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【連載五周年】にいづましょうぎ──将棋盤の中心で愛を叫ぶ──  作者: すだチ
第十二章・紅星より愛を込めて──The Roots──
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(16)怖かった

「さすがは燐だ」


 彩椰がつぶやく。大きく見開かれた眼には、盤上の全てが映し出されている。恐らくはこれから先の未来も。


「何があろうと決して折れない、その強靭な精神力。うらやましいな」


 羨ましい? 私はあんたの明鏡止水が羨ましいよ。全部お見通し、間違えることなんて無いんでしょ?

 それに、あんたには支えてくれる人が居る。私には居ない。常に頂点に在ることを要求された人生だった。そしてそれは、これからもきっと続く。この命尽きる瞬間まで。

 ヤワな心じゃ、生きていけなかっただけだよ。

 必要だから得た特性をうらやましがることなんてない。あんたはあんたの将棋を指すがいい。

 さあ。歩成りに対してどう応じる? 飛車を取るなら、あんたの金将をもらうぞ。


「取れない、よねぇ」


 苦笑し、彩椰は金将でと金を取ってきた。よし、これで矢倉が崩れた。今がチャンスだ。

 ぱちん! 満を持して飛車を走らせる。

 角で取るから先手を取られる。ならばと、代わりに飛車で天王山の香車を取る。次に金を取って龍に成れればハッキリ大優勢だ──まあ、もちろんそうはさせてもらえないんだろうけど。

 当然の同角に、さらに同角と合わせる。飛車を取られはしたが、好位置に角を移動できた。玉をにらみつつ、右四間の牽制にもなっている。悪くない。


「うーん。わかっててもキツいなあ」


 ぼやく彩椰の表情からは、それでもまだ余裕を感じられる。キツいけどしのげる、すでに返し手を用意している、ということか。

 勝つためには、もう一歩踏み込む必要がある。攻めの起点、足がかりが欲しい。向こうの読みを超える一手を放てれば良いんだけど、難しいなあ。

 ぱちん。中央で大威張りしている私の角目掛けて、51の位置に飛車を打ち込まれる。来た。これが返し手か。

 角が逃げても81飛成りと、91の成香と連携して王手をかけられる。桂馬を跳ねてるから73のスペースに逃げ込めるけど、うーん。かなり苦しい気がする。

 かといって、要の角を渡したくはないし。


 ……だったら。角の利きが活きている内に、仕掛けるか?

 今しかない気がした。角を逃げれば防戦一方になるのなら。この機に懸けるしかない、と。

 ぱちん! 角を成り込み、桂馬を取りつつ王手をかける。

 桂馬が利いているから玉では取り返せない。玉を守るべき金将も、先程と金を取るために出払っている。

 ぱちん。下段に玉を逃がす彩椰。問題はここからだ。矢倉から出られた後、追い詰める手があるかどうか。手駒は、今取った桂馬と、さっき飛車を犠牲に入手した角と香車。寄せ切るには少し足りないか。

 こういう時考えるべきは、どちらの玉が詰ませ易い状態なのかだ。自玉の方が危ないなら、一旦受けておく必要がある。


 と、普通なら考える。でも、普通じゃこの勝負には勝てない。常識を、先入観を捨てろ。無意識の内に切り捨てている手は無いか、今一度始めから見直すんだ。きっとそこにこそ、彩椰攻略の糸口が在る。

 すぅ、はぁ。深呼吸し、気持ちを整えてから盤面を注視する。初心者の頃を思い出せ。もっと真剣に向き合うんだ。


「私ってさ」


 鬼籠野燐ってヤツは、自分が一番じゃないと気が済まないタチだった。将棋を指し始めたばかりの頃でも、それは変わらず。知識が足りないから上級者に負けても仕方ないだなんて、微塵も思わなかった。

 足りない部分は他で補えば良い。そうすりゃ勝てる。決して誰にも負けないと、信じ込んでいたんだ。


「無いアタマで、必死に考えてたんだよなぁ」


 もちろん、棋力は現在の方がはるかに上だ。当時の私になら、駒落ちでだって勝てる。それは間違いないけれど。

 勝利への執念は、もしかしたらあの頃の方が上回っていたかもしれない。


「今にして思えば、怖かったんだな」

「負けるのが?」

「ん。何より怖かった」


 呆れた様子の彩椰に、真顔で答える。彼女に理解できないのは無理も無い。彼女には兄が、自分よりも高みで待っている、目指すべき存在が居たから。

 でも私の周りには、私自身を超える存在が居なかった。私が周囲の大人達にとって特別であらねばならなかった。


「彼らに、失望されたくなかったから」


 鬼が、ただの人間に負けるなど言語道断。敗北した瞬間に、私は俗人に成り下がってしまう。そうなったら最後。私を信奉してくれていた人達は、私から離れて行ってしまうだろう。

 当時は漠然と抱いていた不安だったが、今ならわかる。怖かったのだ、独りぼっちになるのが。

 だから、勝利にしがみついた。


 勝利の喜びは無かった。勝つのは当然で、負けなかったことに安心を感じた。より多くの安心を得るために、私は戦い続けた。独りで。

 皮肉なものだ。自分が特別な存在だと人々に知らしめる程に、彼らとの距離は少しずつ離れて行ったのだから。愛する弟までもが、いつしか私を避けるようになっていた。


 何で? どうして? 私はちゃんとやっているのに。疑問に答えてくれる人は、誰も居なかった。

 彼らに認めさせなければならない。私が唯一無二の神だと、盲信させなければ。彼らの心を繋ぎ留めるために、私はさらに勝利の山を積み上げていった。

 愚か。実に愚かな井の中の蛙。私の知る世界は、あまりにも狭かったのだ。


「けど、ま。馬鹿なりに一生懸命に、生きあがいていたんだよな」


 いわゆる黒歴史ってヤツだけど。あの頃の方が、今よりも真摯に一局に向き合っていた気がする。動機は後ろ向きだけどね。

 無知だったからこそ、死ぬ気で考えた。どうすれば勝てるか、負けない将棋を指せるか。考え抜いた先に、自分なりの答を導き出して来たんだ。

 たまには初心に帰るのも悪くない。きっと明鏡止水に打ち勝つには、そんな指し方が必要なんだ。頭の中をまっさらにして、入門者のように新鮮な目線で局面を見てみよう。正しいとか間違っているとか、そんなことは問題じゃない。一生懸命考えて、次の一手を決めるんだ。

 そうやって、鬼籠野燐は今まで戦って来たんだから。


「燐はさ、背負う物が大き過ぎたんだね」


 もっと気楽に指せれば、将棋の楽しさを体感できたのにと、彩椰は告げて来る。


「でも今は大丈夫だよ。ここには私達しか居ない。負けても文句を言う奴は居ない。だからさ、あんたが思うように、自由に指せば良いんだよ」


 屈託の無い笑顔が、まぶしかった。

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