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【連載五周年】にいづましょうぎ──将棋盤の中心で愛を叫ぶ──  作者: すだチ
第十二章・紅星より愛を込めて──The Roots──
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(15)負けっぱなしじゃ

 手痛い負け方だった。私の攻めは十分刺さっていたはずなのに、トドメの一押しが相手玉に届かなかった。

 しかも、その様をあゆむに観られてしまった。悔し過ぎて、涙があふれるのを抑えられなかった。

 いつか必ずリベンジすると誓ったけれど、まさかその日の内にまた対局することになるだなんて。

 ふっ。面白いじゃないか。


「ごめんね、燐。同じ日に同じ相手に二回も負けるなんて、辛いよね?」

「いえいえ全く。早々に雪辱を果たせて嬉しいよ、彩椰」


 バチバチと火花が飛び交う。彩椰は笑みを浮かべているが、その目は私ではなく盤上へと注がれている。早くも読み始めているな、この先の展開を。


「……変な局面」

「あ?」

「こういうの、リレー将棋って言うのかな。指し手の意思が統一されてないから、ちぐはぐな局面になっちゃってんね」


 お、気づいたのか。盤を少し見ただけでそこまで理解できるとは、さすがだ。

 修司さんと安藤さん。棋風の全く違う二人が指し連ねた結果がこの有り様だ。


「でも。面白いじゃん」


 不敵に笑う彩椰からは勝者の余裕を感じる。こいつ、さてはまた腕を上げたな?

 定跡を学んで力の差を埋めたつもりだったけど、どうやらそう簡単には勝たせてくれないようだ。

 面白い、そうこなくては。それでこそ私のライバルだ。


 棋力が高ぶる。指先にほむらが宿った。鬼め。やっとお目覚めか。


「にしてもぉ。歩の駒を弟クンに変えるなんて、とんだブラコンだねぇ燐」

「うっせ。あんただって兄貴を連れて来てるくせに」


 彩椰の後ろにボウッと浮かぶ人影へとちらりと目をやり、苦笑いを浮かべて答える。輪郭が曖昧だけど、背格好からして間違いないだろう。背後霊みたいでちょっと怖いけど。

 狂気科学者とかいうトチ狂ったHNとは裏腹に、私達の対局を眺める様子は穏やかだった。棋力は未知数だが、恐らく彩椰よりも──そして私よりも、強い。

 今回も手を出すことなく見守りに徹してくれるようで、ホッと胸を撫で下ろす。二対一じゃ、さすがに勝負にならない。


「彩とお兄ちゃんは一心同体なんだよーだ」


 はいはい。実の兄妹かどうかも知らないけど、お熱いことで。正直少し羨ましくも思うけど、今は対局に集中させてもらう。

 さて。遠見の角を打ったこの局面、どう対応する?


 盤を見つめる彩椰の顔から笑みが消える。その紫色の瞳が、徐々に透き通っていく。早くも繰り出して来るのか、明鏡止水。


「極みっての? あそこまで精度は上げられないけど、あんたの鬼を引きずり出すには十分だよね」


 彩椰の明鏡止水は、香織さんの使った『極』の領域までは達していない、言わば不完全版だ。全てを読みきれてはいない。

 その代わり、棋力を短時間で消耗し力尽きるリスクが無い。使い勝手はこちらの方が良いかもしれない。

 厄介なこと、この上無し。二回戦では、私の攻め手のことごとくを先受けされてしまった。攻撃を仕掛けた時には既に受けられているというチート。何とか読みの穴を突いて、一手を争う勝負には持ち込めたけど。何度も同じ手が通用する相手じゃない。

 指先に神経を集中させる。鬼を引きずり出すだって? 上等だ。


 我が内に宿りし鬼よ。人ならざる超越者よ。お前に、本当に神に仇なす程の力があるのなら。今こそ私に、その力を貸せ。お前の全てを私に寄越せ。


『嫌だ』


 内なる声が拒絶する。欲深い鬼め、見返りを求めるか。

 もちろんタダでとは言わない。お前の封印を解いてやるよ。シャバに出るのは何百年ぶりだ?

 この一局に勝つためなら、それくらいはしてやるよ。肉体が必要なら、私の身体を貸してやる。暴れ回るなり何なり、好きにするが良い。

 もう少しなんだ。レンが彩椰を出して来たってことは、後一歩の所まで追い詰めてるってことなんだ。この先にレンが居る。やっと届く。

 だから、良いだろ? いい加減出て来いよ。


 ぱちん。鬼の返事を待たずに打ち込まれる駒。彩椰が選んだのは、角を打つ手だった。ただし私の角に合わせて来たのではない。私の玉を直射する、遠見の角だった。

 守備よりも攻撃を優先して来たか。互いに角が玉をにらんでいて、うかつには動けないこの局面。果たしてどちらが優勢なのだろう? ますます面白くなった。


 指先から紅炎が腕を伝い、やがて肩まで到達する。彩椰の指し手に呼応している。鬼め、口では拒みながらもまんまと引きずり出されちゃってるじゃないか。

 お前も内心では面白いと思ってるんだろ? 負けっぱなしじゃ終われないと思ってるんだろう? 素直になれよ。


『約束だぞ』


 ああ。勝利を約束する。


 彩椰の透き通った瞳には、炎に包まれた私の姿も映っていた。ギラギラと紅く輝く双眸。へえ、こんなんなんだ? 鬼になった自分自身を見るのは初めてだけど、思ったより普通で拍子抜けしてしまった。

 そうだ。何かが変わる訳じゃない。鬼の力を借りたって、超人にはなれない。変えていくのは、あくまで私なんだ。


「やっとお出まし? 待ちくたびれたよぉ」


 軽口を叩きながらも、彩椰の目は真剣そのもの。研ぎ澄まされた刃を、いつ抜き放つか見計らっている。

 お待たせ。だけど、こちとらあんたみたいに盤上の全てを見通せている訳じゃない。少し考えさせてくれ。


 えーと。まず思いついたのは、浮いた香車を取る手、だけど。

 タダで取れる、初心者でも思いつく手。条件反射で取りそうになるけど、待てと自制する。そんな露骨な悪手を、明鏡止水状態の彩椰が指すはずが無い。

 桂馬も跳ねてるし、取った香車も使って二段ロケットにすれば端攻めは刺さるだろう。でも刺さった瞬間、こちらの端もがら空きになる。守りが自玉だけになってしまう。

 それに。端攻めの相手をしてくれればありがたいが、相手せず、玉を早逃げされると面倒だ。中飛車での中央突破が間に合っていないから、いくらでも逃げられてしまう。最悪、右四間の飛車を受けに使われる可能性だってある。そうなると寄せきるのは難しい、気がする。

 ならば。飛車先の歩を突くことを優先だ。


 恐らくその手も、彩椰の読みの範疇なのだろうが。他に妙手が思いつかないし、突いて形勢が悪くなることも無いだろう。

 ぱちん。直感を信じて、歩を──あゆむの形をした兵士を、最前線へと送り出す。同歩に同飛と走った後に歩で受けられるだろうが、そこで最下段まで引いて地下鉄飛車の含みを見せれば悪くない。

 ぱちん。だから同歩とはしない、か。浮いていた香車が、一直線に突っ込んで来た。こちらの香車を取り、成香へと変化する。これを同玉と取れば再度端攻めが来る、もしくは銀と角とで一気に攻め込まれてしまう。この成香は取れない。リスクはあるが、あえて放置しよう。

 ぱちん。中央の歩を取り込む。

 次にと金を作れれば良いし、歩を打って受けて来れば相手玉の逃げ道を狭めることができる。香車はくれてやる、その代わりにお前の玉をもらうぞ、彩椰。


「へぇ、そう来るんだ?」


 彼女はくすりと笑う。手にした駒は、今取ったばかりの香車だった。おい、まさか──。

 ぱちん。ど真ん中に、打ち込まれる。


 天王山、55の地点への香打ち。予想していなかった一手に、思考が揺らぐ。

 歩で受けないのかよ。確かに飛車とあゆむの間に割り込んで、利きを遮断してるけどさ。こっちには同角と香車を取る手があるんだぞ? 同角同飛と進めば香得だし、次にと金を作れる。悪くない展開のはずだ。そりゃ、角は手元に戻るけど。


 ……まさか、それが狙いなのか? ハッと気づき、さらにその後の展開を予想する。同飛の後、再び遠見の角をやられたら。今度は玉だけでなく、飛車にも当たってしまう。最下段に逃げて、次に成香を取って、地下鉄飛車にはできそうだけど。その時点では私の角は使えておらず、戦力として不十分な状態だ。

 肉を斬らせて骨を断つってヤツか。香車は犠牲にするけど、私の攻めを遅らせつつ、自らの攻めを加速させることができる。その香車だって、元々は私から取った物だから、さほど痛くない。

 それがわかった所で無視はできない。次に飛車を取られる訳にはいかないし、角道を止められちゃってるし。なかなか味な真似を。


 正に天王山。次の私の指し手が勝負の分かれ目だ。グズグズとくすぶった手を指してる場合じゃない。

 ビビるな。相手が明鏡止水を使ってるからって、萎縮してどうする。

 目指すは完全燃焼。炎を使いきり、勝利をつかみ取るんだ。

 飛車をタダで取られちゃマズい? だったら。タダじゃなければ良いんじゃないか?

 ぱちん! 力を込めて駒を打ち込む。先んじてと金を作る。やれるだけのことをやる。全力を尽くす。自分を信じる。プランは曲げない。端と中央から、相手玉を挟撃する!

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