初恋
美紗子の存在は、三日間という短い滞在だったにも関わらず様々な意味で若い二人に変化をもたらした。
彼女を空港まで見送って部屋へ帰ってくるとなんだかいつもより広く感じる。
「静かだな」
そうだね、と空は少し寂しそうに呟いた。「元気出せよ」と言いたいところだが薄っぺらな同情に聞こえそうで喉の奥に押し込めて、代わりに彼女の頭に手を置く。
「俺がいる」
「……トレス」
もう一人じゃない。そんな想いが伝わってきたので空はいつもの笑顔で頷いた。
「お腹空いちゃったね。何か作ろうか」
立ち上がろうとした空をトレスが止めた。
「俺が作るよ」
「ええっ!? 作れるの!?」
ひどく驚くのでトレスは照れと腹立だしさの混じった表情でキッチンへ向かう。
「簡単な物ならな。待ってろ」
どうやらおにぎりを作るらしく炊飯ジャーを開けたところまで分かったが「見るな」と怒られたので寝転がって雑誌を読み始めた。
-いつの間に料理するようになったんだろう?
「ねえ。オバジーンでも料理してたの?」
見るなと釘を刺されたので目線は雑誌に落としたまま訊いた。
「基本的には食堂だが野営する時は何かと作っていたよ」
「どんな?」
「殆ど鍋だな。食材を適当に切って鍋にぶち込んで煮込む」
「まさしく男の料理だね」
むさい男達がああだこうだと言いながら鍋を囲む光景を想像すると失笑してしまったが、トレスの次の一言で空はフリーズする。
「フローラもいたが、ろくな調理法を知らないからな」
「えっ? フローラって女の人……?」
「話してなかったか?」
-聞いてないよ!! 誰それ!? フローラって名前からして綺麗な人っぽいじゃない!!
空のイメージでは金髪で青い目のフランス人形のようなお嬢様だが、実際は赤毛で美人だが男勝りの女剣士である。
「……綺麗な人?」
「さあな。出来たぞ」
-その話、もうちょっと詳しく……!!
口をパクパクさせている空を横目にトレスが皿をテーブルに置いた。おにぎりと玉子焼きのセットに空が歓声を上げたので彼は得意気だ。
おにぎりを手に取って一口食べると中から梅干しが出てくる凝りように思わずにやけてしまう。料理に目覚める男性が多いと聞くがトレスもその手のタイプに違いない。
「玉子焼きは甘い方がいいなあ」
「何言ってるんだ。塩気が効いている方が美味いだろうが」
「私は甘いのが好きなの」
「だったら食うな」
憮然としたトレスが口一杯おにぎりを頬張ると空の指が伸びてきた。彼の口元に付いていたご飯粒を摘んでパクリと食べた空にドキッとする。
「子どもみたい」
くすっと笑う空が幼い頃亡き母にしてもらった仕草と重なり胸が熱くなった。空にとっては美紗子がよくしてくれた些細な仕草でも彼には忘れ掛けていた家族の愛を思い出すきっかけとなったのだ。
「どうしたの?」
「あ、ああ。ちょっと思い出してな」
-思い出すって何を!? そのフローラって女の人のこと? どういう関係だったの?
聞きたいことは山ほどあるが、それが却って言葉を詰まらせる。
「なあ、空」
「うん?」
「俺に隠し事するな」
唐突に脈絡のない言葉に空が怪訝な顔をしているが構わず続ける。
「この世界の人間じゃないが、なるべく理解するように努力する。だから、俺に言え」
空が甘え方を知らないと美紗子が言ったのを否定はしたもののやはり不安だった。この短い期間で空の全てを知った訳ではなかったからだ。
吸い込まれそうな藍色の真剣な瞳は空を捉えて離さない。
もし、トレス以外の人物が異世界からやってきたら自分はこんなにも惹かれただろうか。
-今、私トレスこと好きって想った……?
一瞬の心の声だった。
出逢った頃から口が悪く無愛想だが姿がないと不安になる。トレスの口から女性の名前が出るとどうしようもなく胸がざわつく。彼といる時間は楽しくて尊い。
こんなにも要素が重なって好きになってしまったと今気付く。そして、その結果に空自身が愕然とした。
「空?」
黙ってしまった彼女を覗き込んでようやく互いの目が合った。
「わ、私、買い物に行ってくる!!」
いきなり立ち上がって携帯電話と財布を持った空が部屋を出てしまったのでトレスは茫然としていた。
「気に障ること言ったか……?」
これだから女は面倒だとトレスは不満を漏らした。
買い物へ行くと飛び出したが、実際は行く当てもない。ただ、あの場から逃げたかった。
空くらいの年齢なら恋愛の一つや二つしていても不思議ではない。現に、同級生の間でもその話で盛り上がっているが空本人に関しては全く経験がないに等しかった。
言い寄る男子は大勢いたが、自分の容姿の良さを自覚していないうえに恋愛には疎いので大抵は進展せずに立ち消えとなってしまっている。
芸能人や学校で人気がある男子を見て格好いいとは思うがそれ以上の感情は湧かない。今は、同性とわいわいやっているのが楽しいし、友人二人も関心がないのが原因の一つかも知れない。
だから、トレスという妙齢な男性と一緒に暮らしても平気だった。平気なはずだったが、自分にも恋心が芽生えたとあって心穏やかではなくなってきた。
十七歳にして初めての恋で、しかも相手は異世界の剣士とは我ながら世間離れしている。
-どうしよう……。もう普通にしていられない……。
考えまいとすればするほど意識してこれまでの生活を振り返るととんでもない実態が浮き彫りとなる。
ドア一枚隔てて健全な成人男性がいる前で、着替えたり風呂に入ったり挙げ句には隣で熟睡したりと周りが心配するのも頷けるくらい無謀な行動に再起不能までに落ち込む。
公園で頭を冷やしている最中もトレスから着信やメールを何度か受信したが携帯電話を開く勇気もなくただぼんやりとしていた。
しかし、いつまでもここにいるわけにもいかないのでやっと重い腰を上げた。
ー遅い!! 何やっているんだ!!
またもや空が突然キレて部屋を飛び出したまま暫く帰ってこなかったパターンにトレスは苛立った。
幾ら携帯電話に掛けても出る気配がない。
-俺の時は早く出ろとうるさいくせに自分は無視する気か!?
携帯電話を持ったはいいが扱いに慣れておらず出るまでに時間が掛かるトレスを空は良しとしない。
「早く出てよ」
「俺だって都合がある」
「都合って何!?」
「色々だ」
答えるのも億劫で話を畳んでしまうトレスに空は尚も食い下がる。
「宴会? 合コン?」
「ゴーコン? ああ、そう言えば皆騒いでいたな」
「トレスも行ったの!?」
「いや」
建設の現場で働く独身者は出会いが少ないので誰かが合コン話を射止めるとお祭り騒ぎとなる。そして、メンバー集めも重大な鍵となるので皆慎重に声を掛けていくのだが、若くてイケメンのトレスが誘われることはまずない。
「お前なんか連れて行ったら女の子みんな持っていかれるだろうが!! そもそも合コンなんかしなくてもモテるだろう!?」
行く気もなかったが、先輩達が涙目で訴えてくる姿にこの世界の人達は大変だと心底同情した。
トレスは、何度目かの着信に出なかったので迎えに行くとアパートの階段で丁度空と鉢合わせになった。
「お前なあ、電話にはちゃんと出……」
「ごめん」
言葉を遮った空の後に続いて部屋に入ったが、彼女は既にベッドに潜って頭から布団をすっぽり被ってしまっていた。
「どうした?」
丸くなった空の返答はない。
溜息をついてベッドから離れていくトレスの気配を感じながら、明日からどんな顔をして暮らしていけばいいのか考えただけで空の気は重くなった。




