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【連載五周年】にいづましょうぎ──将棋盤の中心で愛を叫ぶ──  作者: すだチ
第十二章・紅星より愛を込めて──The Roots──
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(17)好きにしたら

 自由に、か。だったら少し、無茶な手も指してみようかな?

 時間をかけて盤を見つめている内に、思いついた一手があった。

 それで形勢がどうなるかはわからない。ひょっとしたら、とんでもない悪手なのかも。だけど面白いと思ってしまった。指してみたいと思ってしまった。

 つかんだ駒に、炎が燃え移る。

 ぱちん。駒音は静か、されど盤上には波紋が走った。


「な──!?」


 大きく目を見開き、声にならない叫びを上げる彩椰。どうやら彼女の読みの範囲を超えることができたみたいだ。胸中でガッツポーズを取る。

 93玉。どうせ次に王手をかけられるのならと、先手を取って踏み出す一手。あえて、端へと。


「早逃げ? いやでも、73ならともかく」


 ぶつぶつとつぶやく彼女の表情には、先程まであった余裕が見られない。私の狙いをつかみかねているようだ。

 そうだ、普通逃げるなら93じゃなく73の位置だ。端は追い詰められるリスクが大きい。早逃げが目的なら、間違っていると私も思う。

 違うのだ。思考の出発点が。


「鬼の牙が、盤上にさざなみを起こしたカ」


 沈黙を破り、突然厨二病的なことを口走る睡狐。緋色の両眼を細め、実に興味深いと彼女は笑う。

 鬼、牙、漣か……今の一手を名付けるなら『漣鬼牙サザナミノキバ』とでも言おうか。って、私まで何カッコつけてんだ。名前なんてどうでも良いだろ。


 ともかく。彩椰の明鏡止水はまだ不完全で、付け入る隙があることがわかった。わずかでも望みがあるなら、それに賭けたい。

 彩椰が想定していた次の手は、81飛車成りの王手だったはず。それを事前にかわしたことで、さらなる読みを彼女に課すことができた。形勢はわからないけど、少なくともペースを握れた。


「あーうー。変な手指されると困っちゃうよー」


 お兄ちゃんどうしよう? 後ろを振り向いて彩椰は問いかけるも、狂気氏が答えることは無く。ぼんやりとした輪郭のまま、こくりとうなずきを返して来た、ように見えた。


「お、お兄ちゃーん?」

「好きなように指したら良いんじゃない?」


 彼の代わりに答えてやる。


「明鏡止水に、無理に頼らなくても良いと思うけどな」


 助け船を出したつもりは無い。調子を崩され、迷走した棋譜になるのが嫌なだけだ。

 私の言葉に、彼女は目を丸くする。透き通っていた瞳に、わずかににごりが混じった。


「でも。それじゃ勝てないじゃん」

「自由に指したらって言ったの、あんたでしょうが」


 そもそもこの一局は修司さん、安藤さんと、各々が好きなように指し連ねて来たのだ。彩椰にだってその権利はある。好き勝手やれば良い。結果として負けたとしても、それは彼女のせいじゃない。

 何もかも全部、こんな将棋にしたレンが悪いのだ。

 私がそう説明すると、彩椰はパアッと顔を輝かせた。


「じゃあ! 思いっきりやって良いんだ!?」


 彼女の叫びと共に、明鏡止水が解除される。透き通っていた瞳には、今は真夏の太陽のような輝きが宿っている。来るか。一切のしがらみを捨て去った、全開の水無月彩椰が。

 ばちん! 元気よく駒を打つ彼女。横滑りに彩椰陣の飛車が走り、私の馬にぶつかって来る。これは!

 右四間を解除して、受けを優先した? 同馬同玉で精算すれば、私の攻めが遅れると見たか? 同馬とせず逃げれば、今度は9筋まで振って王手をかけて来る? 逃げずに、桂馬や角を打って馬にヒモを付ける手は? 急いで飛車で取らずに、先に金を合流させて来るか?

 様々な変化が考えられる。くそう、迷う手を指してきやがったな。


 確かに思いっきりやって良いとは言った。言ったけど、このタイミングで飛車をぶつけて来るなんて、思いきりが良過ぎる。まだ中盤なのに──いや。彩椰はそう思っていないのか? もう決着のつけ時だと思っている?

 いつ何時『交代』を迫られるかわからないから。自分が指せる内に、勝負を決したいのか。


「燐。あんたが何故73じゃなくて93に玉を逃がしたのかはわからない。よくわかんないから、わかり易く整理させてもらうよ」

「ふん。飛車角交換なら望む所だよ」


 嘘だ。せっかく成れた馬を早々に取られるなんて、悔し過ぎる。しかも、今まで遊び呆けていた飛車になんて。単に交換するだけじゃ物足りない。

 かといって馬を逃がす手は、確実に攻めが遅くなる。そこから9筋に振り直され、王手をかけられたら目も当てられない。馬は現在の位置がベストなんだ。

 ならば、逃げずに馬にヒモを付けるべきか。持ち駒を使わされるのも、それはそれでしゃくに障るけど。選択肢の中では一番マシな気がした。成り駒作れるし。


 角か桂馬か、はたまた香車か。角を打つ手が一番強力だけど。97への玉の脱出を防ぐなら桂打。攻めに繋げるなら香打か。

 うーん。角は小駒で狙われるリスクがあるし、相手玉を追い詰める時に使いたいなあ。その点香車なら一番軽い駒だし、次の飛車を取り込む手が痛いから、彩椰も受けざるをえないはず。

 ぱちん。桂馬も捨てがたいけど。ここは香車でいくか。

 ぱちん。金で受けて来る彩椰。この辺りはわかり易い。いや、わかり易くさせられた。

 ぱちん。馬で飛車を取る。

 ぱちん。その馬を金で取られる。

 ぱちん。その金を香車で取り、成って王手をかける。

 ぱちん。同玉。ここまではほぼ一直線。さて、ここからどうするか。


 第一感は敵陣に飛車を打ち込み王手をかけ、次に龍を作る手。わかっていても受けにくく、確実に効果が見込める。けど、それで勝ち切れるかどうかは話が別だ。角と香車を渡したことで、彩椰の攻めだって刺さって来るのだから。


「……面白いじゃん」

「でしょ? 私達って相性良いのかもね!」

「まあ、ね」


 彼女の笑顔に、釣られて笑う。

 相性が良いか、確かにな。お互いにとって理想の局面になった。二人で創り上げた。

 例えば修司さんとなら、申し訳ないけどこんな展開にはならないだろう。対話ができない訳じゃないけど、噛み合わない。きっちりとがめられ、好きにはさせてもらえない。

 だけど、彩椰は違う。

 お互い好き勝手にやろうよって、胸襟きょうきんを開いてくれる。裏も表も無い。どちらの攻めがより速いかってだけの、シンプルな勝負。私の大好きな展開にしてくれる。

 望む所ってもんだ。全力であんたを倒してやる。誰かと交代する前に、全力の水無月彩椰を。

 ぱちん! 渾身の力を込めて、飛車を打ち込む。


 打ったのは28の地点。相手玉からは遠いけど、次に桂馬が取れる。

 ぱちん。彩椰は上に逃げる。こういう時、銀立ち矢倉の銀が活きて来る。攻撃だけでなく、上部の守備にも。やや前に出過ぎている感はあるけど、それでも十分な働きをしている。

 ぱちん。まずは持ち駒を増やす。桂馬を取り、龍へと成る。

 ぱちん。今のは緩手だったとばかりに、すかさず王手が来る。66角打。攻防に利いた良い位置だ。

 王手放置は反則負け。合駒するか、それとも逃げるかの二択を強いられる。攻め駒は温存したい。よし逃げよう。もとい、前進しよう。94玉だ。


「燐。あんたの狙いがやっとわかったよ」


 何だそんなことかと、彩椰は笑みをこぼした。

 まさか、今の応手で見極めたってのか? 恐るべし水無月彩椰。何だ、明鏡止水なんて使わなくても十分強えーじゃん。

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