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国策サスペンス小説『シリコン・アイランドの黄昏(たそがれ)』  作者: 如月妙美


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第一章 錆びついた希望

小章① 起爆剤

 令和九年、二月。  九州の西端に位置する地方都市、湊浜みなとはま市。  人口五万人。かつては造船と炭鉱で栄えたこの街も、今はシャッター通りと化した商店街と、増え続ける空き家が目立つだけの「消滅可能性都市」の一つに過ぎない。  鉛色の空から、冷たい小雨が降り注いでいた。

 しかしこの日、市役所の大ホールだけは、異様な熱気とフラッシュの閃光に包まれていた。  壇上には、県知事、市長、そして産業経済大臣が並んで座っている。その中央で、マイクを握っているのは、地元選出の民自党重鎮・郷田ごうだ剛造ごうぞう代議士だ。  七十歳を超えてなお、血色の良い肌と、獣のような鋭い眼光を保っている。

「皆様、お待たせいたしました。ついに、この湊浜市に『希望』が戻ってまいります」

 郷田が力強く拳を振り上げた。

「政府は、次世代半導体の国産化拠点となる『シリコン・アイランド構想』の第一号建設地として、ここ湊浜市の湾岸エリアを選定いたしました! 総投資額は二兆円! 雇用創出効果は一万人! これは単なる工場ではありません。日本の未来そのものであります!」

 割れんばかりの拍手と歓声。  「万歳!」「郷田先生ありがとう!」という支持者たちの声が響く。  スクリーンには、荒れ果てた埋立地に巨大な近未来的な工場群が聳え立つCG映像が映し出された。

 会場の隅、記者席のパイプ椅子に座っていた相島あいじま健一けんいちは、手元のボイスレコーダーを止め、深いため息をついた。  四十歳。地元紙『湊浜日報みなとはまにっぽう』の社会部デスク。  くたびれたツイードのジャケットに、無精髭。かつては東京の大手紙で敏腕を振るっていたが、ある事件をきっかけに故郷に戻り、今は地方の小さなニュースを追う日々を送っている。

「……二兆円、か。景気のいい話だ」

 相島は呟いた。  隣にいた若手記者の由美が、目を輝かせている。 「すごいですね、デスク! これで湊浜市も復活ですよ。地価も爆上がりだって噂です!」

「浮かれるな。国策ってのは、劇薬だ。効き目は凄いが、副作用で死ぬこともある」

 相島は冷めた目で壇上の郷田を見つめた。  この街には、そんな巨額プロジェクトを受け入れるインフラも人材もない。あるのは、広大な更地と、利権に群がるハイエナたちだけだ。  郷田の満面の笑みの裏に、どす黒い何かが渦巻いている気配がした。


小章② 深夜の密告

 その夜、相島は行きつけの居酒屋『赤提灯』で、芋焼酎を飲んでいた。  街は祝賀ムード一色だ。隣の席の不動産屋たちは、「どの土地が上がるか」という話で盛り上がっている。

 相島のスマートフォンが震えた。  着信画面を見て、彼は眉をひそめた。  『立川たちかわ まこと』。  高校時代の同級生であり、現在は県庁の地域振興課に勤める公務員だ。真面目を絵に描いたような男で、今回のプロジェクトの実務担当者でもある。

「……おう、立川か。どうした、今夜は祝杯か?」

 相島が電話に出ると、受話器の向こうから聞こえてきたのは、祝杯どころか、震えるような小声だった。

『……相島、今どこだ。話がある』

「赤提灯だ。来るか?」

『いや、人目につく場所はまずい。……いつもの防波堤に来てくれ。一人で頼む』

 ただ事ではない。  相島は勘定を済ませ、店を出た。  雨は止んでいたが、海からの風が冷たい。

 湊浜港の端にある古い防波堤。  街灯の明かりも届かないその場所に、一台の軽自動車が停まっていた。  相島が近づくと、運転席から立川が降りてきた。  顔色が悪い。目が血走り、憔悴しきっている。

「どうしたんだ、その顔は」

「……相島、俺は取り返しのつかないことをしてしまったかもしれない」

 立川は防波堤の縁に立ち、暗い海を見つめた。

「今日の発表、聞いたろ? 半導体工場の建設予定地……あの埋立地のことだ」

「ああ。第三工区だろ? 三十年間放置されていた塩漬けの土地だ。ようやく使い道が決まってよかったじゃないか」

「違うんだ」

 立川は首を激しく振った。

「あの土地の所有権……。発表の三ヶ月前に、ダミー会社を2つ絡めて移転していたんだ」

「移転? あそこは県の土地じゃないのか?」

「一部はな。だが、工場用地の核心部分となる約十ヘクタールは、地元の農家や漁協が持っていた。複雑な総有関係の民有地だった。登記簿には公示されず、俺の部署の台帳に記載されて所有者が確定する。真の所有者は関係者しか知らない。それを、県が買い上げる手はずになっていた。……だが」

 立川は声を絞り出した。

「三ヶ月前、突然現れた東京の複数の不動産会社が、相場の三倍の値段で地権者から土地を買い漁ったんだ。実は、最大の地権者は郷田元大臣の親族だ。ひと月前に台帳でその事実を知った。そして今日、県は現在の所有会社から、さらに3倍の値段で土地を買い戻す契約を結ばされた。売却益はおそらく五十億円はくだらないだろう。不可解なことに、半年前には、それを見越したような総額の特別予算が国から降りていた」

 相島は息を呑んだ。  典型的な「土地転がし」だ。  しかし、国策プロジェクトの予定地が、発表前に買い占められるなど、情報漏洩インサイダー以外の何物でもない。

「その不動産会社の名前は?」

「『ニブス・テック・ホールディングス』。……登記簿を見たが、代表者の名前も住所も、どう見てもダミーだ」

 立川はポケットからUSBメモリを取り出し、相島に握らせた。

「これに、土地取引の記録と、県庁内での不可解な命令書のコピーが入っている。……俺は、上司の指示で、土地の地盤報告書を渡され、この取引の稟議書を起案させられた。断れば、この部署と家族に危害が及ぶかもしれないと上司は心底怯えていた」

「立川……」

「頼む、相島。これを記事にしてくれ。俺はもう終わりだ。だが、このまま奴らに税金を食い物にさせるわけにはいかない。税金だけならまだしも、この土地は湿地帯で地盤は脆弱だ。だから、市は買い取った後に、養殖場とプールを併設した施設の建設を計画していた。渡された地盤報告書を作成した会社は例の会社と同じビルにある。おそらく繋がっているのだろう。大地震が起きれば、工場は地中深く沈むだろう。市は会社から莫大な損害賠償金を請求されて・・・、この市は終わる。多くの犠牲者も出るだろう。これは、「死を招く取引」なんだ」

 立川の手は、氷のように冷たかった。  相島はUSBを強く握りしめた。

「分かった。必ず暴く。お前は少し休め」

「……ああ。そうするよ」

 立川は力なく笑った。  それが、相島が友人の笑顔を見た最後だった。


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