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「良いですか、レオ様。いえ、レオナード様! これはあくまで『体験入学』ですからね! ちょっとでも不安に感じたり、胃がキリキリ痛み出したりしたら、私は速攻でクーリングオフ申請書を叩きつけて、平民に逃亡しますからね!」
王宮のあまりにも豪華な大理石の廊下を歩きながら、私は腕を組んで隣の男――かつて「地味男くん」と全幅の信頼を寄せていた罪な美男子、王太子レオナードを強く睨みつけた。
「ええ、分かっていますよ。嫌になったら、決して無理強いはしません。……ですが、まずは僕の自慢の場所に案内させてください。」
レオナードは相変わらず反省の色がミジンコほどもない極上イケメンスマイルを浮かべたままだ。
彼は重厚な装飾が施された巨大な二枚扉の前で立ち止まると、懐から取り出した鍵を静かに差し込み、カチリと扉を開けた。
その瞬間、天井まで届く無数の本棚と、古い革表紙やインクが織りなす重厚な書の香りが、ふわりと鼻腔をくすぐった。
「ここが、我が王室が代々管理している『極秘ライブラリー』です。」
「ふんっ、本棚がいくら並んでいようと、私の意思は揺らぎませ――……ん?」
警戒心全開で足を踏み入れた私の目が、ふと手前側の棚に並ぶ一冊の奇妙な装丁に釘付けになった。
背表紙に刻まれた古代文字を、脳内の高速翻訳回路が凄まじい勢いで変換していく。
(……え? 『異世界の知識を持つ聖女と、ツンデレ魔王のすれ違い求婚録』……!? ちょっと待って、これって前世の深夜に夜更かしして読んでた異世界転生ものの元ネタみたいな奇書やん……!)
さらに、吸い寄せられるように奥の棚へと足を向けると、そこには禁断のタイトルがズラリと並んでいた。
『未解読:古代帝国の禁断の官能恋愛詩集』
『大陸秘伝:ポンコツ令嬢が覚醒して国を救った伝説(実話)』
『超古代文明における魔法技術と機械工学の融合論』
(神コンテンツの宝庫やんけーーーーーーっ!!? ドパガキの脳汁が止まらんわ!! ネットも電子書籍もないこの世界で、こんな最高のドーパミン供給源が存在してええんか……!)
あまりの衝撃に、私の背筋にぞくりと心地よい戦慄が走る。
「セレスティア? 顔色がなんだかとても嬉しそうですが……。」
背後から覗き込むような低い声にハッとして振り返ると、レオナードが眼鏡の奥の目を意地悪く、そしてどこか勝ち誇ったように細めていた。
「れ、レオ様っ!! こ、これ! この『古代帝国の禁断の官能恋愛詩集』って、全何巻ありますの!? ていうか解読途中で止まってません!? 私に続きを解読させなさいっ!!」
すっかり目の色を変えて分厚い古文書を両手で抱え込む私に、彼は余裕の笑みを崩さない。
「良かった。どうします? クーリングオフの書類、出しますか?」
「ぐぬぬぬぬ……っ! ま、まだ! これは体験教育の一環としての検分です! このシリーズ全二十巻を読破して解読するまでは、辞めないかしら!!」
「ふふ、それは頼もしいな。じっくり時間をかけて検分してくださいね。」
私の「知的好奇心」という名の致命的な弱みを完璧に把握したレオナードの完璧な笑みに、私はまんまとハメられたとも知らず、その日から夢中で本を貪り読み始めたのだった。
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――それから、あっという間に「体験教育」の最終日がやってきた。
いよいよ今日が、私が「クーリングオフ申請(辞退)」をするか、「正式に婚約」を受け入れるかを選択する日だった。
(逃げる……今日は絶対に逃げる日や……! ライブラリーの面白本も八割方は読み終えたし、そろそろ自分の胃の平和を守るために撤退せんとあかん……!)
私は懐に忍ばせた、一見してただの白い紙――「クーリングオフ申請書」と書かれたそれをぎゅっと握りしめ、執務室で待つレオナードのもとへと足を進めていた。
だが、その冷たい廊下を歩く道中、この「体験期間」に繰り広げられた数々の出来事が、走馬灯のように脳裏を駆け巡る。
マナー指導の最中、緊張のあまり言葉遣いがうっかり大阪弁になってしまい、講師の厳しい視線に晒されて凍りついた時。
レオナードはスッと私の前に立ち、「彼女の親しみやすさは、今後の外交における最大の武器です」と涼しい顔で庇ってくれた。
またある時は、山積みにされた書類仕事のあまりの難解さに「うぐっ……胃が……」と机に突っ伏して頭を抱えていると、彼は「僕が半分引き受けます。君は温かいハーブティーでも飲んで休んでいてください」と、いとおしそうに私の頭を優しく撫でてくれた。
王太子としての激務の合間を縫って、彼はいつだって私のポンコツな失敗を笑わず、丸ごと愛して、守ってくれていたのだ。
(あかん……私、完全に勘違いしとった……。私は「王子」というてっぺんの重責にビビって結婚が怖かっただけで……「レオ様」その人の隣から離れたいわけじゃないんや……。)
ガチャリ、と重い執務室の扉を開ける。
机の上の膨大な書類の山から顔を上げたレオナードは、どこか切なそうに、そして緊張を押し隠すような微かな笑みを浮かべて私を迎えた。
「セレスティア……。今日が体験期間の終わりですね。……君の答えを、聞かせてくれますか?」
寂しさを隠すように微かに揺らめく彼の瞳を見て、私はふっと大きく息を吐き出した。
そして、覚悟を決めたように懐に手を突っ込み――勢いよく、バァンっ!! と白紙のクーリングオフ申請書を彼のデスクの上に叩きつけた。
「れ、レオ様っ!! 私から、条件があります!!」
「……条件、ですか?」
突然のことに驚いて美しい目を丸くする彼に向かって、私は指をビッと突きつけ、精いっぱいの威張った態度で叫んだ。
「責任は! どんなことがあっても全部レオ様が取ること! 私の胃の平和を守るために、最高級の胃薬とリラックスできるハーブティーを常に常備すること! そして私がポンコツをやらかして盛大に凹んだ時は、問答無用ですぐに抱きしめて『よしよし』って全力で慰めること!!」
そこまで早口でまくし立てると、私はカァッと一気に赤くなった顔をさっと背け、ツンと横を向いた。
「……これらを全部、今ここで誓うなら……その、王妃になってあげても……いいですわっ!」
部屋に一瞬の静寂が訪れる。
レオナードは叩きつけられた白紙の申請書と、真っ赤になっている私を交互に見つめ――次の瞬間、これまでに見たこともないほど眩しく、そして心の底からの愛おしさに満ちた極上のスマイルを弾けさせた。
「喜んで……っ!」
「ひゃいっ!?」
返事をする間もなかった。 次の瞬間、視界がぐるりと激しく回り、私は彼の大理石のように頑丈で温かい腕の中に、強く、強く引き寄せられていた。
「レオ様……っ!?」
「ありがとう、セレスティア。僕の可愛い、最高の王妃様。君の胃も、心も、これからの人生も……全部僕が責任を持って、一生涯守り抜いてみせるよ。」
前世の社畜時代にすり減ったポンコツな私と、腹黒で過保護な完璧すぎる王太子。
私の平穏でのんびりとしたスローライフの夢は遠のいたけれど――彼の腕の中にあるこの確かな温もりがあるなら、王宮という名の戦場でも、きっと楽しくやっていける。
「あ、でもレオ様! 極秘ライブラリーの別館の鍵も、今すぐ寄越すことが追加条件ですからね!?」
「ふふ、もちろん。新婚旅行はライブラリーに一週間籠もるかい?」
「それは最高すぎるーーーっ!!」
私の慌ただしくも弾けた叫び声と、彼の嬉しそうな笑い声が、青空の広がる王宮の空へと高く高く響き渡っていったのだった。




