Chapter1.1.3 彼女の話をしなければならない
「……隣、失礼します」
「あ、どうぞ」
集合場所に選ばれたのは闘技場だった。
2人ともやってきたのは昨日の今日ということなので互いに知っている場所を指定したようだ。
ただ意外なことに集合場所に後にやって来たのはクオンの方だった。
「……」
「………」
痛いほどの沈黙が2人の間を通過する。
ナユタからしてみれば話がしたいと呼び出された側なのでクオンから話し始めてほしいと思っている。
しかし、同時に彼女がその話とやらをするには何か凄絶な覚悟が必要なことが直感できた。
「……いつでも話していいから」
「……っ!」
えらくキザったい台詞だとナユタ自身も感じたことだろう。
彼の人生経験など大したことはない。本当に大したことなどないのだが、それでも相談事の一つや二つ受けたことはある。
「……私はあなたに謝らなければなりません」
言われたのは謝罪の言葉。思えば彼は彼女が謝っているところばかり見ている。
「謝らなければいけないって……そんなことあったか?」
「たくさんあります」
彼女は虚空を見上げ指を折る。一つ一つと数えるように。
「初めてお会いしたとき、私はとても失礼でした」
「……まあ、ちょっとはな」
「うっ……」
それなりにきつい対応をされたような気がする。
正直彼はあまり気にしてはいなかったが、彼女の普段を考えるとどうにも様子がおかしかった。後になって分かったことだが。
それはそうと同意すると悲しそうな顔をされては反応がし辛い。
「それにエレナと一悶着あったときも迷惑をかけてしまいましたし…」
「あれはあのお嬢様が規格外なだけだから。気にしたらダメだ」
これに関しては本当にお嬢様の精神問題なので本当に謝られても困る。クオンとエレナの間で解決しているのならそれでいいだろう。
「他にも……いえ、私は…甘えていたんです」
「甘えていた?」
甘えられたことなどない。紛うことないナユタの本音。
何度も言うがまだ出会ってわずかしか経っていない。
「……私は…私が最後、中央を去るときに…何と呼ばれていたか知っていますか?」
首を横に振る。
彼はそんなことを知る由もない。
彼は中央の事情など何一つ興味もなければ知りもしなかった。
「きっとそうだとは思っていました。…そもそもそこまで知れ渡っているわけでもないですし、内々で囁かれている程度ですから……」
彼女は目を閉じて天を仰ぐ。
スーッと大きく息を吸い、拳に力を込める。
顔を下ろして真っ直ぐな目で全てを包み隠さず話すような、そんな目で彼を見つめる。
「【厄病神】と、そう呼ばれていました」
◆
ギオルド暦134年6月13日、クオン=クライスツェフ生誕
同 12月24日、父母と共に交通事故に遭遇
クオン=クライスツェフ、一命をとりとめる
ーーーー父母ともに死亡
ギオルド暦134年12月25日、繰り上がりでクオン=クライスツェフがクライスツェフ家次期正統後継者となる
ギオルド暦141年6月1日、クオン=クライスツェフ、中央本隊養成学校入学
ギオルド暦146年5月31日、クオン=クライスツェフ、中央本隊養成学校卒業
ギオルド暦146年6月1日、クオン=クライスツェフ、当時12歳にして中央本隊第七部隊入隊
ギオルド暦149年8月26日、中央本隊第七部隊所属クオン=クライスツェフ、第七部隊及び中央本隊より除名並びに北部戦線への異動命令。
ギオルド暦149年8月27日、クオン=クライスツェフ、北部戦線第一部隊入隊
◆
クオン=クライスツェフは実に良くできた人間だ。
真面目で、実直で、真摯で、責任感があり、由緒正しき家柄に生まれ、将来を嘱望され、また、彼女自身その期待に応えようと一心に努力を怠らない。
ただどれだけ彼女が努力を重ねて、優秀な成績を残そうが、どれだけ人柄が良く、任務で成果を上げようが、中央本隊において、彼女を評価する人間は皆一様にこういうだろう。
彼女は素晴らしい才能を持っている、と。
彼女が自分の運の良さを知ったのは自分を育ててくれた祖父から父母のことを聞いた時だった。
その時彼女は自分が生きていることに感謝した。そして、父母の分まで生きることを、祖父や支えてくれる周囲の人々のためにも精一杯生き抜くことを心に誓った。
クオン=クライスツェフ4歳の話である。
それからの彼女は真面目に勤勉に、勉学、武術に励んだ。
毎日感謝を止めることなく、ただひたすらに実直に、周囲の期待を裏切らないように、何より自分が納得できるように。
さて、そんな彼女の全てが試されるときがやってきた。
中央本隊養成学校の入学試験である。
それは難関も難関。過去最高試験倍率56倍のリベルタ領内屈指の難関試験。
さしもの彼女も緊張の色は隠せなかった。
生まれて初めて味わう極度の緊張のために彼女は前日の夜から高熱を患い、試験自体を受けられるかも定かではなかった。
翌朝目を覚ました彼女の表情はやはり暗かった。
熱はだいぶと下がりはしたが、依然として身体は本調子ではなかった。
回らない思考で仮に何とか筆記試験を突破したとしても、体力試験でふるい落とされることが分かっていたからだ。
しかし、彼女はどうしても諦めたくはなかった。無理はするなと引き止める祖父を引き剥がし、試験会場へと向かった。
たとえ体力試験がダメだったとしても、何とか筆記試験だけでも、とそんな心づもりだった。
彼女は本来ならここで一つの大きな挫折を味わうはずだったのだ。
ーーーその日、リベルタ中央本隊管轄領に激震が走った。
文字通りの激震だった。
しかし、試験会場まで家族に送迎してもらっていた彼女がそれを知るのは到着後まもなくまで待たなければならない。
先の通り中央本隊養成学校の入学試験は難関である。しかし、毎年のように受験者数は増えていた。徐々に合格者数を拡張してはいるが、それでもほとんどの人間がふるい落とされた。
ある種無謀ともいえるその試験は、しかし、受験者が後をたたない。
試験を受ける彼ら彼女らにあるのは人類のために戦いたいなどといった高尚なものではない。
中央にいれば一生安泰なのだ。
故に中央の人間だけでは足りず、東部、西部からも異常なまでの人数がやってくる。
そんな大移動を野放図に執り行われるわけにも行かず、基本的に例外を除いて受験者は特別列車による一切送迎が行われていた。
その列車はどんな財宝にも耐えがたい。
そこに乗っている、乗る資格を得た者達は皆一様に将来を有望視される若者だ。
たとえこの試験に振り落とされようとも、必ずやどこかの場所で何かの分野で第一線で活躍するようなそんな原石達の集まりだ。
幾重にも連なる列車は全員を無事に試験時間までに、試験会場へと送り届けるために、万全を期して出発した。
「はあ、はあ…」
治ることのない熱を帯びた息が響く。
「大丈夫ですか、お嬢様……やはりやめておいた方が…」
そんな彼女に付き従う人間達が口々にそういった言葉をかける。
「…大丈夫、です。もうすぐ会場に着くし……ごめんなさい、皆さんにも迷惑をかけてしまって…」
「……いえ」
まだ齢6歳の彼女がどうしてここまで良くできた子に育っているのだろうか。
彼女を支えていた周りの全ての人間が彼女の心根に感嘆したほどだった。
「申し訳ございません、お嬢様。少し……」
周囲にいた人間の1人が徐に誰かと連絡をとる。
試験会場までもう間もなく、十分時間には間に合いそうだ。
「……お嬢様」
「……何ですか?」
彼女はここまで付き添ってくれた人間に感謝しながらも、気持ちは試験へと切り替えていた。
とにかくまずは最善を、もしもダメだったとしてもできる限りのことをしたかったからだ。
「……帰りましょう」
「えっ…」
なぜ、どうして、もう目前まで迫っていたというのに。
足は止まり、進路は反対方向へと進み始める。
もしかして、さっきの通話は……
「お願い、お祖父様に言われたかもだけど……今日だけは…」
「違います…」
ならどうして、自分は今連れ戻されているのだろう。
自分は戦いの場にすら上げてもらうことができないのか。
「…お願いだから」
ここに来て初めて彼女が6歳の少女らしく、涙をその目に溜めているところを見たものも多いのではないか。
「違うんです、お嬢様。今日の試験は…」
声を荒げて感情を出して、普段の彼女が決してしないようなことをしたからだろう。もとから体調の優れない彼女の意識は少しずつ現実から離れていた。
「中止になりました」
ただその一報を聞いたときに、彼女は自分の運の良さを初めて実感したのかもしれない。
一つ間違いのなかったことは、彼女はほとんどの安堵とほんの少しの喜びの中で意識を手放していった。
そう、人々が悲しみにくれるその中で、彼女は確かに喜びを感じていたのだ。
ギオルド暦141年4月1日未明
リベルタ中央本隊管轄領史上最悪のテロ事件勃発
中央本隊養成学校入学試験受験者の大半を乗せた列車が次々と爆発
乗客・乗員合わせて6万人。うち1万2905人重症、1万4380人軽症
ーーーーーー1万1039人死亡
未だ犯人は捕まっていない。
ギオルド暦141年5月1日、中央本隊養成学校入学試験開催
出願人数7万8000人、内辞退者数6万3000人(これは先の事件における死亡者、重軽傷者を含む)
合格者数1503人
クオン=クライスツェフ合格
これは史上3番目の若さだった。
◆
クオン=クライスツェフはどうやら身内の贔屓無しに見ても良くできた人間だったようだ。
戦闘訓練の成績もさることながら、特に座学ではピカイチの成績を修め、必ず五本の指に、ひいては一本の指に入ることさえあった。
「あいかわらずすごいなー、クオンは」
そう言った彼女の名前はミハエラ=ベリト、クオンより歳は2つほど上ではあるが同期であり、隣同士で班も同じだったことからクオンとともに行動することが多かった。
「そんなことないですよ。ベリトさんこそ戦闘訓練ではいつも上位じゃないですか」
「むー」
ミハエラ=ベリトはこれまた傑物だった。多少の粗こそ目立つものの柔軟な戦闘時の思考回路は目を見張るものがあり、クオンよりは常に上位にいたことも間違いはない。
そんな彼女が何やら拗ねている。今から何を言われるのかクオンには分からなかった。
「いつまで私のこと『ベリトさん』って呼ぶのさ……そろそろ皆みたいに『ミハエラ』って呼んでよ」
「いや、しかしいくら同期とは言ってもベリトさんの方が年上なわけで…」
照れたように、逃げるように彼女から目線を逸らした。
しかし、その努力も水の泡。すぐさま逸らした目線の先に入り込んでくる。
「ほら、また言ってる。ミハエラって呼んでよー、ねー。ミ・ハ・エ・ラ、ほら」
「いえ、ですから……」
「ジーーー」
「うぅ……」
観念しろとばかりにジト目を向けられるクオンは堪忍してほしい気持ちでいっぱいだった。
生まれてこの方恥ずかしながらも密接に関わった人間など数えるほどしかいない。それも祖父と使用人ぐらいのものだ。
それにやはり真面目な彼女の性格はそういう関係の構築を阻んできた。
何より改まって彼女を名前で呼ぶのが非常に気恥ずかしい。
「ーーーエラさん……」
「え、何て、聞こえないよ」
本当に聞こえていなかったのか、いや、聞こえているに違いない。さっきとはうって変わってその表情がニマニマとした笑みに移り変わっているのだから。
「ミハエラさん!これ以上は私には無理です!」
「ふーん、ま、今はそれでいっかー」
顔を真っ赤にしたクオンは縮こまってしまった。
対照的にすこぶる上機嫌になったミハエラはふふーんと鼻歌交じりに歩いている。
「そんなわけで今日からの班別実施訓練、私たち17班、絶対皆無事で帰ってこようね、クオン」
「…はい、そうですね、ミハエラさん!」
◆
「はあ、はあ……何でこんなことに…」
「他の皆はどうなったのかな?」
岩壁に背を当てて座り込む人影が2つ。
ミハエラ=ベリトとクオン=クライスツェフ。共に肩で息をし、その身体は傷が目立つ。
暗がりの崖の下で彼女たちの声が響く。
「分かりません、はぐれてしまった以上は……」
「まぁ…今は皆無事だと信じるしかないね。それに…」
ふーっと息を吐いた彼女は立ち上がる。
一瞬その顔が苦悶に満ちたのは気のせいだろうか。
「私たちも生きて帰れるか分からないし…」
いつも調子の良い彼女からは想像ができないほど真剣な顔だ。
「本当に何でこんなことになってしまったのでしょうか。ここらは小型しかいないはずだったのに……」
「……そうだよ。六級指定の小型の群れしかいなかったはずなのに…あんな化け物が…」
件の班別実施訓練、彼女たちの17班総勢8名は少し辺境へ近づいた地区での小型神獣掃討を命じられた。
彼女たちが連携して望めば十分クリアできる任務だった。
この17班はあのクオン=クライスツェフがこと戦闘においては下から数えた方が速いほど指折りの実力者が揃っている。
「ゼラキエルと、名乗っていましたよね」
「……本当だとしたら事態は深刻だよ…」
等級指定は基本的には危険度の指標。
彼女達が単独で戦闘が許されているのは五級指定以下、班単位で最悪四級指定以下。そんな中で…
「何でこんなところに二級指定なんかがいるんだよ」
ミハエラ=ベリトが苛立っている。吐き捨てるようにそう言っている。
「でも今のところはうまく逃げ切れているみたいです」
彼女が本気で焦っているのだ。いつも支えられている自分がこんな時ぐらいは。
クオンは務めて冷静に。
「……私たちの方にいないっていうことは他の皆の方に行ったかもしれないじゃん」
「それは…」
「…ううん、ごめん。せっかく気を使ってくれたのに……よし、もう大丈夫何とか先生たちのところまで戻ろう」
「そうですね、ここまで来れたならもう少しのはずです」
よいしょっと彼女は自身の愛用している大槌を持ち上げる。
「よし、急いで戻ろう。アイツに追いつかれる前に」
「はい、すぐに出発…」
ドスッ
振り返り動き出そうとしたクオンは何かに衝突し、そのまま尻もちをついた。
それは自然なものと言うには柔らかく、まるで人間の身体のような。
「危ない、クオン!」
「っ……!」
とっさにミハエラに弾き飛ばされたクオンは急いで起き上がる。
さっきまで自分が尻もちをついていたところは地面が割れるように一直線に切り払われていた。
ふと見上げると臨戦態勢で構えをとるミハエラとそれに正対する形で、ゼラキエルと名乗ったその存在が立っていた。
「クオン、早く立って!」
「うっ…あぁ」
「早く!!」
その存在を見ただけでもう彼女はダメだった。
足が震えて動かないのだ。彼女がいなければもう死んでいた自分、というものが簡単に想像できてしまうのだ。
「……クオン、先に逃げて」
「え?」
何を言っているのだ、彼女は。確かに自分はもう使い物にならないかもしれないがそれでも彼女を死地に1人置いていくことなど。
「私を置いて逃げて」
「そんなことは……」
不思議だ。彼女のその何か悲壮な覚悟に照らされて、クオンの足は動き出す。身体が起き上がる、立ち上がる。
「逃げて応援を呼んできて」
「無茶だよ、ひ、1人でそれまで相手にするなんて…」
心の中の弱い自分が彼女を思いとどまらせようと必死に声を上げる。
「大丈夫、私は強いから」
「あ……」
やめてほしい。そんな顔をしないでほしい。
そんないつも通りの彼女の顔をされてしまったら自分はいつものように頼ってしまう。
「ほら、逃げて!」
「……ダメ」
しかし彼女の心はもう決まってしまっていた。
もしももう一押し。彼女はもう一押しミハエラ=ベリトに押されてしまえばもう。
「逃げろ、クオン=クライスツェフ!!」
「っ……うぁぁぁぁーーー!!」
彼女は、クオン=クライスツェフは駆け出していた。
唯一無二の友を置いて、その姿を振り返ることもせずに、我が身可愛さに逃げおおせて見せた。
この日、クオン=クライスツェフは初めてクオン=クライスツェフに失望した。
ギオルド暦144年11月29日
中央本隊養成学校104期生17班、実施訓練の最中に予期せぬトラブルに巻き込まれる。
生還者:クオン=クライスツェフ
死者:ニケ=ラトモンサ
オミ=ギルドット
ネカーア=ユレフスディケア
ローレン=リヤク
島波六人
リヒト=サンキア
ーーーーー以上6人
「はあ、はあ、こっちです」
「一体どこにいるんだ、ミハエラ=ベリトは」
「この辺りで私だけ逃げて、それで……」
どこにも、彼女の姿はない。
どこを探しても彼女の姿はない。
相対していたあの存在も気配すら感じられず。
ただ……
「……ぁ」
確かに2人で背を預けた岩壁。
「……あ」
割れたように切断された大地。
「……ぁあ」
そこに彼女の知らない、それは鮮やかな景観が、色が。
「う……あぁ」
赤黒く染め上げられた大地と。
「嫌ぁぁぁぁぁぁーーーー!!」
その愛用の大槌を握りしめたミハエラ=ベリトの片腕だけが残されていた。
ーーーーー生死不明:ミハエラ=ベリト
「おめでとう」
「え?」
「君の功績が認められたよ」
「何を、言っているのですか、先生」
「君が撃退したゼラキエルの存在が公に認められたよ」
「は?」
「これは君の功績だ。まだ生徒の身で……」
(違う。)
「二級指定の天使を……」
(こんなことがあっていいはずがない。)
「君の講師としてこんなに誉高いことは……」
(私はただ、自分の命惜しさに逃げただけだ。)
「これからもより一層の成果を……」
(全部やったのはミハエラさんだ。)
「期待しているよ」
(それは、その功績は、称賛されるのは、私じゃない!)
ーーーーーーー成果
クオン=クライスツェフ
二級指定:ゼラキエル撃退
彼女は運良くただ1人生き残り、彼女は運良くその手柄を自分のものとした。




