その3
約束通りフローラが厨房へ行ってみると、空は相変わらず忙しそうに走り回っている。
「フローラさん!!」
片隅で声を賭けるタイミングを窺っていたフローラに、気付いた空が小走りでやって来た。
「こんにちは」と互いに挨拶を交わして、作業の迷惑にならない少し離れた場所に移動する。
「この間は有り難うございました。トレスの具合、どうですか?」
「元気過ぎて外出禁止をくらったよ」
庭園でメイルと対峙して以来、トレスのその後が気になっていたので彼女の報告に胸を撫で下ろした。
「今日はどうしたんですか?」
「うん? ああ、トレスからソラの様子を見てくれと頼まれてな」
「フローラさんも忙しいのに、わざわざすみません」
自分よりも相手を気遣う空の人の良さに、半ば呆れたフローラが小さく笑う。
「気にするな。これも任務のうちだ」
そうだ、と言ってテーブルに置いてあったバスケットからドーナツを取り出して、フローラに手渡した。
「これ、良かったら食べていって下さい」
これまで目にしたことのない食べ物に彼女は顔を近づけて観察始めたが、甘い匂いにたまらず口にした。
「美味しいよ」
「トレスも大好きなんですよ」
大きな瞳を輝かせて言う空の言葉に、甘いはずのドーナツが気のせいかほろ苦く感じた。
仕事が終わり厨房を出ると、フローラが入り口で待っていてくれた。様子を見に来ただけとは思えぬ重々しさに、空は首を傾げる。
「あの、わざわざ待っていてくれたんですか?」
「偶然通り掛かったんだ。ついでに部屋まで送るぞ」
フローラらしい下手な言い訳が、空には嬉しかった。実は、異世界から来た事実をメイルに指摘されて、以来謂われもない不安で押し潰されそうになっていた。
『奇跡の石』を守ると断言してみたものの、やはり心の何処かで自信がなく怯えている自分がいる。
メイルに立ち向かうには、空はあまりにも非力で頼りないのだ。フローラはその点違っている。赤毛の容姿同様、常に毅然としていて剣士としても実力があるとトレスが褒めていた。
「「はあ……」」
二人の溜息が重なり、互いに顔を見合わせる。
「どうした、溜息なんかついて」
「フローラさんこそ悩み事ですか?」
「わ、私は特に……」
「わ、私も別に……」
トレスに対して己の存在の虚しさを嘆いていたとはとても言えず、また二人同時に俯いてしまった。
暫く無言で歩いていたが、部屋へ向かう途中の丈の高い垣根に差し掛かると、フローラの足が止まり手を広げて空の行く手を阻んだ。
「フローラさ……」
険しい表情で辺りを窺うフローラの様子に、口を噤む。
「……つけられている」
横に来るとフローラが声を潜めてそう言うと、空は身を固くした。
「ソラ、走るぞ」
言うや否や空の腕を掴みフローラが走り出すと、垣根をかき分けて数人の男達がその後を追ってきた。
やがて、鍛錬しているフローラと一般人の空との脚力と持久力に差が出始めた。
立ち止ったフローラは剣を抜いて、男達に構える。
「何者だ!?」
誰何するも応答はなく、斬りかかってきた見慣れぬ剣士達から空を自分の背に庇って応戦した。
透明感のある水色の髪を靡かせてマリーナは、トレスの病室の前まで歩いてきた。
ドアを開けるのを何度も躊躇してると、看護師が中から出てきてやっと部屋へ足を踏み入れることが出来たのだった。
「陛下」
検診だったのか、捲っていた袖を下ろしているトレスが姿勢を正そうとしたが、マリーナが笑顔で制する。
「まだ怪我が癒えていないのですから、そのままで」
出歩いて外出禁止を言い渡されている彼、は罰悪そうにマリーナに向かい合った。
「具合はいかがですか」
「腕は完治までに時間が掛かりますが、その他はもう」
そうですか、と呟く彼女の声が少し沈んだものとなったのが気になり、またメイルとのやりとりがあったのではと思案する。
沈黙が続き、マリーナが意を決して口を開いた。
「『奇跡の石』を知っていますか?」
藍色の瞳を大きく見開いたトレスが振り向いた。
「知っているんですね」
悲しげな金色の瞳が全てを物語っている。もうこれ以上は隠しきれない。
「……はい」
「ティエラ家に代々受け継がれている。そうですね?」
頷くとマリーナの小さな吐息がした。メイルの素性を調べると彼女が申し出た時に覚悟するべきだったのだ。
「異民族との意思の疎通が、瞬時に可能となると書かれていましたが本当なのですか?」
「私もそう聞いておりますが、違う能力もあると考えられます」
でなければ、異世界に部下を送り込んでまで自分を付け狙う必要はないとトレスは思っているが、このことは到底言えず胸の奥へ仕舞っておく。
「先代の王からも、そのような話は聞いていません。」
「王族であろうと、この事実は知る者は稀有です」
「メイルは知っていたのですか?」
「はい」
何故、彼がトレスを付け狙うのか、合点がいったマリーナの表情が一段と険しくなる。
「オバジーンの者ならともかく、何故グランブルーの彼が知っているかが問題ですね。私ももう少し調べてみます」
マリーナが考古室に通い詰めているのはノーサから聞いていたので、このまま新たな真実を知れば彼女にも危害が及ぶのを恐れた。
「陛下にはご尽力頂きました。この件からお引き下さい」
申し出を拒否されて、マリーナが目を丸くする。
「これはもはや、あなた個人の問題ではないのです。オバジーンの、そして私の問題でもあるのです」
ーもうあなた独りで背負わないで。私も一緒に……。
「その石を見せてもらえますか」
「今は手元にありません」
手元にないと聞いて、マリーナは空に預けたと直感してそれを確認しようと言葉を続ける。
「……彼女が、ソラが持っているのですか」
さすがにトレスも返事に困り、短い間が空いたが却ってそれが答えだとマリーナは解した。そして、既にトレスの秘密を共有している空が羨ましくもあり悔しくもある感情を持て余す。
「どうしてソラが知っていて、私は知らないのですか!!」
「陛下?」
自分でも驚いた。
封じ込めていた感情が堰を切って溢れ出し、自分を抑えきれずに思いのたけをトレスへぶつける。
「ソラが来るまでは、私が何でもあなたのことを知っていたのに」
頬は上気して瞳が潤んでいる様子に、トレスは動揺して言葉を探すも見つからない。
「気をお静め下さい。そのようなことを口にしては……」
「いけないのですか!? 私だって、女王である前に独りの女なんです」
公人として決して口にしてはいけない言葉だったが、高ぶるマリーナの気持ちは止まらなかった。
「あなたが好きなの」
この瞬間、トレスの瞳が大きく見開いて少年の顔でこちらを見ている。
「あの花園で出逢った頃から、あなたが好きだったの」
トレスの心臓は高鳴り、頭が真っ白になった。これまで近衛隊として仕えてきた彼が、まさか主君に恋の告白をされようとは、まさに青天の霹靂である。
「あなたはどう想っているのですか」
「どうって……」
今まで考えたこともない、というより考えてはならない質問に、トレスは口ごもる。
「私は近衛隊として陛下をお守りするのみで、恐れ多くもそのような感情は……」
「では、今考えて」
普段は大人しいマリーナが、強い光を瞳に宿してトレスを見つめている。
それだけこの恋が真剣なものだと、恋愛に疎い彼でも察して目を伏せた。
「陛下、私は……」
その答えを言わんとした時だった。
ノックも早々に、近衛隊の一人が病室へ飛び込んできた。
「トレス!! フローラとソラが襲撃されたぞ!!」
マリーナがトレスに振り向くと、顔面蒼白な彼の顔があった。




