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【連載五周年】にいづましょうぎ──将棋盤の中心で愛を叫ぶ──  作者: すだチ
第十二章・紅星より愛を込めて──The Roots──
199/203

(26)自信があったからね

「素敵な人だったよ」


 そう、そんなことが──って、ちょっと待って。


「桂花さんも、大会に出場してたってこと?」


 軟禁されていたはずじゃ? 私の質問に、レンは「詳しいことは知らないけど」と断りを入れてから答える。


「全てが竜ヶ崎の思惑通りにはいかなかったみたいだ。どういう経緯か、姉さんは伏竜将棋道場チームの一員になっていた」

「は?」


 本当にそれ、どういうことだ? 私が目を丸くすると、彼は無言で肩をすくめてみせた。どうやら本当に知らないらしい。

 クク。押し殺した笑い声が聞こえて来たのはその時だった。

 レンと同じ、白髪赤眼の少女が笑みを浮かべている。


「桂花はキミらの先輩なんだヨ、鬼籠野燐。大森からは何も聞いてないのカ? 仮にも弟子のくせニ」


 からかうように言って、睡狐は続ける。最初は竜ヶ崎の言いなりだった桂花だが、ある出来事をきっかけに、徐々に反発するようになったこと。ついには神社を飛び出し、伏竜将棋道場に転がり込んだことを。


「桂花の実力は道場内でも飛び抜けていタ。選ばれるべくして選ばれたんだヨ。竜ヶ崎打倒の切り札に、ネ」

「……先輩、か」


 桂花のことは、大森さんからは何も聞いていない。まさか忘れた訳じゃないだろう。きっと、言いたくなかったんだ。

 しかし、それにしても。何故桂花は大会に出場する気になったのだろう? また竜ヶ崎に捕まるリスクだってあったはずだ。そのリスクを冒してでも、成し遂げたい何かが彼女にはあったのだろうか? 今となってはわからないが。

 彼女は伏竜将棋道場チームの中堅として、無敗のまま大会を勝ち進んだ。出場者の誰一人として、彼女を阻むことはできなかった。


「今でも覚えているヨ。あの時の桂花はまるで閃光のように、激しい煌めきを放っていタ。美しかっタ」


 惜しいコを亡くしたものダ。昔を懐かしむように睡狐は告げ、レンの方へと視線を向ける。


「儚くもまばゆい生き様に、このコもアテられてしまったようだネ。まともな精神状態じゃなかっタ、お互いニ」

「あの時、決勝戦で何を指したのか、覚えていないんだ。姉さんに喜んでもらいたくて、ただ無我夢中だった」


 苦笑するレンの瞳に、一抹の寂しさが宿る。

 彼は竜ヶ崎チームの一員として、決勝まで勝ち上がってきた桂花を迎え撃った。姉に勝ちたい気持ちよりも、彼女との一局を楽しみたい気持ちの方が勝っていた。

 だけど、彼の内心の想いとは裏腹に。対局が進むにつれて、桂花の表情は悲痛に歪んでいった。

 両者の棋力に差があった訳じゃない。桂花だって、有段者相手に渡り合える実力を持っていた。


「将棋で一番重要なのは、平常心を保つことダ。弟・レンに初めて会ったことで、彼女は動揺していタ。無理に攻め急いだ結果、自ら墓穴を掘ってしまったんダ」

「終わらせたくなかった。一秒でも長く指したかった」


 このまま別れたら、もう二度と会えなくなるんじゃないか。レンの心はいつしか、姉への思慕の感情で一杯になっていた。

 想いは指し手に表れる。攻めが鈍り、桂花にも好機が訪れた。が、彼女が優勢になることは、その後一度も無かった。彼女を阻んだのもまた、より長く対局を続けたいというレンのエゴだった。

 勝つことも、負けることも許されない。生殺与奪を対局相手に握られた状態で、それでも桂花は投了しなかった。一縷いちるの望みに懸けて、敗北の運命に抗い続けた。懸命に。


「あの時の姉さんは美しかったよ。僕は魅了されていた。できることなら永遠に、あの瞬間を切り取って保存しておきたかったくらいだ」


 恍惚とした表情に、狂気の色が混じる。これがレンの本心、なのか。氷の仮面の下には、意外な感情が潜んでいた。

 困った弟だ、と思う反面、羨ましくも思う私が居た。良いなあ、そんなに愛してもらえて。私もあゆむとずっと指したかった。慕って欲しかった。もっと沢山おしゃべりして、それから──って。

 今はそんなこと考えてる場合じゃない。レンの指し手が変わる。盤上に、未知の局面が形成されていく。感想戦の範疇を超えて。

 そうか。これは、彼と桂花が指した一局の再現だ。言葉だけじゃ伝えきれない想いを、棋譜を通して届けようとしている。駒が熱い、火傷しそうな程に。煮えたぎっている。


 桂花は竜ヶ崎を倒すため、自らの人生を変えるために戦う。レンのことを血を分けた弟だと認識しながらも、何が何でも彼に、いや竜ヶ崎に勝ちたいと執念を燃やす。

 レンはそんな姉の想いを真っ向から受け止める。いなすことなく味わい尽くす。とがめて噛み砕き、咀嚼して飲み下す。一手一手に丁寧に。全身全霊を込めて。

 二人の情念が盤上で渦を巻き、またぶつかり合う。桂花は冷静さを欠いていたけど、それでも両者の対話は高いレベルで成立していた。

 永遠に指し続けて居られたかもしれない。桂花の精神力が、限界を迎えなければ。

 何気ない一手が均衡を崩し、破綻を招く。蓄積した疲労が、彼女の判断をわずかに狂わせた。


「悪手と呼ぶには、あまりにささいな緩手だっタ。アマチュアレベルじゃ問題にならない程度ノ。彼らがもう少し弱ければ、まだまだ勝負はつかなかっただろうけド」


 互いの棋力の高さが仇になった。対局を続けたいと願いながらも、レンは容赦なく桂花を追い詰めていった。彼自身にも止められなかった。

 手を抜く。意図的に緩手を指す。それだけのことが、彼にはできなかったのだ。機械のように正確に指すことしか、知らなかったから。

 一度傾いた形勢がくつがえることは無く。やがて、桂花の玉に逃げ場は無くなった。レンの玉を詰まさなければ、彼女の負けは確定する。姉に敗北の辛さを味合わせることになってしまう。


「姉さんに勝って欲しかった。僕は、僕自身の勝利を望んでいなかった。だから」


 レンの指し手が止まる。だから。そのために何をなすべきか、彼は気づいた。


「僕には緩手を指すことはできなかった──だけどね」


 彼の指先が自玉をつかむ。ぱちんと打ち下ろした先には、桂花の飛車が待ち受けていた。


「そんな。貴方、まさか」

「自殺ならできる。詰将棋には自信があったからね」


 レンは薄く笑みを浮かべて答える。

 詰将棋。ああ、そうか。彼は桂花玉の代わりに、自分の玉を詰ませてみせたんだ。桂花が間違えることは無いと信じて、彼女に運命を委ねたんだ──。

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