その4
柳井のバイトが終わるのを待って二人は車で食事へ向かった先はファミレスだった。
「もうちょっと雰囲気がいい店にしたかったけど、空ちゃん制服だから」
トレスと喧嘩して(といっても空が一方的にキレたのだが)、制服のままで部屋を飛び出したので携帯電話も財布も持ってこなかったのだ。
其々注文して料理が来るまで他愛のない会話で盛り上がった。聞き上手の柳井が上手く空の興味を引き出してくれるのでついつい話が弾む。
仏頂面で言葉少なめの割には口が悪いトレスとはいつも空が一方的にしゃべっていた。
料理が運ばれて食べようとした時に彼のことが心配になった。
ーご飯、用意しなかったけど食べたかな……。ご飯は炊いているし、カップラーメンも作れるから大丈夫だよね。
自分に言い聞かせて料理を口に運ぶ。
今まで独りが寂しかったくせに、いざトレスと同居し始めると煩わしいと思うことも多々あった。異世界から来たというだけで彼に振り回される生活から逃れて、こうして柳井と向かい合って食事をしているだけで本来の生活に戻って安堵する自分に嫌気が差す。
ー私は柳井さんが言うほどいい子じゃないのに。
箸が止まっていたのだろうか。柳井がテーブルをコンコンと叩いたのではっとして顔を上げた。
「食事は楽しくしなきゃ」
穏やかな笑顔に空も頷いてまた手を動かした。
空が部屋を飛び出したその後のトレスはというと、しきりに時計を気にしていた。
ーもうすぐ九時だぞ。どこをほっつき歩いているんだ!!
若い女性が歩いて安全な時間帯ではないことくらい彼も知っているのでどうも落ち着かない。おまけに、携帯電話とやらが何回も鳴ってトレスの我慢も限界に達していた。
「くそ!!」と、忌々しく吐き捨てて玄関へ向かった。
「今日はご馳走様でした」
「どういたしまして。やっと空ちゃんと食事できてよかったよ」
車で空のアパートのすぐ近くまで送ってくれた柳井と二人で立ち話をした。
外へ出たトレスは話し声がする方向へ行ってみると、若い男女が話をしているのが見えた。
街灯に照らされた女性は空と確認したので呼ぼうとしたら隣に男の姿が現れたので咄嗟に電柱に身を隠す。
ーなんで俺が隠れなきゃいけないんだ!!
電柱から少しだけ顔を出してそっと様子を窺うと、空が楽しそうに相手の男としゃべっていた。
自分といる時には見せない顔に眉をひそめた。
ー俺といる時とは大違いだ。
あれが本来の彼女かも知れない。異世界から来た人間が昨日の今日で彼女の全てを知り得ないのだ。
もう一人の空にトレスは愕然とした。そして、また自分の存在がここにないことを思い知らされる。
あの日の夜以来、空とトレスの間には重く気まずい空気が漂っている。
結局、ドラマ『ラスト・ラブ』の内容は分からず仕舞で翌日の友人との会話についていけなかった。
喧嘩しつつも賑やかだった空間が姿を消して、会話もなく各々で時間を過ごすことが多くなった。
どちらかが歩み寄れば済むのだがタイミングが掴めない二人はいい加減苛立ってくる。
「空、ちょっといいか」
髪をタオルで拭きながら風呂から出てきた空に三日ぶりにトレスが口を開いた。
「なによ」
「座れ」
「なんで?」
「いいから座れ!!」
強い口調につい体が反応してクッションに正座してしまう自分にほとほと愛想が尽きる。
「お前、何か隠しているだろう」
「な、何を!?」
トレスの鋭い視線に空は柳井と食事した夜を思い出してたじろいだ。
「怒らないから正直に言ってみろ」
まるで悪戯を問い詰める父親の口調に、空は慎重に言葉を選ぶ。
「なんのこと?」
「その……、生活費はどうなっている」
「えっ?」
「厳しいのか」
突拍子のない質問に空は目を白黒させた。
「一人食いぶちが増えたからやり繰りが大変じゃないのか?」
「ちょ、ちょっと待って。なんでそっちに話がいくの?」
トレスはここ二、三日彼なりに空のとった態度について考えていた。ぼんやりとテレビを観たら、昼の情報番組で家計を見直すコーナーがやっていた。
「子どもが増えるとこれだけお金がかかるんですよ」
「まあ、大変ですね」
経済の専門家とコメンテーターのやり取りを聞いてふとトレスは思った。
ー俺が負担になっている……?
空は週三回のバイトをしている。この世界の懐事情は知らないが、恐らく一人で暮らすにはやっていけるが居候が増えたことによって財政を圧迫しているのではと考える。
人間、金銭にゆとりがないとギスギスした空気になるのはトレスもよく知っている。だから、空は焦っているが故に気が立っていたに違いないと結論付けた。
「俺も協力したいが何もしてやれない」
悔しさを滲ませるトレスに空は大きく首を左右に振った。
「ちゃんと説明しておけばよかったね」
それから、空は自分の身の上を詳しく語り始めた。
両親が事故で亡くなった時は空はわずか五歳だった。葬儀で集まった親戚は彼女の今後について話し合いを始めた。
「あんたの所で預かってくれよ」
「そんな困るわ。うちには受験を控えた息子がいるのよ。それなら義兄さんのところは? 会社の役員だから余裕あるでしょ?」
「うちだって嫁の母親を看ているんだ。これ以上家族を増やしたら嫁に叱られる」
「保険金があるから大丈夫よ」
大人達の罵り合いに空の表情は沈んでいくなか、結局引き取り手はなく施設にと話がまとまった時に一人の女性が現れた。
「あら、美紗子さん。外国にいたんじゃなかったの?」
親戚一同を切れ長の瞳で一瞥すると、カールがかかった豊かな黒髪を靡かせて空の前にしゃがんだ。
「お名前は?」
「あおいそらです」
「空ちゃんか。いい名前ね」
幼稚園で男の子にからかわれた名前を笑顔で褒めてくれた瞬間、母に似ているこの女性を好きになった。
「この子は私が育てます」
「何言ってるの!? あなた、結婚もしていないのに子どもを育てられるわけないでしょう」
「子どもを育てても礼儀がなっていない人もいますしね」
痛烈な台詞に、両親を亡くしたばかりの幼い空を荷物みたいに扱った大人達は罰悪く俯いてしまった。
毅然としている美紗子に空が手を握ると、彼女はにっこりと笑ってこう言った。
「今日からよろしくね、空ちゃん」
「美紗子叔母さんはお母さんの妹で会社を経営しているの。世界中を飛び回っているんだけどわざわざお葬式に来てくれて」
空が淹れたコーヒーを飲みながらトレスは黙って聞いている。
「中学卒業までは叔母さんと暮らしていたんだけど、自立しようと思って」
「それで一人暮らしを始めたのか」
「生活費やここの家賃は出してもらっているけど、大学にも行きたいしお小遣いくらいは自分で何とかしたいから」
「苦労したんだな。偉いよ」
トレスに滅多に褒められない空は照れてクッキーを頬ばった。
「だから、バイトは週三回って約束なんだ」
オバジーンには穀潰しだの親の脛かじりだの頭が痛い若者がいるというのに、健気にそして逞しく生きる空に出逢って初めて興味を持った。
「なんかしんみりしちゃったね。景気づけに食べに行こうよ!!」
「景気づけってお前……」
任務明けのオヤジじゃあるまいし、と切り替えの早い空に呆れつつも上着を羽織る。
「今日は私が奢っちゃう!!」
「そりゃどうも」
二人は並んで夜道を駆け出した。




