64話 『暗雲』
夜闇の中を滑るように進む人影の後を、水か、あるいは泥を切り裂くような音が追う。
いや、“ように”ではない。
六足乗用魔物スレイバンやクリスタル燃料車にも見劣りせぬ速度で実際に滑走中なのだ!
それは足元に地表を融かす元素混合物を生成することで摩擦を小さくし、加速力を高めていた。
「どうですか、乗り心地」
ギザギザの鋭い牙が覗く口から吐き出される化学薬品じみた吐息と、甘く柔らかな囁き声が、横抱きにされて運ばれるリュミエラの耳をくすぐった。
もう少しで頬が当たりそうなほど寄せられた浅黒い顔が、微笑みを浮かべる。
星明かりを吸い込み煌めく金色の虹彩が近い。
彼女は笑い返そうとしたが、寸前で思いとどまり眉根を寄せた。
「確かに揺れないし、飛行するわけでもないしで燃費良さそう、と思う。
んで、中身があんたじゃなきゃもっとずっと快適なんだけどね、“サンキエム”」
「あの子も、練習すればすぐできるようになりますよ、というよりリュミエラさんもいけるのでは?
……スケーティング移動の条件は、地面を融かしながら力場か風を操作することですし」
「やってやれないこともないけど、あたしは光熱以外の出力を微調整するの苦手だから、多分走った方がいいかな。
それよりもうすぐ市街地でしょう、バイザーかけて、あたしを下ろしなさい。
どう贔屓目に見ても怪しいし、検問かかったら面倒だわ、あとこの移動、舗装道路痛めるし」
「はいはい……あ、どうせ微調整を行って中身入れ替わる必要がありますから、適当な物陰で一旦停止します。
このまま情報伝えずに戻ったらあの子、パニックですよ」
「あー、そうね」
リュミエラと“サンキエム”は今度こそ笑い合った。
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熱いぬかるみを啜っている。
白いかたまりを弄っている。
全身を欲望が支配している。
意識が遠のきはじめている。
姉がそれを組み直している。
厚いトーストを齧っている。
大鍋のスープを貪っている。
なにかの連絡を受けている。
あわてて準備をしている。
風を切り裂き滑っている。
姉の意識が消えつつある。
己の意識が戻りつつある。
地面は冷たく、視界は暗く、それ以外は暖かい。
甘苦い燃えがらの匂いを感じる。
サンカントはゆっくりと目を開き、改造瞳を暗所に適応させた。
白く熱い視界を、僅かに赤茶けた数本の傷跡と、しなやかに鍛え上げられた機能的な艶然さを持つ腹直筋のラインが彩る。
彼は舌を伸ばしそうになるのを堪え、より見たいもののために顔を仰向けた。
「おはよー」
ほぼ同時、聞き慣れた声がサンカントの耳に入ってくる。
もちろん、リュミエラだ。
彼女は分厚いフードマントの裾を敷物代わり、何かの壁を背もたれにし、地べたに足を投げ出して座っていた。
いや、それよりも。
「おはよ……ん、外か? ルクスの……どこだ?
夜だよな、リュミエラさん」
「そうね。“サンキエム”からの情報は受け取った?」
「うん、一応。あーあ、連休のはずだったのになあ、っ、おわあ!」
溜め息をつきながら上半身を起こしたサンカントを、リュミエラは真紅の鱗に包まれた左腕で引き倒した。
逆立つ黒髪が特徴的な怪人少年の頭が、白い上腿を再び歪める。
「もうちょっと横になってなさい、あいつ曰く、データの一部に覚醒してからでないと定着できないものがあるらしいから」
「はい」
「どったの、いやに素直じゃない」
「んん、すぐ終わりそうだし。
あっと、えと、昨日の、昨日さ、ごめんな、でも、大好きだぜ」
「合意でしょ、謝るな。
んー……まあ、あたしも悪かったし、確かにあれ毎日とかはきついけど」
「はい、ごめんなさい」
「あれ好きだから、謝るなつってんでしょーが!」
「お、おう……でもそっちだって悪かったって今言って、う!?」
直前に寝かせたばかりの頭を、リュミエラが勢いよく抱き起こす。
サンカントが調整を終え、出発できるようになるまでしばしの間、二人は口を塞いだまま過ごした。
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灯火管制が敷かれた首都ルクスの街並みは、薄い星明かりのみに照らされていた。
大抵の施設では暗幕や結界を利用して外部への光を抑えたり、あるいは地下室に移ったりなどして通常通りに作業が行われるのだが、少なくとも外から見れば暗い。
だが、夜間に爆撃や襲撃を行うような部隊は、確実に高い暗視能力や光を用いない遠見の手段を持っているため、灯火管制自体が気休めだ。
むしろ、暗さが都会慣れした住民の不安をむやみに煽っており、マイナスですらある。
とはいえ一応政府命令であるために無視するわけにもいかない。
例えば各種の工場や公的施設などでは入り口と通路の照明を落とし、警備はゴーグルや魔法無しで一定以上の精度の暗視ができる人員に置き換えてある。
聖堂騎士団工作部入り口のセキュリティ照合担当者も、普段の老警備兵ではなく亜麻色の髪を短く刈り揃えた長魂族の隊員であった。
「はは、はいサー確認しました、通れください」
「暗い中お疲れ様です。
ところで、そこまで極端に怯えられるとちょっと傷つくんですが」
「いええ別にそのような事は本官は」
やけに、というよりいつも通りに怖がっている長魂族こと、ノエ・セルベット隊員から夜間用の許可証を受け取ったリュミエラが、赤黒いフードを外しながら肩をすくめる。
いくら苦手な相手とはいえ味方に対して震えているなど、敵の侵入があったらどうなるのだろうなどと心配をしてしまう。
同様に手続きを済ませたサンカントは、強力な改造視力で周囲を見回し、首を傾けた。
釣られたリュミエラも、透過性の高い不可視放射を行うという、あまり味方の施設でやるものではない安全確認をしてしまったが、特に異常はない。
だが、怪人少年の疑問点は不審者がどうのこうのではなかったようだ。
「なー、なーノエさん、どして一人で夜間やってんの?
工作部ってさ、隊長以外は必ずツーマンセル以上とか、そんな内規じゃなかったけか、外部雇われの俺達でも時々言われるのに」
「いやサンカント、仮眠中みたいだけど奥の部屋にもう一人いる、ってあれ、いつもなら二人立って一人寝てるはずよね」
「そ、それはですね、機密というほどではないのでありますが、少々事情が」
「人手不足か」
「あ、はい、そうなのであります、もうなんといいますか、皆あちらこちらで出張任務を行っておりますのに本部も議会も隊長もあの、その…………」
「頑張ってください」
「お疲れ様だぜ」
「あ、はい」
リュミエラの適当な呟きは当たっていたらしく、ノエが手持ちの短槍にかくんと寄りかかり、肩を落として頷く。
流れるように吐き出される愚痴からして色々と大変そうである。
少々言葉をかわす程度ならともかく、聞き込んで慰める余裕など当然存在しない二人は、話の腰を折りついでに軽くノエを励まして目的地に向かった。
「入れ」
「失礼いたします」
「む、随分早かったじゃないか、確かに急ぎだが走って来なくてもいいと言ったろうに」
騎士団員にしてはやや長めの黒髪を垂らして資料を睨んでいたマリエット隊長代理兼副隊長が顔を上げ、リュミエラとサンカントに声をかけた。
怜悧そうな印象の整った顔に、それを打ち消してあまりある深い隈が刻まれているが、今更だ。
マリエットとその補佐を行っている古参の工作部隊員グザウィ老を含め、会議室には四人の先客が居る。
うち一人は件の応接間めいた豪勢な椅子ではなく、部屋の隅に置かれたパイプ椅子と事務机でなにやら筆記作業を行っている若手の顔見知り事務員であるため、実質三人か。
問題は、最後の一人。
神殿付属研究所と工作部以外の公的施設には普段近付かないサンカントはともかく、リュミエラにとっては既知の中年男性だ。
ただし、名前こそ知ってはいるが、通りすがりの挨拶以上の言葉を交わしたことはない。
なにしろ、このソルトペッパー頭の闇魂族は聖堂騎士団本部の重鎮なのだから。
「おう、邪魔しとるぞ、私のことは居ないものと思って話を進めてくれ」
「はい……はい?」
闇魂族らしく恰幅のいい騎士団員と目が合ったリュミエラは、反射的に敬礼をしたのち固まってしまった。
居ないものと思え、などと言われても困る。
いや、用件がどうこう以前の問題だ。
面倒くさがらず更衣室に寄って、形だけでも聖堂騎士団制服を着ていればよかったのだが、今更後悔しても遅い。
リュミエラはよく判らず横に立っているサンカントの背中を小突き、聖堂騎士団式の敬礼をさせたが、あまり意味はなかろう。
厚いマントのおかげで短いレザーの上下や竜牙剣等が隠れているリュミエラはまだいい。
下は水晶集め向けの無骨なボトムスに装甲靴、上は革のジャケットを羽織っているだけ、顔に(目元を隠す必要があるとはいえ)濃色のバイザー。
荒事の現場ならともかく、室内での初対面としては最悪だ。
しかし。
「……フィリップス本部副長」
「なんじゃいマリエット君」
「押しかけてきてまで早くリュミエラを呼べとしつこかったのは其方でしょう、説明を放棄しないでいただけますか」
「うむむ、確かに一理あるが、知らせを持ってきてやったのも私ではないか」
「団長ならともかく、副長の貴方は連絡系統が違いますね。
加えて、同様の情報は隊長経由で既に来ていました」
「判った判った、頭の固い奴だな!
エリクならもっと空気を読んでくれたろうに」
「無理でしょう」
どうやら、今に限っては服装などたいした問題ではなさそうである。
結局、なかば強制される形で簡単に自己紹介を済ませたリュミエラとサンカントは、フィリップスから話を聞くこととなった。
「うむ、知っておるかもしれんが、私が聖堂騎士団副長フィリップス・ド・バトリクスだ。
個人的な頼みもあるが、まずはマリエットからの連絡を先にな」
「そこを私に振りますか副長」
「連絡系統が違うからな、ん?」
「むむ、ごほん、仕方ありませんね、では、二人には、特にリュミエラには悪いニュースだが落ち着いて聞いてくれ。
ああ、椅子にかけてな、どうせ資料も見る必要があろうし。
昼頃にファルギ村との連絡が切れた、村長宅と警備隊詰所どちらの固定通信機も繋がらん。
更に、破壊されたか通信妨害かは判らんが、出向中のうちの奴やロドリグ殿が持つ携帯型もだ。
先日、北方居留地三番……言っても判らんか、ファルギ村最寄の転移門付き聖堂騎士団拠点だな、それが破壊された、原因は北海を経由して飛んできたシュバルドの爆撃機らしい。
キャリアーと思しき艦は沈めたらしい、らしい、が多いのは工作部に全ての情報が正確に入ってくるわけではないためだ、腹立たしいが。
その後は定時連絡回数増加と、海岸線の哨戒強化が、まあその辺りは二人に説明しても仕方がないな。
ともかく、ファルギ村が爆撃あるいは襲撃により一定以上の損害を受けている可能性が非常に高い。
理解したか、してくれ」
「…………は」
豪勢な会議椅子に沈みながらマリエットの話を聞いた二人は、呆然としていた。
当然、言葉の意味そのものはわかる、しかし唐突過ぎて頭が納得してくれない。
なによりも、ファルギ村をはじめとした北端の、シュバルドから正反対の端の端にある街への攻撃それ自体が理解不能だ。
唯一の救いは、仮に爆撃で故郷が壊滅していたとして、父、あるいは師であるロドリグが死ぬ可能性は極めて低い、ということぐらいか。
しかしギヨーム爺は? 母アネットは? 村長は? 警備隊の元部下や先輩達は?
いずれもそうそう死にそうにないとはいえ、ロドリグほどではない。恐ろしい。
通信機器か結界の不調で連絡のみが届いていないという可能性を、マリエットは否定していないが、まずないだろう。
一時的な通信障害の確率が高いような状況で、休日の夕方に呼び出しなどするまい。
リュミエラは他所の重役であるフィリップスの存在を忘却したかのように唸り、ピッチャーの冷茶をセルフでカップに注いで飲み干し、考え込んだ。
天井を眺めていたサンカントが遅れて正気を取り戻し、同じく渇いた喉を潤す。
しばらく後。
「落ち着いたか」
「ええ、失礼しました副隊長、フィリップス副長も」
「無理せんでよいぞ」
「多少無理はしてますが、騒いでも仕方ありませんし。
幸か不幸か、父も私も、元来死と近いところで働いていますから」
「俺も」
「ふむ、ならばこっちの番だな、お節介かもしれんが、悪いニュースの後はやる気の出る事をすべきだ。
なあに、きっと気に入るはず」
「はあ、しつこいようですが副長、系統が違うことは頭に入れておいてくださいね。
だいいち工作部も人員不足甚だしく、特に飛行……」
「わかっとるわ! エリクにも団長にも一応許可は取ってあるし、拒否されたら即座に引くとさっきから言っておろう」
渋るマリエットを抑え、太い指で薄いファイルをつまんだ聖堂騎士団副長が、勢いよく机に身を乗り出す。
落ち着きはしたものの、流石に立ち直ってはいないリュミエラはあまりの剣幕に一瞬怯んだが、努めてポジティブな方向に思考を向け、背筋を伸ばした。
生きているなら、ファルギの戦士として生きねばならぬ。
それは古代より続く儀式の誓いであり、彼女個人としての誇り。
故郷が危ないうえに、互いに守り守られる相手までできたとなれば、尚更だ。




