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冒険者になりたいと都に出て行った娘がSランクになってた 作者:門司柿家

空回りする娘

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三十八.宴会の日、夜半過ぎからかかり始めた雲が、次第に


 宴会の日、夜半過ぎからかかり始めた雲が、次第に厚さを増してすっかり空を覆ってしまった。夜と朝との境目が曖昧になって、気づけば辺りが白んでいた。
 妙に空気がもったりして、羊や山羊、犬たちが落ち着かなかった。放牧しようと柵から出すや、てんでばらばらの方に駆け出して、それを集めるのが仕事の犬までも錯乱したように別の方に行ったり来たりを繰り返した。

 朝からその羊を集める手伝いに出たベルグリフは、自分自身も変に落ち着かないのに気付いた。黙って立っていても心がざわざわするようで、むしろ動いていた方が気が紛れるようだ。

「変な日だな……」

 しかし何となく思い当たる節がないではない。ベルグリフは森の方を見やった。
 風に揺れる木々はいつもと変わりがないように思えるけれど、見ていると違和感を覚える。とうとう外まで影響を現し始めたのか、と目を細める。
 昼頃までかかって羊を集め、家に戻った。
 昨夜の宴会の飲み過ぎで、グラハムは二日酔い状態になり、寝床に転がっていた。

「グラハム殿、具合はどうだい?」
「……頭が痛い。若い頃はこんな事はなかったのだが……」
「あっはっは、情けねえぞ、大叔父上」

 あれだけ飲んでもケロッとしているマルグリットに言われ、グラハムは悔しそうに唇を噛んだ。

「返す言葉もない……よりにもよってこんな時に……」
「何が起こったか分かるのかい?」

 ベルグリフの言葉に、グラハムは頷いた。

「森の魔力の流れが変わった……楽観していたが、動きが急だ。何か起こったとしか思えぬ」
「そうか、やはり……参ったな」
「ハッ、大叔父上は寝てな。おれが行って見て来てやるよ」

 マルグリットはそう言って細剣を携えて立ち上がる。ベルグリフも剣を腰に差した。

「俺も行くよ」
「んだよ、別に一人で平気だぜ? 見て来るだけにするって」
「それで済めばいいが、嫌な予感がするんだ」

 そこに、別の家の羊を集めるのを手伝っていたダンカンが戻って来た。額の汗を拭って眉をひそめる。

「妙な気配ですな! 嫌な予感をひしひしと感じますぞ」
「ダンカン、俺はマリーと一緒に森に行って来る」
「む? ならば某も!」
「いや、君には村を頼みたい。森の奥と外は時間の進みが違う。俺たちがいない時に魔獣が出るとまずい。グラハム殿も不調だし」

 ベルグリフは自分ではなくダンカンがマルグリットと行く事も考えた。
 しかし、ダンカンはダンジョン探索は不得意だ。マルグリットも魔王を倒した経験こそあれど、冒険者としてはまだ駆け出しもいい所である。やや不安が残ってしまう。
 万全を期すならばグラハムが出るべきだ。しかし彼が動けないならば自分が行くしかないだろう。そう思った。
 グラハムはバツが悪そうに上体を起こした。そうして頭痛に顔をしかめる。

「すまぬ……私の失態だ」

 ダンカンは豪快に笑った。

「勧められた酒を断らなかったのは、エルフへの偏見を払拭するためでありましょう! 何も恥じる事はありませんぞ、グラハム殿」

 宴会の時、グラハムは口数こそ少なかったが、勧められるがままに何杯も酒を飲み、盃を干す度に小さく笑った。それを見て村人たちは喜んだ。エルフもお高く留まっているわけではなく、こういう場で一緒に酒を酌み交わす事ができるのだ、とすっかり気を良くし、一気に彼らの距離は縮まったように思われた。
 グラハムもそれは分かっていて弱い酒を幾杯も受けたのである。不器用者である彼なりの交流の礼儀だった。

 ベルグリフもダンカンもその事は分かっていた。だからグラハムを不甲斐ないなどとは一切責めようとは思わない。マルグリットは面白半分に指摘して楽しんでいるが。
 ダンカンはベルグリフに向き直った。

「よく分かり申した。村は某が任されましょう。お二人とも、原因をよろしくお願い申す」
「ありがとうダンカン……マリー、行こうか」
「おう!」

 二人は武器と道具を携えて森へと向かった。際に立つと、それだけで異常さを感じた。
 森の中からぬるい風が吹いて来て、変に生臭さを感じる。嫌な感じだ。マルグリットが顔をしかめる。

「一日で随分変わりやがったな……あのガキが本性現したんじゃねえのか?」
「分からない……ともかく行ってみよう。はぐれないようにするんだよ?」
「子ども扱いするなっての!」

 二人は森に踏み込んだ。
 木々が変な形に捻じれて、葉の色がくすんだ紫に変色しつつあった。
 草や葉の爽やかな匂いは消え去り、代わりに何かが腐ったような鼻につく臭いが漂っていた。
 木々の根が地面から這い上がるようにして絡み合い、岩や地面を侵食して道を塞いでいる。
 最早かつて庭のように歩いていた森ではない。ベルグリフは複雑な思いで辺り見回した。

「ひどいな……かなり様変わりしてる」
「まだ枯れちゃいねえよ。でもこのままじゃ枯れるぜ。魔王のせいで枯れた森を知ってるんだ」

 周囲に魔獣の気配が増した。二人は剣を引き抜く。同時に魔獣が幾匹も飛び出して来た。
 グレイハウンド、ジャイアントトードなどの下位ランクの魔獣に加え、カオスハウンドや大鬼(オーガ)といった高位ランクの魔獣まで混ざっている。

「くそ、少し様子見が過ぎたか……」
「ハッ、だから早く行こうぜって言っただろうが!」

 そう言いながら、マルグリットは飛ぶように見事な身のこなしで魔獣に襲い掛かり、たちまち数匹を物言わぬ肉塊にした。
 ベルグリフは相変わらずの後の先を取る戦法だが、体の動きはさらに小さくなり、杖のような義足を効果的に使って、以前よりも遥かにスムーズな動きを見せた。
 トルネラに戻ってからの二か月余り、ダンカンやグラハムと行った鍛錬の成果が如実に表れていた。

 高位ランクの魔獣とも互角以上に渡り合えるようになっている事にベルグリフは驚き、また嬉しくもあった。この歳でまだ成長できようとは。

 しかし魔獣が次々と寄せて来るので、切りがないように思われた。魔獣たちは死骸を乗り越えて、より一層憎悪を込めたような雄たけびを上げた。
 ベルグリフは飛び退り、剣を鞘に納めた。

「マリー! 後ろに来い!」

 言うが早いか、ベルグリフは道具袋から粉油を取り出して振り撒いた。粉末の油で、安価な着火剤として大陸中で普及している代物である。
 瞬く間に背後に退いて来たマルグリットが、粉油の臭いに鼻をひくつかせて眉をひそめる。

「おいベル! ここで火はまずいぞ!」

 だがベルグリフは着火の魔道具を取り出すと、素早く振って火を起こした。それを粉油の上に落とすと、たちまち火が巻き起こり、魔獣たちは慌てふためいて動きを止めた。ベルグリフは森の奥へと足を向ける。

「行くぞマリー!」
「お、おう! でも火事になるんじゃねえか!?」
「心配ない。この辺は水場が近くて、地面も苔に覆われて水分が多い。この時期は枯葉もないし、そうそう広がらないよ」

 成る程、気にしていなかったが、確かに地面を踏むと足の裏に水気を感じるようだ。
 マルグリットは感心したように、横を走るベルグリフを見た。

「すげえな。戦うだけが能じゃないってか」
「冒険者ってのはそういうもんだ。君も覚えておくといい。きっと役に立つ」

 火におびえて動きを止めた魔獣を後ろに、二人はでこぼこした地面を飛ぶように走った。ベルグリフは時折空を見上げて風の流れを見、方角を少しずつ調整しながら森の奥へと進んで行く。
 次第に木々の捻じれはひどくなり、瘴気のようにずっしりと重く肩に乗るような魔力が漂い始めた。
 マルグリットが不快そうに舌を打った。

「チッ、気持ち悪ぃ魔力だ……これだから魔王って奴は……」
「……やはり魔王なのか?」
「ん……魔力の質はかなり近いぜ。でも今まで倒した魔王どもとはちょっと違う感じがする」

 中途で襲って来る魔獣を撃退しながら、小一時間ほど進み続けると、あの木でできたドームが見えて来た。その周囲にも捻じれた木が立ち並び、しかしその中で幾本かは直立したものもある。それらはまるで神殿の柱を思わせるように、一定の間隔を以て並んでいた。
 マルグリットがにやりと笑って剣を握り直した。

「今度は油断しねえ……リベンジだ」
「こらマリー。一人で暴走しちゃ駄目だぞ? 取りあえずは俺の判断に従ってくれ」
「わ、分かってらあ!」

 ドームには入り口らしきものはなかった。どこも枝同士が絡み合っている。ベルグリフは剣を振るって木の格子を斬り裂き、無理矢理入り口を作った。
 中に入ると瘴気が充満していた。前は青く葉を茂らせていたドームの木が、皆枯れて死んでいる。瘴気にやられたのだろうか?
 ベルグリフは素早く視線を走らせ、あの子供の姿を探した。

「……!」

 ドームの中央に子供がいた。横向きに倒れ、長い髪の毛は周囲に広がるようになっている。眠っているのではないようだ。
 ベルグリフは足早に駆け寄った。子供は目を閉じ、浅く短い息をしていた。体はじっとり汗をかいている。眠っているのではない、憔悴して動けなくなっているようだ。

「何があったんだ……?」

 ベルグリフは懐から手ぬぐいを取り出して子供の汗を拭ってやりながら、周囲を見回した。瘴気が漂っており、気分が悪くなる。
 マルグリットが目を細めて子供を見下ろした。

「原因が死にかけかよ……なのに森の状況は悪化してんのか? わけが分からねえ……」
「この子が原因かは分からないぞ、マリー。この子の魔力は魔王に近いのか?」

 マルグリットは眉根に皺を寄せ、屈みこんで子供の顔を覗き込んだ。

「……いや、違う」
「じゃあ」
「近いとかじゃない。こいつは魔王そのものだ」

 言うや、マルグリットは剣を抜いた。

「ここまで近づかなきゃ分からないくらい抑え込んでやがった。やっぱりこいつが原因だぞベル」

 ベルグリフは慌ててマルグリットの剣を押さえた。

「待て待て、それなら尚更慎重になるべきだ。この子が死にかけてるから森が悪化してるんだぞ? 殺してしまっては取り返しがつかない事になるかも知れない」
「イタチの最後っ屁ってやつだろ。死ぬ前に周りを巻き込んでやろうって魂胆なんだよ」
「違う。それならこの子にも魔力と瘴気がまとわりついている筈だ。それに、そもそも死にかけている意味が分からない」
「ベル、見た目に惑わされるんじゃねえよ。それで判断が遅れてトルネラが駄目になっても責任取れんのか?」
「ああ。取れる。そうだったら刺し違えてもこの子を殺す。村にグラハム殿がいるなら、それで何とかなる」

 言葉の中の異様な迫力に、流石のマルグリットも思わず息を飲んだ。
 その時、不意にドームが揺れた。枯れた葉が舞い散り、枝や幹が音を立てて折れる。二人は驚いて顔を上げた。

「うっ!」

 マルグリットが目を見開いて剣を構えた。

 異形の魔獣がドームを破壊して中に入って来た。
 人の背丈よりも遥かに大きな四足の魔獣だが、影のように黒い体中に、様々な魔獣の顔が浮かび上がるように現れては消え、消えては現れ、常に脈動するように動いていた。
 マルグリットが鳥肌を落ち着けるように腕を抱いてこすった。

「き、気持ち悪ぃ! なんだあれ!」
「……魔獣が混ざったような感じだな」
「そ、そんな事あるのか?」
「高位ランクのダンジョンでは稀にあるらしいが……俺も見たのは初めてだよ」

 異形の魔獣は身に纏う瘴気をまき散らしながら、形容しがたい声で咆哮した。耳に不快な響きだった。子供が苦し気にうめき声を上げる。目じりから涙が伝った。

「こわい……こわい……」

 マルグリットが子供を見、それから異形の魔獣を見た。

「あのキモいのがガキの魔力を吸い取ってやがる……原因はあっちか!」
「来るぞマリー!」

 ベルグリフは子供を抱きかかえ、横っ飛びに跳ねた。マルグリットも反対方向に飛ぶ。そこに異形の魔獣が吠えながら突進して来た。ズドン、と踏み付けるように着いた足が地面を揺らす。マルグリットが怒鳴った。

「おいベル! こいつも殺すなとか言わねえよな!?」
「言わないよ! 油断するなよ、マリー!」
「当たり前だッ! 速攻で潰す!」

 マルグリットは体を捻り、魔獣へと躍りかかった。細剣がきらめき、一瞬の間に数十発の斬撃が走る。魔獣の前足がばらばらになって地面に散らばった。

「ハッ! 見た目ほどじゃ」

 と言いかけて、マルグリットは目を剥いた。ばらばらになった前足の破片が、それぞれに小さな魔獣になって立ち上がり、異形の魔獣の方も、前足が胴体から伸びるようにして再生した。
 マルグリットは一瞬動きを止めたが、すぐに剣を握り直して凶暴な笑みを浮かべた。

「面白れえ……死ぬまで殺してやるよ!」

 マルグリットは、振り上げられた魔獣の前足を切り落とし、返す刀で群がって来る小さな魔獣を細切れにした。
 ベルグリフはそれを横目で見つつ、周囲の警戒もしながら、子供の様子を見た。相変わらず苦しそうだったが、異形の魔獣がマルグリットとの戦いで魔力を吸い取るのを止めたせいか、少し表情は和らいでいるようだった。

「……魔王、か」

 しかし、こんな魔王がいるものなのだろうか。元は古の大魔導ソロモンの作り出した人工生命体だというが、ソロモンはいったい何の目的で彼らを作り出したのだろう。
 分からない事ばかりだが、ともかく今は目の前の事に集中しなくてはならない。
 ベルグリフは子供を抱えたままドームを出、効くかどうか分からないが、子供に薬草で作った丸薬を飲ませ、マントを外して子供を包んでやり、安全そうな所に寝かせた。

「……死ぬなよ」

 ベルグリフはドームの中を見返った。
 マルグリットは重力を感じさせぬ華麗な身のこなしで飛び回り、異形の魔獣に次々と斬撃を浴びせていた。
 しかし斬っても斬っても再生するので、埒が明かないようだ。場に充満する歪んだ魔力と瘴気が、あの魔獣に力を与えているらしい。

 しかし、ああいった合成魔獣は必ず核が存在するはずだ。中心となるものがなくては、まとまるものもまとまらない。
 ベルグリフはちらと子供を見、それから剣を抜いてドームに飛び込んだ。

「マリー! 闇雲に戦うな! どこかにある核を狙え!」
「核ぅ!? どんなんだ、それ!」
「形は分からん! だがそれを中心に形を作っている筈だ! 再生する元の方を辿るんだ!」
「なるほどな……ッ!」

 マルグリットは大きく飛び上がると、剣との激烈な感応を込めた一撃で、魔獣の首を落とした。だが、首も胴体から伸びるようにして再生する。どうやら核は胴体にあるようだ。

 実力は明らかにマルグリットの方が上だ。ベルグリフは支援に徹し、異形の魔獣から分かれた魔獣を倒して回った。
 マルグリットは肉を削ぐように魔獣の胴体を斬り続けた。再生速度を上回る速さである。魔獣は雄たけびを上げて暴れまわるが、マルグリットは一顧だにしない。的確に肉を削ぎ、核を探す。

「――! そこかッ!」

 削がれた胴体の奥に、色の違う部分があった。そこを覆うようにして黒い肉体が再生していく。
 マルグリットは大きく体を捻じり、細剣を突き込んだ。剣の切っ先が核に突き刺さる。
 異形の魔獣は悲鳴ともつかぬ、耳をつんざくような雄叫びを上げた。

「ハッ、これで――」

 とマルグリットが力を緩めた時、不意に魔獣の胴体が四散した。それぞれが様々な魔獣の形を取り、瞬く間にマルグリットを取り囲む。
 マルグリットは目を見開き、剣を持つ手を引いたが、刺さった核が溶けて、さながらタールのようにべっとりと剣にまとわりついて抜けない。動きの止まったマルグリットに、魔獣の牙が迫った。

「しまっ――!」

 思わず目を閉じたマルグリットは、突き飛ばされるような衝撃を受けた。想像した斬り裂かれる痛みはない。ただ、予想外の衝撃に受け身も取れず、そのまま地面に転がった。
 怒声が響く。

「馬鹿! 戦場で怯える奴があるかッ!」

 マルグリットが驚いて目を開く。剣で牙を受け止めたベルグリフが、魔獣を蹴り飛ばしているところだった。

「ベ、ベル……」
「気を抜くな! まだ終わっちゃいないぞ!」

 ベルグリフは腰のベルトから短剣を引き抜くと鋭く投げた。マルグリットの後ろから迫っていた魔獣の目に突き刺さる。魔獣は悲鳴を上げて背中から倒れた。
 マルグリットは不甲斐なさに唇を噛んで立ち上がり、身を翻して剣を掴んだ。すっかり溶けてぐずぐずになった核を乱暴に振り払う。

「クソがッ!」

 そうして地面を蹴り、一気に数匹の魔獣を屠った。自分への怒りも込めた苛烈な剣撃である。
 また油断だ。冗談じゃない。

 程なくして魔獣は駆逐され、マルグリットもベルグリフも動きを止めて息をつく。

「平気か、マリー?」
「ちくしょう。油断しねえって言ったのに、おれ……」
「……次に活かせばいい。それに、核を潰したらいいと言ったのは俺だ。ごめんな」

 ベルグリフは優し気に言いながら腰を下ろし、道具袋から包帯を取り出した。
 マルグリットはハッと顔を上げた。ベルグリフの左腕に血が伝って流れている。

「ベルお前、怪我……」
「なあに、大した傷じゃないよ」

 ベルグリフは苦笑しながら服をまくって、肩口の傷に膏薬を塗った。

「すまないが、包帯を巻いてくれないか?」
「……うん」

 マルグリットはおずおずとベルグリフに近づいてしゃがみ込み、包帯を受け取った。
 傷口を見る。牙で裂かれたような傷だ。マルグリットは眉をひそめた。

「……おれをかばった時に?」
「……大した傷じゃないから気にするな。読み違えた俺の責任さ」

 違う。油断したのは自分だ。
 包帯を巻きながらじわりと滲んで来た涙に、マルグリットは慌てて俯いた。またこうやって迷惑をかけている。調子に乗って、馬鹿みたいだ。

 その時、不意に場の魔力が揺れた。
 二人が驚いて顔を上げると、ドームの中心で、再び異形の魔獣が出来上がりつつあった。核を中心に、まるで粘菌が集うようにぐねぐねと形を変えて行く。しかし様々な魔獣の顔が現れて消えた。

「ま、まだいやがるのか……! 今度こそ!」

 立ち上がって剣を構えかけたマルグリットをベルグリフが制した。

「切りがない。ここは引こう。あの子も心配だ」
「だ、だけど……」

 魔獣はかなりの速さで肉体を構築している。引いても逃げ切れるかどうか。マルグリットはグッと剣を握る手に力を込めた。逃げ切れるまで、自分が殿を勤め上げてやる。

 しかし、その時、視界に灰色のマントが揺れた。マルグリットが驚きに目を見開く。

「お、大叔父上……!」
「……頑張ったな、マリー」

 グラハムは不器用に微笑み、それからベルグリフに視線を移した。

「ベル、すまぬ。迷惑をかけた」

 ベルグリフはにっこり笑った。

「外はどれくらい経った?」
「もう夜になろうとしている」
「調子は?」
「悪くない」

 グラハムは背中の大剣を引き抜いた。剣は唸り声を上げて輝く。
 凄まじい魔力の高まりと、激烈な感応と共にグラハムは剣を振り上げ、一歩踏み出すと同時に振り下ろした。
 途端に爆発的な衝撃波が巻き起こり、異形の魔獣は粉々に消し飛んでしまった。

 それだけではない、剣から迸る輝く魔力によって、周囲に蔓延していた瘴気や歪んだ魔力が打ち払われた。少し苦しくなるようだった呼吸が一気に楽になる。
 まさに聖剣とあだ名されるにふさわしい凄まじい剣であり、“パラディン”の名に恥じぬ実力だ。生ける伝説の剣に、ベルグリフは感に入った。

 グラハムは大きく息をつき、剣を納めた。一振りで疲弊したのか、額には汗がにじんでいる。
 苦笑しながらベルグリフの方を見返った。

「……老いたわ。たった一振りで息が上がる」
「はは、それでも別格だ……ありがとうグラハム殿。助かった」

 ベルグリフは立ち上がり、グラハムの肩を叩いた。

「さて、あの子がどうなったかだが……」

 寝かせた子供の元に足早に走った。
 子供は寝かせたままの恰好で動いていなかった。目を閉じ、静かに横たわっている。ベルグリフは息を飲んで口元に手をやった。

「……寝ているだけか」

 穏やかな呼吸だった。ベルグリフはホッと胸を撫で下ろし、子供を抱き上げた。
 子供はむにゃむにゃと寝言を言い、ベルグリフの胸元にもそもそと顔をうずめた。

 木々がざわざわと風に揺れ、捻じれていた枝がゆっくりと元に戻って行く。
 時間差がなくなったのか、不意に辺りが暗くなり、枝の隙間から見える空には星が瞬いていた。


  ○


「詳しい事は推測でしかないが、恐らく、少しずつ段階を経て変化していくのではなく、ある閾値を跨いだ瞬間に爆発的に変異するタイプの魔力だったのだろう。そうでなければ、この唐突な変異の説明が付かぬ」
「成る程……ではこの子はいったい……?」
「生命維持の器官や体の作りはほぼ完ぺきに人間だ。だが宿る魔力の質はまったく違う。魔王のものとほぼ同じだ。ただ、肉体を構築する際に使い果たしたのか、あまり魔力は残っていないようだな。そこまで危険はないだろう」
「大叔父上はそこまで分かるのかよ……おれにはまだ分からないぜ」
「マルグリット、お前はもう少し修行が必要なようだな……」
「うぐ……が、頑張ります」
「それにしても恐ろしいものだ……よもやここまで人間の形に近いものに変容する事ができるとは……何度も相対したにもかかわらず、これらは分からぬ事ばかりだな」
「しかし、あの異形の魔獣は何だったんだろう? この子は何故死にかけていたのか……」
「これも推測だが、魔王の魔力と人間の魔力はまったく違う。肉体を人間に近いものに再構築した時に、肉体と魔力に差が出来て体から放出されたのだと思う。それに影響されて魔獣が融合し、さらにわずかに残った魔力も吸い取ろうとした。急激な魔力の枯渇は肉体の衰弱を招く。それが原因ではないかと思う」
「へへ、それでもあのキモいのも大叔父上にかかればあっけなかったな!」
「むむう、羨ましい! グラハム殿の本気の一撃を目にする事ができるとは!」
「はは、ごめんなダンカン。でも君が村を守っていてくれてよかったよ……ああ、こらこら、それは食べ物じゃないったら」

 ベルグリフは慌てて、暖炉脇の薪をかじる子供を抱き上げた。
 子供は黒い瞳できょとんとベルグリフを見上げた。

 森の異変から一夜明け、翌朝は良い天気だった。
 前日に大騒ぎしていた羊や犬たちは落ち着きを取り戻し、いつものように草を食みに草原に出た。魔獣の気配は希薄になり、森もすっかり元に戻ったようだ。
 変わりない日常が戻ろうとしているようだった。

 ベルグリフが連れ帰った子供は、すっかり魔力を失っていた。自分が何者なのかも分からないようだったが、無邪気で、ベルグリフによく懐いた。

 元が魔王では帰る家もあるまい。結局ベルグリフが預かって育てる他はなさそうだ。
 子供をあやすベルグリフを見て、マルグリットが言った。

「で、そいつはどうするんだ?」
「どうするって……こうなった以上放り出すわけにもいかないだろう? 育てるよ」
「育てるって……そいつ魔王だぜ? 大丈夫なのかよ」
「魔力はほとんど残ってないんだろう?」
「まあ、そうだけど……」

 子供はベルグリフの背中からよじ登って首に腕を回し、後ろから顎鬚をつまんで不思議そうな顔をした。ベルグリフはされるがままになって苦笑いした。

「俺はこういう子が危険だとは思えないんだよ」
「……ま、ここはベルの家だからな。ベルが決めればいいんじゃねーか?」

 マルグリットは肩をすくめた。ダンカンとグラハムは初めから異論はないようだ。
 唐突に家族が増えてしまった。しかし、これはこれで悪くない。アンジェリンはどういう反応をするだろう。

「結局、なるようにしかならんな……」

 ぽつりと呟いた一言は、誰の耳にも入らなかった。
諸事情につき、木曜日まで更新をお休みします。
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