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六.ひび割れがそのまま残った


 ひび割れがそのまま残った大理石のカウンターの前で、アンジェリンは眉をひそめて立っていた。


「……依頼がない?」


 受付嬢は困ったように曖昧な顔で微笑んだ。


「はい。今のところSランクのアンジェリンさんたちにお願いできる仕事がなくて……ひとまずAAランク程度の冒険者でもなんとかなる依頼ばかりでして」


 もちろん、そういう依頼をSランクが受けてはいけないという決まりはないが、なるべく多くの冒険者に均等に仕事が行き渡るようにするのもギルドの仕事である。

 それに、アンジェリンたちの今までの仕事量から考えても、今更わざわざランクの低い仕事を斡旋する必要性は薄い。


「トルネラ方面に行く隊商の護衛とかもないの?」

「そういうのはSランクの方に出す依頼ではないので……」

「……じゃあひと月休暇取っていい?」

「い、いや、それは流石に……何が起こるか分かりませんし……」

「チッ……」


 何が何でも帰ろうとしているアンジェリンに、受付嬢は苦笑した。

 ともかく、今日は時間が空いてしまったらしい。しかし長期で休みを取れるほどではない。それならそれでアネッサとミリアムと遊びに行ってもいい。

 踵を返しかけたアンジェリンは、カウンターのひび割れを見て、目を細めた。


「……これ、いい加減に直したら? 弁償するけど……」


 受付嬢は「にしし」といたずら気に笑った。


「これはですねえ、“黒髪の戦乙女”アンジェリンさんの伝説のひとつとして残しておこうとギルドマスターが決めまして」

「……そう」


 ささやかな嫌がらせかコノヤロウ、と思ったが、別にこの程度の事は何でもない。アンジェリンはロビーで待っているアネッサとミリアムの所に戻った。


「お、どうだった?」

「いい依頼あったー?」

「ううん……Sランクに任せる仕事はないって。だから今日はお休み」


 二人はおやという顔をした。


「突然空いちゃったね……」

「そうだなあ……どうする?」

「わたしは取りあえず一度帰って着替える……」


 直ぐに依頼で出かけると思っていたので、冒険者装束である。軽鎧を着込んだまま町を歩くのは好かない。アネッサも頷いた。


「そうだな。じゃあ、いつもの酒場で待ち合わそうか」

「うん……後でね」


 アンジェリンは二人と別れて部屋に戻る。

 彼女は下町の一角にある小さな下宿の一部屋を借りていた。彼女の収入から鑑みればもっと立派な家に住む事も出来るのだが、アンジェリンにそういう欲はないらしく、自分の手が行き届くくらいの部屋の方が落ち着くようだ。


 服を着替え、ベッドに腰かける。窓の外はすっかり秋だ。街路樹は赤く色づき、陽射しも柔らかい。

 ごろんと寝床に転がり、この前ベルグリフから届いた長い手紙を読み返す。読む度に顔がにやけて、嬉しくて仕方がない。

 読み返した手紙を丁寧に畳んで抽斗にしまい、ごろんと仰向けに天井を眺めて、岩コケモモが食べたいな、とアンジェリンは思った。

 トルネラ村にいた時は、秋が来る度にこれを心待ちにしたものだ。ベルグリフが山に連れて行ってくれるようになってからは、真っ先に岩コケモモを探した。今でも山にある群生地の場所は思い出せる。


 都に来てから、砂糖漬けや乾燥の岩コケモモは食べたけれど、矢張りあの採れたての岩コケモモの鮮烈な甘酸っぱさはない。甘えてねだると、お父さんは苦笑しながら岩コケモモをあーんって食べさせてくれたっけ……などと思い出に浸る。


「……帰りたいなあ」


 何もする事がないと、郷愁の念ばかりが強くなる。

 アンジェリンはしばらくベッドの上で仰向けになっていたが、アネッサたちを待たせている事を思い出して起き上った。


「一体わたしはいつになったらお父さんに会えるんだ……」


 アンジェリンは嘆息しながら部屋を出た。


 往来は人で一杯だった。

 オルフェンの都は人口が多い。交易の要所という事もあって、冒険者の数もひとしおだ。行き交う人の量はこの周辺の町とは比べ物にならない。初め都に出て来たアンジェリンは、この人の多さに圧倒されたものだ。

 人ごみを歩くのは骨だが、酒場までは近い。まだ昼間だというのに酒場も人がいっぱいいる。だがアネッサとミリアムが席を取っていたから、難なく座る事が出来た。


「アンジェ、めっちゃ不満そうな顔してるー」


 ミリアムがけらけら笑った。アンジェリンはムスッとしたまま水を飲んだ。


「こんな細々した休みは要らない……」

「いやいや……せっかくの休日なんだから」


 アネッサが困ったように頬を掻いた。アンジェリンはやれやれといった面持ちで首を振った。


「休日とは、わたしがトルネラに帰ってお父さんに甘やかされている状態の事を言う……」

「なんだそりゃ……」

「甘やかして欲しいのー? じゃあわたしが甘やかしてあげようか。抱っこしてあげよう。ほらほら、おいでー」


 ミリアムはにやにやしながらアンジェリンに両手を差し出す。アンジェリンは口を尖らした。


「ミリィ如きがお父さんの代わりになるもんか……巨乳だからって母性があるとか思ったら大間違い」

「あーん、アンジェが辛辣だよぅ」


 ミリアムはぶうぶうと文句を言いながら椅子の背もたれにもたれかかった。いつもゆったりとしたローブを着ているから目立たないけれど、その内側には中々立派なお胸様が隠されているらしい。


 三人はそれぞれに好きなメニューを頼み、取り留めのない話に興じながら時間を潰した。しかしそこは冒険者である。話題は自然魔獣の事になった。


「最近は魔獣の動きが活発になってる気がするな」

「そうだねー。昔は魔獣ってそんなにどんどん町を襲撃したりってなかった気がするー」


 ここの所アンジェリンたちのパーティに持ち込まれる依頼は、殆どが町の近くに現れた魔獣の討伐だ。中には既に襲撃が始まり、救援に駆け付けるパターンもある。

 ひと昔前は、そういう事は今ほど多くはなかったようだ。高位ランクの魔獣は大概が人里離れた場所に生息しており、その魔獣の持つ素材を欲したり、その土地を開拓するために高位ランクの冒険者に討伐依頼が来る、という具合だった。魔獣そのものに懸賞金がかけられているケースもあり、過去の高位ランク冒険者はそういった魔獣を狩る事を生業としていた節もあったようである。


 それが今では高位ランクの魔獣も人里近くに出没する。だからアンジェリンたちも仕事の量が増えるのだ。

 高位ランクの魔獣が辺境や、ダンジョンの奥地に潜んでいるだけであれば、Sランク冒険者もわざわざずっとギルドに留まっていなくても、自分のペースで魔獣の討伐に行ける筈なのだが。


 アンジェリンは相変わらず不機嫌そうに、好物の鴨肉のソテーを口いっぱいに頬張った。


「ほいひゅもこいちゅもひょほくでおとにゃしきゅ、もぐもぐ」

「食ってから喋れよ……」

「もぐもぐ……ごくん。どいつもこいつも遠くで大人しくしてればいいものを……わざわざ人の住んでる所に出て来るなんて、鬱陶しい……!」

「……まあ、だから仕事があるとも言えるけどな」

「だからって度が過ぎるだろ……!」

「魔王の復活って本当なのかなあ?」


 ミリアムは唇に付いたヨーグルトソースを舐め取りながら言った。


「魔王ねえ……」アネッサは頬杖を突いた。「眉唾な話だけど、魔獣が活性化してるのは確かだからなあ……」

「魔王……って、確かいっぱいいた……?」

「ああ、ソロモンの七十二の魔王な。伝承が本当なら、だけど」


 伝承によれば、昔、ソロモンという大魔導がいた。彼はありとあらゆる魔法や錬金術に精通していた。

 ソロモンはホムンクルスと呼ばれる不死の人工生命体を産み出し、それらを使役して大陸の頂点に立ったが、晩年は狂気にとらわれ時空の彼方に消え去った。そして、残されたホムンクルスたちは主を失って暴走した。これが魔王である。

 魔王たちはあちこちで破壊の限りを尽くした。

 結果、ソロモンが残した貴重な術式の資料や、実際に作られた建造物等は殆どが失われた。結局ソロモンは、自ら作り出したものを自ら破壊してしまったとも言える。


 魔王たちは、女神ヴィエナの加護を得た勇者によって封印され、現在も大陸各地に眠っているという。その魔王の発する魔力によって、魔獣が発生するようになった、というのが魔王に関する伝承である。


「まあ、あくまで伝承だから本当だかどうだか……」

「でも、魔力の強い場所があるのは事実……」

「だねー。魔王の魂を鎮める祠とかもあちこちにあるもんね」


 魔王は全部で七十二いたと言われている。大陸の各地に、魔王を祀る祠などが点在しているが、あくまで鎮魂の為で信仰の対象にはなっていない。

 そんな話題から、その魔王や、魔王を生み出したソロモンを崇める邪教が、この所活発に活動しているらしい、という事に話が転がった。


「悪い事は一気に起こるものだな……」

「あの人たちって魔王の復活を目指してるんだっけえ?」

「らしいな。まったく、迷惑極まりない」


 うんざりしたように言うアネッサに、アンジェリンもふんふんと頷いた。


「魔王なんて復活したら仕事が増えてしまう……休暇が取れない……」

「……いや、そういう問題じゃないと思うんだが」

「ふふっ、アンジェなら魔王もやっつけちゃいそうだよねー」

「勝てない道理がない……わたしは“赤鬼”ベルグリフの娘、“黒髪の戦乙女”アンジェリンだぞ」


 アンジェリンとミリアムはきゃいきゃいとはしゃいでいる。仮に魔王が復活したとすれば本当にそうなりそうで、何となく背筋が冷えるアネッサであった。

 その時、酒場にギルドの職員が駆け込んで来た。


「あっ、やっぱりここにいた!」


 アンジェリンは眉をひそめて職員を見た。


「なに?」

「それが、オルクス近郊の平原で地竜が出まして……お休みの所申し訳ないのですが、出ていただけないでしょうか?」


 三人は顔を見合わせて苦笑した。魔王だなんだと軽口を叩いている暇もない。


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