(2)それって痴漢プレイじゃないの?
仮説を立てる。
通常の彼には将棋を指したいという欲求がある。
それは、三大欲求に匹敵する程のものだ。
その将棋欲を取り除いてしまったら、一体彼はどうなるのか。
欠けた部分を取り戻そうと、他の欲求に夢中になってしまうのではないか?
そういえば、今日の彼は食欲も凄い。
いつもならハンバーグ定食をペロリと平らげるなんて、考えられない。
もしかして、もしかするのか?
仮に彼が性欲モンスターと化しているのなら、いつどこで襲われてもおかしくない。
や、別に襲われて困る訳ではないんだけど!
むしろそのためにデートに誘った訳だし、願ったり叶ったりなんだけど……!
野外はちょっと、抵抗がある。
寒いし。せめてシャワーを浴びたい。
清潔に保たないとね。
ホテルまで貞操を死守する。
そのためには、彼が楽しめるスポットに連れて行かなければならない。
できるだけ人目につき、彼が手を出しにくい所で、なおかつ好きな場所と言えば。
「ゲーセン行く?」
ピンと来た。
今日の私は冴えている。
「お、いいな」
果たして彼は、乗ってきた。
しめしめ。
昔はゲームセンターも各所にあったものだが、昨今は少子化も相まって減少傾向にある。
喫茶店に来る途中に見かけたゲーセンは、そんな苦しい環境下で生き残ってきた老舗だ。
「ねえ覚えてる? 私、クレーンゲームの景品がどうしても取れなくて、偶然通り掛かったあなたに取ってもらったの」
「ああ。付き合う前だな」
偶然、というのは嘘だ。
本当は、彼の行きつけの店をリサーチして、先回りしたんだ。
彼との接点、付き合うきっかけを作りたくて。
どうしても景品が取れないと頼み込むと、彼は快く引き受けてくれた。
彼の良心を利用したと思うと、今でも心が痛む。でも、謝る機会が無かった。
「あの、実は──」
「かおりん、あれ」
私の言葉を遮り、彼はお店の奥を指差した。
隅っこに一台だけポツンと置かれている、誰も遊んでいない筐体。
他とは異彩を放つそれは、巨大な将棋の駒の形をしていた。
……何、あれ?
「天下布武棋道会。ネット対戦できる将棋のゲームだよ。実物を見るのは、俺も初めてだが」
「へえ、ネットで対局かー。ちょっと面白そう」
「最近はスマホでも対局できるけど、アーケードのクオリティは凄いらしい。一度指してみたかったんだ」
あ、また将棋欲が沸々と。
まあ、ちょっとくらいなら良いか。
それに、私もどんなゲームか観てみたい。
筐体の近くでしげしげと眺める。見た目は古臭い。
駒そのものの筐体に、極彩色のゲーム画面が付いている。
昔ながらのレバー移動に、決定ボタン。今時感が凄い。
「見ろよ、このボタン押しても反応しない。いいね、レトロな雰囲気」
「え、壊れてるだけじゃ」
「早速やってみよう」
コインを挿入する。
プレイヤー情報を入力する画面に切り替わった。
彼の隣に椅子を持って来て座る。
あ、私の名前入れたな。
棋力は……初段!?
「ちょっと、そんなに盛らないでよ」
「どうせ相手の顔も見えないんだ。これくらい良いだろ」
しれっと応える彼。
その後持ち時間等の設定をして、対局開始。
数秒待たされた後、対局画面に切り替わる。
おお、相手も初段か。
相手は飛車を3筋に振って来た。
彼は矢倉に組まず、舟囲いで様子を見る。
急戦か持久戦か、相手の出方によって決めるつもりだ。
「なあかおりん。俺、嬉しいんだ。かおりんから俺を求めてくれて。だから」
この勝負は、手早く終わらせる。
そう言った彼の指し手は、いつも以上に研ぎ澄まされていた。
穴熊さん秘伝の、松尾流居飛車穴熊が炸裂する。
なるほど。手早くは手早くでも、相手を詰ませるのではなく、相手の心を折りに来たか。
金銀四枚で織り成す鉄壁の守り。
そして通常の居飛車穴熊よりも、角道を開けた際のリスクが少ない。
「流石に穴熊さんのようには行かないけどな」
相手は攻めて来る。
しかし、彼の玉は遠い。無理攻めだ。
角を下げ、飛車先と合わせるしゅーくん。
大駒交換は上等。相手の囲いは銀冠止まり、固さでは勝っている。
「かおりん。勝ったらキスして良いか?」
「え? いい、けど」
「ディープな奴でも?」
「え……!?」
舌、入れるの?
まだ、歯磨きしてないよ?
「駄目か?」
「う、うーん」
「俺が負けても良いか?」
「それは嫌」
「だったら、頼む」
「う。わかった」
押し切られ、仕方なく頷く私。
彼はにやりと笑って、「ディープキスもらったぜ!」と息巻く。
そこからの怒涛の攻めは、対局相手が可哀想に思う程だった。
「──凄過ぎ」
初段を、完封。
将棋はメンタルの影響が大きいと言うが。
性欲が絡むと、更に強くなるのだろうか。
清々しい笑顔で、彼は「さ! キスしよう!」と迫って来る。
やっぱり、モンスターだ。
しかし、ディープキスか。
約束はしたものの、踏ん切りがつかない。
舌と舌を絡めるだなんて、いやらし過ぎる。
何とか回避できないかな……?
そもそも、赤ちゃん作るのにその行為、要る?
スキンシップとしても過激だし、何で男の人がしたがるのか、私には理解できない。
普通のキスでも十分ドキドキするのに。
「ま、待って。私もこのゲーム、やってみたい。キスはその後でも良いでしょ?」
「ああ、いいぞ。かおりんが勝ったら、倍返しな!」
何を倍で返すんだろう?
疑問に思いながらも、彼と席を交代する。
勝っても一戦で終わりなのか、コンティニュー画面になっている。
コインを入れ、いざ初段の香織はネットの戦場へと赴く。
先程勝った影響か、今度は二段を当てられた。
「……絶対、無理」
指す前からわかる。
勝てる訳が無い。
「諦めたらそこで試合終了なんだぞ?」
「いや、試合じゃないですし。ゲームですし」
「──どうやら、愛情不足のようだな」
「え? ひゃあっ!?」
いきなり、耳たぶを甘噛みされた!
思わず悲鳴を上げてしまう。いくら何でも、唐突過ぎる!
「おいおい。周りに聞こえちまうぜ?」
「だ、だって」
だって耳。すっっごく弱いんだもん。
ほんと、やめて欲しい。心臓が止まるかと思った。
……あ。びっくりして、初手を指してしまった。
「珍しいな、かおりんが居飛車を指すなんて」
「間違えたんだってば」
「まだ愛情が足りないか?」
「結構ですっ」
下手な手を指したら、何をされるかわからない。
こんなに緊張する対局は、初めてかもしれない。
あの秋祭りの時だって、ここまで追い詰められることは無かった。
盤外からのプレッシャーが凄まじい。
ギラギラとした野性味溢れる視線を送って来る彼が怖過ぎる。
主に性的な意味で。
相手は飛車を4筋に振って来た。
な、なら。私も穴熊に囲って──。
……って、あれ?
いきなり、角交換して来た?
何で?
「角交換四間飛車か。これで穴熊には組みづらくなったな。さあどうする?」
「いや、知らないんだけど」
「教えてやろうか?」
私の言葉に、彼の瞳が妖しく光る。
とてつもなく嫌な予感がする。
「いいよ。対局中にそういうの、反則でしょ」
「そうか。じゃあ頑張れよ」
意外にもあっさり引き下がって、彼は画面に目を遣る。
頑張るけど、相手は遥か格上で、私は慣れない居飛車。
しかも知らない戦法を使われてと、勝てる要素が全く無いんだけど。
「どうだ。対面で指すのとは、一味違うだろう?」
「うん。相手の人の、呼吸がわからない」
「ネット対局には、慣れが必要なんだ」
対局者が目の前に居ない以上、盤面から全ての情報を読み取るしかない。
けど、無機質なモニター画面では、それも難しい。
どうやら駒の立体感や質感を、思っていた以上に頼りにしていたようだ。
今一つ映像が伝わって来ない。
指してる実感が無い。ただレバーを引いて、ボタンを押すだけの作業。
これは、しんどい。
くそう。負けたくない、のに。
角交換した後、向かい飛車にされ、しまいには銀の進出を許してしまう。
飛車先の歩を突いた手が、完全に仇になった。
これが、角交換四間の狙いなのか。まんまとハメられた。
うう。どうしたら良いのか、全然わからない。
このままじゃ、飛車先を突破されてしまうというのに。
「かおりん、肩に力が入り過ぎてるぞ。もっとリラックスしないと」
「そんなこと、言ったって」
「──ったく。しょうがねぇなあ」
「え? ひぃっ!?」
今度は、お尻を軽く撫でられた!
スカートの上からだけど、それでも手の感触は伝わって来る。
だから、唐突過ぎるんだってば!
「力を抜くんだ」
さわさわとお尻を撫で続けながら、彼は諭すように言って来る。
無理……余計に、ムリぃ……!
ゾワゾワっと、何かが全身を駆け抜けた。
身体がビクンと跳ねる。これじゃ、対局に集中できない。
「や、やめて」
「どうやら、脱力できたようだな」
脱力どころか、腰が抜けたんだけど。
彼は、満足そうに微笑んだ。
ともあれ。リラックスは確かに必要かも。
大きく息を吸い込み、一気に吐き出す。
それを数回繰り返す内、だんだん盤面が見えて来た。
うん、明らかに劣勢だ。
でもよく見ると、相手の囲いは美濃囲いじゃない。左金を上げない、片美濃囲いだ。
そうか。角の打ち込みを警戒して、上げにくいのか。
だったら、守りは薄い。
何とか飛車交換に持って行ければ、勝負になるかも。
そのためには、間で大威張りしている銀が邪魔だ。
桂馬を跳ねて、銀に当てる。
「お、いいんじゃないか? 逆棒銀の狙いを逆手に取れそうだぜ」
ぎゃくぼうぎん? それが相手の作戦か。
斜めに逃げれば飛車を素抜かれるから、縦に逃げるはず。
果たして、銀はまっすぐこちらに向かって来た。やった、読み通り。
次に桂馬を取る手は、飛車を素抜かれるからできないはず。
だったら、飛車を歩で叩いて、吊り上げようか。
すると相手は同飛とせず、こちらの飛車の頭に歩を打ち込んで来た。
よーし、これで飛車交換成立だ。
手番は私にある。
お互いに飛車を取って、と金を作る。
私の方が先に飛車を取った。敵陣に飛車を打ち下ろすのは、私の方が早い。
「かおりん、強くなったな。初見で逆棒銀の弱点に気付くなんて。もう低級者のレベルじゃないな」
やった、彼に褒めてもらえた。
これで心置きなく、対局に集中できる。
飛車を打つ。
──って。
私、何やってるんだろ。
今日の目的は彼と結ばれることであって、顔もわからない他人と将棋を指すことじゃない。
こんなことを続けたって、意味が無い。
そう頭では思いながらも、無意識に次の手を指そうとする。
将棋指しの性質という奴だ。
溜息を一つつき。私は対局を続行した。
「ありがとうございました」
画面に向かって、頭を下げる。
対局結果は、私の負けだ。
途中までは上手くいった。
でも。飛車を打ってから、雲行きが変わった気がする。
相手の左金が、こちらの飛車の働きを鈍らせたんだ。
美濃囲いに入れてもらえず、放置されていたはずの金が。
まさかの、要の守備駒だったとは。
金底の歩の重さを知った。
なるほど、これは岩よりも硬いわ。
「惜しかったな、かおりん」
「ごめん、勝てなかった」
「いいさ。相手は二段、勝てないのが当然なんだ。よく頑張ったな、偉いぞ」
そう言って彼は、よしよしと私の頭を撫でた。
褒められたのは嬉しいけど、子供扱いして欲しくないなあ。
「じゃあ、ディープなちゅーするか!」
前言撤回。子供扱いしてくれてて良いです。
目の色を変えて迫って来る彼を見て、思わず身をよじる。
「ここで、するの?」
「もう我慢できない」
「やっ……恥ずかしい」
幸いなことに、皆ゲームに夢中で、私達など眼中に無いみたいだけど。
それでも、人前は。
「すまん。限界だ」
「だ、ダメ──!」
彼の顔が目前に迫る。
反射的に逃げようとしたけど、逞しい両腕でがっちりホールドされた。うう、もはやこれまでか。
覚悟を決めて、目を閉じる。
彼の吐息を、間近に感じた。
……次の瞬間。
不意に、束縛から解放される。
「もう無理、漏れる!」
そう言って、トイレに向かって駆け出す彼。
その様子を呆然と見つめて、私は息を吐いた。
た、助かったあ。
安堵と共に、一抹の寂しさも感じたりする、現金な私だった。
あのままディープキスしていたら、一体私はどうなってしまっていたのだろう。
トイレから帰って来た彼と、並んでゲーセンを出る。
さて、いい感じに時間が潰れた。
「さて。ホテルに行くか」
「待って」
予想通りの言葉を口にする彼を制し。
私はにっこり、ウィンクして見せた。
「とっておきの場所があるの。付いて来て」




