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十三.ちりちり、と蝋燭の燃える音が


 ちりちり、と蝋燭の燃える音がしている。灯る火は青く、魔法によって灯っているのだという事が分かる。


 そこは小さな小部屋のようだ。四人も入ればすぐに一杯になってしまうだろう。

 石造りの壁があり、そこに燭台が掛けられている。窓はない。木の扉が一つあるが、頑丈に閉じられている。

 ものは殆どない。部屋の中心に木造りのテーブルが一つ、それに同じく木造りの椅子が一つあるだけだ。

 椅子には白いローブを着た男が腰かけており、テーブルの上には水晶玉が置かれている。そこには何者かの人影が映っていた。


 主な連絡手段が殆ど手紙しかない中で、水晶通信というものがある。

 魔水晶を球状に精製し、そこに魔力を込める事で、遠方にある別の魔水晶球と即座に連絡が取れるという代物だ。

 しかし、魔水晶を精製する事が難しい上に、通信するだけで膨大な魔力を食う。その為、普通水晶通信は数十秒で金貨が数枚飛ぶし、話せる時間も短い。

 しかし、ローブの男は随分前から水晶球の向こうの人影と何か話している。


「……それは確かにこちらの失態だ。しかし貴様の予測が外れたという事でもある」

『デコイをもっと撒くべきだったね。しかしバアルを倒す奴がいるとは、些か驚いたよ。たとえ見つかったところであれを下せる奴がいるとは思わなかった。グラハムの奴がエルフ領に籠ってるから安心だと思ってたんだけどな』

「フン……どちらにせよ、あれを完全に滅する事など出来ん。力はかなり失われたが、回復させればまだ使いようはある。貴様こそ“鍵”はどうした」

『全然駄目。ガセネタ掴まされたんじゃないかってくらいだよ』

「チッ……思うようには進まんか……奴と同じ轍は踏めんぞ」

『けど気を付けてよ。今回の事でヴィエナ教の連中が』

「待て。お出ましだ」


 男が椅子から立ち上がるのと同時に、扉を蹴破って誰かが飛び込んで来た。きらめく白刃がローブの男を狙う。男は素早く魔水晶球を懐にしまい込み、飛び上がって刃をかわした。

 襲撃者は人数にして五人。全員仮面をつけ、同じ服を着ている。

 二人が部屋に入り、残りが入り口を固める。狭い部屋でローブの男はたちまち追い込まれたかのように見えた。


「一人に対して大仰なものだ……」


 男が指を鳴らすと、不意に蝋燭が消えた。

 突如として暗闇に包み込まれ、襲撃者たちは一瞬動きを止める。暗闇の中で、男の白いローブがひらめいた。青白い閃光が迸り、一番前にいた襲撃者が血を噴いて倒れる。

 しかし襲撃者たちもそれに躊躇しない。瞬く間に陣形を組み直して一人減った穴を埋めると、男に襲い掛かった。男は軽く体を引いて剣をかわす。


「悪いが、貴様ら如きにまともに構ってやるほどの慈悲は俺にはないぞ……!」


 男は早口で詠唱を始めた。両手に青白く光が灯る。

 その時、襲撃者の一人が剣を放った。咄嗟の事にローブの男は泡を食ったように体をひねってかわすが、剣はローブを掠めて、破った。破れた所から、黒い宝石が転がり落ちる。


「しまった……! 狙いはこっちか!」


 男は両手を前に突き出し魔法を放とうとする。だが、それよりも早く襲撃者の一人が剣を振るい、宝石を叩き割った。黒煙が舞い上がり、部屋の中に立ち込めた。一部は部屋の外に溢れる。

 同時に、男の魔法が迸った。青白い光が刃のような鋭さで部屋中を駆け巡った。


 光が止んだ時には、ローブの男以外立っている者はいなかった。蝋燭に火が灯る。恐ろしく静かだ。冷たい死の沈黙が今までの喧騒を押しやっていた。


「ぬかったか、俺とした事が……」


 男はイライラした様子で足元の死体を蹴り飛ばした。それから手を上げ、ぶつぶつと何か詠唱する。部屋に満ちた黒煙は少しずつ男の手元に集まり、再び黒い宝石になった。男は指先でそれをつまんで、まじまじと見る。やや輝きが鈍くなっているように見えた。


「少し逃がしたか……まさか既にここまで情報を掴んでいるとは……少し別の動きを考えねばなるまい」


 男は宝石を懐にしまい、ローブをはためかせて足早に部屋を出て行った。



  ○



 荷車に積まれた土産物に子供たちが群がっている。トルネラでは中々味わえない砂糖菓子に夢中だ。その傍らでアンジェリンが荷物を漁っては一つずつベルグリフの前に並べる。


「こっちはね……わたしの好きなホットワイン! このワインにこっちのスパイスと蜂蜜を入れてね、それであっためて飲む……美味しいよ」

「ふむ……アンジェもお酒が飲めるようになったのか」

「うん!」


 ベルグリフは成長した娘を前に、嬉しいような寂しような、曖昧な顔で笑った。

 目の前で土産物を自慢げに見せてくれる娘は、確かにアンジェリンだ。

 しかし、村を出る時は自分の腰くらいしかなかった背丈が、もう自分の胸くらいにまで伸びていて、短かった髪の毛もすっかり長くなり、まだ幼さこそ残るけれど、顔立ちも大人のそれだ。


「……やっぱり親心ってのは難しい」

「どうしたの、お父さん……?」

「いや、独り言だよ」


 物思いに耽っていたベルグリフに、アンジェリンは不満そうに頬を膨らました。そしてやにわにベルグリフの胸の中に飛び込む。そうして胸元に顔をうずめてぐりぐりと押し付けた。


「たき火と藁の匂い……やっぱりお父さんは良い匂い……」

「はは、何言ってるんだか……大きくなっても甘えん坊なのは変わらないなあ」

「わたしは幾つになってもお父さんの娘だもん……」

「まったく……」


 ベルグリフは困ったように笑いながら、アンジェリンの頭を撫でてやる。

 多少癖があるけれど、艶があって綺麗な髪の毛だ。自分の赤髪とはまるで違う。実の娘ではないから当たり前なのだが。


 ベルグリフは呆然と立っているアネッサとミリアムの方を見た。


「一緒に来てくれてありがとうね。遠いから疲れただろう?」


 ハッと我に返った二人は、あわあわと手を振る。


「い、いえいえ、久しぶりにのんびりと旅が出来て、とても良かったです」

「でも、アンジェがこんなにでれでれになってるのって初めて見たー……ホントにお父さん大好きなんですねー」


 ベルグリフは苦笑して頬を掻いた。


「こんなだったか俺もちょっと疑ってるんだけど……長く会えなかったからなあ」

「五年! 五年だぞ! いや……もうすぐ六年になってしまうではないか! よく頑張ったわたし……! ぱちぱち拍手喝采!」


 アンジェリンはぐるりとベルグリフの後ろに回り、おぶさるように背中に飛びつく。そうしてベルグリフの頭に顎を置き、髪の毛をわしゃわしゃと揉んだ。まったく子供そのままのふるまいである。

 これは本当にあのアンジェリンなんだろうか、とアネッサの顔には乾いた笑みが浮かんだ。ミリアムはにやにやしている。


 小さい頃も、おぶってやる度にこうやってちょっかいをかけて来たっけ、とベルグリフは苦笑しながらしばらくされるがままになっていたが、やがて腕を上げてアンジェリンの頭を鷲掴みにした。そうしてぐいぐいと押すとアンジェリンは「きゃー」と嬉しそうに悲鳴を上げる。


「アンジェ、お土産もいいけど、自分たちの荷物をちゃんと家に運びなさい」

「あ、そうだった……はーい。アーネ、ミリィ、荷物をお家に入れるのだ……」

「あ、うん」

「りょーかーい」


 少女たちは荷車に積んだままだった自分たちの荷物を抱えて家に入れる。

 突然来るとは予想していなかったから、家の中が散らかってるなあ、とベルグリフは思った。しかし止むを得ない。

 子供たちに砂糖菓子をやって家に帰す。もう今日は剣の練習などしてはいられない。

 山盛りの土産を見て、どうしようかと思う。今夜の村民会議で皆に分けてやろうか。


 アンジェリンの方がやたらに興奮しているから相対的に冷静に見えるベルグリフだが、内心は結構混乱してあれこれ考えている。

 せっかく帰って来たのだ、夕飯は少し豪華にしてやりたい。いや、しかし今夜は村民会議があったか。

 風呂はないから沸かせないが、長旅の後だ、せめて体を拭く為にお湯くらいはたっぷり沸かしてあげなくては。しかも友達も一緒とは思わなかったから、寝床を作らなくてはいけない。

 藁を運んで……ケリーに毛布を借りようか。


 などと考えていると、ケリーがバーンズと一緒に駆け足でやって来た。ふうふうと息を切らしている。


「おおいベル! アンジェが帰って来たってのは本当か!」

「ああ……本当だよ。都で一緒に冒険者やってる友達も一緒だ」

「ははは、良かったなあベル! こいつはめでたいや!」


 ケリーは自分の事のように喜んでくれる。良い友人だ。ベルグリフは笑った。

 アンジェリンが家から出て来た。


「お父さん、アーネとミリィは……あ、ケリーさんだ!」


 成長したアンジェリンの姿を見て、ケリーは目を丸くする。


「おお……アンジェか! すっかり大きくなりやがっておい! 元気だったか?」

「うん、わたしはいつでも元気……! ケリーさん、太った?」

「わっははは! まあな! 幸せの証ってやつだよ!」


 ケリーは笑いながら自分の太鼓腹を手のひらで叩く。バーンズは口をぱくぱくさせてアンジェリンを上から下まで見た。信じられないという顔をしている。


「お、お前ホントにチンチクリンのアンジェかよ……」

「……? 誰だお前は?」


 首を傾げるアンジェリンの言葉にバーンズは眉を吊り上げた。


「覚えてないのかよ! バーンズだよ、ケリーの息子の!」


 憤慨するバーンズを見て、アンジェリンはくすくすといたずら気に笑う。


「冗談……ちゃんと覚えてる。年上の癖にわたしにいっつもチャンバラで負けてたバーンズ……ぷぷっ」

「こ、コノヤロウ…………ははっ、確かにアンジェだ、こいつは」


 バーンズは眉根をひそめながらも、降参したように笑っている。

 ベルグリフはアンジェリンに声をかけた。


「アーネちゃんとミリィちゃんがどうしたって?」

「あ、そうそう……寝床をどうすればいいかな。藁を中に入れる?」

「ん、そうだな。お父さんも今それを考えてた。なあケリー。お前の所は毛布が少し余ってないか? あれば三人分貸して欲しいんだが……」

「おお、構わんぞ。毛布なんざいくらでもあらぁね。バーンズ、お前毛布持って来い」


 バーンズは頷いて駆けて行った。


「ケリーさん、これお土産……」

「おっ、ありがとうよアンジェ!」

「ふふふ、これは珍しいスパイスなのだ……あとこっちは野菜の種。これは砂糖菓子」


 アンジェリンはごそごそと土産物を出してケリーに手渡し、自慢話を始めた。ケリーは嬉しそうにそれを聞いて一々大仰に反応する。

 ベルグリフはくつくつと笑いながら納屋から麦藁を抱え出し、家の中に入った。


 家は然程広くはない。

 部屋は分かれておらず、一つの大部屋に棚やタンスで仕切りがしてあるといった風だ。

 奥に暖炉があり、燃えさしの炭がくすぶって煙を上げている。暖炉に向かって右の方に麦藁を盛った所があって、その上に毛布を敷いて寝床にする。


 アネッサとミリアムは物珍し気に家の中を見回していた。オルフェンで生まれて育った彼女たちには、こういった農村の家が珍しいようだった。


「散らかっていて済まないね、来ると分かっていなかったものだから」


 ベルグリフが話しかけると、二人は彼の方を向いた。


「いえいえ……こちらこそ突然押しかけて……だけど、ものは多いけど、正直わたしたちの家よりも整頓されてて……逆に恥ずかしいというか何というか……」

「ねー……うちはアーネが服とか脱ぎ散らかすから」

「ばっ、あれはミリィだろ!」

「違いますー、わたしはそんな事しないですー」


 ぐたぐたと揉み合いを始めた二人を見て、ベルグリフは笑い、手近なスペースに麦藁を置いて平らに整える。


「……二人は仲が良いんだねえ」


 アネッサがハッとしたように赤くなる。


「す、すみません、お見苦しい所を……」

「いやいや全然……ふふ、確かにアーネちゃんは真面目な子だなあ」

「ふえっ!?」

「アンジェの手紙に書いてあったよ。ミリィちゃんはちょっと抜けてて面白いとか」

「ええー、抜けてないのにー。アンジェだって結構抜けてるんですよー?」

「はは、それはそうかもな……二人とも、あの子の友達になってくれてありがとう。おかげであの子もオルフェンで寂しい思いをしなくて済んだんだと思う。感謝しているよ」


 ベルグリフはにっこりと笑った。あんまり真っ直ぐだから、アネッサもミリアムもつい照れ臭くなってもじもじした。

 ベルグリフはがたがたと椅子を引き出した。ずっと一人暮らしだが、一応椅子は四脚ある。来客もないわけでない。こういう事があるから、下手に処分しなくて良かった、とベルグリフは思った。

 引き出した椅子に二人を促す。アンジェリンとケリーの話は盛り上がっている。邪魔をしないでもいいだろう。


「どうぞ、座っててくれ。お茶でも淹れるよ」

「て、手伝いますよ!」

「いいよいいよ、長旅の後なんだから今日はゆっくりしてくれ」

「そ、そうですか……」

「じゃあ遠慮なくー」

「お前は少し遠慮しろよ……」


 二人は並んで腰かけ、暖炉の方でお茶を淹れるベルグリフの後ろ姿を眺めていた。

 彼はゆっくりと、しかし手際よく動く。

 どちらかといえば、冒険者や元冒険者などというものは、生活感のない者が多い。食事は大抵外で済ますし、家で作るにしても非常に簡素なものばかりだ。

 アネッサとミリアムは孤児院での経験があるから家事全般やれるが、ベルグリフは冒険者上がりとは思えないほど動きが滑らかだ。しかし動く度に床をこつこつと叩くような音がする。


 アネッサが言った。


「その……アンジェのお父さんは冒険者だったんですよね?」

「ん、まあね。だけど若い時にこの有様でね」


 そう言ってベルグリフは右足を見せた。膝から下が木の義足になっている。樫の木を削って作った丈夫なものだ。油で磨いているらしく艶があって、年季が入っていて所々細かな傷があるが、大事に使われているらしい事が窺えた。

 ベルグリフはお盆にお茶を載せてやって来て、向かいに腰を下ろした。


「冒険者なんてやってたのは三年かそこらかな。ランクもE止まりでね。だから二人の方が余程先輩だな、はは……」


 ベルグリフは照れ臭そうに笑いながら、二人にお茶を勧める。


「ここいらで採れるレントの葉のお茶だよ。口に合えばいいが……」


 爽やかな香りの湯気が木のコップから立ちのぼる。二人はふうふうと冷ましながらゆっくりと飲んだ。舌に熱いが、きつ過ぎない渋みと、その奥に微かな甘みがある。


「あ、おいしい……」

「初めて飲んだー。渋いけど、ちょっと甘いんですねえ」

「はは、良かった。時期が時期だからお茶請けがあまりないけど……」

「あ、いえいえ、お構いなく……」

「けど、アンジェのお父さんってホントに優しいですねー。“赤鬼”なんていうから、てっきりすっごい強面の人だと思ってましたよお」


 ミリアムの言葉にベルグリフは眉をひそめた。

 また赤鬼。

 ここのところよく聞くが、自分には何の事かさっぱりわからない。サーシャやヘルベチカまでそう言うから、村でもからかい混じりに呼ばれる始末だ。


「ええと……その赤鬼っていうのは、誰から聞いたの?」

「へ? アンジェがそう言ってましたけど……」

「……はっ?」


 その時アンジェリンが入って来た。


「こら、二人ともわたしに無断でお父さんといちゃいちゃしない……!」

「アンジェ……ちょっと」


 ベルグリフは手招きした。アンジェリンは嬉しそうに駆け寄り、ベルグリフの横の椅子に腰を下ろす。


「なあに、お父さん」

「お前……赤鬼って何だい……?」


 アンジェリンは自慢げに笑みを浮かべた。


「わたしが考えたお父さんの異名! カッコいいでしょ?」

「えっ……いや、だってアンジェお前…………それ、広めてるの?」


 ベルグリフは愕然とした表情でアネッサとミリアムの方を見る。アネッサが苦笑しながら頷いた。


「アンジェが方々で言いふらしてるから……アンジェのお父さん、知らなかったんですか?」


 ベルグリフは口をぱくぱくさせながら頷く。ミリアムがくすくす笑った。


「もうオルフェンのギルドじゃ知らない人はいないですよお? “黒髪の戦乙女”の父親で、すっごく強い元冒険者の“赤鬼”ベルグリフさん、って。ねえ、アーネ?」

「うん……元Sランクの人たちもギルドマスターも一目置いてますよ」

「……アンジェ?」

「うん!」


 褒めてもらえると思っているのだろう、アンジェリンは満面の笑顔を浮かべて真っ直ぐにこちらを見ている。


「…………どうしよう」


 ベルグリフは思わず頭を抱えた。


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