(20)ちゃんと納得させてよね
くすりと、誰かが笑った気がした。
体が熱い。私の中に、太陽が生まれる。大空を照らすものよりはるかに小さいけど、私の心を照らし出すには十分な光だった。
ああ。これが貴女なんだね。
『そう。私は華燐』
かりん、か。素敵な名前じゃん。
全身を紅炎が包み込む。体の奥底から力が湧き出して来る。
修司さん~彩椰との対局を経て消耗していた棋力が、瞬く間に回復していく。思考が研ぎ澄まされていく。視野が広がる。今まで見えてなかったモノが、コンニチハと挨拶して来る。
ああ。こんなにも私の世界は大きかったのか。
華燐。気づかせてくれてありがとう。
『違う。燐、これは私達二人の力だ』
こちらこそありがとう。内なる声に、胸がキュッとなった。
そうか。私は彼女で、彼女は私。真っ暗な地の底に封印されていた華燐の視野もまた、大きく広がったのだ。
二人の力、か。いいね、それ。
「情報量が、増大している……? どういうことだ?」
駒を並べる手を止めて、レンは訝しげな視線を送って来た。
さすがは情報生命体。私の中で起きた変化に、いち早く気づいたか。
彼の問いかけには答えず、私も駒を並べ始める。伊藤流の手順で、初期配置へと戻していく。香車、角、飛車を並べるよりも先に、歩を横一列に置いていく。駒の利きが、敵陣を直射しないように。
対局を受けてくれた、感謝の意を表す。
対するレンは大橋流の手順。機械のように正確に、一ミリの狂いも無く、整然と並べ終える。
「燐。君の中で何があったか僕は知らない。ただ、これだけは言える。勝つのは、僕だ」
緋色の瞳が、一段と強く輝く。心に生じた戸惑いを振り切るかのように。
そうだねと、うなずきを返す。彼の実力は、恐らく私よりも上だ。
指さなくたってわかる。他人の棋風を完全に再現できたってことは、彼らの誰よりも強いってことだ。彩椰と互角程度の私では、まず勝てない。自信を持って勝利宣言できるだけの棋力差があるんだ。認めよう。華燐の力を足した所で、わずかに及ばない──つもりで指そう。私はそのくらいでちょうど良い。
相手が格上と思えば、勢いで指さずに一手一手丁寧に応対できる。萎縮しない程度に謙虚な気持ちで、虎視眈々と勝機を探ろう。運良く一発入れば儲けものだ。将棋に運の要素は無いというけど、相手が隙を見せるかどうかは運次第なのだから。
「振り駒は」
「私がやる」
「……どうぞ」
急いで五枚の歩をつかむ。
肩をすくめ、レンは伸ばしかけていた指先を引っ込めた。危なかった。また先手番を取られる所だった。
勝負は、すでに始まっている。後手でも勝てない訳じゃないけど。振り駒を制し、運を味方に付けておきたい。
掌に収まる、かつて弟の形をしていた五枚の歩兵達を見つめる。いくよ、みんな。
あゆむへの謝罪と、レンへの断罪。そして、私自身が前に進むために。この一局に、勝つ。
「気をつけなヨ、レン。そいツ、火輪皇鬼と一体化したみたいダ」
横から睡狐が口を挟んで来る。
カリンオウキとは華燐のことか? 皇鬼。前にショウ兄ちゃんが言ってたっけか。皇たる最強の鬼だと。
皇鬼の力があれば、日本を征服することも、立岩の封印を解くことも可能だと言っていたけど。まさか華燐自身がその皇鬼だったとは。灯台もと暗しって奴だよ、兄ちゃん。
「なるほど。だから情報量が数倍に膨れ上がったのか」
睡狐の言葉に、納得したようにレンはうなずく。臆した様子は微塵も見せない。
「レン。今の私に利用価値はある?」
問いかけると同時に、盤上に歩を投げ放つ。五枚の駒は綺麗な放物線を描き、盤上に着地した。我ながら、会心の振り駒だった。
「それは、指してみないとわからない」
かぶりを振り、レンは先後の行方を見守る。
『歩兵』が二枚に、『と金』が二枚。残る一枚は──。
「あ」
表裏どちらにも倒れず、直立していた。これは、振り直しか?
「待った」
駒をつかもうとした所を、レンに止められる。五枚目の歩は、よく見るとぐらぐらと揺れていた。倒れようとしている。振り駒を完了させるために。
姿形が変わったって、この駒達はあゆむなんだ。私と一緒に、戦ってくれている。
がんばれ、あゆむ。どちらに倒れたって良い。貴方の努力は、無駄にしないから。終わらせよう。
ボッ! ライターのように上に向かって炎を吐いた後、最後の歩はぱたりと倒れる。『歩兵』の面を上に向けて。その様は、誇らしく胸を張っているように、私には見えた。
「ありがとう」
五枚の歩達を拾い上げ、感謝のキスをする。
みんなのおかげで、念願の先手番を取ることができた。本当にありがとう。
「雑菌を付けないで欲しいな。それ、僕も触るんだけど?」
「む」
「まあいい。良かったね先手を取れて」
すまし顔で、おめでとうとレンは告げて来る。その余裕、いつまで続くかな?
力がみなぎってくる。体がうずき始める。指したいと。
五枚の歩を自陣に戻すと、駒達から陽炎が立ち上り始めた。私の闘志に呼応している。彼らも願っているのだ、早く戦いたいと。
「レン。勝ったら教えてもらう。貴方の本当の目的を」
「目的? すでに伝えたと思うけど。地球の未来を救うために、父を倒して欲しいと」
「嘘つき」
貴方は、そんな奴じゃない。
私を釣り上げようと平気であゆむを利用するような奴が、そんな綺麗事のために動くはずが無い。
「嘘なんて、ついてないけど」
「本当は、地球なんてどうでも良いクセに」
彼も睡狐も情報生命体。たとえ地球が滅びた所で、他星に逃げ延びることができる。故郷の星を見捨てたように。父親を止める必要が無い。
レンの根幹にあるモノは、決して善意ではない。いや、そもそも善も悪も存在しない。彼は何よりも合理性を重視する。まるでコンピューターのように。
しばらく考え込んだ後で。レンはため息を一つついた。
「僕の真意を知って、君はどうする?」
「別に何も。ただの好奇心」
「は? 何だそりゃ」
そう、ただの好奇心。彼からすれば、実に非合理的な行動原理なのだろう。あきれた様子のレンに、私は笑って答える。
「下手なこと言わないでよ? 貴方の話次第じゃ、協力なんてしてやらないから」
「地球が滅びても良いと?」
「や。良くはないけど」
最悪、あゆむだけでも守り通す。この命に代えてでも。
「貴方の言うことをイヤイヤ聞くよりかは、みんな仲良く心中した方がマシかな」
「無茶苦茶だ……!」
驚きに目を見開くレン。緋色の眼が、私をまじまじと見つめて来る。顔をこわばらせ、信じられないと何度もつぶやく。
良い反応だ。初めて彼の素を見られた気がする。
「だからさ。ちゃんと私を納得させてよね?」
盤外戦術って程でもないけど、心理的に優位に立てた。そうだ、付け入る隙はある。機械のように冷徹でも、レンは地球人なんだから。
「……わかった。君が勝てば教えよう」
その代わり、と彼は続ける。
「僕が勝ったら、文句を言わずに黙って僕に従ってもらう。君の力が足ろうが足りまいが。限界まで利用させてもらうよ」
「オーケー」
冷たい視線にさらされながらも、うなずきで応える。
全く問題ない。あゆむを人質に取られるのに比べたら万倍マシだ。良かった、これで弟は解放される。
上手く誘導できた。後は、対局に勝つだけだ。




