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【連載五周年】にいづましょうぎ──将棋盤の中心で愛を叫ぶ──  作者: すだチ
第十二章・紅星より愛を込めて──The Roots──
185/203

(12)見せて下さい

 張り詰めていた空気が、ふっと緩む。レンの雰囲気が変わる。柔らかな微笑を浮かべ、彼は一礼した。


「初めまして。"こんな笑える将棋見たことがない!"を描いている安藤たかゆきと申します」


 これはこれはご丁寧に──って。思い出したぞ。一回戦で大将やってた人じゃん。そんなに強くなかったけど。

 どうしてレンは、修司さんの代わりにこの人を出して来たのか? 棋力は大幅に落ちているし、重圧も感じない。これなら勝てる、楽勝だ。


「残念ですね」


 私の思考を中断するように、彼は自玉を摘まみ上げる。先程まで香織さんの姿をしていたそれは、今は普通の駒の形に戻っていた。


「萌えが足りない」


 質感を楽しみたかったのにと、彼はつぶやく。心底残念そうに。

 質感て。私が手にしたあゆむの駒は木の感触だったぞ。一体ナンの質感を楽しみたかったんですかねぇ……?

 それに、と安藤氏は続ける。駒を裏返しにして。


「スカートの中身を見たかった」


 落胆した様子で、彼は玉将を元の位置に戻した。


「あ、変な意味ではないですよ? 一回戦で私は香織さんに敗れました。何故負けたのか、私なりに内省した結果です」


 理解が足りなかったのだと、神妙な面持ちで彼は告げる。


「棋は対話なり。知る必要があったのです、彼女の内面を」


 緋色の視線が下に向けられたのを見て、私はスカートの裾を押さえた。

 もし今の言葉が本心からのものなら、この人は相当ヤバい奴だ。とっとと倒してお帰り願おう。


「鬼籠野燐さん。私は一回戦で貴女の将棋を観て、深い感銘を受けました。一見その場の思いつきで指しているようでいて、その実入念に練り上げられている。鬼と表現するには繊細で、美しい棋譜でした」


 憧れに近い感情を抱いたのだと、安藤氏は吐露する。嘘を言っているようには見えなかった。

 何だ、いきなりどうした? 褒められても負けてやらないぞ?

 困惑する私を、まっすぐな眼差しが捉える。


「私は貴女のことを知りたい。私が勝ったら、スカートの中を見せて下さい」


 堂々と、彼はそう言い放った。


 まいった。どうやらこの人は、パンツを見れば相手の内面がわかると本気で信じているらしい。そこに下心は無く、ただただ純粋だった。

 ──って、余計にタチが悪いなそれ。単なるスケベ親父なら、ぶん殴れば済む話だけど。なまじ善い人そうだから、少々気が引ける。

 ともあれ、私も乙女である。絶対に嫌だ。


「私が勝ったら何してくれるの? オジサン」

「そうですねぇ……単行本を全巻差し上げる、というのはいかがでしょうか?」


 む。それは悪くない条件だ。安藤さんがどんな漫画を描くのか知らないけど、タダで読めるなら何でも良い。こう見えて私、大の漫画好きなのだ。

 イケメンたくさん出て来るヤツ頼みますよ。


「乗った」


 あゆむ以外の人間にパンツ見せるのは嫌だけど、負けなきゃ良いだけのことだ。大丈夫、相手は弱い。覚醒前の香織さん相手に敗れた人だ。今の私なら、確実に勝てる。


「ありがとうございます! いやあ、嬉しいなあ。現役女子高生の生パンを拝めるなんて!」


 ……本っ当に、下心は無いんだろうな?


 生きていて良かったと、彼は満面の笑みで答える。

 こいつ。まさか、私に勝つ気で居るのか? 身の程知らずめ。格の違いを思い知らせてやる!


「それじゃあいきますよ」

「ふん。さっさと指しな」


 飛車を手に取る安藤氏。さては中飛車に合わせる気か? 想定内だ。にらみ合いの将棋なら、棋力の差で勝てる。

 ぱちん。そら、思った通り中飛車で──。


「……え?」


 思わず間の抜けた声が出た。中飛車じゃ、ない? 5筋に在るはずの飛車は、何故か4筋に振られていた。

 四間飛車? い、いや。落ち着け私。四間なら6筋に振るだろ? 逆じゃないか。

 完全に想定外だ。まさか、そう来るだなんて。


「今回は、振り忘れずに済みました」


 安藤氏は先程までと変わらぬ微笑を浮かべている。そうだ、何も変わっていないはずだ。私の読みを超える手を指して来た以外は、何も。

 マジか。指し間違いじゃないのか。成立するのか? 角交換した上に、銀立ち矢倉に構えて。その上で、右四間飛車を指すだなんて。

 得体の知れない、不気味さを感じた。


 右四間飛車は超攻撃的な戦法で、飛車角銀桂全てを使って4筋の突破を狙う。受けきるのは容易ではない。

 だけど、角交換した今ならそこまで脅威ではない。こっちだって銀を繰り出し桂馬を跳ねている。相手の攻めを利用して攻め込む準備はできている。飛車の位置だって、こっちのが相手玉により近いんだ。

 だから普通は右四間にはしない。普通は──ああ、そうか。この人は、普通じゃないんだ。理由を付けて人のパンツを覗こうとする奴が、まともな将棋を指すはずがなかった。

 依然としてこちらの優位に変わりはない。戦法でも地力でも上回っている。そうわかっているのに、言い知れぬ不安を感じるのは何故だ?


 何を指したら最善かわからない。優勢を維持したまま勝ちきりたいのに。くそ。何を指しても逆転される気がしてしまう。そんなこと、ある訳ないのに。


「一回戦の貴女は自信に満ちていて、実に生き生きとした将棋を指していました。あんな風に指せたら楽しいだろうなと、羨ましく思ったものです」


 なのに、どうしちゃったんですか? そう問いかけて来る安藤氏に、私は答えることができない。

 一回戦は適当に、こうだと思う手を指しただけだ。ロクに読んでもいなかった。それでも勝てたから、二回戦もそのノリで臨んで負けた。このままじゃ駄目だと、その時に思い知ったんだ。だから学んだ。ちゃんとした戦法を。

 準決勝はそれで勝てた。魔剣・鬼殺し向かい飛車の効果は抜群で、鬼をも打ち倒すことができたのだ。

 今だって、勝てるはずだ。型にまった戦法の威力は、プロ棋士や将棋ソフトによって保証されている。大森さんだって太鼓判を押してくれた。勝てるはず、なのに。

 今の私の将棋は、生き生きとしていない?


 ぱちん。わからない。でも指さなきゃ。将棋に一手パスは無いのだから。とりあえず左辺が手薄になったから、金を上げて受けておこう。受ける分には間違いないはずだ、多分。自信は無いけど。

 ぱちん。対する安藤氏は、右の桂馬を跳ねて来た。やはり攻めて来たか。右四間が牙を剥く。だったらこっちも。

 迷っている場合じゃない。覚悟を決めろ、燐。最初に考えていた通り、中飛車で中央からぶち抜くんだ。左銀と桂馬、場合によっては角も使って突破する。それで問題ないはずだ。

 どんな勝ち方だろうと、たとえ生き生きとした指し手でなくとも、最後に勝てば良い。それが最上。何もおかしくない、はずだった。


「今の貴女は定跡に振り回されているよう。私と何ら変わらない」


 ぱちん。4筋と5筋の攻めが交錯し、摩擦で火花が散る。

 馬鹿な、互角だって? 攻めの切れ味が落ちている? 相手はロクに定跡すら知らない級位者なんだぞ? 何で? 何で、勝てないんだ?

 どうしちゃったんだ私。おかしい。全然考えがまとまらない!

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