(25)仇を打ちたいんだ
「感想戦、する?」
「もちろん」
気まずい様子のレンに、即答で応える。まず聞きたいことが一つある。
「126手目。何故あんな手を?」
私が34に桂馬を打った場面で。彼はあえて受けず、28銀成と王手をかける手を選んだ。対局を終わらせるつもりで、攻め急いだ。
あそこでもし、落ち着いて同金と受けていたなら、どうなったか。
「一手攻めを遅らせていれば、貴方が勝っていたんじゃないか。そう思えてならない」
「……買いかぶり過ぎだよ」
彼は力なくかぶりを振る。どうやら、あまりこの話には触れて欲しくなかったようだ。
だけど、ごめん。私は貴方の本心が知りたいんだ。あの時一瞬見えた炎こそ、貴方の魂が震えた証。貴方が、機械ではなくなった瞬間なのだから。
「レン。貴方はあの手を指さずには居られなかった。そうでしょ?」
手堅い勝利よりも、攻め合いを選んだ。全て読みきった上で、あえて。理由は唯一つ、指したかったからだ。極めて非合理的、だけどこの上なく人間らしい理由。
「……ああ、そうだ。君相手につまらない勝ち方をしたくなかった」
再三の問いかけに、彼はようやくうなずきで応えた。
つまらない勝ち方、か。
ぱちん、ぱちん。駒を初期位置まで戻し、そこから再度検討を始める。つまらないと言えば、レンが居飛車穴熊を完成させなかったのも同じ理由だったか。最適解がわかっていながら、あえて指さなかったのは。
「ねぇ。楽しかった?」
「うん」
「そっか。私も」
楽しい一局にしたかったから。
ガチガチに囲って、徹底的に受けに回られていたら、恐らく私の攻めは通らなかった。受け潰しという言葉があるように、それはそれで一つの立派な戦術だ。
けれど、彼は攻め合いを選んだ。彼本来の棋風はバランス型の将棋で、くしくも私もそうだったから。まさか私に合わせてくれた訳じゃないだろうけど。
お互いの主張が見事に噛み合った結果が、あの『お膳立て』ということだ。指したい手を指せて、双方大満足! これ以上無い、楽しい一局となった。
「ありがとう」
「は? お礼を言われる筋合い無いけど。僕は君を試しただけで──」
「はいはい」
よく言う。途中からあんなに激しく攻めて来たくせに。
相手が私だから良かったものの、普通なら泣きべそかいてるぞ? 私の指摘に、レンの頬が朱に染まった。やり過ぎた自覚は無かったらしい。
「ま、結果的には良かったじゃん? ああ、貴方にとっては残念か。私を無理矢理従わせるプランがおじゃんになって」
「元より、君が大人しくなるとは思っていないさ」
飢えた野獣に、待てが通じるかい? よくわからない喩えが返って来た。や、私は理性あふれる地球人の女子高生なんだけど。たまに鬼になったりするけどさ。
「君の本気を引き出せた時点で、僕の目的は達成できていた。勝敗なんて二の次だ」
「嘘だ。悔しいクセに」
「全然。これっぽっちも悔しくないよ」
勝ち方にはこだわるくせに、勝敗自体はどうでも良いって? 嘘でしょ。
対局終了直後の気落ちした様子、しかとこの目で見たよ。対局内容には満足しつつも、それはそれとして、負けて平気で居られる訳がない。
ま、優しい私はこれ以上突っ込んだりはしないけどさ。
「君なら父を、浄禊を倒せるかもしれない」
駒を動かす手を止め、レンは改めて告げてくる。僕に協力してくれないか、と。
「そこだ。何でお父さんを私に倒させようとするの? 本当の理由を教えて」
「地球の危機が──って言っても無駄か。わかったよ。約束だから」
渋々といった様子で、彼は重い口を開く。
「彼女の、仇を打ちたいんだ」
「……え?」
カノジョ? カタキ?
およそ彼の口から飛び出したとは思えないフレーズに、思考が停止する。
彼女って誰? 睡狐の方へと目をやると「あたしじゃないヨ」と首を横に振られた。
じゃあ誰だ。あ、あのいけ好かない巫女さんか? 確かレンの姉ちゃんなんだっけ?
「違う。雫は生きてるだろ?」
それもそうか。ピンピンしてたな。
……って。それじゃあ彼が言う『彼女』ってのは──。
「僕にはもう一人、姉さんが居たんだ」
視線をレンへと戻すと、彼は盤上のある駒を指差していた。フットワークの軽さがウリで、時として大駒よりも使い勝手の良い、桂馬の駒を。
「だけど。彼女はもう、居ない」
桂馬は高跳びで歩の餌食となることもある。彼女もそうだったのかもしれないと、彼はぽつりとつぶやいた。
木綿麻山桂花と書いてユウヤマケイカ。それが、レンのもう一人の姉の名前。初めて聞くはずなのに、奇妙な因縁を感じるのは何故だろう。
「僕達はお互いの存在を知らずに育った。竜ヶ崎に隔離されて」
特別な力を持っていた桂花は、竜ヶ崎にとって自分達の地位を脅かす可能性のある、疎ましい存在だった。だから神社本殿の奥深くに幽閉し、誰の目にも触れさせないようにしたらしい。一方で、弟のレンは竜ヶ崎浄禊の後継者候補として大切に育てられた。二人が出会うことは無かった。運命の日が来るまでは。
「僕らを隔離したのも竜ヶ崎なら、引き合わせたのも竜ヶ崎だった」
竜ヶ崎主催の伏竜稲荷神社将棋大会──つまりこの大会に、雫、浄禊と共にレンも出場することになった。何年も昔、彼が小学校に上がる前の話だ。大会への出場は、幼いながらも有段者と戦える棋力を身に付けていた彼の『お披露目』を兼ねていた。
「竜ヶ崎の後継者として相応しい将棋を指せ。でなければ親子の縁を切ると、父と約束した。完勝は必然。僕は負ける訳にはいかなかった……だけど」
本殿で桂花を目にした瞬間に、父親との約束は頭から吹き飛んだと彼は語る。当時を思い出したのか、その口調にはいつになく熱がこもっていた。




