1.婚約破棄
※新作です。よろしくお願いします。思いのまま書いたご都合主義なところや、矛盾点が多くありますが、あまり気にせず軽い読み物として読んでください。
「エレノア・ヴァレンタイン! 貴様との婚約を破棄する!」
王宮の絢爛豪華な大夜会。天井から吊り下げられた無数のクリスタルシャンデリアが、集まった貴族たちの衣装を傲慢なまでに照らし出していた中での、突然の出来事だった──
その光り輝く世界の中心で、第二王子、ジュリアン・フォン・ルミナスは、自らの喉を限界まで震わせ、決定的な言葉を叩きつけたのであった。
ビシッと突き出された白い手袋の指先は、嘲笑うようにエレノアに向けられていた。
彼の傍らには、まるで勝利の女神にでもなったかのような勝ち誇った笑みを浮かべ、これみよがしにジュリアンの腕にしがみつく男爵令嬢マーガレットの姿があった。
周囲の貴族たちは一瞬にして静まり返り、息を呑んだ。
次の瞬間、彼らの視線は一斉に、ホールの中心に取り残された一人の少女へと注がれる。
その視線に含まれているのは、侮蔑、冷笑、そしてほんのわずかばかりの「憐れみ」だった。
少女の名前は、エレノア・ヴァレンタイン。彼女は社交界において、「ヴァレンタイン侯爵家の人形」と称されていた。
いつ、いかなる過酷な状況下にあっても、定規で測ったかのように背筋を伸ばし、精緻な刺繍が施された扇で口元を隠す。
喜怒哀楽のすべてを削ぎ落としたかのような美しい無表情。それが彼女のすべてだった。
ジュリアンからの度重なる冷遇、夜会での放置、他の令嬢との浮気──そのすべてに対しても、エレノアはただ静かに微笑み、耐え忍んできた……
――と、周りのバカどもは残らず、都合よく思い込んでいた。
(……キ、キタ、キタキタキタキタァァァァーーーーーッッ!!!)
うつむき、憐れみを誘うように肩を小刻みに震わせる私の脳内では今、全銀河の生命体が祝福するレベルの狂喜乱舞のサンバカーニバルが爆音で開催されていた。
脳内の私は極彩色の羽飾りを背負い、マラカスを激しく振り回して狂ったようにステップを踏んでいる。
(やっと……! やっと解放されるわ! 長かった! マジで長かった! 『淑女たるもの、一歩引いて三歩進んで泥を被れ。感情を殺し、家名のための礎となれ』とかいう、我が家の狂った先祖が遺した遺言のせいで、10年間も大人しいお人形でいなきゃいけなかったのよ!?)
嬉しさのあまり、顔の筋肉がニヤつきそうになるのを必死で耐える。心の臓が興奮でドックンドックンと激しく脈打っていた。胸の奥から湧き上がるのは、溢れんばかりの歓喜と、これから始まる自由への期待!
(あー! 早くこの重苦しいコルセット付きのドレスをハサミでズタズタに切り刻みたい! 動きやすい乗馬ズボンを穿いて、全力で庭の巨木に登って『うおおおーっ!』って雄叫びを上げたい! 丁寧に切り分けられた肉じゃなくて、骨付きの生肉を素手で貪り食いたいのよーーーっ!!)
私の脳内が野生の王国と化しているなどとは露ほども知らず、ジュリアンは沈黙を「絶望による硬直」と受け取ったらしい。調子に乗ってさらに声を張り上げた。
「エレノア! お前のような冷酷で退屈、その上、嫉妬に狂った醜い女は、この俺様の妃の座にふさわしくない! マーガレットを庭園の階段から突き落とし、彼女のドレスに泥をかけた罪、言い逃れはさせんぞ! お前のその凍りついた心が、マーガレットの純真さを傷つけたのだ!」
ジュリアンがこれみよがしに胸を張り、正義の味方を気取る。
当然ながら、そんな事実は微塵もない。マーガレットが自作自演で派手に転び、あらかじめ用意しておいた泥溜まりに自らダイブしただけだ。
その瞬間を特等席で目撃していた私は、(あ、踏み込みのフォームが汚いな。もっと体幹を意識して、お尻から落ちれば受け身が取れたのに。やり直し)と、心の中で冷徹なテクニカル分析を行っていたくらいである。
しかし、ここは世紀の「婚約破棄」の舞台。私はそっと、ゆっくりと顔を上げた。
長い睫毛を伏せ、涙を健気に堪えるかのように、ふるふると可憐に唇を震わせる。
10年間の抑圧が生んだ、天才女優も真っ青の演技力の見せ所である。
「……ジュリアン殿下。それが、殿下の……最終的なお答え、なのですね?」
「そうだ! お前のような薄汚い犯罪者は、我が国から即刻国外追放だ! ヴァレンタイン侯爵家からも勘当の届けが出ている。お前にはもう、帰る場所などない!」
「わかりました。殿下、そして我が実家のご決断……厳粛に、受け止めますわ」
エレノアは、指の先まで完璧な、美しすぎる角度の「カーテシー」を披露した。
それは見る者すべてが息を呑むほどに洗練されており、まるで悲劇の結末を受け入れる聖女のようだった。
そして、彼女はすっと踵を返す。その背中は、周囲の目には「絶望に打ちひしがれ、孤独な死へと向かう哀れな令嬢」に映ったことだろう。
背中に突き刺さる、勝者の嘲笑と、悲劇のヒロインを見るような冷ややかな視線。
可哀想に、惨めね、もう終わりね――誰もがそう思っている。
◇
だが、一歩、また一歩と会場の出口へ向かって歩き出した瞬間――私の顔から、完全に「お人形の仮面」が剥ぎ取られた。
(よっしゃぁぁぁあああ! 最っ高! 脳みそがハチミツで詰まってそうなバカ王子も、ウザい説教親父も、これで全員おさらばよ! 自由だーーーっ!! 誰にも文句言われずに、毎日好きに生きていけるわーー!!)
あばよバカども! 私の輝かしい第二の人生が、今ここから始まるのよ!
胸の中の躍動感が、全身の血液を煮たぎらせる。この解放感! この高揚感! たまらん!
テンションが限界突破した私は、誰も見ていない(と本人が思い込んだ)大きな大理石の柱の陰に差しかかった瞬間、抑えきれない歓喜を全身で表現したくなった。
名門侯爵令嬢の嗜み? 知るかそんなもん!
私は野性味溢れる動作で、高級シルクのドレスの裾を豪快に両手でつまみ上げた。
「ふんっぬ!!」
地鳴りのような、低い気合いの声が漏れる。
次の瞬間、私は大地の蹴りを全力で炸裂させた。
12センチのハイヒール? くだらない! 私の強靭な背筋と大腿四頭筋の前には何の障害にもならない!
空中で身体を鋭くひねり、軸を一切ぶれさせない完璧なフォーム。
(見よ! これが10年間、夜な夜な部屋に隠れて鍛え上げた私の脚力! 『ジャンピング・トリプル・ヒール・ターン』よッ!!)
打点は並の近衛兵を遥かに凌駕し、天井のシャンデリアすら見下ろさんばかりの高さ!
重力から解き放たれた快感に、私は心の中で「ひゃっほーい!」と大歓声を上げた。
最高だ。自由って素晴らしい!
ここから着地したら、そのままの勢いで門を蹴破って外へ飛び出してやる――!
――そう、思った、まさにその空中でのことだった。
「……ほう?」
耳元で、信じられないほど低く、深く、そして楽しげな男の声が響いた。
(えっ!?)
空中で目を見開く。
運悪く――いや、人生最大級に運悪く。その大理石の柱の真裏には、宴の喧騒を嫌って一人静かに佇んでいた「招かれざる規格外の存在」がいたのだ。
目の前に迫る、仕立ての良い漆黒の軍服。その胸元に輝くのは、隣国である帝国貴族――いや、皇族しか身につけることを許されない勲章だ。
そして、私の跳躍の軌道上にバッチリ位置している、息を呑むほど美しい男の顔。
(嘘でしょ、なんでこんなところに人が――っていうか、このままだと膝蹴りが顔面に直撃する格好で激突するーーーッ!??)
空中で目が合ってしまった。
私のドレスの裾は豪快に持ち上がったままで、お下品極まりない開脚フォーム。
対する男の瞳は、驚きと――底知れない興味に怪しく揺れている。
自由を手に入れた瞬間の歓喜から一転、私の頭の中のサンバ会場は、一瞬で大爆発を起こして吹き飛んだ。
ちょっと待って、私の第一歩、いきなり詰んでないーーー!?
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