第四章 三つ目の願い ~空空~ PART5
給食室の扉の横には、一週間の献立が記された紙が貼られていた。その内容は学年ごとに異なるのだが、少女が位置する一年生の今日のメニューは、カレーと野菜炒め、それに肉じゃがと、後はいつものパンと牛乳らしい。
少女は献立の前で小さい溜息を吐きつつ、白ご飯が無いだけ今日はマシだと思った。基本的にはパンが毎回用意されているものの、それでも週に一回はそれがご飯に代わることがあった。家でシェフが用意して貰っているそれとは違い、給食のご飯は柔らかすぎるがために、これも彼女が苦手としていた料理の一つであったのだ。
まぁ、彼女がパンで良かったと思う理由はそれとは別にもう一つあるのだが……。
少女は「一年生 大きいおかず」と記載されたシールが貼られた大きな容器の前に立つと、クラスの男子と二人で教室まで運ぶことにした。
教室へと戻る道中、少女はその重さに耐えかねて何度も足を止めそうになったのだが、彼女の前を歩く男子がグイグイ引っ張ってくるので、全然休むことが出来なかった。容器があまりにこちら側へと傾くので、前を歩くくせに本当に力を入れてくれているのかと疑いたくなる気持ちと、手から伝わってくる酷い痛みから、彼女の限界はすぐそこまできていた。
ただ、世の中とはうまくできているらしく、少女が今まさに泣き出してやろうと思った途端、彼女の視線が教室のプレートを捉えたのだった。
ここで音を上げてしまえば、頑張りが無駄になってしまう。
少女は仕方なく、最後の力を振り絞ることにした。
「せーのっ」
例の男子の掛け声に合わせてありったけの力をはきだした後、少女はまだ痺れの取れない手を見つめていた。何とか無事容器を置くことが出来たものの、今日はまだ月曜日だから当番が終わるまであと四日間もこの地獄が続くのかと、欝な気持ちを抱えながら。
ただ一つ、今自分がこんなことを考えていてもどうこうならないことだけは少女も分かっていたので、ここは大人しく席へと戻ろうとした時だった。
「ちょっと、どこへ行くのですか?」
彼女にそう声を掛けてきたのは担任の教師であった。
「ほら、皆さんに装ってあげてください」
少女は先頭を歩いていたため気付かなかったのだが、他の生徒もいつの間にか教室に辿り着いており、皆自分が持ってきた容器の後ろに立って準備を進めていた。更には教室で待っていた生徒もぞろぞろと前に出てきて列を成そうとしているのだった。
これが始めての給食当番ではあるものの、給食自体は何度も食べているはずなのにこの段取りを少女が分かっていなかったのは、それだけ彼女が給食に興味が無かったからなのかもしれない。
少女は仕方なく容器の裏へと向かった。
トレイを一枚手に取り、まずは少女の所でカレーを受け取った後、順に肉じゃが、野菜炒め、パン、最後に牛乳を一つ取って席に戻って行く人、人、人……。皆が一様に同じ行動を取った。違いと言えば、隣の生徒とお喋りをしているかどうかぐらいだろうか。
この皆が同じ行動を取ることが、次第に少女の気持ちを蝕み始めた。それは彼女が知っている筈もない難しい言葉を使えば、「ゲシュタルト崩壊」と近い感覚かもしれない。
一言だけ断っておきたいのは、何も少女は、自分が普通とは違う特別な存在であると自負している訳ではないことである。実際問題、彼女の家庭環境は特別なものなのだが、そのこと自体を彼女は酷く嫌っているし、むしろ普通になりたいと思っている。つまり、この少女の感情は「普通の生活を送ること」に対する憧れの裏返しと言えるものだった。
列の最後に並んでいた生徒が給食を受け取った後、少女を含めた当番の生徒達も各々の食器を取り、自分の席へと戻って行った。
「みなさん、席に着きましたか?」
担任がまたわざとらしく、丁寧な口調を使いながら生徒達の顔を見回した。
「はい、じゃあ手を合わせて。――いただきます」
その掛け声に従い、生徒達も皆、「いただきます」と声を合わせた。
それを皮切りに、教室がさっきまでとはまた違った種類の騒がしさに包まれ始めた。
ちょうど二十人で構成されたこのクラスは、出席番号順に四人ずつの班分けがされており、給食時はその四人が机を動かし固まって食べることが義務付けられているのだが、席の配置上、机の向きがバラバラになるため、いつも以上にその煩さが少女の耳に残るのである。今声を出していないのは、少女と担任教師くらいのものだろうか。
少女は目の前に座っている三人の生徒が、何やら昨日やっていたテレビ番組の話題で盛り上がる中、少女は懸命にカレーを喉に流し込んでいた。嫌いな食べ物が多い彼女は、実は毎日のようにパンの中におかずを隠し、校舎の隅に捨てているのだが、最近は一旦パンの中詰めた後、あらかじめ用意していた使い捨ての容器に移し替えていた。
と言うのも、最近はこのおかず達を捨てるのではなく、ある少年に渡していたからであった。流石に人に食べ物を渡すのに、中をくり抜いたパンの中におかずを詰め込んだもの用意するのは気が引けるため、家の台所にあった使い捨て容器を拝借し、後からそれに移し替えて少年に渡しているのだった。
普通、同じ班の子がこんなことしていたら気付きそうなものだが、これまで少女が周りからそれに対して咎められたことはなかった。担任も間違いなくそれに気付いている筈なのに何も言わないのは、近年やたら学校生活に介入したがる親が増加しているのを警戒しているからなのか、あるいは地元では名前を知らない者はいないほどの大病院である「心淳大学附属病院」を統括している藤木家の娘である少女には、なるべく関わりたくかったからか、その真意までは定かではない。
今日の献立だと、正直全て少年にあげてしまってもよかったのだが、カレーの処理はどうしようもなかった。だからとりあえずこれだけは自分で食べてしまい、後はいそいそとパンの中に詰めようというのが、少女のプランである。
少女は一通りの作業を終えた後、速やかに教室を出た。それでも最初の頃はキョロキョロと周りの目を気にしたものだが、今となっては慣れたものである。
しかし、その「慣れ」がいけなかったのかもしれない。
いつもの場所に向かうとする少女の肩が、誰かにポンポンと二回叩かれたのは、扉を出てすぐの瞬間であった。




