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【連載五周年】にいづましょうぎ──将棋盤の中心で愛を叫ぶ──  作者: すだチ
第十二章・紅星より愛を込めて──The Roots──
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(10)強くなったな

 ぱりっ! つかんだ駒が一瞬、稲光を放ったように見えた。

 何だ? 今、修司さんの名前を言ったのか? 何で?

 ただ名前を口にしただけで、何で雰囲気まで変わるんだ……?

 この重圧は、まさか。


「お前と指すのは初めてだな。燐」


 レンの口から、彼のものではない誰かの言葉が紡がれる。

 指すからには、チームメイトでも容赦はしないぞ、と。

 声も姿も変わっていない。けれど、今私の前に立っているのは、レンじゃない。ぞわりと、鳥肌が立った。本能が危険を告げる。

 なんてプレッシャーなんだ。

 重苦しい空気に包まれる。ミスター穴熊戦を思い出す。間違いない。レンの中には今、修司さんが居る。それも、最高に仕上がった状態の!

 冗談じゃない。あんな将棋を指されたら、いくら鬼の力を開放したって──。


「いくぞ」


 ぱちん。飛車先の歩が突かれた。

 瞬間。盤上を雷光が駆け抜ける。縦横無尽に。


 は──や!

 幾筋もの雷撃に、自玉が撃ち抜かれた。あまりに速過ぎて、経路までは確認できなかったが。複数のパターンで攻められ、寄せ切られるということは理解できた。

 つまり。私は負ける、のか?

 いや、何を考えているんだ、まだ始まったばかりなんだぞ?

 強いのはわかった。だからどうした。


 気持ちで負けてちゃ、勝てる勝負にも勝てない。修司さん本人と指してる訳でもない。本人に負けるならともかく、猿真似してるだけの奴に屈してたまるか。

 そうだ。いつまでも真似し続けられる訳がない。次の一手で、あんたの目論見を打ち砕いてやる。

 出し惜しみはしない。鬼よ宿れ、我が右手に。


 ぱちん! 角を、取る!

 修司さん、もといレンが目を見開いた。どうやらこの手の意味を理解したらしい。どうだ、少しは驚いたか。

 同銀に、こちらも左銀を上げる。

 続いて玉を上げるレンに対し、こちらはさらに銀を33の位置まで上げた。

 少し考えた後、今度は右銀を上げてくるレン。囲いより優先したか。

 角の打ち込みを警戒しつつ、攻めにも活用する狙い。さすがは修司さん、堅実な手を指す──って、本物じゃないけど。

 ここからだ。さあ、矢倉に組めるもんなら組んでみろ。

 発火。手にするは最強の攻め駒、飛車。

 点火。盤上を真横に滑らせる。右から左へ。摩擦で火花が散った。

 ぱちん。そして、着弾する。


 交換する前に角が居た22の地点に、代わりに飛車が収まる。火の手が勢いを増し、ゴウッと燃え上がる。

 正直な話、教わった時には、今一つ意味がわからなかったけど。指した今なら実感できる。この戦法の凄まじさを。


「ダイレクト向かい飛車、か」


 ぽつりとつぶやきを漏らすレン。当然知っていたか。


 角交換後は角の打ち込みに注意するもの。馬を作らせるような手を指してはならない。だから普通は、43の位置を守るために四間飛車とする。その後頃合いを見て2筋に振り直すのが、通常の戦い方だ。つまり、一手損している。

 そこをあえて、43を受けず、直接2筋に振り向かい飛車とするのがこの戦法。

 早々に馬を作らせても問題ない。手得した一手で先後の差を解消しようというのが、ダイレクト向かい飛車側の主張だ。

 対する居飛車側は、何も考えなければ反射的に65に角を打ち、次に83か43の歩を取って角成りを狙って来る。受けは一見利かないように見えるが、問題ないのだ。74角打の迎撃がある。

 対して同角同歩の進行なら、再度の角打ちにも金を上げて受けが利く。ならばと43角成すれば52金と上がり、馬が詰む。角金交換後も色々あるけど、振り飛車側に不満無しの展開だ。

 それがわかっているから、レンは角を打って来ない。後手番ながら、主導権を握っているのはこちらの方だ。

 さあ、どうする?


「強くなったな、燐」


 その時、レンの口元がふっと緩んだ。優しい視線を向けられ、頬が熱くなるのを感じる。


「しっかりと定跡を踏んでいる。二回戦までとは雲泥の差だ。見違えたぞ」


 こいつ。いや、この人は。対局中なのに、褒めてくれるのか。ズルいよ、そんなの。

 めちゃくちゃ嬉しいじゃんか。


 修司さんは私みたいな力戦派とは違い、定跡に精通している。そんな人に認めてもらえるだなんて、光栄の至りというものだ。


「……ありがとうございます」


 ちっくしょう。お礼の言葉が口を飛び出してしまったじゃないか。相手は本物じゃないのに。

 ぶちのめす、怒りの気持ちはどこに行ってしまったんだ。


「振り飛車に対して矢倉は不利。ましてや角交換したならなおさら。角を打ち込まれる隙の多い矢倉の方が、美濃囲いより指しにくくなる。良い判断だと思う」


 そう言って微笑むレンの面影が、修司さんと重なって見えた。本当に、よくもここまで似せられたものだ。まるで本人が乗り移ったかのよう。


「さては惚れたナ?」

「惚れてねぇし!」


 すかさず口を出してくるスイコに、反射的に叫び返す。不覚にもときめいたのは修司さんに対してだし、私にはあゆむが居るし!

 カカカと笑って、彼女はさらに続ける。


「どうヨ、完璧に園瀬修司でショ? 情報生命体であるあたし達は、こんなこともできるのサ」


 そいやそんな設定もあったっけね。なるほど、インストールとは良く言ったもの。修司さんの情報を丸ごと取り込んで、人格から棋風に至るまで成り切った訳か。

 ──って。どうせ取り込むなら、もっと強い人にすれば良いのに。例えばプロ棋士とか。


「それで勝ってもフェアじゃないし、面白くないだろう?」


 レンの口から紡がれる、修司さんのお言葉。フェアじゃない、と来たか。ふん。私はたとえプロ相手でも、一歩も退かない自信があるけどね!


「さて。矢倉封じの手を指されて、俺は何を指すべきか」


 つぶやきながら、レンは玉将を手にし、左横に移動させた。やはり角は打って来ないか。だったら私も。

 不意の仕掛けに警戒しつつも、互いに玉を囲い合う。端歩の挨拶もして、穴熊じゃないことを確認。私は片美濃を構築した。これで一安心だ。ここからさらに囲いを発展させることだってできる。一方のレンは──。


「な」


 思わず声が漏れる。矢倉。まだ完全には組めてないけど、組むことを見据えての駒組みだった。

 嘘、でしょ? 嘘だと言ってよシュージィ!

 混乱する私に向かって、レンはにやりと笑みを浮かべて答える。


「かつて園瀬竜司は、振り飛車に対しても園瀬流を使っていた。たとえそれがダイレクト向かい飛車だったとしても変わらない」


 マジか、そうなのか。

 そいや準決勝でも振り穴相手に矢倉してたっけ。


 あの時は確か、銀立ち矢倉とかいう奇妙キテレツな矢倉に組んでいたっけな。でもこっちは虎の子のダイレクトなんだぞ? 強いんだぞ?

 くそう。想定外だけど仕方ない。こちらが有利なのは間違いないんだから、このまま優勢を維持したまま指しきってやる。


「いくぞ鬼の姫。定跡の勉強は十分か?」


 いや、付け焼き刃ですが。何しろお昼に習ったばかりだ。ぶっちゃけ矢倉相手にどう指せば良いのかわからない。だって普通は、矢倉に組まれないからー!

 ぱちん。一直線に囲わず、右銀を上げてくるレン。攻防のバランスに優れた味の良い手だ。

 それならこっちも。本美濃には組まず、銀で対抗する。

 次に桂馬を跳ねられれば攻撃態勢が整う。唯一警戒すべき角の打ち込みに対しては、囲いに使っていない左金で受ければ良い。

 どうだ? こっちの方が指し易いだろう?

 と思った次の瞬間、75歩を指してくるレン。これは。想定していたよりはるかに早いけど、間違いない。

 振り穴を葬った、銀立ち矢倉だ。


 次に76銀と上がる狙いなのだろうけど、まだ矢倉の形ができてないのに大丈夫なんだろうか? 多分だけど、定跡に無い手だ。いやそもそも、ダイレクト向かい飛車に対して矢倉を指すのが無理筋っぽいんだけど。

 それでも勝てると、緋色の瞳が煌めいている。

 ちっ。咎めたいけど難しいか。阻止できない。


「いいんですか? 私、準決勝観てたんですよ?」


 相手の狙いがわからず内心困惑しながらも、表面上は強がってみせる。二回続けて銀立ち矢倉なんて、随分とナメられたもんだ。そりゃ、まさか修司さんと対局することになるなんて思わなかったし、全然対策してなかったけどさ。


「ああ。だからこそ良い」

「は?」

「戦法でハメて勝っても、実力で勝ったことにならないだろ? 手の内を知り尽くしたお前に勝ってこそ、意義ある勝利だと俺は思ってる」


 ぐ。それはダイレクトにハメて勝とうとした私に対する嫌味ですか。

 参った、人としての器の大きさで負けてる。本人じゃないけど、実に修司さん的な台詞に、精神を抉られる。


 ぱちん。そうだ、彼は強い。強くなった。

 ぱちん。袖の男、香澄翔、ミスター穴熊。強敵との連戦が、彼を急激に成長させたんだ。

 ぱちん。私だって、それは同じだけど。

 ぱちん。彼には、支えてくれる人が居た。成長を後押ししてくれる人が居た。その人のためなら、彼はきっと、いくらでも強くなれる。

 ぱちん。それが私と彼との決定的な違い。いつの間にか追いつかれ、追い越されていた。

 ぱちん。私は、彼よりも弱い。認めよう。だけど、な。


「それでもやっぱり。あんたは修司さんじゃないよ」


 レン。情報が全てじゃないこと、今こそ証明してやる。

 そして引きずり出してやる。あんた自身の将棋を。

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