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第30話 荷物


「なんとかするだって? ――できるわけないだろ! 人間風情が!」


 大天使、ツァドキララが叫ぶ。そして光り輝く無数の翼刃が、波濤となって襲いかかる。

 俺は剣を構えて、六感をフル活用してすべてに対処した。

 切断して彼女にダメージを与えてしまうと事象の無効化がはたらき、防御したという事実すらもなかったことにされてしまうのは重々承知しているため、斬らないように弾いて防ぐ。


「無駄無駄! 無駄なんだって」


 さらに翼の刃だけでなく、あらゆる方向からの破壊光線すら攻撃に混ざる。

 発射台も砲口もない魔法攻撃は事前の察知がほとんど不可能で、絶え間なく迫る翼の乱舞の中で対処するのは流石に極限の集中力が要求されたが。

 これもなんとか、防ぐ。


「――分かんないかなぁっ!」


 そして、しびれを切らしたようにツァドキララが叫ぶと同時、攻撃の物量が一瞬で百倍以上に膨れ上がった。

 空間を埋め尽くす切断と貫通は、もはや大瀑布の只中のように俺を押し潰す。

 受けに回れば圧殺必死の絶対殺害密度を、俺はしかし強引にこじ開けた。数千の剣閃を一瞬に連続させ、全方位から押し寄せる莫大な物量を一点突破する。


「はあ、ちょっと、やばかった」

「スルトさん……!」


 ギリギリで即死圏内から逃れ、異常な攻撃密度の衝突による大爆破も辛うじて防いだ俺は、流石に中々のダメージを負っていた。手足に血が滲み、焼け焦げている。

 服と髪の端っこが少し焦げたマリーが、泣きそうな顔で俺の胸にしがみつく。

 大丈夫、ともう一度言いつつ、俺はぼんやりと考えた。


 ツァドキララの力は、今まで見たこともない類のものだ。

 物理的なものでも、魔法的なものでもない。打ち破るには、言うなれば概念的なもの、この世界のルールそのものを斬らなければいけないだろう。

 俺の剣は多分、形あるものならば、あらゆるものを斬り裂ける。

 しかしルールは形のないものだ。つまり、これではもう。

 そんな俺の思考を読んだように、目の前に降り立ったツァドキララは笑った。


「その通り。今の君に罪はなく、ゆえに何をしようとも詰みなのさ!」

「……」


 でも、そういえば、一度だけ。

 俺は、形のないものを斬ったことがなかっただろうか。

 プロトタイプ魔王との死闘を経て地獄から脱出したあの日、俺は形のない空間というものを斬った。次元の壁を斬り裂いたはずだ。

 あの時と同じ感覚を、もう一度試してみよう。

 手のひらにあの時の感覚を思い出し、いつもは無意識に作り出し維持している魔力の剣をさらに薄く鋭く意識的に圧縮する。

 そして間合いを消し飛ばすような一瞬の踏み込みとともに、天使へ振り下ろした。

 ツァドキララは縦真っ二つに斬り裂かれる。が。


「ほんと呆れた……まだそんなに動けるなんて」


 すぐさま、やはり俺の一撃は無かったことになった。無傷のツァドキララからの反撃に、再び俺は防戦一方に晒される。

 だがしかし、俺の手は確かに奇妙な手応えを獲得していた。

 上手く表現できないけれど、丸くてつるつるした果物を斬ろうとして、ナイフの刃がその皮の上を滑ってしまっている感じと言えばいいだろうか。

 だからあと少し、もう少し上手く刃を立てられれば、切れそうな感じがする。


「くっ……!」


 しかし、そのあと少しが埋まらない。絶え間なくぶつけられる攻撃を相手に取り、瞬きの間に数千の試し切りを繰り返してみるが全て上滑りの手応えで終わってしまった。

 さらに思い返せば、何回か俺は地獄に戻ろうとしたことがあった。しかしそれは一度も果たせなかった。

 一人? あそこに残したプロトタイプ魔王が心配で。あと単純に挨拶とか世間話とかの人間関係が嫌になって、試しに少し地獄に戻ってみようと何もない空中を斬ってみたのだ。

 でも、できなかった。あの時のように、世界そのものを斬り裂くことはできなかった。

 それはなぜだろうかと考える。そこにきっと逆転の手がかりがあると、俺は本能的に直感していた。

 抱きしめたマリーが、ついに泣き叫ぶ。


「もういいです! スルトさん! やめてください……! 降参、しましょうよぉ……っ! じゃないと、このままじゃ、死んじゃうじゃないですかぁ!」

「ダメでーす」

「……え」

「いまさら降参しても許さないよ。天使に歯向かい得るその力、とても危険だしね。

だからここで殺す。確実に葬る。それは変わらない」

「そん、な」


 二人の会話を意識の縁で聞き流しながら、俺は思った。

 あの時はできた。でも今はできないでいる。

 その違いはきっと、本気になっていたかどうかだろう。

 あの時の俺は心底本気で、プロトタイプ魔王を全力で倒したいと思っていた。

 けれど地上に戻ってから、俺は一度も本気になったことはなかった。

 そして命がかかった今でさえ、死ぬことに慣れ過ぎた精神は水面のように静かに凪いだまま、あの時とも比べ物にならない強敵が相手だというのに、ちっとも熱を持ってくれない。

 もしかしたら俺はもう、戦いというものに心底飽きてしまったのだろうか。

 ならば、今度こそどうすればいいのだろう。


「でも褒めてあげるよ、荷物持ち! 僕は優しいからね。文字通り、そんなお荷物を抱えながら、この僕を相手にまだ生きてるんだからさ!」

「…………っ!」


 腕の中に抱きしめたマリーが悔しさに顔を歪めて、その瞳から透明な雫が流れ落ちた。それを見た瞬間だった。

 どくん、と不思議な感覚が胸を突いた。

 横に一閃、魔力の剣を振るい、周囲に迫っていた翼刃をすべて斬り飛ばす。

 それらは全て、何事もなかったように元に戻るが。

 しかし衝撃だけは受けたように弾き飛ばされて、俺に攻撃を届かせることはなかった。

 その事実に、ツァドキララは冷たい水を被ったように目を見開いた。


「……いま、何をした」


 質問を無視する。そして、腕の中に抱き上げたマリーを見る。


「スルト、さん……?」 


 確かに彼女は、自分にとっての荷物で、足手まといで、戦いには役に立たない相棒かもしれない。

 でも、それがちっとも嫌ではないのはなぜだろう。

 むしろ彼女を見るたび、肌に触れる体温を感じるたびに、不思議と力が湧いてくるのはどうしてだろう。

 喉から出ようとしている、この気持ちは何だろう。


「マリー。あのさ……その、なんていうか」

「え……な、なんですか」

「いやごめん、やっぱなんでもない」

「へ」


 彼女の顔を見て、目を合わせて名前を呼んだ時に、俺はその気持ちを自覚した。

 でも、なぜか口に出すのはとても恥ずかしかったから、胸の中でだけ呟いた。

 そうだ。俺はこの子を。


「守りたいよ」


 だから、絶対に負けるわけにはいかない。

 その瞬間、俺の中で何かが変わった。目が覚めたように意識が開けて、目の前の全てが鮮明になる。

 体が、内側からバラバラになりそうな衝動が俺を動かしていた。抑えきれない決意が腕を動かし剣に乗る。

 そして、かつてない鋭さをもった切っ先が翼刃とぶつかり合い。

 刃が、同時に目に見えない何かを確かにとらえ、もろともに斬り裂いた。

 罪を赦す事象の無効化は――しかし、ガラスの砕け散ったような音ともに不発に終わった。


「――――――は」

「よし。いけた」


 一瞬で、ツァドキララの顔面からあらゆる色が喪失した。

 まるで世界の崩壊を目の当たりにしたように立ち尽くしたまま、その口が辛うじてと言った様子で狼狽する。


「あ、ありえない……どうして、僕の世界運営権能が壊され、いや、斬られて――」

「俺も分かんない、けど」


 続く剣閃で無数の翼をすべて斬り落とす。やはりもう事象は元に戻らない。

 やはりそうだ。マリーがいるから。彼女を背負っているから、俺は。


「負けられないんだよ」


 だから勝てる――理解できないように絶句するツァドキララの両腕を斬り飛ばし、脚も断ち、胴体を袈裟切りにする。


「馬鹿な、ありえない……いやだぁっ! どうして僕が、人間ごときに……っ‼」


 そしてその胸を貫いた瞬間、白い地平と青空が砕け散って――。

 気づけば、俺とマリーは元の世界に戻っていた。

 ダンジョンの最深層。淡い緑色の光が照らす広大な洞窟の中心に俺たちは立っていた。


「やったんです、か……?」

「うん。多分、倒せたはず」


 もうツァドキララの姿も気配もどこにもなかった。

 俺は息を吐いて、抱き上げていたマリーを地面に下ろした。

 すると少女はよろめいて、俺の胸に寄りかかった。


「す、すみませんスルトさん。私、まだ怖くて、体が震えちゃって……だから」


 顔を赤らめたマリーの涙目が、どこか甘えるように俺を見た。


「しばらく、このままでいさせてください」

「ああ。いいよ」


 俺は頷いて、そのか細く震える小さな肩に手を置いた。

 そうしてしばらく、俺たちはその場で抱き合った。

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