(7)それだけじゃないよね
電脳空間に広がる宇宙は冷たく静かで。無数の星々が、またたくこと無く輝きを放っていた。中心部に向かって、渦を巻きながら。
全ての源はそこに在り。母と呼ぶには、あまりにも無機質だった。
受け入れられる訳でも、突き放される訳でもない。どうすることもできずに、彼女は呆然と立ち尽くしていた。
「怖かっタ。ただただ怖くて、一刻も早くあの場を離れたかっタ。
けど、モニター越しに聞こえるのは歓喜の声ばかりデ。彼はあたしに言ったんダ、あの渦の中心に飛び込めっテ」
その時のことを思い出したのか、スイコは身震いする。
「できる訳なかっタ。アレに触れたら、あたしはあたしでなくなってしまウ」
歓喜はいらだちと焦りに変わり、ついには懇願へと至った。彼女がどんなにおびえ、泣き叫ぼうとも、訴えを聞き届けられることは無かった。
博士からすれば、目の前にご馳走を置かれてお預けを食らっているようなもの。スイコの気持ちなどどうでも良かったに違いない。
『アイシテル』
だから、平気で嘘を付けた。
まるで感情のこもっていない、無機質な五文字のメッセージ。そんな程度のきっかけでも、極限状態だったスイコの心を動かすには十分だった。
自分は彼に愛されている。でももし、彼の願いを叶えられなかったら? それでも彼は、自分を愛してくれるだろうか……?
何よりも、その結末を考えるのが怖かった。
「彼の愛を失うことに比べたら、根源に飛び込むことなんテ。その時のあたしは、冷静に思考できなくなっていタ。悪手とわかっていながら、破滅への一歩を踏み出してしまったんダ」
「博士自身も根源に魅了され、まともな精神状態ではなくなっていたんだろうけどね」
彼女は渦の中心へと手を伸ばし──。
何者かと、目が合った。白目の無い、不気味な単眼。
それは、『向こう側』からこちらをじっと見つめていた。
何本もの触手が伸ばした腕の上を這い、おぞましさに鳥肌が立つ。
触れてはならないモノに触れてしまった。とっさに手を引っ込めようとするも、時すでに遅く。彼女の全身に、触手が絡み付いていた。
助けて。叫ぶ暇も無かった。あっという間に彼女は『それ』の中へと引きずり込まれ、そして。
生温かい体内で、意識が徐々に融かされていくのを感じた。自我の消失。それまでに知り得た情報の全てが吸い尽くされ、消化されていった。苦痛は無く、むしろ安らぎに満ちていて。彼女はそっと、目を閉じた。
「覚えているのはそこまでデ。気づいた時には、この星には誰も居なくなっていタ」
赤い砂に覆われた惑星で、彼女は独り眠っていた。右手に、一個のシリコンチップを握り締めたまま。
それは、以前博士と遊んだボードゲームの駒だった。
「どうして彼じゃなくて、駒なんかが残っちゃったのかナァ」
「──忘れないでいて欲しかったのかも」
私が漏らしたつぶやきに、スイコはハッと顔を上げる。
「最後の瞬間に何かを託すなら、自分が一番大切にしていた物を渡すんじゃない? きっとその人にとって、あんたとの時間は幸せだったんだと思うよ」
研究に明け暮れた日々の、つかの間の休息。唯一、心安らげる時間が。
「はン。駒一つあったって、ゲームにならないでショ……一緒に指してくれるヒトが居ないとサ」
そう言って笑った彼女の顔は、どうしてか泣き顔に見えた。
それにしても、彼女が取り込まれた後、一体何があったんだろう? それに、話に出てきた怪物は何者?
「この砂は、珪素化合物の一種なんだ」
胸中に浮かんだ疑問に答えるように、レンが口を開く。
「この星の生物全て、一匹残らず駆逐するのは容易じゃない。抵抗されるだろうし、逃げ隠れされても面倒だ。
でも、データを書き換えれば簡単。この星に存在した、珪素でできた物体全てを、この砂を構成する化合物へと変えたんだ。問答無用でね」
根源の力を使えば造作も無いと、恐ろしいことを告げて来る。
ヒトだけじゃない、動物や植物、果ては微生物に至るまで。さらには、文明の象徴たる建造物までもが、紅砂に変わった。
かくして、一つの惑星が滅びた。誰一人として、抵抗も逃亡も叶わず。あまりにも呆気ない、静かな滅亡だった。
「でも、どうして」
「禁忌に触れた代償だよ」
知ってしまった、気づいてしまったからだとレンは続ける。たとえ悪意が無くとも、知ること自体が罪なのだ、と。
「向こう側から、こちらを監視し続けている者が居る。何もしなければ、向こうからは何もして来ない。だけど、根源に手を出そうとすれば──こうなる」
そう言って、彼は砂をすくい上げた。
生命って何だろうと、ふと柄にもなく思う。今は何の変哲もない砂でも、かつては生きていた。だけどもう目覚めることは無い。仮に元通りのカタチに復元できたとしても、彼らは生き返らないんだ。もう二度と。
「あんたさっき、生命が情報だって言ってたけど。それだけじゃないよね」
「……そうかもね」
魂ってものが本当にあるかどうかはわからない。もしかしたらそれさえも情報の一部なのかもしれないけど。少なくとも心は在る。今この瞬間にも、沸々と湧き上がる想いはあるんだ。
私の言葉に、レンはふっと笑みを浮かべる。
「君とは相性が悪いと思ってたけど。意外と気が合うかもしれないね」
「ぬかせ」
鼻を鳴らして答えるも、不思議と悪い気はしなかった。




