その5
久々に自由な時間ができたマリーナは、庭園に行きたいと護衛の二人に申し出た。
まだ執務が終わっていない彼等は困惑していたが、独りでも大丈夫とわがままを通したのは、トレスとノーサだったからかも知れない。
庭園と聞いて、トレスが眉をしかめた。四年前に二人して、庭園で迷った理由を知っているマリーナは笑いをこらえるのに必死だ。
「そう遠くには行きませんので、用が済み次第来て下さいね」
「承知しました」
トレス達が一礼して執務室へ戻るのを見届けると、マリーナもその足で庭園へ向かった。
足取りも軽く、久し振りに来た庭園は相変わらず色とりどりの薔薇が咲き乱れている。
トレスと初めて出会ったあの雨の日のように……。
あれから四年が経ち、お互いもう迷うことはないがそれもまたマリーナを寂しくさせる。
-迷ったら、少しでも長く一緒にいられるのに……。
普段は仏頂面な彼が、虹が現れた時に見せたあのかすかな笑顔は一生の宝物として、大切に胸に仕舞っている。
何故、こんなにもトレスに惹かれるのか。
近衛隊は君主であるマリーナを護るのが任務であり、必要となれば命さえ捧げる。
トレスが自分を大切にするのはあくまでも公人としてで、マリーナ個人ではないのは百も承知だ。
女王の個人名を呼ぶのは重罪であるが故に、彼が決して自分の名前を呼ぶこともない。
-恋くらい、したっていいじゃない……。
誰もいないことを確認して呟くと、不意に垣根から物音がしたのでマリーナの心臓が跳ね上がった。
「だ、誰!?」
現れたのは、栗色の髪の空だった。
「すみません。驚かすつもりはなかったんですけど」
「あなたは?」
「厨房で働いている者です。食堂に飾る花を摘みにきました」
「そう」と前に流れた水色の髪を耳に掛けるマリーナの仕草に、空は見惚れた。
-わあ、綺麗な髪!! 光が差すと透き通ってる!!
瑞々しい白い肌に、ほんのりピンク色の頬は、同性の空から見てもうっとりする美少女にはっとする。
「あの、ひょっとして女王様……ですか?」
「ええ。マリーナ・エデンローズです」
「軽々しく話し掛けちゃってすみません!!」
女王陛下と言えば雲の上の存在で、無礼を働けば即死罪だと聞いているだけに、深々と頭を下げてそのまま固まってしまった。
マリーナは、くすくすと笑って頭を上げるよう促す。
「いいのですよ。今は、プライベートな時間なので構いません」
恐る恐る顔を上げた空は、寛大な彼女に胸を撫で下ろした。
「あなたの名前は?」
「蒼井空です」
まあ、と瞳を細めて微笑むマリーナに、すっと日が差した。
-わあ!! 瞳が金色に光って、すごく神秘的。
「素敵な名前ね」
「有り難うございます」
そこへロングコートを纏った剣士が二人やって来て、その姿に空の心臓が跳ねた。
「あれ? また会ったね」
ノーサが空を見て驚くと、隣にいたトレスも思い掛けない再会に目を丸くしている。
「こんにちは」
と、ぺこりとお辞儀すると、彼も軽く会釈してくれた。
「二人は知り合いなのですか?」
少し困った顔をしたノーサがこちらを見やったので、ついにトレスが口を開いた。
「私を助けた異民族の娘です」
「えっ?」
トレスの言葉に反応したマリーナと空の視線が交わると、互いに察したのは彼への恋心だった。
-女王様もトレスが好きなんだ……。
-この人も彼を慕っているのかしら……。
『目は口ほどに物を言う』というが、まさにその通りである。
「そうでしたか。うちの者が世話になりました」
その言い方はまるで夫をもつ妻の挨拶のようで、空にはあまりいい印象ではなかった。
「いえ。当然のことをしたまでです」
平静を装ってはみたがやはり隠せ切れない不満気な口調に、トレスが眉をしかめる。
側近がマリーナに耳打ちすると頷いて、空を見た。
「また会えるといいですね」
近衛隊を従えて庭園を去るマリーナの列中から、トレスが外れて空の元へ急ぎ足でやって来たかと思いきや、腕を掴まれてやや離れた場所に移動させられる。
「おい、相手は女王陛下だぞ。もう少し態度に気を付け……」
「私には関係ないもん!!」
声を荒げて反論すると更に続けた。
「トレスにとっては大事な人だろうけど、私には関係ない!!」
「何を言っているんだ」
自分だけを諌めるトレスに、無性に悔しくて苦しくて嫉妬という醜い感情が首をもたげる。
告白の返事も聞き逃して、彼を慕う美女が常にいるこの実状に苛立ちついトレスにあたっている自分が情けなく嫌悪した。
-どうして、こんな想いをしなきゃいけないの!?
唇を噛み締めて何かに耐えている空を、覗き込むように見るトレスと目が合うと、何処までも真っ直ぐで迷いのない藍色の瞳が空の心に突き刺さって痛い。
「空、お前らしくないぞ」
この台詞に、空の堪えていた感情の箍が外れた。
「トレスに、私の何を知っているって言うのよ!!」
叫んで逃げるように駆け出して庭園を去ったその後味の悪さは、今までになく滲めで情けないものである。
-サイアク……。
「話は済んだのかい?」
遅れて合流したトレスに、ノーサが訊いてきた。
「ん? ああ」
歯切れの悪い返事に、ノーサが怪訝な顔をした。
「なんだ、お前らしくないな」
「俺らしくない?」
彼の言葉に反応したトレスが、険しい表情で振り向く。
「俺らしいとはなんだ」
「そうだな。実直で迷いがなく、いつも堂々としているといったところだ」
「それはお前も同じだろう」
「いや、同じじゃないさ」
では、空らしいとはどういうことかと考えた。明るくお人好しで逞しく純粋で……。
「あっ」
自然と声が漏れた。
彼女の良い面しか見ていない自分に気付き、愕然とした。人には少なからず醜い感情があり、トレスにしろ空にしろ誰もが持っている他人に見せたくない負の感情だ。
あの時、空がどういう感情を抱いていたかは分からないが、あの辛そうな表情からあまりいい思いはしていなかったに違いない。
自分はマリーナに仕えるのが当たり前になっているが、異世界から来た空にしてみれば彼女とは何の所縁もないのである。
新天地での生活はパワーがいる。
生活様式、人間関係など全てを理解して、過去の生き方をリセットしなければならないからだ。
それをあの細い体で受け止めて、泣きごと一つ言わず一生懸命生きている空に、傍にいることすら出来ない自分がどの面下げて言えようか。
この前、一緒に馬に乗って帰る道すがら、自分がいるから今の生活に満足していると言う空を愛おしいと思った。そして、いつも心の中に自分がいると言ってくれたあの言葉に胸が熱くなり、囁かずにはいられなかった。
俺もだ、空……。
残念ながら彼女には聞こえなかったらしいが、それでも構わなかった。却って、聞こえなかった方が都合が良かったのかも知れない。
「どうした? あの子を追い掛けるなら俺から陛下に伝えておくが」
深刻な顔で黙ってしまった彼を、ノーサが心配そうに見ていたので首を横に振った。
「行こう。女王陛下がお待ちだ」
今の自分は近衛隊のティエラ・トレスであって、女王を優先しなければならない立場にあるのだ。
金色に光る澄んだ瞳がこちらに向けられていたので、トレスが軽く頷いて応えるとマリーナは微笑んでまた王座へと歩き出した。




