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君と歩いた、ぼくらの怪談 第1部  作者: tempp
第1章 僕の怪談の始まり
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井戸の底の星空

 懐中電灯を片手に井戸の底にある高さ1.5メートルほどの横穴を中腰で慎重に進む。

 少しのカビ臭さと湿った土の匂いがする。井戸の部分までは石で組まれていたけど、この横穴はなんというか天然の洞窟のようだ。鍾乳洞のようにつるつるした滑らかな岩穴になっている。


 ここは井戸の上と違ってとても静かで僕が歩くヒタヒタという足音と水が跳ねる音しかしない。足音も岩に反響するのかふわりと跳ね返って不思議な音色を奏でている。

 地下水なのか、足元には薄く水が張られている。歩くたびに浮かぶ波紋は懐中電灯で照らす前方に向かって、僕を導くように一歩毎にゆっくりと広がっていく。明かりと言えば、ヒカリゴケなのかライトをあてるとところどころ壁がエメラルドグリーンに反射するところがある。なんだか幻想的。日中は太陽の光が井戸を経由してここまで届くのかな。不思議な場所。


 しばらく、おそらく10メートルくらい歩いただろうか、ごつごつとした天井が少しづつ高くなっていき、そのまま少し広い空洞に出た。


「ここで、行き止まり、かな?」


 ざっとライトを回してみると直径5メートルほどの円形の空間になっていたけど、とりたてて何もないようだ。何もなかったことにかえって安堵する。お化けが溢れていたらどうしようもない。

 その時、僕の背後から、にゃぁ、という小さな声が聞こえて思わずライトを取り落としそうになる。振り返ってライトで照らすと闇から浮き出るように黒い猫が現れた。

 あれ? 鳥居の下で会った黒猫にそっくりだ。同じ猫なのかな。


「君どこから入ったの?」


 しゃがみこんで思わず猫に問いかける。

 僕が来た井戸は猫が上り下りできるところじゃないと思うんだけど。そうすると他の道から来たってこと。

 真っ暗な通路に思えたけどひょっとしめどこかに横道があるのかな。そうしたらちょっとまずいかも、帰りに迷うかもしれない。不安に心臓がどくんと音を立てる。外に出るには入り口を知っているこの猫を追いかけるのがいいのかな。

 僕の気持ちを知ってか知らずか、黒猫はそのまま僕の脇を通り過ぎてまっすぐに歩いて行く。黒猫の後ろ姿をライトで照らすと黒猫はぴょんと1mほど飛び上がり、正面の岩棚の上によじ登った。

 先ほどは気づかなかったけど、その岩棚の上にはいろいろなものが置かれていた。猫の家なのかな……そう思って見ると、古くてぼろぼろになっているけど、壊れた木の台や器なんかが散らばっていた。そして、ライトをさらに上にあげて驚いてしりもちをつく。


 即身仏……。

 少しあがったところにある岩棚の中には、ぼろぼろの、おそらく袈裟(けさ)をまとったミイラが静かに座っていた。

 驚いて思わず体がこわばったけど、足元を流れる水の音と冷たさが僕を少し冷静にする。

 改めて見ると、その即身仏はどこか不思議と優しく神聖な雰囲気をかもし出していた。この神社に入った時に感じた雰囲気。黒猫が即身仏の隣に座って金色の目を細めてとても親しそうに見ていたからかもしれない。

 なんとなくこのまま見続けるのは失礼に感じてライトの光を下に外した。


『もともと新谷坂(にやさか)山はいい山で、昔えらい人が超悪いのをたくさん封印して、その後も悪いことがおこんないように見守る山だったんだって』


 ナナオさんの言葉が思い浮かぶ。

 この人が、新谷坂山の災厄を封印した人なのかな。ということはここは災厄が封印された場所。僕の足元にたくさんのお化けがいるのかと思うと少し足がすくむ。

 本当に?

 でも確かにそれを感じさせる不思議な場所で、だんだんと僕がここにいるのはとても不釣り合いな気がしてきた。なんだか彼らの神聖な場所を汚しているようで、とても気まずい気持ちになってきた。


「にゃぁお」


 黒猫は僕に話しかけるように鳴いた。


「ごめん、君の大切な場所をあらすつもりはなかったんだ。外で困っている子がいて、僕の友達が助けたいっていう話になって」


 なんだか少し言い訳くさい。


「えっと、僕たちも何かできないかなって思ってここまできちゃった。その、ここは封印なんだよね。あなたたちの邪魔をしようとかは全然考えてない」


 闇の中から、にゃぁ、と鳴く声が聞こえる。それなら何をしに来たんだ、というように聞こえる。

 なんで意思疎通ができてるように思うんだろう。

 けれども 大切な場所に僕が勝手に入り込んだんだから、きちんとその理由を説明しないといけない気になっていた。足元を照らす細いライトと反射する水たまり、そしてハウリングするような自分と僕を見つめる金色の瞳の黒猫の声。そんな不思議な空間が、そういう風に思わせているのかもしれない。


「ええと、僕はその人がした封印を解こうと思っているわけじゃないんだ。外の子が、封印の中にいるお母さんに会いたいっていっていたから。……手紙の交換とか、そのお母さんの様子を伝えるだけでもできたらいいなと思って」


 しばらくして岩棚の下のほうを照らしていたライトの真ん中に、トン、と黒猫が現れた。

 とことこと僕の足元にやってくる。

 黒猫は僕を心配そうに見上げた。本当にいいのか、と問いかけている、気がする。


「だめかな……?」


 黒猫は僕の近くによってきて、僕の手をひっかいた。


 痛っ。


 そしてぽとり、と僕の血が水面に落ちた瞬間。

 奇妙なことが起こる。

 僕の血は水面に落ちたところから僕を中心に黄色や黄緑の蛍光塗料のような色を帯びて、まるで床の上に薄い油膜が張るようにゆっくりと部屋全体に広がっていく。そして波紋のように部屋の端まで到達すると、一瞬水面全体がぱっと眩しく光ったあと、その光は固まってガラスが割れるように砕けてそのままばらばらと粉のように辺り一面に飛び散って床の底に吸い込まれた。

 そのたくさんの光が足の下で瞬いている。まるで星空が広がるような光景に思わず息を()む。まるでさっき井戸の外で見た星空を上から見下ろしている気分。でも、その星空の下で何かが動いたことに気がついた。


 黒猫はこつこつと水面をたたき、星空の下に(うごめ)くものの一つを指し示す。僕はそれを見た瞬間、全身が凍りついた。


『口だけ女』……。


 それは確かに、ナナオさんが言った通りの姿をしていた。まるで口の中だけをひっくり返してあらわにしたその姿。ひっくり返った肉色の粘膜はテラテラとした透明な唾液に塗れ、唾液が口蓋(こうがい)の端から下方にねとりねとりとこぼれ落ちている。中心から生えた舌と思われる赤黒い肉塊がもぞもぞと緩慢に動くごとに小さな泡が生まれ、それが粘膜にぶちぶちとぶつかるごとにつぶれて周縁にぐるりと居並ぶたくさんの歯にあたって散らばり下方に落ちてゆく。

 まるでぐちょぐちょとした音が聞こえてくるようだ。真上からだから手足は見えないけど、そのおぞましさは僕を戦慄させるのに十分だった。


 にゃあ、と黒猫が鳴く。

 人と怪異は相容れぬものではないのか。僕が求めているのはこれとの意思疎通だ、と。

 僕はそれに同意するしかなかった。それはまさに化け物。虎や狼なんかの猛獣ともさらに異なる世界に生きる存在。洞窟の床で隔てられた異なる世界に住む、まさに相容れない、もの。


 その大きな『口だけ女』は僕に気づき、ゆらりゆらりとゼリーの海を泳ぐように水面、僕の方に近づいてきた。その大きく暗黒に開いた口腔に僕を飲み込むために。

 思わず後ずさる。もはや恐怖しか浮かばない。

 ごめん、ナナオさん、これは無理だ。

 そう思った時、背後からダンッダンッと何かを蹴る勢いの良い音がして、バチャッという水が激しく跳ねる音がした。

 まさか。


「ボッチーどこだっ⁉︎ 大丈夫か⁉︎」

「ナナオさん⁉︎ なんで来た⁉︎」


 ナナオさんは僕の声と床に散らばる星空の灯りを頼りに一直線にこちらに向かって走ってくる。

 黒猫は慌てたように、にゃぁ、と鳴いてナナオさんの方に向かう。危険なのかも!


「ナナオさん入ってこないで!」


 黒猫の様子からまずいと思ってそう叫んだけど遅かった。ナナオさんは部屋の入り口で突然、とぷり、と床に沈んだ。まるで、突然海に落ちたように。


「なん……これ……」


 慌てて駆けつけたけど手が届く寸前にナナオさんは頭の上まですっかり床の底に沈んでしまう。手を伸ばしても透明な床に阻まれてナナオさんに届かない。全身の血の気が失せる。体が全部氷になったように。


 ドンドンとナナオさんが落ちた床を叩いても表面でピチャピチャと水が跳ねるばかりで星空の下には届かない。ナナオさんはブクブク言いながら、床の下からこちらに手を伸ばす。僕らの指先は接する間際で床の表面に弾かれる。


「ねぇ、なんで⁉︎ なんでなの⁉︎ なんで届かないの⁉︎」


 僕は焦って黒猫に怒鳴るけれど黒猫は首をふるばかり。

 そのうち大きな『口だけ女』は泳ぐようにぶくぶくゆっくりナナオさんのほうに近づいて来る。


「ナナオさん⁉︎ 逃げて‼︎ 反対側に!」


 声が届くのかはわからない。けれどナナオさんも『口だけ女』に気づいて表情をこわばらせた。反対方向に逃れようともがく。でも液体の粘度が高いのか方向転換もままならない。

 急いで『口だけ女』のほうに移動してどんどんと床をたたいて注意を引き付けようとしたけど、『口だけ女』は僕なんかには見向きもせずにナナオさんにゆっくりと近づいていく。

 冷たい床は何度叩いてもアクリル板のように僕の手を固く跳ね返してびくともしない。それでも僕ができることは、必死に床をたたくことしかない。

 ぐるおお、という低いうめき声が聞こえ、ナナオさんの表情が絶望に染まる。


「ねぇ! お願いだから何とかして! 僕にできることならなんでもするから! お願い!」


 僕は黒猫に向かって声を絞る。

 黒猫はふと、即身仏のほうをみた。

 その後、にゃお、と僕に言った。


 本当にいいの?


 僕にはそう聞こえた。僕は大きくうなずく。

 その瞬間、黒猫の姿は床をすり抜け、星の瞬く闇にとけた。そうして床の下の星空のきらめきがすぅときえて真っ暗になった。

 その瞬間、僕とナナオさんを隔てていた透明な床ははらりとほどけて繊維状に拡散し、僕の体に何重にも絡みつく。それと同時に僕も粘度の高い液体の中へどぼんと落下した。

 ちょうど、『口だけ女』とナナオさんの中間あたりに。真っ暗なのに、不思議とその液体の中では周囲の状況がよく把握できた。


「その手紙を遠く投げよ」


 唐突に頭に声が響く。手紙⁉︎

 ナナオさんを振り返ると手に何かを握りしめている。それを奪い取ってなるべく遠くに放り投げた。

 そうすると『口だけ女』はふよふよと手紙に向かって漂っていった。


 その後、どうどうという大きな何かが動く音がして、僕らの体はふわりと浮き上がり、僕は意識を失った。

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