表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
171/203

(2)それって痴漢プレイじゃないの?

 仮説を立てる。

 通常の彼には将棋を指したいという欲求がある。

 それは、三大欲求に匹敵する程のものだ。

 その将棋欲を取り除いてしまったら、一体彼はどうなるのか。

 欠けた部分を取り戻そうと、他の欲求に夢中になってしまうのではないか?


 そういえば、今日の彼は食欲も凄い。

 いつもならハンバーグ定食をペロリと平らげるなんて、考えられない。


 もしかして、もしかするのか?


 仮に彼が性欲モンスターと化しているのなら、いつどこで襲われてもおかしくない。


 や、別に襲われて困る訳ではないんだけど!

 むしろそのためにデートに誘った訳だし、願ったり叶ったりなんだけど……!


 野外はちょっと、抵抗がある。

 寒いし。せめてシャワーを浴びたい。

 清潔に保たないとね。


 ホテルまで貞操を死守する。

 そのためには、彼が楽しめるスポットに連れて行かなければならない。

 できるだけ人目につき、彼が手を出しにくい所で、なおかつ好きな場所と言えば。


「ゲーセン行く?」


 ピンと来た。

 今日の私は冴えている。


「お、いいな」


 果たして彼は、乗ってきた。

 しめしめ。


 昔はゲームセンターも各所にあったものだが、昨今は少子化も相まって減少傾向にある。

 喫茶店に来る途中に見かけたゲーセンは、そんな苦しい環境下で生き残ってきた老舗だ。


「ねえ覚えてる? 私、クレーンゲームの景品がどうしても取れなくて、偶然通り掛かったあなたに取ってもらったの」

「ああ。付き合う前だな」


 偶然、というのは嘘だ。

 本当は、彼の行きつけの店をリサーチして、先回りしたんだ。

 彼との接点、付き合うきっかけを作りたくて。

 どうしても景品が取れないと頼み込むと、彼は快く引き受けてくれた。


 彼の良心を利用したと思うと、今でも心が痛む。でも、謝る機会が無かった。


「あの、実は──」

「かおりん、あれ」


 私の言葉を遮り、彼はお店の奥を指差した。

 隅っこに一台だけポツンと置かれている、誰も遊んでいない筐体。

 他とは異彩を放つそれは、巨大な将棋の駒の形をしていた。


 ……何、あれ?


「天下布武棋道会。ネット対戦できる将棋のゲームだよ。実物を見るのは、俺も初めてだが」

「へえ、ネットで対局かー。ちょっと面白そう」

「最近はスマホでも対局できるけど、アーケードのクオリティは凄いらしい。一度指してみたかったんだ」


 あ、また将棋欲が沸々と。

 まあ、ちょっとくらいなら良いか。

 それに、私もどんなゲームか観てみたい。


 筐体の近くでしげしげと眺める。見た目は古臭い。

 駒そのものの筐体に、極彩色のゲーム画面が付いている。

 昔ながらのレバー移動に、決定ボタン。今時感が凄い。


「見ろよ、このボタン押しても反応しない。いいね、レトロな雰囲気」

「え、壊れてるだけじゃ」

「早速やってみよう」


 コインを挿入する。

 プレイヤー情報を入力する画面に切り替わった。


 彼の隣に椅子を持って来て座る。


 あ、私の名前入れたな。

 棋力は……初段!?


「ちょっと、そんなに盛らないでよ」

「どうせ相手の顔も見えないんだ。これくらい良いだろ」


 しれっと応える彼。

 その後持ち時間等の設定をして、対局開始。

 数秒待たされた後、対局画面に切り替わる。


 おお、相手も初段か。


 相手は飛車を3筋に振って来た。

 彼は矢倉に組まず、舟囲いで様子を見る。

 急戦か持久戦か、相手の出方によって決めるつもりだ。


「なあかおりん。俺、嬉しいんだ。かおりんから俺を求めてくれて。だから」


 この勝負は、手早く終わらせる。

 そう言った彼の指し手は、いつも以上に研ぎ澄まされていた。


 穴熊さん秘伝の、松尾流居飛車穴熊が炸裂する。

 なるほど。手早くは手早くでも、相手を詰ませるのではなく、相手の心を折りに来たか。

 金銀四枚で織り成す鉄壁の守り。

 そして通常の居飛車穴熊よりも、角道を開けた際のリスクが少ない。


「流石に穴熊さんのようには行かないけどな」


 相手は攻めて来る。

 しかし、彼の玉は遠い。無理攻めだ。

 角を下げ、飛車先と合わせるしゅーくん。

 大駒交換は上等。相手の囲いは銀冠止まり、固さでは勝っている。


「かおりん。勝ったらキスして良いか?」

「え? いい、けど」

「ディープな奴でも?」

「え……!?」


 舌、入れるの?

 まだ、歯磨きしてないよ?


「駄目か?」

「う、うーん」

「俺が負けても良いか?」

「それは嫌」

「だったら、頼む」

「う。わかった」


 押し切られ、仕方なく頷く私。

 彼はにやりと笑って、「ディープキスもらったぜ!」と息巻く。


 そこからの怒涛の攻めは、対局相手が可哀想に思う程だった。


「──凄過ぎ」


 初段を、完封。


 将棋はメンタルの影響が大きいと言うが。

 性欲が絡むと、更に強くなるのだろうか。

 清々しい笑顔で、彼は「さ! キスしよう!」と迫って来る。

 やっぱり、モンスターだ。


 しかし、ディープキスか。

 約束はしたものの、踏ん切りがつかない。

 舌と舌を絡めるだなんて、いやらし過ぎる。

 何とか回避できないかな……?


 そもそも、赤ちゃん作るのにその行為、要る?

 スキンシップとしても過激だし、何で男の人がしたがるのか、私には理解できない。

 普通のキスでも十分ドキドキするのに。


「ま、待って。私もこのゲーム、やってみたい。キスはその後でも良いでしょ?」

「ああ、いいぞ。かおりんが勝ったら、倍返しな!」


 何を倍で返すんだろう?

 疑問に思いながらも、彼と席を交代する。

 勝っても一戦で終わりなのか、コンティニュー画面になっている。

 コインを入れ、いざ初段の香織はネットの戦場へと赴く。


 先程勝った影響か、今度は二段を当てられた。


「……絶対、無理」


 指す前からわかる。

 勝てる訳が無い。


「諦めたらそこで試合終了なんだぞ?」

「いや、試合じゃないですし。ゲームですし」

「──どうやら、愛情不足のようだな」

「え? ひゃあっ!?」


 いきなり、耳たぶを甘噛みされた!

 思わず悲鳴を上げてしまう。いくら何でも、唐突過ぎる!


「おいおい。周りに聞こえちまうぜ?」

「だ、だって」


 だって耳。すっっごく弱いんだもん。

 ほんと、やめて欲しい。心臓が止まるかと思った。


 ……あ。びっくりして、初手を指してしまった。


「珍しいな、かおりんが居飛車を指すなんて」

「間違えたんだってば」

「まだ愛情が足りないか?」

「結構ですっ」


 下手な手を指したら、何をされるかわからない。

 こんなに緊張する対局は、初めてかもしれない。


 あの秋祭りの時だって、ここまで追い詰められることは無かった。

 盤外からのプレッシャーが凄まじい。

 ギラギラとした野性味溢れる視線を送って来る彼が怖過ぎる。

 主に性的な意味で。


 相手は飛車を4筋に振って来た。

 な、なら。私も穴熊に囲って──。


 ……って、あれ?

 いきなり、角交換して来た?

 何で?


「角交換四間飛車か。これで穴熊には組みづらくなったな。さあどうする?」

「いや、知らないんだけど」

「教えてやろうか?」


 私の言葉に、彼の瞳が妖しく光る。

 とてつもなく嫌な予感がする。


「いいよ。対局中にそういうの、反則でしょ」

「そうか。じゃあ頑張れよ」


 意外にもあっさり引き下がって、彼は画面に目を遣る。

 頑張るけど、相手は遥か格上で、私は慣れない居飛車。

 しかも知らない戦法を使われてと、勝てる要素が全く無いんだけど。


「どうだ。対面で指すのとは、一味違うだろう?」

「うん。相手の人の、呼吸がわからない」

「ネット対局には、慣れが必要なんだ」


 対局者が目の前に居ない以上、盤面から全ての情報を読み取るしかない。


 けど、無機質なモニター画面では、それも難しい。

 どうやら駒の立体感や質感を、思っていた以上に頼りにしていたようだ。

 今一つ映像が伝わって来ない。

 指してる実感が無い。ただレバーを引いて、ボタンを押すだけの作業。


 これは、しんどい。

 くそう。負けたくない、のに。


 角交換した後、向かい飛車にされ、しまいには銀の進出を許してしまう。

 飛車先の歩を突いた手が、完全に仇になった。

 これが、角交換四間の狙いなのか。まんまとハメられた。


 うう。どうしたら良いのか、全然わからない。

 このままじゃ、飛車先を突破されてしまうというのに。


「かおりん、肩に力が入り過ぎてるぞ。もっとリラックスしないと」

「そんなこと、言ったって」

「──ったく。しょうがねぇなあ」

「え? ひぃっ!?」


 今度は、お尻を軽く撫でられた!

 スカートの上からだけど、それでも手の感触は伝わって来る。

 だから、唐突過ぎるんだってば!


「力を抜くんだ」


 さわさわとお尻を撫で続けながら、彼は諭すように言って来る。

 無理……余計に、ムリぃ……!

 ゾワゾワっと、何かが全身を駆け抜けた。

 身体がビクンと跳ねる。これじゃ、対局に集中できない。


「や、やめて」

「どうやら、脱力できたようだな」


 脱力どころか、腰が抜けたんだけど。

 彼は、満足そうに微笑んだ。


 ともあれ。リラックスは確かに必要かも。

 大きく息を吸い込み、一気に吐き出す。

 それを数回繰り返す内、だんだん盤面が見えて来た。


 うん、明らかに劣勢だ。

 でもよく見ると、相手の囲いは美濃囲いじゃない。左金を上げない、片美濃囲いだ。

 そうか。角の打ち込みを警戒して、上げにくいのか。

 だったら、守りは薄い。


 何とか飛車交換に持って行ければ、勝負になるかも。

 そのためには、間で大威張りしている銀が邪魔だ。

 桂馬を跳ねて、銀に当てる。


「お、いいんじゃないか? 逆棒銀の狙いを逆手に取れそうだぜ」


 ぎゃくぼうぎん? それが相手の作戦か。

 斜めに逃げれば飛車を素抜かれるから、縦に逃げるはず。


 果たして、銀はまっすぐこちらに向かって来た。やった、読み通り。

 次に桂馬を取る手は、飛車を素抜かれるからできないはず。

 だったら、飛車を歩で叩いて、吊り上げようか。

 すると相手は同飛とせず、こちらの飛車の頭に歩を打ち込んで来た。

 よーし、これで飛車交換成立だ。

 手番は私にある。


 お互いに飛車を取って、と金を作る。

 私の方が先に飛車を取った。敵陣に飛車を打ち下ろすのは、私の方が早い。


「かおりん、強くなったな。初見で逆棒銀の弱点に気付くなんて。もう低級者のレベルじゃないな」


 やった、彼に褒めてもらえた。

 これで心置きなく、対局に集中できる。

 飛車を打つ。


 ──って。

 私、何やってるんだろ。

 今日の目的は彼と結ばれることであって、顔もわからない他人と将棋を指すことじゃない。


 こんなことを続けたって、意味が無い。

 そう頭では思いながらも、無意識に次の手を指そうとする。

 将棋指しの性質さがという奴だ。


 溜息を一つつき。私は対局を続行した。


「ありがとうございました」


 画面に向かって、頭を下げる。

 対局結果は、私の負けだ。


 途中までは上手くいった。

 でも。飛車を打ってから、雲行きが変わった気がする。

 相手の左金が、こちらの飛車の働きを鈍らせたんだ。

 美濃囲いに入れてもらえず、放置されていたはずの金が。

 まさかの、要の守備駒だったとは。


 金底の歩の重さを知った。

 なるほど、これは岩よりも硬いわ。


「惜しかったな、かおりん」

「ごめん、勝てなかった」

「いいさ。相手は二段、勝てないのが当然なんだ。よく頑張ったな、偉いぞ」


 そう言って彼は、よしよしと私の頭を撫でた。

 褒められたのは嬉しいけど、子供扱いして欲しくないなあ。


「じゃあ、ディープなちゅーするか!」


 前言撤回。子供扱いしてくれてて良いです。

 目の色を変えて迫って来る彼を見て、思わず身をよじる。


「ここで、するの?」

「もう我慢できない」

「やっ……恥ずかしい」


 幸いなことに、皆ゲームに夢中で、私達など眼中に無いみたいだけど。

 それでも、人前は。


「すまん。限界だ」

「だ、ダメ──!」


 彼の顔が目前に迫る。

 反射的に逃げようとしたけど、逞しい両腕でがっちりホールドされた。うう、もはやこれまでか。

 覚悟を決めて、目を閉じる。

 彼の吐息を、間近に感じた。


 ……次の瞬間。

 不意に、束縛から解放される。


「もう無理、漏れる!」


 そう言って、トイレに向かって駆け出す彼。


 その様子を呆然と見つめて、私は息を吐いた。

 た、助かったあ。

 安堵と共に、一抹の寂しさも感じたりする、現金な私だった。

 あのままディープキスしていたら、一体私はどうなってしまっていたのだろう。


 トイレから帰って来た彼と、並んでゲーセンを出る。

 さて、いい感じに時間が潰れた。


「さて。ホテルに行くか」

「待って」


 予想通りの言葉を口にする彼を制し。

 私はにっこり、ウィンクして見せた。


「とっておきの場所があるの。付いて来て」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ