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(3)明るい家族計画

「……は?」


 思わず、間の抜けた声が漏れた。すぐには状況が理解できなかった。

 狐面の巫女は、その仮面の奥から鋭い殺気を放って来る。対する私は──着けていたはずの面が無い。素顔を晒したと気付き、慌てて左手で顔を隠した。

 本当は両手で隠したかったけど、あいにくと右手は誰かの手を握っている。


 誰かのって、一体誰のだ……?

 あの少女の手にしては大き過ぎる。男性のものだと気付き、恐る恐る私は視線を右方向へと向けた。次の瞬間。


「──ッ──!?」


 凄まじい美青年と目が合った。怪訝そうに眉を寄せた表情がまた、イケメン度を著しく向上させている。

 こ、これはヤバい。超至近距離で全身くまなく美視線を浴びてしまった。

 身体から力が抜け、くらくらとへたり込みそうになる。ここに来て、男性経験の無さが裏目に出た。この上ない幸福を味わっている真っ最中だというのに、精神がもちそうにない。


「かおりん、どうした? 具合でも悪いのか?」


 優しい言葉が、イケメンさんの口から発せられる。吐息で失神しそうになった。


 ああ、私心配されてる……幸せ。

 やれ薄汚い狐の使いだの何だの、罵声を浴びせられ、冷徹な視線を向けられ続けて来た日々が思い出される。

 色々辛いこともあったけど、神様は見捨てないでいてくれたらしい。最後にこんな、とびきりのプレゼントを用意してくれていただなんて。

 あふれた涙を、そのまま垂れ流す。


「ど、どうした!? どこか痛いのか? まさか、まだ明鏡止水の影響が残っているのか……?」


 突然の私の涙にびっくりしたのか、イケメンさん、もとい修司さんが心配そうに顔を覗き込んで来る──ちっか! 顔、近過ぎなんですけどー!

 まるで夢のようなシチュエーションに、理性が吹っ飛びそうになる。


 今の状況を異常だと感じながらも、この幸せにどっぷり浸かっていたいという気持ちの方が強くて。

 ついつい頬が緩んでニヤけてしまう。いけない、彼の前で涎を垂れ流さないように気を付けないと。ああでもこれ、私の身体じゃないから別にいいか──。


『良くない。絶対やめて!』


 声が聞こえて来たのは、その時だった。


 鼓膜を介さないその声は、胸の奥底からじんわりと響いて来る。

 脳を直接揺さぶられる『伝心テレパシー』とはまた違った感じだが、悪い感じではない。


『勝手に私のカラダに入って来ないでよ!』


 喚き立てて来るのは、この身体の主人格か。

 とりあえずスルーしておこう。


『全部聞こえてるよ!』


 ちっ。全て筒抜けだったか。

 はいはい何ですか? 私だって好きで貴女なんかのナカに入った訳じゃないんですけど? てゆか、状況がさっぱりわからないんで説明を求めます。

 それができないのなら、邪魔だから引っ込んでて下さい!


『くっ……! 私だって何がなんだか。本殿に入って来た所までは覚えてるけど』


 ふぅむ。だったら私と同じだ。

 何が作用してこんなおかしなことになったのかはわからないけど、私達に共通しているのは、ここに来るまでは特に異常は無かったということ。

 やはり神様が私のために粋な計らいを──!


『神様。そうだ、睡狐の仕業じゃないの?』


 や、さすがの睡狐様でも人格を入れ替えるなんて。

 あー。四十禍津日の力を借りればできるかもしれないけど。


『それだ』


 ボンと、手を打たれた。

 ちょっと、勝手に体を動かさないでよ。せっかくの修司さんとのお手々繋ぎがー!


『元々私の体でしょ。それより、四十禍津日ならこんなこともできるんだね?』


 可能性はあるかと。

 でも、誰が何のために?


『わからない。でも、そこの竜ヶ崎雫さんなら何か知ってるんじゃないかな?』


 目の前に居る狐面の巫女──まあ要するに私なんだけど──を指差される。

 彼女は私達の様子を静観している。普通に考えれば、彼女の『中身』が怪しいが。


 別に困ったことも無いので、修司さんのお顔を拝見して悦に浸ろう。


『ちょっとー! 協力してよ! 貴女だって元に戻れないと困るでしょう?』


 いいえ全く。

 香織さん、貴女はまだ私の心を十分理解できていないようね?

 私の夢は、修司さんのお嫁さんになること!

 貴女の中に居れば、諦めかけていた夢を叶えることができるんです!

 だからもう! 二度と! 出て行きません!


『いやいや、睡狐の巫女としての職務はどうなるのよ? 貴女の人生は?』


 そんなもの、修司さんとの甘々な新婚生活に比べればカスみたいなもんです!

 香織さん、貴女は修司さんを独り占めしてズルい! 少しは幸せを共有すべきだと私は主張します!


『ぐっ……! そういう言い方されると心苦しいけど……!』


 いいじゃないですか別に減るものでもなし。心の片隅にちょこっとお邪魔させて頂くだけで良いので。貴女にとって不利益になるようなことは一切致しません故。


『や、でも。恥ずかしいじゃん。プライベート覗かれまくりってさ』


 ああ、トイレとかです?


『それもだけど──しゅーくんと“仲良し”する時とか』


 は? 仲良し?

 あれだけ散々イチャコラ見せ付けておいて、今更何を気にして──。


 そう言いかけた私の脳内を、ある映像が流れた。まるで走馬灯のように。

 こ、これは!


『……ね? 他人がするトコなんて、観たくないでしょ?』


 これが、オトナの仲良し……!?

 思ってたのと違う! なんて過激な……!

 香織さん貴女。見かけによらず、どすけべね?


『なあっ!? ち、違うよ! 夫婦なら普通でしょ!?』


 いやいや、なかなかどうして。さらっとこんな妄想ができるなんて大した猛者ですわ。

 初めて貴女を尊敬しました。

 うっ……鼻血が出そうです。

 修司さんの痴態が目に焼き付いて離れません。


『……一刻も早く忘れて』


 これはいよいよ出て行きたくなくなりました! 一生貴女について行きます!


『うう。もうやだ、この巫女』


 そうと決まればこんな大会とっとと終わらせて、思う存分『仲良し』しましょう、そうしましょう!


『え? それって、貴女自身と対局するってこと?』


 はい!

 速攻で『私』をぶちのめしてやります!


『普通こういう時って、もうちょい葛藤したりしない?』


 はん。私を凡人と一緒にしないで下さい。たとえ私が相手だろうと! いえ、私が相手だからこそ! 負ける訳にはいかないのです!

 巫女の自分はもはや過去のもの。過去を乗り越えた先にこそ、未来が待っているのですよ。


『何か違う気がするけど』


 でも、一緒に戦ってくれるのは嬉しいかも。

 お人好しの香織さんらしい台詞が、胸の奥に染み渡った。


「香織、休まなくて大丈夫なのか? さっきから様子がおかしいが」


 ああ、修司さんが私の身を案じて下さっている。沸々と力が湧いて来るのを感じる。


「修司さん。必ずや、貴方に勝利を捧げます」

「お、おお。対局できるのなら良いんだが」

「ご褒美は”仲良し”でお願いします!」

「なっ……!?」

『こらー! 何言っちゃってんのー!?』


 外野は放っておいて。

 驚きの声を上げる修司さんに照れ隠しのウインクをして、改めて『竜ヶ崎雫』の方へと向き直る。

 氷のように冷たい眼差しが突き刺さる。可愛げの無い奴め。


「貴女が誰だか知らないけど! 偽物は本物には絶対に勝てないんだってこと、証明して差し上げましょう!」

「……貴女は知らない。真の竜ヶ崎の将棋を」


 私の挑発に、初めて『黙りん子』が口を開いた。

 あら、意外と良い声してるじゃない。私には敵わないけど!

 ふん。見下して居られるのも今の内よ。

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