ替え人形にならないと。いつでも私の意に添えるように行動する。行動できるように常に努めておく。当たり前だもんね。だって妹だもん。でもね、もしも万が一、そんなことは絶対にないと思うんだけどさ、それでも万が一私の言った通りにできないことってあったりするよね。そんな時でも大丈夫だよ。そんな時はね、私がお仕置きしてあげるから。お姉ちゃんの言う通りに動けない妹なんてお仕置きされて当然だよね。だって妹だもん。エレナちゃんは私の妹だもんね。そうだよね。でもね。じゃあね。どうして、どうして私のところにいないの?ねぇ、ねぇ、聞いてるの?返事は?なんで黙ってるの?私聞いているよね?何で勝手にどこか行っちゃったの?どこに行ってたの?何年ぶりなのかな?覚えてるよね?その賢い頭には何でも入ってるよね?ね?何で何にも答えないのかな?あー、分かった分かった。コイツに何かされたんでしょ。本当にこの誘拐犯さ、私とエレナちゃんを引き離すなんてとんでもないことだよね。大事な大事な2人だけの時間が何年も奪われたんだよ。口止めされてるんでしょ?そうだよね?もしかしてそうじゃないの?もしかして自分の意思でろうやって黙ってるの?私が答えろって言ってるのに?もしそうだったらさ、お仕置きだよ?」


 姉が何を言っているのかを全て理解した。何度も何度も刷り込まれてきたことを再び確認するように姉が言っただけなのだから。

 そうだ自分は妹なのだ。妹なのだから、姉の言うことは全て聞かないといけないんだ。


「ク、クロエお姉ちゃん、アタシは…」


 何かを口走っている。自分が言っていることがあっているか間違っているかなど関係ない。

 ただ姉が望んでいる答えを返すのだ。そうしなければならない。姉にお仕置きはされたくない。姉に嫌われたくはない。


「うんうん、やっぱりコイツが悪かったんだね」


 姉が倒れているフーリを蹴り飛ばす。壁際に転がった彼はようやく気を取り戻したようだった。


「ほら、エレナちゃんも」


 ちょいちょいと自分の肩を叩く姉は、ようやく目を覚ました彼の方を指さした。


「え?」


 しまった。つい口から溢れてーー


「え、じゃねーよ!!」


「うぐっ…ごめんなさい」


 殴られた腹を必死に押さえてすぐに謝罪の言葉を口にする。姉に嫌われたくはない。


「ほら、早く」


 笑っている顔を恐怖の象徴だ。恐怖感に突き動かされてヨロヨロと足は彼の方へと向かっていく。


「……お、嬢」


「う、あ、ごめっ…」


「どうしたのー、エレナちゃん?」


「ひっ…」


 息が詰まる。もう逃れられない。絡みついた姉への恐怖が自分の身体を動かす全ての原動力だった。


「       」


「   」


「               」


「       」


「………」


「うん、大変よくできました」


 姉が頭を撫でてくれた。そこで初めて自分が何をしたのか現実を直視する。


 自分の足で、この足で、ボロボロになるまで蹴り飛ばされた彼が、自分の出すいかずちで焼け焦げた床に転がっている。

 しばらく動く気配もない。下手をしたら死んでしまっているかもしれない。


「…私が褒めてあげてるんだけど?」


「ひっ…あ、ありがとう、クロエお姉ちゃん…」


 自分はうまく笑えているのだろうか?


「じゃ、行こうか…アルクお姉ちゃん、後のことはよろしくね〜」


「……ああ。分かったよ」


 一部始終をただ見ているだけだったもう1人の姉が伸びた彼を担ぎ上げる。


「あ、そうだエレナちゃん」


「あ、何かな、お姉ちゃん?」


 自分で散々ばら痛めつけた彼を自分勝手にも心配していた感情が無理矢理引き戻される。


「今からお仕置きね」


「え…」


「当たり前だよね、誘拐されていたとはいえ家出に変わりはないもんね?」


「い、や……」


「んん?もしかして何か私が間違ったこと言っているのかな?」


「ううん、お姉ちゃんがた、正しいよ…」


「じゃ、決まりだね」


「…うん」


 もうダメだ。どうやら彼が私を日常から救ってくれていたのだ。そんな彼を裏切ってしまった自分にはこれまで通りの日常を再び謳歌することのみが許されているのだ。


 この姉の理想の妹としての人生を歩むのだ。


 自分は所詮クロエ=ヴィッケンシュタインの妹なのだから。

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